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7/24/2025

心を満たすもの

多くの人びとが景気の後退や政情不安,自然災害を体験しながら非常に苦しんでいる.これらのできごとを興味深く見守っているわれわれには,そのような変動の原因となり未来をかたちづくる,複雑に入り組んだ要因やパターンが見えている.過去の豊かさからの撤退は,止まるよりもむしろつづくとわれわれは見ている.たとえばアメリカにおいて,1950年代の豊かさが戻ってくることは決してないだろう.あなたがたの世界の多くの人びとは今の時点でもこの傾向の明るい側面を見てとれるはずだ-なぜならこれまで豊かな生活を支えるために,地球の天然資源が大量に浪費されてきたからである.
 自分の欲求を満足させることだけをめざしたこれまでの物質主義に背を向け,代わりに霊的な強さと他者との絆を作り出す方向に向かうべき時がきている結局は,それが関わりあう者すべてにとって,一番報いある喜ばしいことなのだということが明らかになるだろう.多くの人びとと愛を分かちあうために,自分自身の利益を犠牲にすること-事実,これほど心を満たしてくれるものは,他にない


ジュディ・ラドン『輪廻を超えて』 人文書院 pp. 177-8.




地上にはさまざまな成長段階のたましいが転生して,成長のためにいろいろな経験を積んでいます。他者と愛を共有するために自己犠牲を厭わないようになるには,相当な経験と時間が必要です。

今後,地球の波動が上昇していけば,利他愛がデフォルトになるかもしれませんが。



1/30/2017

嫉妬は悪い感情?―嫉妬心への対処法

嫉妬心は人生を生きていく上で避けて通ることが難しい感情のひとつです。とりわけ,日本のような「出る杭は打たれる」といった精神風土の強い島国では,なおさらかもしれません。今回は,嫉妬心への対処法について考えてみます。

 「自分にない要素」を持っている相手にジェラシーを抱いて「悪意」を向ける場合,向けられる側にはまったく思い当たることがないかもしれません。
 けれど,人の表面だけしか見ない人は,騙されやすいものです。

 たとえば「私ってこんなに幸せよ」ということをひけらかす人がいたとしましょう。その人に対してジェラシーを覚える人は,騙されているだけです。
 本当に幸せな人は,その幸せを人にひけらかしたりしませんひけらかすのは,本当は不幸だからなのです。本当の大金持ちが,「私はこんなにお金を持っている」とは言わないのと同じです。
 けれど,表面的なひけらかしに騙されて,「なんて幸せなひとなんだろう」と思い,簡単にジェラシーを抱いてしまう.それが人間の弱さです. (中略) 人の笑顔を見て,「のんきで幸せそうな人」としか思えないのは,そういう背景を想像してみないからです.だから表面に騙されてジェラシーを抱き,嫌悪するのです。
 つまり想像力の欠如こそが,ジェラシーの源だと言えるでしょう。
 そして,ジェラシーを抱く人の心には,自分自身の満たされない思いがありますたとえば,いつも笑顔でいたいけれど,自分にはできない.だからいつも笑顔の人を見ると,非難したくなってしまうのです。
 「悪意」を向ける人の心の中を,そうやって冷静に分析すれば,その人自身のSOSが見えてきます。「本当は○○したいけど,できない.だからかわりに意地悪をするしかない.誰か私を助けて!」。そんな悲鳴が聞こえてきます。


 江原啓之 『悪意/善意』 pp. 119-21.



幸せをひけらかす人は本当は不幸だ,とありますが,これは,SNSなどでしきりに “リア充アピール” をする人が,実際にはリア充じゃない!というのと同じです。

嫉妬するのも嫉妬されるのも,どちらもいやなもので,嫉妬心はネガティブな感情,諌めるべき悪感情,と一般的には思われています。ですが,嫉妬心は本質的に悪い感情ではありません。喜び,怒り,悲しみなどといった人間なら誰もが経験する心の反応のひとつにすぎません。

感情は情報です。私たちに何かを伝えよう,教えよう,気づかせようとして内側から湧き出てくるものです。従って,嫉妬心を抱くことに後ろめたさを感じたり,嫉妬する人を上から裁くよりも,その感情が私たちに何を気づかせようとしているかを知ろうとすることが,より根本的で前向きな対応と言えるでしょう。つまり,感情をどのように受け止め,どのような気づきを得るかです。

確かに,引用にあるように,嫉妬心は想像力の欠如によって引き起こされやすいことはあるでしょう。ひとが誰かを妬むとき,その人のさまざまな事情についてはよく知らないことが多いと思います。自分が好意を感じている親しい間柄の人で,信頼または尊敬している人物に対しては,嫉妬心を抱きにくいかもしれないです。また,私自身が嫉妬されて(さらには,攻撃的な態度を取られて)いやだなと思うのは,そこに愛情の欠如を感じるからです。想像力だけでなく,相手に対する思いやりや愛情が欠けている場合に,嫉妬が起こりやすいとは思います。

しかし,嫉妬心を「嫉妬する側」の「想像力の欠如」だけで説明するのは性急であり,偏っていると言わざるを得ません。人間の想像力には限界があります。個人差もあります。著者は,嫉妬される側よりも嫉妬する側に対して批判的な目を向けていますが(これは著者個人の経験に基づくもので,私心が少なからず混入しているという点でやや客観性に欠けるのではないかと思われる),どちらかといえば,嫉妬される側に原因がある場合も少なくはないだろうと個人的には感じています。

例えば,成功やよい評判が世の人々に知れ渡り,謙虚さや感謝の気持ちが足りなかったり,その結果として,自惚れたり,ひけらかしたり,満足げに振る舞いすぎると,無自覚なまま不特定多数の人々に嫉妬され,重い病に罹ったり,職や財産を失くしたり,挙句の果てには警察のご厄介になるといった,三次元的に甚大な被害・損害に見舞われるケースもあるとか。しかし,それらの多くは,過去生のカルマの解消であったり,当事者に気づきを促す出来事であるため,一概に悪いとは言いきれません。

