ラベル 過去生 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 過去生 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

6/29/2026

16年目(17回忌)に寄せて〜パク・ヨンハさんからの伝言

きっかけとこれまで


6月23日,仕事から帰る電車の中でプレイリストに入っていたパク・ヨンハさんの曲を聴いていたら,なぜか急に悲しい気持ちになった。いつもは普通に聞き流せていたのに。同時に,彼は社会から正当な評価を受けぬまま,この世から去ってしまったのではないか,という考えさえ湧いてきた。歌や演技も素晴らしかったが,ことばや行動に裏表がなく,親しみやすく,知的な面もあってインタビューの受け応えには共感できるところや気づかされることが多々あった。しかし,社会は移り変わる。新たなスターたちが登場し,新しいトレンドが生まれ,過ぎ去りし者たちは時と共に人々の記憶から音もなく静かに消えていく。

なぜこの日に限って,ヨンハさんの短かった生を思い出し,そんなことを考えたのか不思議だった。もしかして,彼の命日?

検索すると,6月23日は命日のちょうど1週間前だった。あの旅立ちから早いもので,16年の歳月が流れていた。日本の仏教では17回忌(満16年)という節目にあたり,「魂がすべての執着や過去の未練を完全に手放し,次のステージへと新しく羽ばたくための転換期」らしい。

当時,ヨンハさんの突然の訃報は衝撃以外の何物でもなかった。昼休み中,3限の授業が始まる少し前に,オンライン上で偶然見つけたこのニュースを,近くにいた学生の一人に確認した。すると,NHKの朝のニュースで言ってました,との返事。「一体どうして!?」授業が始まってからもしばらく動揺を隠せなかった。

オンラインでさまざまな情報を調べるうちに,経済的な困難やご家族の問題など,複数の複雑な心配事を抱えていたことがわかった。そして,私なりに感じたことをブログ記事として公表したところ,ファンの方々から感謝のコメントが相次いだ。

その後,ある大変一途で熱心なファンの方(Aさんとお呼びする)から,墓所で撮影した写真に不思議な光が映り込んでいるのでみてもらいたいと連絡があった。私は,いわゆる霊視は利かないが,リーディングをしたら何かわかるかもしれないと思い,試してみることにした。その結果,一部の真摯な日本人ファンに向けた,短いけれど暖かいメッセージを受け取ることとなった。当時の私にとって,これは全く予想外の展開だった。ヨンハさん自身がメッセージを届けたくて,Aさんの写真に少し不自然な光が映り込んだのだろう。

正確な時系列は少し曖昧なのだが,メッセージを受け取った前後のタイミングで追悼イベントがあり,チケットが余ったということで,Aさんから招待を受けた。コンサート的なイベントに参加したのは,後にも先にもこれ1回だけだが,私にとってはちょっとしたご褒美だったように思う。イベントの直後に,Aさんから少し面白い話を聞いた。あるサイキックによれば,その人は,江戸時代に歌舞伎役者だった過去生があり,今生でも同じ過ちを犯した,とのこと。現在も活躍されている有名な歌舞伎宗家であることから具体的な名前は伏せるが,その話を聞いた瞬間鳥肌が立ったので,おそらく正しい情報と思われる。一体,江戸時代の歌舞伎役者とは誰で,繰り返した「同じ過ち」とは何なのか。

2017年の冬,その人の動画を何気なく見ていたら,急にある衝動が起こった。最初はその衝動の正しい意味がわからず,右往左往した。数週間悩んだ末,ご遺族(お母様)宛に当時公開していたブログ記事をとりあえず全てお送りすることにした。日本語記事に英文の添え状をつけて,言葉がわかる方を探して翻訳して貰って下さい,と伝えた。ちょうど7回忌法要から半年ほどが過ぎた頃だ。返信はなかったが,ご遺族は,彼が大いに苦しんだ結果の出来事として受け止められたようだった。最も苦しんでいたのは他ならぬ本人だ。そして,最も後悔しているのもまた,本人自身だ。残された側には「なぜ?」「自分勝手だ!」「何てことをしてくれたの!」など,様々な思いがあることは当然といえば当然なのだが,私たちがいつまでもそうした想いを引きずっていると死んだ人には必ず伝わり,本人の後悔が一層深いものとなり,身動きがとれない状態に陥る。全員が前に進むために,ご遺族がその重い悲しみを手放し,受容と赦しのレッスンを終える必要があった。

その後は,ヨンハさんのことを考える時間も徐々に減っていったが,今月23日に急に思い出したので,前から気になっていた「歌舞伎役者だった江戸時代の過去生と今回の人生との関連性」を調べてみようと思いついた。

今回の記事作成にあたっては,ウェブ検索と昨今進化の著しいGoogleの AI 対話ツールを利用した。AI の信憑性については諸説あるが,AI が行っていることは,基本的には「人間がオンライン上で入力した膨大なデータ」を瞬時に検索し,必要な分析・推論等のデータ処理と言語処理を施した結果を,わかりやすく提示することだ。プログラムである以上,時には不正確な情報を出力することもあるし,情報処理の過程で歪みが生じたり,柔軟性に欠ける面もある。何らか間違いを含んでいる,という前提で利用する分には,短時間で必要な情報をピンポイントで得られる非常に便利なツールだ。ユーザー側が主体性と自ら思考する努力を放棄しない限り(即ち,AIに問題を丸投げしたり,全面的に信用しすぎなければ),アイデア出し(ブレインストーミング)や思考整理には大変有効である。今回,2種類のスレッドを立ててAI との対話を重ねたところ,以下のストーリーと考察が浮かび上がった。断言を避けた推測的な表現を用いてはいるが,「ヨンハさんから伝言」として読んでいただけると大変幸いである。


歌舞伎役者としての人気・成功と謎の死


江戸時代の,ある宗家の八代目歌舞伎役者の情報は,Wikipediaに仔細が掲載されている。七代目の長男として誕生。初舞台は生後1ヶ月とある。10歳で父の名前を襲名した。Wikiには次のように書いてある:


「面長の美貌で、歴代の團十郎とはまったく仁の異なる二枚目役者だった。(中略)一時深刻な不況をこうむった江戸の芝居町に人出が戻ったのは、八代目團十郎に負うところが大きかった。上品ななかに独特の色気があり、おっとりとした愛嬌が身にそなわって、嫌味がなかったという。当時の批評には「男振りはすぐれて美男子といふにあらねど、いはゆる粋で高等で[*高等な]人柄で、色気はこぼれる程あれどもいやみでなく、すまして居れども愛嬌があり」(『俳優百面相』)とある。(以下略)

「高等で人柄で」とあるが,ここは「高等な人柄で」と読み替える方が意味は通じる。

彼の実父にあたる七代目は,幼い頃に父も祖父も他界したため劇団の孤児となるも,努力を重ね,五代目の贔屓筋から後援を得て人気役者へと成長した。七代目に後を継がせたあとは,愛妾3名と豪邸に暮らし,派手な暮らしをしていた。1840年にいわゆる『勧進帳』の初演を果たし,宗家の権威を一層高めることに成功。江戸歌舞伎の権威としての宗家の地位を確固たるものにした偉大な存在だった。八代目はこの実父とは性格が正反対で,荒事も演じたが,むしろ和事(わごと)向きの,爽やかな優男タイプと言われていた。

1842年,幕府の方針により,七代目はある種の見せしめとして,江戸十里四方所払の処分を受け,江戸で舞台に立てなくなった。7年後にはご赦免となるのだが,江戸追放中は,駿府(静岡)を経て大阪へ渡り,京・大津で舞台に立った。江戸追放以前から備中,名古屋などで地方巡業をしており,追放後も伊勢,京都,岐阜の各地を訪れた,とある。赦免後,江戸に戻るがすでに居場所はなく,結局大坂へ戻り,上方の舞台で多く演じることになった。

父の追放後,八代目は16歳で江戸歌舞伎界の最高責任者となり、父に代わって家を守る親孝行者として幕府により表彰される。これにより八代目の人気は爆発的に高まったという。しかし,その生活実態はといえば,実母と妾二人,そして異母妹弟11名が同居しており,家庭環境は非常に複雑だった。彼は,妾たちとは折り合いが悪く,こうした環境にいたことから結婚はおろか女性に嫌気がさしてしまったらしい。

