Rachel Carsonl (1962). Silent Spring. Penguin, p. 24.
(レイチェル・カーソン著,青樹簗一訳.『沈黙の春』 新潮文庫)
いま地球に生きる命を生み出すのに,何億年もかかった。それは,発達し,進化し,多様化する生命が,環境に順応し,均衡のとれた状態に達するのに要した無限に近い時間だ。環境は,それが支える生命を厳密に形作り,方向づけてきたが,そこには,支えるばかりでなく,不都合な要素も含まれていた。ある岩石は,危険な放射能を放ち,すべての生命のエネルギー源である太陽光線の中にさえ,傷つける力を持つ短波放射能があったのだ。時間―年単位ではなく,千年単位の―があってはじめて生命は適応し,均衡が保たれるようになった。というのも,時間は必要不可欠な要素だからである。しかし,現代世界には,時間というものが全くないのだ。(拙訳)
放射能には,自然界に元々存在するものと人工的に作り出されたものがある,とされています。例えば,花崗岩は放射性物質を多く含んでおり,花崗岩が多い地域では,放射線量が高い傾向にあります。また,宇宙空間には高エネルギーの放射線が飛び交っており,それは,地球にも常時飛来しています。そして,太陽の紫外線は,浴びすぎると日焼けを引き起こしたり,肌の老化(光老化)の原因になります。オゾン層の破壊により,紫外線の被害はすでに日常的な脅威となっています。
人類は,その創造性と好奇心から,原子爆弾や原子力発電所を造り出しました。20世紀半ばのある時期,一部の核保有国は,戦争に原子爆弾を使用し,水爆実験を繰り返し行って,地球の大気を放射能で汚染してきました。そして,「海暖め装置」,「トイレのないマンション」の異名を持つ原発は,たびたび大事故を起こしては,自然環境を汚染し,人類の生命を脅かし続けています。
自然界には,ただでさえ生命にとって脅威になり得るものが少なくはないのに,人類は更に危険なものを付け加え,撒き散らし,自らの命を自らの手で脅かしている。その愚かさを,あらためて知らねばなりません。
自然は恵みを与えてくれるばかりではありません。自然が,私たちが望むエネルギーと癒しだけを与えるものではないからこそ,ただでさえ傲慢な人類が更なる傲慢に陥る危険性を免れているのではないでしょうか。地球あっての生命,自然あっての人類です。自然災害が激甚化している昨今,われわれは自然をもっと正しく「畏れ」,我々の先祖がしていたような,自然に調和した暮らしを思い出す必要がありそうです。