よく言われることは,嫉妬する人は,自分の欠乏感にのみフォーカスを合わせ,不幸感を強く抱いていたり,自信を失くしているということです。さらに,心理的な視野狭窄状態にあるため,悲観的であり,心に余裕がありません。そのため,ひとが現実以上によく見えたり,妄想を膨らませてありもしない現実に美化して,嫉妬心を深めてしまったり,自分が本心では望んでいない状況でさえも羨ましくなってしまいます。元来の性質として,視野が狭い,心の器が小さいタイプの人は嫉妬心を抱きやすいかもしれません。自分は人に嫉妬しやすいなという自覚がある場合は,周囲の動向を伺うことは極力避け,自分の内側に目を向けることが必要です。自分の良さをいま一度思い返し,自分で自分を認める作業をすることです。そして,自分と対話を重ね,自分の本当の声に耳を澄ましてみます。かすかにでも聞こえる声が,思いが,言葉が,目に浮かぶ光景があるかもしれません。それが自分へのメッセージでしょう。

さらに,嫉妬心は,欲しいもの(や状況や性質)を得られる可能性のシグナルとも言われます。自分にも(時機が来れば,或いは,努力すれば)手が届くもの,なれるものだからこそ,余計に意識が向いてしまう,というわけです。例えば,スポーツが苦手な人は,オリンピック選手に憧れることはあっても,嫉妬することはありません。自分の分野外のこと,明らかにできない・しないとわかっている事柄には人はあまり感情的に反応しないものです。この場合の嫉妬感情は,誰もが生まれる前に立てた「人生計画」というブループリントの記憶が為せるわざとも言えますし,自分の深い意識やスピリット・ガイドからの語りかけと言ってもよいです。この類いの嫉妬心は,ただのネガティブな,抑制すべき感情ではなく,むしろ励ましであったり,前進を促す強力なインセンティブと言えます。気づいたことがあれば,目標の実現に向けて具体的な行動を起こすなり,自分の未来を信じて前向きな気持ちに切り替えればよいだけなのです。

* * *

嫉妬して心が苦しくなったときは,嫉妬心はただの感情である,と受け止めて,自分をいたずらに責めたり,落ち込むのはやめましょう。感情を黙って受けとめ,まずは自分に優しくすること。嫉妬心を行動の動機にしないことです。自分や相手を攻撃する以外の方法で自分の心をラクにできる方法,前向きな気持ちになれる道を探してみます。

嫉妬されて辛いとき,もしあなたの心にゆとりが少しでもあるなら,自分の言動を振り返ったり,相手の気持ちや状況を想像してみてください。直接働きかけるのが難しければ,心の中で願う,祈る,もしくは語りかけるのでも構いません。そうすることで,嫉妬の想いをいくらかでも軽減できるかもしれません。


* * *


かなり以前に掲載していたこの記事のコメント部分を大幅に改訂するきっかけとなったのは,ほかでもない私自身がある人に対して感じた嫉妬心でした。誰のせいにしてよいかわからず,終いにはガイドに八つ当たりするほどに,私は落ち込んでしまいました。

その晩,久しぶりに鮮烈な夢を見て,メッセージを受け取ったことで少し落ち着きを取り戻したものの,まだ心にひっかかりがあるようで,すっきりしません。「嫉妬」というキーワードが意識下に残り,他のスピ系ブログを2,3拾い読みしたあとで,気が付いたらこの記事を改訂していました。何度も推敲を重ねるうちに,徐々に形をなし,最終的な文章に整ったところで,気づきました。嫉妬とは何かをあらためて考えなおすために,そして,この記事を書く意味もあって,辛い気持ちを経験したのだ,と。

今回のように,ブログ記事は「書かされる」ことがとても多いです。誰に書かされるかというと,書き手のスピリット・ガイドです。つまり,我々ミディアムとは,俗な言葉でいえば,パシリであり,都合のいい手下であり,もう少しお上品に言うなら,従順なお手伝いさん,といったところです。

また,人に伝えたいことには,自分へのメッセージが含まれている,ということをあらためて
確認しました。

精神的にアップダウンの激しい週末でしたが,いろいろ気づかされることの多い時間でもありました。


5/15/2016

聖なる者

あなたがたは神に選ばれ,

聖なるものとされ,

愛されているのですから,

憐みの心,慈愛,謙遜,柔和,寛容を

身につけなさい。



『聖書』 「コロサイの信徒への手紙」 3・12 




誰もが目指すべき性質です。が,とりわけ,(広く)霊能を活かした仕事に従事する人々こそ耳を傾け,実践すべき言葉でしょう。

但し,霊能があるというだけで,自らを「聖母」や「聖人」と名乗るのは,たとえそれがブログのスクリーンネームのようなものであっても,あまりにおこがましいのではないでしょうか。


本当に謙虚な人は,自分は謙虚だとは言わないし,本物の賢人はみずからを賢人と名乗ることもありません。「大智愚如」―本当に智慧のある人は,謙虚さからそれを表に出さないので,傍からは愚かに見えることがある―という言葉があります。

自らを「聖母」などと名乗るのは,とても恥ずかしいことだと思います。

9/21/2015

かたくなな心

固定観念にかかわらず広い心を持つことは,心を開くことでもある。広い心の持ち主なら,必ずしも自分が人生について何もかも知っているわけではなく,人の考えも傾聴に値するものだということを認めるだろう。一方,かたくなな心の持ち主は自己中心的で,自分には何でもわかっている,宇宙の神秘さえ知っていると信じ,自分の間違いが証明されても知らん顔を決め込む。このように自分の信念にしがみついているのは気楽なもので,結局人間は,自分とは異なった意見に悩まされずに済むほうを選んでしまうものなのだ。(中略)信念を手放したくないという気持ちを振り払ってもらいたいためなのだ。かたくなな心を持ったために,多くの人が身を滅ぼしている。そして魂の領域においても,この同じかたくなさが成長を阻むのだ。
ジュディ・ラドン『輪廻を超えて』 pp. 146-147.