また,八代目には,正義感が強く神経質な面があったようだ。筋の通らないことは,たとえそれが芝居上の事であっても,自分の正義感を曲げることができない潔癖さがあった。融通が利かず,一旦気になると深く悩んでしまい,夜もなかなか寝付けなかった。

そして,父には巨額の負債があった。それを彼は返済していたらしい。経済的困窮を抱えており,十両ほどの借金返済にも困っていたことは,本人の手紙に書き残されている事実である。

上方に拠点を置いていた父から,名古屋公演への出演を懇願された。自刃する4ヶ月ほど前のことだ。親孝行な彼のこと,江戸の芝居座やご贔屓に不義理をすることに抵抗がありつつも,しぶしぶ引き受けることになった。名古屋公演が終わったら江戸に戻るはずだったが,実は父とその妾が,大坂で親子共演興行の契約を彼に内緒で結んでおり,八代目に8月の大坂公演への出演を依頼。つまり,ダブルブッキングとなってしまったのだ。不本意ながらも,江戸の座元に許しを乞い,大坂の舞台に出演することになった。江戸の大スター登場に大坂は大いに湧き立った。道頓堀での親子2代による船乗り込みは,大勢の観客が詰めかけて大変な賑わいだったという。しかし,大坂での初日を迎えた8月6日の朝,旅館の一室で喉を突き,30歳10ヶ月という若さで自刃を遂げた。役者として人気絶頂期の突然の死は,さまざまな憶測(病死説,割腹自殺説)を呼び,死絵が300種も刷られたと言われている。直筆の書き置きが何も残されていなかったことから,死の理由は謎とされている。


同じ過ちとは?

さて,パク・ヨンハとしての人生と江戸時代の過去生には共通点がいくつかある。大きく異なる点もある。例えば,ヨンハさんは次男であり,家庭環境も非常に異なるし,30歳を過ぎてからは「早く結婚したい」とよく言われていた。しかし,通常,ひとつの人生に複数の過去生の影響があることを考えれば,この程度の違いは両者の関連性を否定する決定的な要因ではない。

俯瞰すると,今回の生は江戸時代より格段にバージョンアップしている。ハードルが高くなった,と言ってもよい。時代が異なると言えばそれまでだが,例えば,活動範囲が大幅に拡大した。江戸時代は,江戸と大坂という東西の主要都市(文化圏)の板挟みになったのに対し,今回は日韓という歴史・政治的にも複雑な背景を抱えた国の架け橋として板挟みになっていた部分がある。江戸時代の瓦版を遥かに凌ぐ「インターネット」の普及が大きな後押しとなり,彼の活動は台湾も含め,広くアジア圏にも知られていた。しかし,負の側面もあった。過去生において,日本の大衆芸能で成功した歓びの記憶は深く魂に刻まれ,日本を愛する気持ちとして再現したことが容易に想像されるが,そうした日本への「純粋な愛着」が,オンライン上での,母国の世論による複雑な受け止め,日本を快く思わない母国の同胞からの批判的な視線に晒されがちだったことは事実である。日本でも人気を博した他の韓国スター達と同じく,国内で「親日派」と批判されることのリスクと常に隣り合わせだった。

さらに,「韓流ブーム」の初期,文化交流の最前線にいたスター達は,単なる芸能人を超えた「国を代表する存在」としての役割も期待されていた。かつて,ある皇族の方が日韓の関係を「近くて遠い国から,近くて近い国へ」と願われたことがあったが,その重要な一端を担ったのは,彼ら初期の韓流スター達であった。

八代目には,正義感と潔癖さから,悩み事があって寝付けない夜もあったそうだが,それは今生にも持ち越されていたようだ。俳優としてデビューしてから睡眠薬なしには眠れなかったという。繊細で優しい気質,周囲への気配りや仕事に対する真摯さ・自分への厳しさに加え,身近な人からの裏切りや,世論・世間という個人が制御不能な不条理さが重なり,普通に睡眠を取ることすらままならないほど,つねに神経が張り詰めていたのかもしれない。

二人はいずれも書き置き・遺書は残していない。書く余裕がないほど追い詰められていたと考えることもできるが,八代目は、当時の状況から、覚悟の自刃だったと伝えられ,ヨンハさんも,最期の数日,親しい知人たちにそれとなく別れの挨拶をしたり,亡くなる直前には家族へ言葉を遺したりしている。何も書かないことで家族や関係者をさらなる困難に巻き込まないようにした可能性が高い。彼を愛した人々を悲しませたことは変えようのない事実ではあるものの,沈黙の中で人生の幕を下ろしたことは,二人の周囲への優しさの表れだったに違いない。

繰り返した過ちは何かと問われれば,次のようになるだろう:いずれの人生でも,彼らは,優しさや正義感・責任感から,すべてを一人で抱え込んでしまい,引くべき境界線を引けず,葛藤に苦しんだ挙句,唐突に人生を終わらせて,自分を愛してくれた人々を悲しませたこと。彼らには,誰をも犠牲にしない,あるいは犠牲を最小限に抑えるために,別の可能性を探る正しい冷徹さ,ある種ドライな立ち回り,という智慧が必要だった。例えば,父親の借金を息子が精算しなければいけないという絶対的なルールは存在しない。Wikiによれば,「八代目の死により返済できなくなった (中略) 借財(成田山から七代目が借りた莫大な借金と八代目が借りた100両)は新勝寺が処理した」とある。ならば,一人でなんとかしようせず,利害が絡まない専門家や第三者に相談するなど,打開策を探る発想の転換と実務的な努力が必要だった。他の可能性を探る余地も充分にあったはずなのだ。

(補足:19世紀半ばの歌舞伎興行システムでは,役者の借金は1年ごとの契約更新時(11月の顔見世)に座元から支払われる前借金で返すのが慣例だったという。八代目は,父(と妾)が受け取ってしまった大坂の興行主からの「前借金」の契約に縛られ,「自分が大阪の舞台に立たなければこの借金を返せず一門が破綻する」という当時の常識に囚われてしまっていた可能性を示唆する情報があったので,参考までに記しておく。)

仮に江戸時代の人生を1回目とすれば,同じテーマに挑んだ今生は2回目だ。一つのテーマを学ぶのに複数回の人生を必要とするのが通常であることを考えれば,これを「失敗」や「過ち」として断罪するのは早計だ。今回は前回と比べると,多くの点でかなりバージョンアップしており,ハードルが高くなっていた。ヨンハさんの魂にとっても,相当大きなチャレンジであったに違いない。前回より負荷を高め,大いに成長しようとして果敢に「挑んだ」転生だった。したがって,八代目が大坂で極限状態に陥ったように,日本でのツアーの真っ最中という越境のタイミングで極限状態に達したことは,充分に想定の範囲内だったと思われる。つまり,今生は,次の転生での課題クリアに向けて,避けては通れない大切な通過点だった,と捉えることができるのだ。

極限状態で迎えたその終わり方も,魂の視点からみれば一つの区切りであり,ある種の寿命だったと言えるかもしれない。人生の終え方が「その人」の遺した多くの善いことさえもゼロにして,人生を丸ごと台無しにしてしまうことなど決してない。実際,ヨンハさんは,21世紀の現代において,江戸時代には成しえなかった数々の素晴らしい功績を遺した。十七回忌の節目にあたり,今生での収穫を振り返り,さらに未来の成功を祝福して終わりとしたい。


永遠の記憶と未来の希望

国境を跨いでの大きな活躍で,多くの人々に愛と癒しを届けたことや,歴史・政治的に分断された二カ国の架け橋として文化交流を通して,その距離を縮めたことへの貢献は大きな評価に値する。自らの幸福よりも,ファンや周囲の人々の幸福により多く心を砕いたことも同様である。演技や歌唱の向上に邁進し,真摯に活動を続けた姿勢は,私たちに実に多くのことを教えてくれた。その生き方と芸能活動全般を通して,私たちに様々な気づきを与えたことは,永遠に記憶に残り続けるだろう。

経済的な困難を抱えつつも,人生の後半にはアフリカで慈善活動を展開した。彼の死後,彼の志や,その名を冠した組織の活動の軌跡を辿ればわかるように,慈善活動はいまも継続中である。小さな学校ではあるが,規模は問題ではない。全ては動機だから。私たちは,彼が非常に純粋な想いで遥かアフリカ大陸の地にまで赴いたことをよく知っている。