ひとは,自分の世界観に合わないものを認めたがらないという傾向は,なにも霊的真理に限ったことではなく,どのような場面においても起こり得ることです。

よく「常識がない」といって相手を責めることがありますが,自分の常識と相手の常識が異なるだけかもしれません。

相手のことをよく知りもせず,また,自分のことを客観的に眺めることも難しいならば,相手だけを一方的且つ全面的に悪とみなすことには,誰もが慎重でなければならないでしょう。

5/06/2015

90 「スピリチュアリズム」は地上のラベル

しばしば申している通り,あなた方はスピリチュアリズムという言い方をされますが,これは地上のラベルであって,私にとっては自然の法則そのものなのです。スピリチュアリズムという用語を用いると人によっては,とくにその真意を知らない人にとっては,何やら不気味な感じを与えます。それよりも,大自然の法則―宇宙の物理的・精神的・霊的法則,まだまだ未開拓のままである人間の潜在的能力,表面下に存在する活動の世界,すなわち超自然界,人間のもつより繊細な能力―こうした広大な分野は“スピリチュアリズム”とか“霊媒現象”といった,誤解されやすい用語を用いなくても教えることができます
 詭弁を弄しなさいと言っているのではありません。真理には多くの側面があり,したがって特別なラベルを貼らなくても表現できることを言っているのです。
『シルバーバーチの霊訓  第二巻』  pp. 62-63.





『シルバーバーチの霊訓』は,スピリチュアリズムの,いわば「バイブル的書籍」として認知され,日本で広く読まれるようになりました。中には,シルバーバーチと英仏の一部の霊訓以外は認めないという,あたかも原理主義的立場を取る人々もおり,ウェブサイトを通じて自説の普及に尽力されています。が,その様子は一種カルト的様相を呈しているようにも見受けられ,少し危惧を覚えます。そして,彼らに,ネット経由ではないかと思いますが,影響された人々が少なからずいて,その中には,当該団体がしているように,特定個人を名指しで批判したり非難されている方々もいらっしゃると聞いています。イスラム国の過激思想に染まってしまう若者たちのことが心をよぎるのは,私だけでしょうか。

当ブログでも,『シルバーバーチ』からの引用には独立したカテゴリーを設けて,相応の扱いをしているせいかどうか,ブログを読んで下さる方の中には,専らシルバーバーチの記事に目を通して,あなたはどのような経緯でスピリチュアリズムに出会ったのですか,と質問なさる方もいます。他の記事もお読みになれば,いきさつの概略くらいはわかるはずなので,そのような野暮な質問はとても尋ねることができないだろうと思うのですが,読む記事の選択は個人の自由意志に委ねられているため,正直,こちらとしては対応に困ることがあります。

また,あなたは英語教師なのか,それともスピリチュアリズムを追求するミディアムなのか,と二者択一の答えを迫る質問も受けたことがあります。普通の会話で問われたとしても,いささか頓珍漢ですが,このような疑問を抱くこと自体,スピリチュアリズムの理解が表面的であることの現れではないでしょうか


スピリチュアリズムとは,宇宙・自然の摂理/真理を,既存宗教の枠を(ついに)外して説いた知識体系です。発祥の地である英国では,その教えをにわかには信じられない大多数の人々に,様々な霊媒現象(初期には,エクトプラズムを用いてスピリット・ガイドや亡くなった人やそこには存在しない物質を作り上げたり,物体を移動させて離れた場所にあるもの目の前に出すといった物理現象を通して,中・後期には降霊会,マスコミを利用したデモンストレーションやプライベート・シッティングを通して)を起こして,わかりやすく示してきました。「スピリチュアリズムといえば霊媒現象」,つまり,死んだ人と話をすること,と短絡的に結び付ける英国人が少なくないのは,こうした歴史的経緯があるためではないかと思います。

いずれにしても,そこにあるのは,無知であり,字面通りの解釈であり,教科書的な理解です。

スピリチュアリズムとは自然の摂理であり真理であると深く納得すれば,教条や霊訓の種類にこだわらなくなるものではないでしょうか。例えば,「シルバーバーチ」以外は認めない,という偏狭さは,ラベルやレベルで物事を判断する態度,ひいては物質至上主義と類似しています。年下の女性を見下ろす男性の態度とも通じる部分があります。

精神世界の教えは,実に幅広く奥深いものです。霊界サイドは,様々なチャンネル(霊媒や各種ライトワーカー)を通じて,真理を広く地上の隅々にまでいきわたらせようとしています。地上には,実に多種多様な人びとがいるので,伝え手にも,多種多様なライトワーカーたちを用意して,多くの人々が受け取りやすいようにしています。昨今の日本には,“シルバーバーチ・ファン”が大勢いますが,シルバーバーチ以外は価値がないとか,霊訓に書いてある内容と矛盾している・いない,といった狭い視野から,他のライトワーカー達の活動を否定したり,批判したり,軽視する,といった姿勢は,真理を深く会得した人々のものとは言えないだろうと,個人的には感じます。

スピリチュアリズムというのはひとつの知識体系ですが,シルバーバーチでも繰り返し言われているように,「知識には責任が伴う」ものです。責任とは,知識の「実践」です。知識を得た以上は,その実践者になることが強く期待される,ということです。実践とは,あらゆる機会において,言動と感性を真理に沿ったものにするよう努める,ということでしょう。他の人々を助ける,ということもその中核をなすものです。いわゆる生業の仕事とスピリチュアルな活動とを切り離す発想の方がおられますが,これも理解不十分が理由です。あなたは英語教師かミディアムかと問う頓珍漢な質問はひとつの典型例です。


本来であれば,人を教え導き,自らも精神修養を日々怠ってはいけない立場にありながら,察知される数々の的外れで自己満足的な理解や女性に対する差別的態度には,失望と落胆を禁じ得ません。

リーディングを受けることを「実践」と呼ぶ人はいないでしょうが,個人的に行う瞑想は,実践に含まれるでしょう。霊訓を繰り返し読んだり,読書会に参加することにも意義はあるかと思いますが,一人ひとり異なる個性を持ち,課題を持ち,異なる人生を歩んでいます。最終的には,自ら気づきを得るしかありません。スピリチュアリズムの価値を認めつつ,瞑想は私には関係ない,と言う方がいらっしゃいますが,こういう考え方は初心者のものです。外界のノイズをシャットダウンして,心静かに過ごす時間を持つということは,内なる気づきを得やすくなる,非常に有効な手段です。

「スピリチュアリズム」という用語が,地上の便利なラベルにすぎないのなら,「スピリチュアリスト」という呼び名もラベルにすぎないことになります。「スピリチュアリスト」を名乗る人々は,スピリチュアリズムを理解し,それに沿った生き方を実践しているという自覚と自負があるようです。現実には,しかし,自己評価―かなり楽観的な―にすぎないのではないか,と思われるケースが少なくありません。私が「スピリチュアリスト」とわざわざ名乗る行為にずっと違和感を感じてきたのは,未熟すぎる「自称」スピリチュアリストたちを少なからず見聞きしてきたこともありますが,その背後には理解の不十分さが隠れているのではないか,と感じるからです。


スピリチュアリズムとは,人生を生きる上で指針とすべきものですが,実は,それによって私たちが生かされている,私たちもまさにその一部である,そのような大いなる摂理を説いたものです。多くの人びとは,その摂理のことをことさらに意識したり,俎上に載せることなく,日常の目先のことに取り紛れて暮らしながらも,生まれてきた目的や課題をクリアしていきます。スピリチュアリズムという用語など知らぬまま,インスピレーションを受け取って,広く世の為人の為になる活動を展開されている方々は大勢います。そうした中で,敢えて「スピリチュアリスト」を名乗る行為は,「私はあなたがたがとは違う」と自らを差別化し,多くの場合,(意識的にせよ無意識にせよ)自分を他より優位に置きたい,という気持ちの表われのように思えます。特定の霊訓名を殊更に強調して話すケースも同様です。

少なくとも私には,そうした優越意識や特定の霊訓のみを認める排他的嗜好・思考を共有することはできません。

単純なことをむずかしく語るのではなく,単純なことを深く理解する
自己内省と客観的な思索を。誰かのお説にぶら下がっているうちは,いつまで経っても自分のものにはなりません。



4/19/2015

地上に生まれるわけ

 “あなた”という個的存在は,最初から,つまり大霊と一体であった時から今の“あなた”だったわけではありません。表現の媒体を得て初めて“あなた”という個性をもった存在となったのです。その目的は内部の神性を顕現させるためです。内部に宿る神性は完ぺきです。が,それは種子が土とか水といった養分を得て発芽し,生長し,花を咲かせるように,顕現という活動を経て初めて,その美しさ,その輝きを外部へ発揮することになるのです。
 地上的な形態での存在の目的もそこにあります。すなわち物的身体に植えつられた神性の種子が発芽と生長と成熟の過程を体験するためです。その地上生活特有の体験によって,死後に訪れる,次の段階の生活に必要な資質と能力を身につけるのです。


トニー・オツセン編 近藤千雄訳。『シルバーバーチの新たなる啓示』 p. 163.



人間は神から分かれて誕生し,その生みの親である神に帰一すべく進化していくことが目的なら,なぜわざわざ分かれたのか,という質問に対するシルバーバーチの答えです。

ダイヤモンドも元はただの硬い岩です。機械で研磨して,整形して初めて高価な貴石としての価値が出るように,だれにも潜在している神性も,地上でのさまざまな体験を経て磨かれなければ,輝かない,というわけです。

そして,地上での様々な快苦は,スピリット・ワールド(「霊界」は英語では,Spirit world と表現される)での生活に必要な才能と能力を伸ばすためである,と言っています。

3/31/2015

19 インスピレーション

 もう一つ理解していただきたいのは,地上時代に発揮していた精神的ならびに霊的資質が何であれ,皆さんが“死んで”その肉体を捨ててしまうと,地上時代よりはるかに多くの資質が発揮されはじめるということです.肉体という物質の本質上,どうしても制約的・抑止的に働くものが取り払われるからです.そうなってから,もしも地上に,右の例の画家のように精神的ないし霊的なものを縁としてつながる人が見つかれば,その拡張された能力を役立てたいという気持になるものなのです.
 その影響力を無意識のうちに受けておられる場合もあります.地上の芸術家はそれを“インスピレーション”と呼んできましたが,それが“霊”から送られていることには気付いておられないようです.つまり,かつて同じ地上で生活したことのある先輩から送られてきているという認識はないようです.
 これは,わたしの場合にもいえることです.生命の摂理について皆さんより少しばかり多くのことを学んだわたしが,こうして地上へ戻ってきて,受け入れる用意のある人にお届けしているように,わたしより多くを学んでいる偉大な先輩が,このわたしに働きかけているのです.偉大さの尺度は奉仕的精神の度合にあります.いただくものが多いから偉大なのではなく,与えるものが多いから偉大なのです.
 どうか皆さんも,可能なかぎりの美徳を地上にもたらすために皆さんを活用しようとしている高級霊の道具である,というよりは,心がけ一つで道具となれる,ということを自覚なさってください.自分が授かっている資質ないしは才能を人類のために捧げたい-苦悩を軽減し,精神を高揚し,不正を改めるための一助となりたい,という願望を至上目的とした生き方をしていれば,何一つ恐れるものはありません
 何が起きようと,それによって傷つくようなことはありません.目標を高く掲げ,何ものにも屈しない磐石の決意をもって,“最大多数の人々への最大限の徳”をモットーにして仕事に当たれば,それが挫折することは絶対にありません.


『地上人類への最高の福音』 第七章より




インスピレーションを受けて為される仕事は,なにも芸術の創作活動に限ったことではありません。学校の勉強,会社や組織でのさまざまな仕事や,園芸,料理など,生活のありとあらゆる場面で霊的なはたらきかけがあります。大抵の場合,人々はそれと気付かずに受け取っているようです。

必要なときに,必要なインスピレーションをキャッチできることが肝要です。そのために,こういったことを「知識」という形で持っておくことも役立つでしょう。また,「こころの目や耳」を澄ませるように心がけることも大切です.霊的に受身の状態でいる,という言い方がされることもあります。

また,偉大さの尺度は奉仕精神の多寡にある,という点も,心に留めておきたいものです。


3/29/2015

91 たましいが目覚めるとき

魂が目覚めるまでは往々にして悲しみや病気がお伴をすることになります。絶望のどん底に落ちてはじめて目覚めることもあります。物の世界には真の慰めとなるもの,希望を与えてくれるもの,魂を鼓舞してくれるものが無いことを悟ったときに魂が目を覚まします。長いあいだ眠っていた霊性が目を覚ますのです。 (中略) 人生は精神と身体と霊の相互作用から成り立っています。残念ながら霊の活動が抑えつけられ,本来の属性や才覚や能力がほんのわずかしか顕現されていないケースがあまりに多すぎます。

『シルバーバーチの霊訓』(近藤千雄訳 潮文社)第二巻 p. 47.