同時期に活躍したある韓流スターは,巨額の資金運用に成功し,表舞台から身を引いたあとは自らの会社さえも売却して投資家となり,家族と南の島へ移住して悠々自適の生活を送っている。自分と自分の家族を大切にする生き方を批判するつもりは決してない。それはそれで尊いことだし,投資家は世界経済の循環に貢献している。単純にヨンハさんと投資家に転じたスターは,互いの人生において異なる選択をしたに過ぎない。

ただ,次の人生で再び同じテーマに挑むことがあれば,そのときは,新たな選択肢として,「自分をもう少し大切にすること」を加えてもらいたいし,彼自身がそう強く願っているはずだ。それによって,次こそは必ず大きな飛躍を遂げることができるのだから。

いつか笑顔で再会できるその日まで,パク・ヨンハさんを愛する私たち全員の祈りとして。


参照したウェブサイト一覧

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E5%9C%98%E5%8D%81%E9%83%8E_(8%E4%BB%A3%E7%9B%AE) 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E5%9C%98%E5%8D%81%E9%83%8E_(7%E4%BB%A3%E7%9B%AE) 

https://mag.japaaan.com/archives/106530(その1)

https://mag.japaaan.com/archives/106944(その2)

https://mag.japaaan.com/archives/106972 (その3)

https://mag.japaaan.com/archives/107159 (その4)

https://mag.japaaan.com/archives/107162 (最終話)

chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/jl/ronkyuoa/AN0025722X-093_045.pdf 













2/28/2026

過去生体験 3

その教会では,牧師さんの説教の後などに,合計3度お祈りをする機会がありました。が,不思議なことに,目を閉じて祈るたびに涙が溢れてきます。そして,きまって「キリスト教を棄てた私を,こうして皆さんで暖かく迎えてくださって,こんなに嬉しいことはない」という想いがこみ上げてくるのです。今生でクリスチャンだったことは一度もありません。どうして涙が出るのか,なぜそんなことを思うのか,非常に不可解でした。その後しばらく経ってから,涙を流していたのは今の私でも,その「意識」はあくまでも「過去生の私」のものなのだとわかりました。また,阿佐ヶ谷の教会に行くことになった理由の一部もわかりました。その教会には,新しく礼拝に参加した人の名前と本人とをその場で紹介する習慣がありました。そうやって全員で新しい人を歓迎しよう,という暖かい雰囲気の教会でした。過去生の後悔を癒すのにまさにぴったりの教会だったのです。(他にも何か意味があるかもしれませんが,これ以上のことはわかりませんでした。)

これと時間的に前後する形で,ヒプノセラピーを受け,キリシタンの彼女が棄教に対して相当強烈な罪悪感を抱いていたらしいこともわかりました。もっと他にやり方があったのでは,と思っていました。また,自ら率先して集会を開いたことについて,「私がリーダーになると,ろくなことにならない」といった観念を抱いてしまったようです。自殺についても後悔していましたが,それは「自分を愛してくれた人やお世話になった人々に迷惑をかける行為である」という理由からでした。 実際,今回の人生でも,私は一度自殺を考えた事があります。思いとどまったのは,留学中に助けてもらった(英国の)人々に迷惑をかけたくない,という想いからでした。自殺願望を持つ人というのは,大抵過去生でも自死の経験があります。いずれは「困難・苦労→絶望→自殺による逃避」といったパターンを卒業しなければなりません。それができるまで,自殺願望を抱くような出来事と状況を引き寄せるでしょう。また,今生の私は人前に出るのは苦手で,いわゆるリーダーシップをとる性格ではないと自分では思っています。が,算名学で性格分析をしてもらうと,リーダータイプであると同時に,引っ込み思案の部分も同じくらい持ち合わせているために,その狭間で葛藤を感じることが多いのでは,などと言われたことがありました。キリシタン時代の出来事を引きずっているのかもしれません。

戦国時代にキリシタンだった彼女が下した決断−「棄教」。これは神の目からみれば正しい選択でした。当時,自分の命を守るために棄教した人々は多かったようですが,彼女の場合,周囲の人々を守るためだったからです。他者のために,自分の信仰を投げ打つという自己犠牲の行為は,無私の行いに他なりません。何ごとも結果より動機が大切。誇りにこそ思え,棄教や,棄教と同時に命を棄てなかったことに対し罪悪感を感じたというのは,宗教(教義)の限界(真理とのギャップ)を示すと同時に,強い自責傾向という未熟さの表われなのかもしれません。

私たちは,誰しも多くの過去生を生きてきました。それらの人生で遣り残したこと,経験した様々なネガティブな感情,未熟さゆえに犯した間違いなどは「すべて」のちの地上人生において,達成したり,解消したり,矯正される必要があります。人生計画に必ずそれらは組み込まれていますが,普通の意識状態では思い出すことができません。理屈や論理で合理的に説明出来ない状況や気持ちが起こったら,それは多くの場合,過去生がらみであると考えて,大抵は間違いないでしょう。今生という一つの生だけを生きているようでいて,別次元では過去生の様々なエネルギーが影響を及ぼしているので,同時にいくつもの生を生きていると言えるのです。

人生で起こる全てのことには理由があります。それが何かすぐにわからなくても,です。どんな出来事・状況にも意味があり,それらは私たち一人ひとりの「霊的な成長」にとって最善だから起こっています。表層意識でそう思えなくても,深い意識では納得しているはずです。

「全ては善きに取り計らわれている」−このことを常に忘れずにいたいものです。

過去生体験 2

私の棄教に最も驚き,衝撃を受けたのは,親しかったバテレンでした。自分の信仰を他の人のために棄てるということ,「連帯責任」という概念が,個人主義の文化から来た彼には理解できないようでした。私に裏切られたようにも感じたようです。バテレンはそのまま役人に連れて行かれました。  

信仰を失った私は,その後,まるで抜け殻のような状態でしばらく暮らしていました.そして,ある日,風の便りでバテレンが処刑されたことを知ります。信仰を棄てるなら,命も捨てる−それこそが真の信仰。つまり,信仰は全生命をかけて貫き,守るべきもの,という考えが,知らせを聞いた私に迫ってきました。「あぁ,棄教したにもかかわらず,まだこうして生き続けているとは!深いと信じていた自分の信仰はその程度のものだったのか。」大きな後悔に包まれた私は,まもなく自分で命を絶つことに決めました。私の死を最初に発見したのは父でした。彼は,すぐには事情が呑み込めず,戸惑い,ショックを受け,激しく動揺しました。私は,(死後に)彼の様子を知って自殺を後悔しましたが,他に選択肢がなかったことも認めずにはいられませんでした。

以上が,リーディングと過去世退行によって知らされた過去生です.しかし,話はこれだけでは終わりません.  

霊媒からこの話を聞いてしばらくの間,この別のパーソナリティを持つ「私」−大元は同じですが−に大変感動し,周りの人を守るために信仰を棄てられるとはなんと勇ましい女性か,と感じ入っていました.それでこそ本物のクリスチャンだ,と。しかし,当の本人の気持ちは違っていたようです。

ある晩のこと。いつものように部屋の灯りを全て消してベッドに入りました。寝入りばなの,意識がまだわずかにあるとき,突然,安土桃山風に装ったひとりの若い女性が見えてきました。髪は結上げず長く垂らし,黄色や金色の糸で織った華やかなうち掛けを羽織った立ち姿で,どこか恨めしそうな表情でこちらを見ています。(この内掛けの色は,当時の私のオーラの色だったのではないか思われます。)数秒だったか,数分だったのか,時間の感覚は全くありません。が,いきなり見えるはずのないものが見えて非常に怖かったため,必死の思いで目を開けました。私が見た恨めしそうな表情は,「あなたには私の気持ちがまるでわかっていない」とでも訴えかけているようでした。