目に見えない世界に「気づかせる」または「関心を持たせる」出来事は,おそらく非常に多くの人が体験するでしょう。しかし,そこからさらに,「魂の目覚め」に至るには,人並みの苦労では充分ではありません。

霊性も決め手には違いないでしょうが,谷底に突き落とされ,そこから独力で這い上がったことがなければ,真理を深く理解できるようにはならないのではないでしょうか。シルバーバーチをはじめとする霊訓を何冊読もうと,通信の素晴らしさにどれだけ感動しようと,実体験を伴わない場合には,教科書的な字面だけの理解に終始しはないか,と感じるこの頃です。



75 哀れみの心

 私に言わせれば,道徳的であるということは,自分が悟った最高の原理に照らして行動しているという理想を信念として生きることです.それは,たとえば人にやさしくするということであり,人の役に立つということであり,哀れみの心を忘れないということです.
 またそれは,いかなる意味においても人を傷つけないということであり,人の進歩を妨げないということであり,自分の理想としている真理に忠実でなかったと,後になって恥じ入るような振る舞いをしないということです.


バラード/グリーン共著 近藤千雄訳.
『シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q & A』 p. 168.


スピリチュアリズムを知っていると言いながら,日常生活で活かせていない人がとても多いと感じます.知識を持っているだけでは不十分です.まず自分に当てはめ,いかに実生活で活かすか-これは非常に難しいことですが,これこそが最も重要なのです.

自分が楽しければそれでいい,という能天気な態度は,スピリチュアリズムを深く理解している人のものとは言えません.


日本は豊かな国だから貧しい国々の人々に無関心なのも仕方がない,と事もなげに言い捨ててしまう態度も,哀れみの心が豊かな人のものとは言えないのではないでしょうか。


日頃から自分より恵まれない人々に目を向け,関心を寄せ,こころ寄り添う姿勢を.そうした心がけが持てないでいて,「霊界のメッセージを人に知ってもらい,役立ててほしい」などと言うのはいとも容易いこと.それでもし,自分はスピリチュアリズムを「理解している」とか,知らない人より人格が高い,と思っているとすれば,ただの思い上がりです.そういう人は,一見優しそうに見えても,ひとの苦しみや痛みに鈍感で,こころが冷たいものです.寄付などにも無関心な場合が多いでしょう。

3/28/2015

40 霊的な仕事に携わるために


真理のために身を捧げる者は徹底的に試練を味わう必要があるからです.霊の大軍に所属するものはいかなる困難にも耐え,いかなる障害にも対処し,あらゆる問題を征服するだけの強さを身につけなければなりません.
   はじめて遭遇した困難であっさりと参ってしまうような人間が霊の道具として役に立つでしょうか.最大の貢献をする道具は浄化の炎で鍛え上げなければなりません.それによって鋼鉄の強さが身につきます.一見ただの挫折のように思えても,実際はみな計画された試練なのです.人を導こうとする者が安逸の生活をむさぼり,試練もなくストレスもなく嵐も困難も体験しないでいては,その後に待ちうける大事業に耐えうる性格も霊力も身につかないでしょう.


『シルバーバーチの霊訓』 第2巻 p. 206.


霊能者やミディアム(霊媒)になる人は予め決まっているといわれます.どんなに霊感が強くても,そうなりたいという思いだけでなれる訳ではないようです.元々霊感が強いという自覚もなく,また霊視・霊聴が利かなくても,そうした役割を担うことが決まっている場合には必ず導きがあって,例えば,大きな苦労,臨死体験等々がきっかけとなって,霊的に覚醒し,自然とそういう方向へ進むようになります.

ただの「きれいごと」として,その上,ある種の優越感さえ伴って,霊的真理を伝えることを「大事業」とは呼ばないでしょう。自ら汗することなく,もしくは,手を汚さずして,大事を成し遂げることなどできるはずがありません。

3/09/2015

102 成就に必要なこと

 「あなたがたの世界は影です。光はこちらから出ているのです。あなたがたは,こちらで立てられたプランを地上で実行し実現させていきつつあるところです。オリジナルの仕事―と呼ぶのが適切は否かは別として―は全てこちらで行われます。なぜなら,全てのエネルギー,全ての原動力は物質から出るのではなくて,霊から出るのです。みなさんは,意識するしないに関係なく,霊力の道具なのです。受信と送信をする道具なのです。霊的影響力をどこまで受けとめられるかによって,成功するしないが決まるのです」

―ということは,結局,そちらからの援助を得て私たちが努力することから新しい世界が生まれるということでしょうか。

 「その通りです。何ごとも人間の力だけでは成就し得ません。人間が何かを始める時,そこには必ずこちらからの援助が加味されます。私たちは常に道具を探し求めております。人間の方から霊力の波長に合わせる努力をしていただかねばなりません。完ぺきは決して望めません。常に困難を克服し邪魔を排除する仕事は永遠に続きます」

―私たち自身の努力で地上に新しい世界を招来しなければならないわけですね?

 「努力してはじめて得られるのです。私から申し上げられることは,神の計画の一部として成就しなければならないことは,すでに決まっている―が,それがいつ実現されるかは,あなたがた人間の協力次第ということです。計画はできているのです。しかし,その計画は自動的に実現されるわけではありません。それはあなたがた人間の自由意志に任されております人間は自由意志を持った協力者です。ロボットでも操り人形でもありません。宇宙の大霊の一部なのです」



トニー・オーツセン編 近藤千雄訳。『シルバーバーチのスピリチュアル・メッセージ:真実の愛であなたが変わる』 ハート出版。pp. 127-129.



ホームサークル(交霊会)での問答からの抜粋です。

いわゆる霊言や霊媒現象,霊界通信によって霊的真理を広めることに限らず,それ以外の活動でも,世のため人のためになることはすべて予め予定されているということでしょう。典型例には,地上から貧困を失くす活動(グラミン財団は近年の代表格),貧者救済活動(マザー・テレサは有名です),あらゆるマイノリティ(エスニック,セクシュアル,身体的ハンディキャップ)に対する偏見を失くす諸活動,難民救済支援活動などがあるでしょうか。もう少し規模の小さな例では,片親の子どもたちに食事を無償かそれに近い金額で提供するなど,地域ぐるみで子育てを支援する活動が,日本国内でも展開され始めているようです。

個々人を守り導くスピリット達は,私たちが疲れて癒しが必要な時,或いは逆に,叱咤激励が必要な時など,さまざまな人との出会いや出来事を通して,または,私たち自身のひらめきや衝動を通じて,手を差し伸べてきます。働きかけを最大限に受け止める(=受信する)ためには,そうしたスピリットの存在を(はっきり感じられなくても)信じることが助けになるでしょう。

三次元の世界では,三次元のやり方でなければ物事は成し遂げられません。努力の必要性が強調されているのは,そうした単純な真実を踏まえてもいるのでしょう。しかし,達成には三次元の努力だけでは不十分で,必ず五次元からの援助があってはじめて完遂される,ということです。従って,私たちはできることからはじめて,できる努力だけをすればよいのだと思います。

立てられた計画,スピリット・ワールドからの援助,私たちの自由意志,そして,現実的な努力ーこれら4つの要素が揃った時に,なすべき仕事が達成されます。

3/02/2015

愛情深い存在

人間も地球も宇宙も霊的存在も,みな互いに結びあっている.眼には見えないが,各人と他の人々の間には真の絆があり,地上のあなたがたの活動や考えや進歩を見守る,わたしの領域の多くの魂たちともつながっている.これらの魂は想念や直感を通じて,あなたに有益な影響を与えようとしているのだ.ひたすらあなたがたの幸福に心を寄せる愛情深い存在がたくさんいることを,どうか覚えておいて欲しい.

ジュディ・ラドン 『輪廻を超えて』





「ひたすらあなたがたの幸福に心を寄せる愛情深い存在(=魂)」とは,各自を守り導いているスピリット,守護霊を指しています。

ガイドからのサポートは,ひらめき,直観,湧きあがる感情,気になること,といった形で一人ひとりに届いています。霊感の強弱に関わらず,そのような形でもたらされます。

47 人はトランシーバー

 あなたがた人間は受信局と送信局とを兼ねたような存在です.純粋に自分自身の考えを生み出すことはきわめて稀です.地上のラジオやテレビにチャンネルとかバイブレーション(振動). . . があるように,観念,示唆,インスピレーション,指導等を受信し,こんどはそれに自分の性格で着色して送信しています。それをまた他の人が受信するわけです。
 その波長を決定するのは各自の進化の程度です.霊的に高ければ高いほど,それだけ感応する思念も程度が高くなります。
 ということは発信する思念による影響も高度なものとなるわけです。


『シルバーバーチの霊訓』 第8巻.p. 39.



たましいの程度を短期間で急激に高めることは,よほど大きな苦労を乗り越えでもしない限り,ほぼ不可能ですが,より高い受信感度を維持することは努力次第で充分に可能です.

受信感度を高めるためには,普段から意識をできるだけ高く保つことでしょう.規則正しい生活をして,心身共に良好な状態を保つ.ネガティブな思考や言葉をできるだけ避けて前向きな気持ちを維持すること,周囲への感謝の気持ちを忘れない,謙虚な心を持つ,笑顔を絶やさない,人に寛容にする,親切にする,宇宙や神,人智を超えた叡智に思いを馳せる,本を読んで知識を得るなどです.また,自分がなすべきこと-勉強や仕事-に無心で取り組むことも,高い波動を引き寄せます

「インスピレーション」を,高級霊(の定義も往々にして曖昧だったりしますが)から発せられるものだけに限定されている方もいますが,もっと幅広く捉えるべきでしょう。メールの文面を書くというような現実的事務的作業にさえ,(広義の)スピリット・ガイドの介入がある場合も少なくありません。自分が書こうとした文面が何らかの意味で不適当である場合,いきなり接続が途切れて,入力したものがすっかり失われたりすることがあります。こういう現象は,往々にしてガイドによる指導です。


2/28/2015

スピリット・ガイド

スピリット・ガイドは「指導霊」と訳されることがあるが,「指導霊」は,その語順に正確に従うなら,ガイド・スピリット(guide=指導 spirit=霊) という英語に置き換えられ,或いは,この英語を和訳したものなのかもしれない.「ガイド・スピリット=指導霊」と明言する人々も見かける.しかし,はっきり言って,スピリットが先か,ガイドが先か,といった瑣末なことにこだわるのは,殆ど全く意味がない.少なくとも,精神世界に直接携わらない人々が用語にこだわる必要はないと思う.

ちなみに,ミディアム(霊媒 れいばい)とは,霊感・霊視・霊聴といったいわゆる第六感が発達し,且つ霊媒体質であって,そうした特徴を意識的に利用して「あの世」からのメッセージを「この世」の人々に伝える作業に従事できる人間全般を指して使っている.霊能者と呼んでもいいし,巫女と言っても構わない.それでも,私が「ミディアム」という表現を好む理由は2つある.まず,「霊」という日本語が持つ一般的な印象が少しおどろおどろしく,誤解を招きやすいということ.霊=幽霊・お化け=怖いもの,即ち,忌み嫌い,避けるべきもの,といった短絡的な連想・発想を避けてもらいたいから.また,英語のミディアム(medium) という語には,「媒体,仲介役」という意味があり,この世とあの世の橋渡し役,という本来の役目を客観的かつ端的に表現しているためである.本来の,と書いたが,それ以外に仕事はない,といっても過言ではない.(いわゆるスピリチュアル・ヒーリングや浄霊はここでは含めません.) 呼び名は重要でないと思うものの,私が「ミディアム」という表現を特に好むのは,リーディングを受けられる方々にもこうした理解を共有していただきたいからだ.

「霊を怖いと言える人は,ある意味,“お幸せ”なのです」と,ある霊能者が(笑顔で)言われているのを聞いたことがあるが,全くその通りだと思う.天国にいる愛する人(の霊)からメッセージを貰って,彼らを失った嘆き悲しみから救われる人も決して少なくないからだ.例えば,逆縁を経験した親の嘆きは想像を絶する.

話を戻すと,呼び名は所詮呼び名にすぎない.それよりも大切なことは,この地上に生きる,肉体を持った「人間」と呼ばれる私たちには,もれなく全員に,同じ肉体を持たない存在が,肉眼では見えない形で付き添い,見守り,導いている,ということ.その存在を,「守護霊」と呼んだり,「守護天使」といったりするのだ.もっとやわらかい,やさしい響きが好きなら,「エンジェル」と呼んでもいい.どのように呼ぼうと呼ぶまいと,彼らは怒りもしなければ,私たちを置き去りにすることもない.