その後しばらくして,霊媒S氏に再び過去生リーディングを受ける機会があり,「教会にでも行ったら?気持ちがすっきりするかも」というアドバイスを貰いました。あまり深く考えもせず,それは良さそうだ!と思い,アドバイスを実行に移すべく,教会探しを開始。私はクリスチャンだったことはありませんが,学生時代に学内礼拝や教会の日曜礼拝に何度も出た経験があったため,抵抗は全くありませんでした。ネット検索すると,片道1時間以内で行かれそうな教会が3つ見つかりました。一番関心があったのは聖公会でしたが,地図の印刷が不鮮明で行き方がよくわかりません。2つめの教会も地図の印刷が鮮明に出ませんでした。最後に,阿佐ヶ谷の教会を試したところ,大変鮮明な地図が印刷されたため,ここだと直感しました。礼拝には合計3回ほど通いましたが,その3回の礼拝中に少し変わったことがありました。
(その3へ続く)

10/07/2017

過去生体験 1

 「前世」とか「生まれ変わり」は,日常会話でも普通に使われる日本語で,われわれ日本人の間には輪廻の概念は広く行き渡っているように思われます。しかし,前世の存在は信じられていても,その本当の意義や具体的な仕組みについてはあまりよく知られていないのではないでしょうか。
 ブログ作成者の過去生を1つ紹介します。かなり以前に,福岡市在住のある女性霊媒を通じて明かされたものです。3次元的な相談もかなりしましたが,それらの回答を聞く限りでは,現実とぴたりと符合していることが殆どで,過去生霊視においては,おそらく日本でも屈指の実力を持つ霊媒ではないかと思います(特に過去生霊視において秀でておられ,目を閉じた状態で,テレビを見るように視えると言われていた)。

多くの過去生を教えてもらいましたが,その中でも,これは確からしいと感じたもので,且つ今回の人生に大きく影響しているのではないか,と判断されたものについて概略したいと思います。(リーディングのあと,ヒプノセラピーを受けて催眠下で得た情報もおり交ぜています。 )

16世紀の日本.豊臣秀吉の治世に,近江の国(現在の滋賀県)の,とある武士の娘に生まれた当時の私は,若くしてキリスト教と出会い,これを広めなければ,とインスピレーションを得ました.性格的には,自立心が強く,人についていくよりもリーダーとして人を率いていきたいタイプです。父はそういう私の性格を熟知していたため,私を制することはせず,ただやりすぎないように,と一言述べて見守ってくれました。独学でキリスト教を学び,人々を集めて定期的に集会を開くことになりました。「キリストを信じ,神を信じれば,救われます」などと話していたのが思い出されました。十字架に磔になったイエスの像をどこからか入手し,それを祭壇に飾っていた様子が浮かびました。[当時,そのようなものが現実に入手可能だったかは不明です.]  ある日,知人からバテレンを紹介され,面倒を見るように頼まれます。自宅に住まわせることには父から許しを得られなかったため,近くに民家を借りてそこへ住んでもらうことになりました。私はしばしば通っては,日本語を教えたり,身の回りの世話をしていたようです。集会に参加していた人々は,本物の説教が聴かれるかもしれない,と非常に喜び,期待しました。(とはいえ,来日間もないバテレンは言葉があまりできなかったはずで,実際のところ説教をしたのか,または説教がどのように行われ,どの程度理解されたのかなど疑問は残りますが,細かいことまではわかりませんでした。)  日が経つにつれ,私も,集会に集まってくれている人々も共に信仰が深まり,信仰生活は順調でした。ところが,ある日,豊臣秀吉がそれまでのキリシタン擁護政策を180度覆す決定を下します。バテレン国外追放令です.その結果,長崎で26人の聖人が殉教するという事件も起きました。

それでも我々は,すぐに集会を止めることはせず,隠れて続けていました。中には抜けていく人々もいましたが,何といっても普通に生活できることが大切だということで,彼らを責めることはしなかったようです。人目を忍ぶかのように,私は質素な身なりを心がけ,バテレンは貿易商人に身をやつし(かつらをかぶるなどして)布教活動を続けていました。[バテレンがお上の目を逃れるために変装していた事実はあったようです。]  そんなある日,集会を開いていると,役人が親しくしていたバテレンを伴って入ってきました。バテレンは捕まっていたのです(父の家来が,私に対する不満からお上に密告したため。ちなみにこの家来は,今生で私の家族として転生しており,今生も含め,多くの過去生において,私に多大な迷惑をかけている)。役人は,私が首から提げていたロザリオ(数珠に十字架がついたようなもので,カトリック信者によって現在でも使用されている)を指さし,「首からさげておるそれは何か。そなたはキリシタンか?」と詰め寄ります。キリシタンであることが発覚してしまうと,家族や集会に集まってくれている人々もとがめられてしまい,大変なことになります。さすがにそれはまずい,と思った私は咄嗟にロザリオを首から外し,床に打ち捨て,足で踏みつけ,キリシタンなどではない,と言い放ちました。その後の人生に決定的な影響を与えることになる棄教の瞬間です。
(2へつづく)

3/19/2011

過去生体験 -自然災害で終わった人生

10年以上の長きに及ぶ苦労の始めの頃,福岡の女性霊媒S氏と出会い,期せずして多くの過去生リーディングを受けることになりました.いくつもの過去生を教えてもらいました(尤も,それら全てが本当に自分のものかどうかは今もって定かではありません)が,過去生で最低2回は,自然災害で命を落としたことがあったらしい,と知りました.一回は津波で,もう一回は地震で崩壊した建物の下敷きになって,どちらも幼くして亡くなったようです.

当時,教えていた英語学校で,私の授業を受講されていた生徒さんに,Aさんという若い女性がいました.教室ではいつも後ろの方に座り,おとなしいけれどとても熱心で,課題にも毎回きちんと取り組まれ,見た目も可愛い方だったので,とても印象に残っていました.記憶は不確かですが,1年ほども受講されていたでしょうか.学期の最後の授業が終わったとき,彼女からピンクのスイートピーと白いかすみ草の可愛い花束をいただきました.「私の都合で先生のクラスには出席できなくなってしまいました.(試験に)合格はしませんでしたが,点数が18点上がりました.ありがとうございました.」という言葉と共に,その花束を差し出されたのでした.その方のことが前から少し気になっていたので,ある時,S氏に相談したついでにどういうご縁の方か伺ってみました.すると,次のようなストーリーがありました.

ある過去生で,(今生とは別のパーソナリティをもつ)Aさんと私は,姉妹,もしくは同じ幼稚園へ通う仲の良い友達(関係性は不明確)でした.花輪を作って遊んでいたら,突如として津波が押し寄せ,私たちと周囲の子ども達は全員津波に呑まれて死んでしまいました.周りの子どもたちは散り散りになって亡くなっているようでしたが,私たち二人の体は,ちょうど私が上になって彼女をかばうような形で重なり合っていました.結局は死んでしまいましたが,おそらく当時の私は咄嗟に彼女を守ろうとしたのでしょう.そのことに対する当時のAさんの感謝の思いが,時空を超えて「花束」の贈呈として表現されたようでした.花で遊んでいる最中に亡くなったので,「花束」だったのかもしれません(おやつの時間だったら,お菓子を戴いたかも?). また,私が彼女に好感を感じたのは,その当時とても近い関係にあったからでしょう.

この同じ学校で教えていたアメリカ人講師B先生との間にも,震災がらみの過去生がありました.B先生は私よりも年上で,英語の質問などすると,とても丁寧に答えてくださる方で,何度かお話しすることがありました.なにかご縁のある人ではないかと少し気になり,S氏に尋ねてみました.すると,あるヨーロッパでの過去生で,私は彼の教え子でしたが,地震のあとで建物の下敷きになり,二人とも命を落としていました.(いまとは異なるパーソナリティを持った当時の)生徒だった私が学院の正面にある噴水のところに腰掛けてよく聖書を読んでいたのを,過去生のB先生は憶えていたようです.「自然の脅威を知りました」と(S氏の口寄せで)当時のB先生は語りました.

さらにまた別の過去生では,雪崩にでも遭ったのか,雪の中で生き埋めになった経験もあるようです。幸いにして,当時の私を愛する人に助けてもらって命拾いしたとか.この命の恩人とは今生でも出会っています.奇しくも,彼は,AさんやB先生と出会った英語学校で講師していました.そして,この英国人男性との出会いなくしては,スピリチュアリズムとの出会いもなかったのです.(記事「女キリシタンの過去生1,2」(新ブログへ移動しました)で,彼はバテレンとして登場しています.)