この守護霊と呼ばれる存在は,一人に複数ついている.その内訳は,非常に大雑把にいえば,メインの1名とその他多数となる.このメインの1名を「主護霊」と呼ぶなら,守護霊グループは,1名の主護霊とその他多数のスピリット・ガイドから成り立っているといえる.スピリット・ガイドは守護霊と言っても同じだ.

主護霊は,自分の「グループ・ソウル」とか「類魂(るいこん)」と呼ばれる存在である.私たちは,あの世に帰ると,この世でのように個として他から独立して存在しているわけではなく,グループに属している.自分の個性は保ちつつも,グループ全体に溶け込んでいるといわれる.

ひとつのソウル・グループは,6つのソウルから構成されているらしい.この「6」という数字はおそらく信頼できるものと思われる.ただ,グループ構成に関しては説が分かれるようだ.6体のうち,本体と呼ばれる存在が1体あり,残り5体が本体の類魂である,という説と,6体は同等とする説とがあるようだ.前者の説では,あたかも桜の花のように,中心に本体があり,花びらの位置に残り5体が位置する状態としてイメージされるらしい.主護霊になるのは,その5体の中のひとつとされる.個人的には,後者の説がそうらしいのではないか,と感じているが,ただ,この辺りもかなり細かい話となり,さきの用語同様,グループ・ソウルの構成がどうなっているかについて多くの人々は気にする必要はないだろう. 

メインのスピリット(主護霊)は,私たちと同じグループに属していて,その導き,守るという役割のゆえに,「たましいの親」とも呼ばれたりするが,生まれる前からの,最も親密且つ最も信頼できる仲間,知り合い,と呼んでも間違いではなかろう.現世の親や配偶者よりそうなのだ.この世の誰よりも,私たちのことを熟知しているのが主護霊である.

あるがままの存在

行動や思想が立派だからといって地上で称賛される必要はない.あらゆる行動,あらゆる動機はすべて宇宙の広大な領域に記録されており,みなさんは嘘偽りのない,あるがままの存在として判断される.他者からの注目や尊敬を求めるのではなく,私利私欲抜きで誠実に他の人びとを豊かにするよう努力しながら,地道に人生に取り組んでいこう.あなたは今生でも来世でも,自分の魂に満足することによって十分に報われることだろう 

ジュディ・ラドン 『輪廻を超えて』



ひとから認められなかったり,努力が目に見える結果としてなかなか形にならない時,嘆き悲しんだり,焦ったり,成功している仲間を妬んだりするのが人の常でしょう。そうした体験や感情を味わうことも,貴重な学びと言えます。

しかし,わたしたちは常に見守られていて,全ての思い,言葉,行いはふさわしい結果を伴って残る,ということが真理であるなら,ひたすらそう信じて前進しつづけるしかなく,それが最善の道かもしれません。


2/11/2015

96 スピリットの発露は様々ある

 霊は全生命の創造力であるからこそじっとしていることができず,どこかに新らしい捌け口を求め,従って満足することがないのです。何も霊媒現象を通して働くばかりが霊力ではありません。芸術家を通して,哲学者を通して,あるいは科学者を通しても発現することができます。要するにあなた方自身の霊的自覚を深める行為,あなた方より恵まれない人々に何か役に立つ仕事に携わることです。看板は何であっても構いません。かかわる宗教,政治,芸術,経済がいかなる主義・主張を掲げようと問題ではありません。実際に行う無私の施しが進化を決定づけるのです。

近藤千雄訳.『シルバーバーチの霊訓 第1巻』 潮文社.pp. 81-82.



地上から貧困を失くし,Poverty Museum (貧困博物館)の設立を目標に掲げる,経済学者でありノーベル平和賞受賞者でもあるムハマド・ユヌス氏の働きは,霊界から非常に多くの援助を得ていると思います。グラミン銀行は,発展途上国は言うまでもなく,世界で最も裕福な国であり,格差社会でもあるアメリカに進出し,いまや三支店を構えるまでに成長しました。彼が生み出したソーシャル・ビジネスは,やがて,ビジネスの主要スタイルとして定着することでしょう。ユヌス氏は,宗教家でも霊能者でもありませんが,彼の理念(グラミン設立後のインタビューで,「貧困と惨めさの中で生きていい人間は一人もいない」と言われています)は真理と見事に合致しており,大きな役目を持って転生されたたましいであろうと思います。

メディアで報じられる様々な情報や,専門家の見解でさえ,真実でないことが少なくはありません。科学では事象の全側面を説明することができないので,知性と科学的態度を重要視する欧米先進国的アプローチが主流となっている現状では,真実に迫りきれないのは仕方がないことでしょう。

では,霊能者を通じてしか真実を知り得ないか,というと決してそのようなことはありません。人間の本質はスピリットであり,我々全員がスピリット・ガイドに守り導かれている存在であるなら,誰の言葉や思想や行いにも,何らかの真理・真実を―たとえわずかな片鱗でも―見い出すことができるはずです。

例えば,第二次世界大戦を生き延びた人々であれば,戦時中は狂気の時間であることをその実体験から知っています。わざわざ霊眼で見る必要はありません。おじいさんやおばあさんなど,戦争体験者に直接尋ねてみれば済むことです。また,専門家らも,イスラム国はやがて,一旦は崩壊することを予見しています。

霊能者でなければわからない情報―第三者の過去生や憑依による霊的な影響など―は,ごく一部です。霊能がなければ知り得ない情報など,私たちの日常生活でそうそう必要になるわけではありませんし,必要とする人々の割合もそう高くはありません。

物質文明が発達するに従い,人類の多くが,現実の物質的側面に過度な関心を向けるようになったために,もう少し霊的な側面にも目を向け,なぜこの世に生まれてきたのか正しく認識して(知って)よりよく生き,よりよくあの世に戻るように,と伝えてきています。それが人類全体の向上につながるからです。霊的なことに関心を持つということは,しかし,発達した霊能がなければ知り得ない(且つ知る必要のない)ごく一部の情報をあれこれ詮索することと同義では必ずしもありません。霊能者を特別視したり,優位に見よ,ということでもありません。