たましいは地上で,本当にびっくりするほど様々な経験をするものです.

4/28/2010

トロイのヘレン - 歴史上(伝説上)の人物を過去生に持つたましい

かつてエドガー・ケイシーのライフリーディングを受けた人々のうち,歴史(もしくは伝説)上の人物だった過去生を持っているのはわずか2割ほどだと言われています.また,データを見る限り,過去生で有名人だったからといって,その後の人生でも再び有名になるとは限らないようです。むしろ,名もない一市民として人生を送る方が多いとか。さらに,歴史に名を残したたましいは,他と比べて格段に進化しているとも限らないようです。後世に語り継がれる功績を残したから,人としても素晴らしい,ということでは残念ながらありません.世間に名が知られている・いないということは,たましいの成熟度と直接関係はなさようです。

エドガー・ケイシー協会(ARE)CEOである,Kevin J Todeschi 氏の著書,Edgar Cayce on the Reincarnaion of Famous People. (Virginia Beach, VA: A.R.E. Press, 1998) から,今回はトロイのヘレンを過去生に持つアメリカ人女性のライフ・リーディングについて紹介します.

トロイのヘレン(紀元前約12世紀)

*トロイのヘレンとは誰か
 ギリシャ神話の人物として知られていますが,ケイシーリーディングが残っていることから,どうやら実在の人物だったようです.神話やホメロスの『イリアス』によれば,絶世の美女で,トロイ戦争の遠因だったとされています.その美しさゆえギリシャ国中の皇太子から求婚されましたが,スパルタの王,Menelaus と結婚し,スパルタ王妃となります.その後,パリに誘拐され,トロイ戦争が勃発しました.トロイ陥落後,ヘレンは夫の許に帰りました.しかし,晩年には,義理の息子たちによって王国から追放され,ロードスへ逃げ,そこでトロイ戦争の報復として女王によって絞首刑にかけられました.

*ヘレンを過去生にもつアメリカ人女性の課題 

 1925年,あるアメリカ人青年が受けたリーディングで,彼の恋人の二十歳の女性は,過去生でトロイのヘレンだったと明かされました.ちなみに,この青年にはアキレス(同じくギリシャ神話の英雄とされていますが,実在の人物)だった過去生があり,二人は暫くしてから結婚しました.トロイ時代に,アキレスはヘレンと個人的に関わることはなかったようですが,20世紀の人生では夫婦になったのです.
 リーディングによれば,この女性(リーディング番号136)は感傷的で,恋愛問題が非常に重要でした.短気な性格ではありませんでしたが,一旦恨みに思うと,それをいつまでも根に持つ傾向があったため,今生でその傾向を改めるように,とのアドバイスが与えられていました.ある過去生では,彼女はシャルル1世の妃に仕えていたことがあり,その人生でカウンセラーとしての技術を培いましたが,「仕返しする (to get even) 」ことも覚えていました.また,古代エジプトで過ごした過去生では,音楽家として霊的に大いに進化しました.
 女性(136)は,今回の人生ではしっかりとした家庭を作ることにエネルギーを注ぐように言われました.トロイ時代の彼女は,今生で夫となる男性(アキレス)のことは知りませんでしたが,彼の方は気にしていました.というのも,二人はエジプト時代に一緒だったことがあるからです.その時代,彼女には周囲の人々を支配したがる傾向もあったので,今回は支配ではなく調和を求めるように,ともリーディングは助言していました.
 結婚後,数年経って二人に息子が産まれると,夫は他の女性に関心を示しました.結局,女性(136)は離婚を選び,息子の養育権を勝ち取りました.その後,20年以上経ってから,二人の共通の知人は次のように語りました:もし彼女が生まれつき,恨みをいつまでも抱き,仕返しをするという性格でなかったなら,離婚せずにすみ,夫婦と子ども達の人生は非常に異なったものになっていただろう,と.(See Todeschi, pp. 54-56.)




恨みを晴らさずにはおかないという,この女性の性質は,ケイシーリーディングのアドバイスにも関わらず,この人生では矯正されなかったようです。おそらく,夫の浮気は一過性のものだったのでしょう。

こうした性質を持っている人は今の時代も決して少なくないでしょう。それを「矯正すべき性格」であると正しく認識している人も
少ないとは言えないでしょう。配偶者の不貞は許しがたい,非常に残念な出来事には違いないのですが,非は常に相手にばかりあるとは限りません。

本当に嘆くべきは,多くの人々が,人間の在り方を正しく認識しきれていない,ということではないでしょうか。尤も,そのために「人格養成学校」として地上人生の存在意義があるのですが。

3/12/2010

ソウルメイトと生まれ変わり 2

"Soulmates, Reincarnation, and Healing Relationships"の続きです.

Leslie Cayce:  輪廻転生の概念を取り去っても,自分が相手に出会っているのは何かを学ぶ必要があるからだ,という視点からその人間関係に迫るのは,わくわくする.そこに輪廻転生をプラスすれば,私が思うに,全てをより深く理解することになるだろう.でも,生まれ変わりを信じなくても人は成長することができる.

Todeschi:  人々は,「私は生まれ変わりを信じているが,過去生を思い出したことなど一度もないと思う」と言う.が,殆ど全ての人々は,過去生をなんらかの方法で思い出しているものだ.たとえば,初めて会った人なのに,その人がとても好きだと感じる.逆に,初めて会ったにも関わらず,その人の何かが気に障って苛立ったり,重苦しく感じたりすることがある.ケイシーによれば,私たちは出会うすべてのたましいについて記憶や関わった経験があるものだ.その人に再会すると,記憶がよみがえり,「あぁなるほど,そういうことがあったなぁ」と思い,それが感情として経験される.過去生で最後に終えたところから人間関係を再開するので,良かろうと悪かろうと,どのような感情的重要性であろうと,何らかの感情を伴う人間関係はすべてソウルメイトの人間関係といえる.

Therapist:  セッションを受ける時に過去生を信じていなくても,やる気をもってすれば効果はあると思う.自分の内から何らかの印象や感情を感じると,次第に強く,リアルに感じられるようになる.生まれ変わりを否定していても,過去生退行の経験をすると,過去生はあるのかもしれない,と思うようになるだろう.

キャプション: 「今日のあなたは,これまで長年に亘って経験したことの結果である.なぜなら,いのちは継続していて,肉体を持とうと持つまいと,全く同じ存在だからである.」 

司会者(Mark Thurston):  輪廻転生の理論で述べられる魂の旅は宇宙規模で起こる.自分はこの地球上に生きている,普通の物質的な存在以上の者である,と考えることができる.古代の宗教や現代の霊的哲学者は私たちに,根本的原理,「生命の永続性」を見るように促している.

ナレーション: 生まれ変わりの過程で,魂はサイクルやグループで転生する傾向がある.それゆえ,過去生で終えたところから他者との関係を始めるのだ,とケイシーは信じていた.ある人に対する無償の愛を学ぶと,今生では,その同じ人と,そこから人間関係を始めるだろう.逆に,ある人と過去に敵対的な関係を経験したとすれば,今生でその人に対する悪感情を扱うことになるだろう.

Therapist:  初めて会った人を前から知っていると感じることが時々ある.ある男性は南西部の出身だった.金山掘りが行われていた時代のことだ.彼は一人で砂金探しをしていたが,ある日,ヘビに噛まれた.ネイティブアメリカンの女性がそれを見ていて,彼の元へ行き,命を救った.それから,二人は一緒に砂金探しに出かけた.鉄砲水が襲ってきたとき,彼は泳げたので助かったが,女性は泳げず,その後,二人が再会することはなかった.この男性は,70年代に転生し,アリゾナにいた.パーティーに出かけて,ある女性を見かけたとき,一目惚れをして,彼はすっかり彼女の虜になってしまった.過去生退行によって,この女性はあのネイティブアメリカンの女性であることがわかった.彼(もしくは彼の魂)は本当に彼女を知っていたのだ.

L Cayce:  何が男女(夫婦・恋人)を引き寄せるか,ということと一緒に輪廻転生について考えてみたいと思うと,エドガー・ケイシーリーディングでは頻繁に次のように出てくる.人々は,いくつもの過去生に亘り,もしくは未来生において,繰り返し引き寄せあう,と.男女に限らず,職場の人や家族といった人々の集団もそうで,そのグループの中で役割を交換し合ってきた,と.

キャプション: 人は,自分が意識している法則を利用するならば,発達はその知識にふさわしい結果をもたらす.これを進化という.

ナレーション: 人生は,その都度,魂の成長にとって必要な様々なレッスンを提供する.レッスンは,人生において他者という形で訪れる.個々人は,自由意志によって,今生において魂の次の段階の履修項目を学ぶかどうかを決めることができる.しかし,ケイシーの視点からみると,ひとつのレッスンは,習得するまで繰り返し学ばれることになっている.過去生において自分が何者だったかということはあまり重要ではない.大事なのは,現在,つまり,いま直面している様々な人間関係,挑戦,好機に焦点を合わせることだ.  

L Cayce:  良かれ悪しかれ,私たちが強く反応してしまう人とは理由があって出会っており,その理由とは自分の成長を促すためであることが多い. 

Todeschi:  私たちはたましいの成長と個人的な発展のために経験する必要のある経験を重ねる.それをケイシーはレッスンと呼んでいたが,レッスンは,他者との個人的な関係性という形でもたらされることが多い.たとえば,あるドイツ人が私のところにやって来て,職場の或る女性が好きになれないが,信じられないことに他の同僚たちは彼女がとても好きだ,と言った.内観してみると,彼は,彼女と同じような性格の人物に,前の二箇所の職場で出会っており,その時も今回同様,避けようとしていたことを思い出した.そして,自分は,この状況から何かを学ばなければならないのかもしれない,と思った.


Todeschi:
 ある女性は息子について悩んでいた.彼女は,息子と非常に異なる哲学を持ち,エドガー・ケイシーに興味があり,過去生にも関心があった.自分でも,そして家族についても過去生リーディングを受けていた.一方,息子は保守的な牧師で,母は頭がおかしいと思っていた.女性は,二人の物事に関する考え方が非常に異なっていたので,なぜいつも息子と衝突するか知りたいと思い,エドガー・ケイシーに尋ねた.ケイシーは,二人は古代エジプトで同僚で,当時も非常に異なる哲学を持っていた,と答えた.そこで関係が終わっているので,今生ではそこから関係が始まっている,と.さらに女性は,どうすれば息子に自分の考え方を判らせることができるか尋ねた.ケイシーは,そのことは忘れて,ただ息子を無条件に愛するように,と言った.最終的に,息子が彼女に問いを尋ねる時,彼女はそれに答えることができるだろうが,自分の考えを押し付けてはいけない,ということだった.
 この牧師の息子は,長年アレルギーに悩んでおり,医者にかかっても症状は一向に改善しなかった.ある日,母は,エドガー・ケイシーのフィジカル・リーディングを受けてはどうか,とアドバイスした.息子は,アレルギー症状に非常に苦しんでいたため,リーディングを受けることに同意.リーディングで示された治療法を数ヶ月試したところ,非常に改善したので,彼は思った.「もしかすると,ケイシー氏のいうことは信頼できるものかもしれない」と.その後,この男性は,過去生リーディングを受けた.それから,この親子は考え方の違いについて折り合いをつけることができ,何百年も前の過去生からの対立に癒しが起こったのだ.ケイシーの見方によれば,私たちは,問題のある全ての人間関係を癒す必要がある.


*以上は概要であり,全訳ではありません.



人生は学びの連続であり,その学びとは私たちの「本質的な成長」を促すものである,ということです.そして,成長は人との関わりにおいて達成されます.

命が永遠に続くものであれば,向上しかありませんし,本来どのたましいも向上を強く求めているはずです.

自分が善であると知っていることを実行に移すことによってはじめて,私たちは成長します.

9/05/2009

生まれ変わりを受け入れることの恩恵(3)

 4番目の恩恵として私が考えるものは,人生のさまざまな苦悩に対する忍耐が増し,また人間関係の苦しみに対する寛容さが増すことです.
 この地上に生きるかぎり,人生にはさまざまな苦しみや試練が生じます.その時に,これは前世のカルマが現れたものだ,誠実に対処してカルマを償うことにしよう,と考えられるなら,それらの苦しみや試練に対する姿勢はまったく違ったものになります.他人から思わぬ仕打ちを受けたとしても,それを受け入れる許容度が増すように思います.(中略)
 またそれは他人の苦しみに対する私たちのシンパシーの幅を広げるようにも働きます.これはかつてケイシーの長男であるヒュー・リン・ケイシーが述べていたことですが,彼は最初,人が輪廻転生とカルマの思想を受け入れるようになると,他人の苦悩の原因を何でもかんでもカルマに帰し,それは結局他人の苦しみに対する同情心が薄らぐことになると考えました.しかし彼自身が輪廻転生の意味をしっかりと内面化するようになると,むしろ人の苦しみや苦悩に対するシンパシーが深まり,苦しみを共有しようとする方向に心が動くことに気づいたといいます.輪廻転生を受け入れることは,人の愛を深める力があるのです.


光田秀 『眠れる予言者 エドガー・ケイシー』 pp. 313-14.




困難に遭遇した時,記憶に全くないという意味では,身に覚えはないが,もしかすると過去生で犯した間違いを償っているのかもしれない,と考えることができれば,前向きに対処しようという気にもなり,その結果「不必要な」苦しみが多少は軽減されるかもしれません。地上で経験する問題や苦しみの原因の全てが過去生にあるわけでは必ずしもありませんが。

基本的に,理屈で考えて説明がつくことについては,過去生は何かと気にする必要はあまりないでしょう。普通の論理的な思考で説明不可能な出来事や人間関係上のトラブルや,必要以上に感情的な反応をしてしまう時は,多くの場合,過去生が強く影響しています。また,「なぜかわからない」漠然とした不安感,恐怖感,思考パターン,癖,嗜好等についても,過去生にその原因ルーツを見つけることができます。(自分の過去生を知ることで,その過去生から引きずっている感情を解消できたり,深く納得することで,その過去生の負のエネルギーを浄化することができます。準備ができた人には,浄化とたましいの学びのために過去生の情報が明かされます。その必要がない場合,あるいは転生の真実が理解されていない場合などには情報は与えられません。) 

自らも相当の苦しみを経験してきた人であって,たましいは永遠であり,地上での再生を繰り返しながら進化・向上を続けるのだ,という真理を深く納得するようになると,異なる個性ではあっても,人はみなそれぞれの重荷を背負って旅する仲間なのだ,との思いを抱くことができるようになるようです。そういう意味で,人の苦しみに対して慈悲,慈愛の気持ちが湧くのかもしれません。しかし,そのために生まれ変わりや自分の具体的な過去生を知る必要があるかというと,必ずしもそうではなさそうです. 

8/20/2009

生まれ変わりを受け入れることの恩恵(2)

 このようないい方をすると,来世に逃避しているように聞こえるかもしれませんが,そのような遠大なビジョンを持つことでかえって現実の生き方に集中することが可能になり,有意義に生きることが可能になるのを私は実感します.自分が獲得した能力や才能は決して失われることがないことを知るなら,たとえ今回の人生では求める才能に恵まれていなくても,その才能の獲得のために一分一秒を無駄にすることなく努力することが可能になります.今回の人生で体力に恵まれなかったと思うなら,いまからコツコツと体力増強に励み,来世において望む体力を獲得する準備をすることができます.あるいは次回の転生ではピアノの才能を獲得したいと思うのであれば,今回の人生で,ピアノの基礎練習に励むことができます.そして今の人生における進歩がどれほど遅々としているように見えても,私たちは将来において必ず才能が開くことを確信するがゆえに,それに挫けることがありません.
 実際,ケイシーはある老婦人に対して,残り少ない人生を使って小説を書くことを学ぶように勧めたことがあります.彼女の場合,その努力が今回の人生で実を結び,有名な作家になることは明らかに不可能な話ですが,ケイシーは次の人生を視野に入れて,彼女にその方面での才能を開花させるように指導したのです.なんと遠大な計画ではありませんか.
 私たちも同じような姿勢で人生に臨むことができるのです.昔聞いた話ですが,あるお寺の管長が,いよいよ老境に入り,残りわずかの人生を残すだけになった時,突然,英語の勉強を始められたというのです.驚いたお弟子さんたちがその理由を尋ねたところ,管長はこともなく,次の人生では英語をマスターしたからだ,と答えられたということです.輪廻を確信する人の,余裕と力強さが感じられます.そしてケイシーのリーディングに従うかぎり,この管長の確信は正しいものであり,私たちもまた最後の瞬間まで有意義に生きられるのです.


光田秀 『眠れる予言者エドガー・ケイシー』 pp. 312-3.



過去生の負のカルマを解消するために,例えば体力に劣る,スポーツが苦手など足りない部分を持つ場合も多くあります.

「六十の手習い」と言う場合,成果は期待しない,というよりできないから,老後の余暇を楽しむ手段の一つとしてのんびりやろう,といった消極的なニュアンスが感じられます。が,真実は違うようです。晩学には,もう少し積極的な姿勢で臨む方が良さそうです。

今生のみならず,次の再生がどのような目的でなされるかも,大まかですが決まっていると言われます。たましいは永遠であり,今生で遣り残したこと・遂げられなかったことは後の人生で再挑戦の機会がありますが,たましいの再生を本当に長いスパンで捉えることができるようになると,一度限りの「いま」を精一杯生きよう,悔いの残らぬよう最善を尽くそう,と自然と思えるようになるのかもしれないです。

8/12/2009

生まれ変わりを受け入れることの恩恵(1)

 まず第一にいえるのは,輪廻転生を受け入れることで「死」に対する恐怖を克服することが可能になる事です.現代に生きる私たちは常に死の不安を持っています.死によってすべてが変わると考えるかぎり,私たちの人生の価値は,他ならぬ私たち本人にとって無意味なものになってしまいます.これほど苦痛で,また生きる希望を喪失させられるものはありません.しかし,人間の本性を永遠不滅の霊的存在として受け入れるなら,死の恐怖から解放され,人生に対して永続的な価値を見出すことが可能になります.
 また,人生が一度きりでないということを受け入れると,人生に対して精神的な余裕が出てきます.人生であくせくすることがなくなります.無用の焦りから解放されます.しかしながら,それは怠惰な人生を送ることを決して意味しません.むしろ,人生の意味を深く考えるようになり,大切に,そして充実させて生きようと努力するようになります.人生に対する精神的な余裕がある分,人生をエンジョイしながら生きることが出来るようになります.
 三番目に私が考えることは,人生を最後の瞬間まで有意義に生きる勇気が得られることです.私の場合,だいたい人生をプラス・マイナス2000年くらいのオーダーで考えています.過去2000年にわたる数回分の過去生をどのように生きるかを考えます.自分の長所や短所,才能や弱点を考えれば,おおよその前世の様子は見当が付きます.そしてこれから先どのような人間になりたいと思っているのかを考え,そのためには今回の人生をどのように生きるべきかを考えます.


 光田 秀 『眠れる預言者エドガー・ケイシー』 pp. 311-12.


生まれ変わりを受け入れることの効用は,人により様々に異なるとも思います.

あくまでも個人的な経験から言えば,人間は,表面的な要素-見た目の良し悪し,出身(家柄),学歴や肩書きの「世間的」評価,収入の多寡,性別,宗教の有無など-によって簡単に定義されてしまう存在ではない,ということがよくわかります。最も大切なのは,このようないわば「飾り」のような部分を取り払って最後に残る部分,一番根本的な核の自分(魂)なのだ,ということが少しずつわかります。とはいえ,物質世界に生きている以上,その束縛を完全に超越することは難しく,その必要があるとも思えません.

そして,誰しもが,それぞれの魂の目的遂行のために,様々な楽しみ・苦しみを通して「学びの旅を続ける」同士なのだ,ということも理解されるかと思います。それによって,自他共に許容しやすくなる可能性はあるでしょう。学びの途上にある以上,間違いを犯すのも当然,という認識が深まるかもしれないです。私はある時期,ある国へ行くのに,アムステルダム経由のコースを取っていました.スキポール空港のラウンジで空き時間を過ごしているとき,人種も年齢もさまざまな旅人たちが,様々な荷物や連れと共に,文字通り「行き交う」場面を何度も目にしました.その光景を見るたびに,まさしく人生は「旅」であり,背負う荷物や同行者や旅行の目的・目的地は異れど,旅人であるという点では全く同じだと,感慨深く思ったことがあります.

過去生リーディングにより自分の過去生を知ることを許された場合には,つぎのようなメリットもあるかと思います.今生の自分とは別の個性,違うの面を生きていた「別の性格の自分」というものに触れる,つまり,顕現していない,潜在的な自己の人格を知ると,自己認識が新たになり,狭い自己認識から脱することができます。それによって自信を得る場合もあるでしょう.例えば,今生では忍耐と寛容を学ぶプログラムを組んで,短気で批判的な性格を携えて生まれてきたとします。せっかちさゆえに問題を必要以上に大きくしたり,批判的なために人と衝突することが多く,その結果人間不信に陥りがちという状況があったとします。こうした状況下で,しかし,過去生では慈悲深い性質を持ち,奉仕の人生を送ったこともあったと知れば,現在の欠点のみを見て自己否定し,自己嫌悪に陥ることが減るでしょう。今回こういう性格であることにも意味があり,他方では慈悲深さという素晴らしい面を持っていると知れば,その良さを発揮するように努め,人を許す方向にベクトルを切り替えるなど,余裕を持って課題に取り組むことができるようになるかもしれません。(あくまでも一つの可能性です。)

特定の過去生を知ることで,その時代からひきずってきた否定的な感情を解放し,癒しが起こることがあります。その結果,気持ちがすっきりしたり,体の症状が,場合によっては,劇的に改善するということもあります.また,悩んでいる人間関係改善のヒントを得ることもあるでしょう。


いずれにせよ,知りえた過去生を,自分の成長のために,建設的な方向に活かすことが最も重要ではないでしょうか。



5/06/2009

ソウルメイトと生まれ変わり  1

(おそらくA.R.E. の製作と思われる)テレビ番組,"Soulmates, Reincarnation, and Healing Relationships" の紹介です.(先の記事 Soulmates, reincarnation & healing relationships を参照ください.)

司会者 (Mark Thurston) : 生まれ変わりを信じる最も強い根拠は何か.

Auken氏:若い頃,周囲を見回して,明らかな不公平を見ては悩んだ.ある人々は健康で,恵まれた環境に生まれる一方で,ひどい環境や病気の身体に生まれる人もいる.全ての人が同じスタート地点に立ち,同じ機会に恵まれているわけではない,という不公平が私を悩ませた.また,宗教には,この不公平を説明する概念がないことにも気づいた.こうした不公平は,現在の人生に影響を与える何かが,前世で起こったことを支持するものだ,と気づいたのだ.

ナレーション: エドガー・ケイシーは,生まれ変わり-魂の成長のためにいくつもの人生を生きるプロセス-に,キリスト教的な指向性を加えました.人生は,この世に生まれたときに始まるのではない.我々の自然な状態はスピリットの状態であり,この状態で何千年も存在している.我々は魂であって,単なる肉体ではない.気が遠くなるほど長い間,魂は,自由意志の因果律を,身を以て直接学ぶために地上人生を送っている.生まれ変わりの目的とは,神との真の関係において,自らの神性を見出すことであり,ケイシーの視点に立つと,霊的な目覚めは人間関係を通して得られる,というのです.他者と関わることによって,我々は忍耐,許し,愛,親切,共感といった魂の性質を学ぶのです. 

司会者: 生まれ変わりへのエドガー・ケイシーのアプローチの特徴は何か. 

 Auken: ①非常に包括的で,詳しいこと.②ユダヤ教-キリスト教の指向性があるので,子どもの頃からの教えや価値観を放棄する必要がない.これら既存宗教の教えと協調しうる.③さまざまな人生の局面において-身体的,人間関係的,またはビジネスなどの-癒しの機会,神の恩寵を感じる機会,やり直したり改善する機会があることを示している点.

Todeschi氏: 現代の誤解というのは,誰にもただ一人の完璧なソウルメイトがいて,その人を探せば,愛され,理解されるだろう,という考え方だ.ケイシーによれば,ソウルメイトは複数いて,それは子ども,友人,仕事の同僚や伴侶かもしれない.つまり,良かろうと悪かろうと,関わりのある人たち全員がソウルメイトなのだ.そして,ソウルメイトとの関係は,過去生で終わったところから始まる.

以前の記事(スピリチュアル・ブックス3)で紹介した本の著者でもあるKevin J Todeschi 氏が解説をします: エドガー・ケイシーは,我々は人や出来事,機会,人間関係に学びのために引き寄せられる,と述べている.心から尊敬し,愛する人々と出会うこともあれば,反対に非常な試練となる人間関係もある.いずれにせよ,我々に内在する善を引き出すために,これらの人間関係は存在する.どのような人間関係も,私たちの意志ひとつで,学びの多い有益な人間関係になりうるものばかりである.

司会者: 多くの人々が出会いたいと思っているソウルメイトだが,どのようにしてソウルメイトに出会ったとわかるのか.

Auken氏: ソウルメイトの捕らえ方の問題点を指摘したい.我々は,"mate" にあまりにも重きを置きすぎている.魂はともに経験を積み,それを今生に持ち越すのであって,2人がパートナーになるためではない.たとえば,2人のうち1人は歌詞を書き,もう1人は曲を作る場合,この2人は終生,活動を共にして,非常に快適であり,結びつきを感じ,互いに打ち解けた間柄でいられる.この場合もソウルメイトである,と. 

Leslie Cayce氏のインタビュー: ひとは,人間関係をゼロから作りあげ,築いていくことができるので,前向きになればなるほど,いわゆる世に言う「ソウルメイトとの関係」に移行していくが,そのためには大変な努力が必要です.

Todeschi氏: 過去生で多くのソウルメイトと関わりがあることを説明する面白い実例は沢山あるが,ひとつの例を挙げると,ある女性が婚約者についてケイシーに質問したことがあった.いまの婚約者は,他のだれよりも自分を幸せにしてくれるかどうか,と.その問いに答えてケイシーは次のように言った: そういう人はこれまでにも30~40人いた.彼女の結婚の成功は,彼女自身が夫との関係をどのように扱うかにかかっている.つまり,完璧な関係性が既に存在しているのではなく,関わり合いながら作り上げていくものなのだ.

司会者: 生まれかわりに,私たちの人間関係を考え,対処する上で非常に大きな可能性があるとすれば,どのようにして過去生に影響されている人間関係を見抜けばよいか.

Auken氏: ケイシーは,感情 (emotion) が鍵だと言っている. ある出来事や人が強い感情を引き起こすようなものである場合,それが魅力であろうと反発であろうと,おそらく深い記憶に反応してそのように感じるのだろう,と.

Todeschi氏: 我々は,初対面の人に,瞬時に悪意を感じたり,逆に好意を持ったりするが,そういう思いはどこから来るのか.ケイシーによれば,そうした感情は私たちの中に記録されていて,そうした情報を常に思い出している.今このときも,相手に対する感情が生まれていて,それが将来再び思い出されることになるだろう. 

Charles Thomas Cayce氏(A.R.Eの前CEO)は自身の考えを述べます: 生まれ変わりはエドガー・ケイシーのリーディングで何度も語られる概念だが,私自身は,人生の目的を知るために生まれ変わりを持ち出す必要はないと思う.[ケイシー*などの]リーディングを受けなくても,少しワークをすれば困難な人間関係と,前向きで建設的な人間関係を見分けることができるはずだ. 

(番組はまだ続きます.)

*Edgar Cayce (1877-1945)

Edgar Cayce's A.R.E (Association for Research and Enlightenment)  米国エドガー・ケイシー協会




以上は概要であり,全訳ではありません.

ソウルメイト = 最愛の恋人・夫婦というふうに捉えられがちですが,そうではありません.人生で関わり合う全ての人々は,多かれ少なかれ,「ソウルメイト」であると言えます.その中には,好きな人もいれば,そうでない人もいます.経験する感情にも意味があって,多くの場合,過去生での関係が影響しています。過去生で良好な関係性にあった人に対しては好意を感じ,敵対関係にあった人や傷つけられた人には最初から悪感情を抱く,という単純なことでは必ずしもありません。いかなる関係性であれ,すべては「学びのため」というわけです.

全ての出会いは宿命として決まっています.ただ,それらの出会いをどのようなものにするかは,基本的には,当人同士の意思にかかっているようです.

4/12/2009

SOULMATES, REINCARNATION & HEALING RELATIONSHIPS

アメリカのテレビ番組です.(おそらく,ARE [アメリカのエドガー・ケイシー協会本部] による制作)エドガー・ケイシー研究家らが,生まれ変わりやソウルメイトというテーマで人生をいかに生きるべきかについてわかりやすく解説しています.

残念ながら全て英語となっています.英語のリスニングを鍛えたい方,テーマに大いに関心のある方もぜひご覧ください.今後,各回の概要を日本語で少しずつ付け加えていく予定です.

Soulmates, reincarnation & healing relationships 1http://www.youtube.com/watch?v=cvHBxhNiC-Q

Soulmates, reincarnation & healing relationships 2http://www.youtube.com/watch?v=SMo-wnSqNmA&feature=related

Soulmates, reincarnation & healing relationships 3http://www.youtube.com/watch?v=1FaBg4mQUSY&feature=related

Soulmates, reincarnation & healing relationships 4http://www.youtube.com/watch?v=IyqIrnS8o8k&feature=related

Soulmates, reincarnation & healing relationships 5http://www.youtube.com/watch?v=7fdWkUrBNcE&feature=related







8/13/2008

転生のタイプ

 「修道服ときらびやかな衣装のあいだの距離は,普通に考えられているほど遠いものではありません」という表現は美しい.これは,転生ごとに,慎ましい,あるいは 貧しい生活と,豪華な,あるいは豊かな生活を,交互に繰り返している魂の歴史を 示唆しているように思われる.というのも,「神から与えられた豪華な贈り物を濫用しては, それを,次の転生で慎ましい生活を通して償う」といったタイプの転生をする霊は, けっこう多いからである.

カルデック 『天国と地獄 II 』 pp. 241-2.


要するに,物質的に恵まれ,物質的なことに重きを置いて生きる人生と,非常に禁欲的で精神性の高い人生の二極を行き来しながら,物心のバランスを上手く取ることを学ぶ,ということではないかと思います.

個人的なことを言えば,私もこのような転生のパタンを繰り返してきているようです.今生でも人生の前半は物質的なことしか見えていませんでした.今後は,主に精神面や霊的な面に重きを置いて生きることになっているようです.

転生4つのテーマ

過去世に刻んだ後悔が,魂の願いを引き出し,現在の人生を引き寄せる―.こうした転生のしくみを深く見つめてゆく時,人生と人生を紡いでいるいくつかのテーマが浮き彫りになってきます.私はそれを次の四つに分けています.

 (1)過去世において「志半ば」に終わってしまった願いを果たすこと.
 (2)過去世において,逆縁となってしまった関係を「再結」すること(逆縁とは,ここでは本来的ではない結びつきをいいます).
 (3)魂の眠っているはたらきを新たに引き出し,魂のゆがみを修正して,成果を果たすこと.
 (4)過去世において,獲得した魂の力をもって,周囲の人々や場を「照らす」こと.

 
ただ何となく,無目的に生きてきたという人でも,生まれてきたからには,必ずこうしたテーマを持って生まれてきているのです.今はすっかり忘れてしまって,思い出すことなどできなくても,誰もが魂に切なる願いを刻んでいるのです.
 
つまり,一見偶然ふりかかったかに見える出来事も,偶然出会ったかに見える人々も,魂にとってはその願いが引き寄せた,必然の訪れであるということになります.
 出来事や出会いの「見えがかり」や「いきさつ」といった表面的な顔の向こうに,もう一つの顔が隠されている.テーマを呼びかける声が届いているのです
.


高橋佳子 『人生の絆 基盤編』 pp. 216-7.

16年目(17回忌)に寄せて〜パク・ヨンハさんからの伝言

きっかけとこれまで 6月23日,仕事から帰る電車の中でプレイリストに入っていたパク・ヨンハさんの曲を聴いていたら,なぜか急に悲しい気持ちになった。いつもは普通に聞き流せていたのに。同時に,彼は社会から正当な評価を受けぬまま,この世から去ってしまったのではないか,という考えさえ湧い...