世のため人のためになる方法は実に多岐に亘っています。誰でも誰かの役に立つことができるのです。

そして,敬意は常に,愛に基づく高い志を持ち,勤勉な人びとに対して払われるべきでしょう。



2/08/2015

信仰の落とし穴

「神を信じている」「人間は霊的な存在だと思う」という言葉だけで,その人の生き方がわかるわけではありません.たとえ,そう表明をしていたとしても,自分は全てをわかっているというような錯覚に陥っているとしたら,それはきわめて即物的な態度であるといえるでしょう.
 もしその人がどんなにたくさんのことを知っていたとしても,知識を物のように持っているに過ぎないとしたら,それでは,恐れや畏敬に結びついていく本当の霊的な人生の姿勢からは,ほど遠い状態というほかありません.
 また,信仰や霊的な人生観を持っていることで,自分はそうでない人たちより人間として高尚であるとか,優れていると思うなら,信仰を他人よりワンランク・アップするための材料にしていることになります.
 残念なことに人生の目的が心や霊的な歩みにあるといいながら,まったく唯物的な生き方をしかねないのが人間なのです. 


高橋佳子 『人間の絆 基盤編』 pp. 275-6.


信仰心や,自分はスピリチュアリズムを知っている,という想いでさえも,モノと化してしまう可能性がある,ということです。

ひたすら謙虚さを心がけることが肝要ではないでしょうか。

2/06/2015

81 霊的なことにもう少し関心を

 霊的なものと物的なものとのいずれにも偏らないように配慮しないといけません.物的なことに向けておられる関心よりももっと多くとは申しませんが,せめて同じ程度の関心を霊的なことにも向けるように努力してください

『シルバーバーチの霊訓』 第12巻 p. 156.





1/30/2015

ジャパニーズ・ドリームの果てに

  <モノ語り>の人びとは,夥しいモノを生産し消費する社会から生まれました。彼らの周囲には,人づきあいや自分自身のことでモノに依存する数多くの人びと,つまり「消費する大衆」がいます。モノに依存する点で<モノ語り>の人びとと「消費する大衆」は五十歩百歩です。<モノ語り>の人びとの特徴は,人づき合いの上でのささいな葛藤で受診する点にのみあります。
 <モノ語り>の人びとが受診するのは,ほんのささいな葛藤に立ち向かうことができず,自分の力で解決する術を知らないからです。葛藤慣れ(原文傍点)していないために,葛藤に対する抵抗力が弱いのです。その意味で,<モノ語り>の人びとは葛藤の軽減化に成功しすぎていると言わざるをえません。彼らは人づき合いの上で生じがちな「ドロドロ」したものを「消毒」しすぎているのです。それ故の抵抗力の低下が,彼らの特徴だと言えます。
 僕は初めのうちは,何とひ弱な人たちだろう,と驚きました。僕は自分を主として精神病患者の治療をする精神病医と考えていましたから,このような軽症の,患者と言うことも難しいような人びとが受診してくるのが,正直,わずらわしくさえありました。
 しかし,次々と訪れる<モノ語り>の<患者>たちの話を聞いて,彼らの人となりを知り,生活の仕方がわかるにつれ,考えを改めました。
 短い年月の間に急速に豊かになり,身の回りにモノが溢れるようになった日本の社会に,彼らはある種の積極性を持って適応しているのではないか,と思うようになったのです。底の浅い葛藤を持つ彼らのような人びとこそが,現代の精神科の患者らしい患者なのではないかと考え始めたのです。(中略)
 ところで,彼らの人づき合いのやり方を僕が,ある程度,評価するようになったのは,次のように考えたからです。僕の少年時代,しばしば赤痢が流行し,えき痢で死ぬ子供も少なくありませんでした。今では,衛生設備の完備によって,そういうことは本当に珍しくなりました。しかし,その代り,少々腐ったバナナを食べても平気だった以前とは異なり,今では油断をするとすぐおなかをこわす人が増えました。(中略)
 <モノ語り>の人びとは,人づき合いにおけるナマナマシイ感情,「ドロドロ」したものを洗い流し,言ってみれば人づき合いを丸ごと消毒しています。その結果,葛藤に対する抵抗力が落ちてくるのはやむをえないことのようにも思えるのです。「(心の)裸のつきあい」という言い方は確かに耳に快く響きますが,それが現実には人の心の中に土足で立ち入ることになりやすいということを,僕は「土足で立ち入られた」側の人びとである患者たちからいく度となく知らされてきました。
 <モノ語り>の人びとの人づき合いの方法は,親密さを得られないという欠点を持ちます。反面,それなりにやさしく滑らかな人づき合いを可能にします。<モノ語り>の人びとは,本来,孤立主義者ではありません。身近な人びととの円満な宥和を求めているとも言えるのです。
  確かに,<モノ語り>の人びとには,広い社会を展望する視野がありません。また,人類の将来に対する理念も理想もありません。
 しかし,もともと,僕たち日本人とはそういう国民だったようにも思うのです。大それた理念や理想を持たず,身近な人々との間の「和」を保つという等身大の理想を追うのに熱心でした。おおきなことを言ってヒトとの間に葛藤を生じさせるよりは身近な人びとと平和に暮らすほうが好きだった,と言った方がよいかも知れません。「親しき仲にも礼儀あり」の好きな国民なのです。
 その意味で,モノ化によって葛藤の軽減化を計る<モノ語り>の人びとは,実に日本的なのかも知れません。「モノ化によって」という点が少々気になりますが,彼らの周囲にいる「消費する大衆」ですら「親しき仲にこそ高価なプレゼント」というところにまで到達しているのです。<モノ語り>の人びとはもう少し先までいっているだけのようにも思えます。
 モノと言えば,僕たち日本人は,豊かさを求めるのに実にプラグマティックで即物的でした。昭和三十年頃の「三種の神器」(電気洗濯機,電気冷蔵庫,テレビ)あたりに始まり,3C(新三種の神器―カー,クーラー,カラー・テレビ)を経て,現在の「絶対に欲しいモノ」と常に少し頑張れば手に入れられそうなモノを目標に立てては,その目標を達成してきました。これらのモノは,戦後の日本人にとってわかりやすい具体的な「豊かさ」そのものでした。
 魂の豊かさといった曖昧なものも忘れはしませんでしたが,棚上げにしてきました。漠然とした価値はプラグマティックに処理しにくいからです。この戦略は,ある意味で,実に有効でした。僕たち日本人は,目標めがけてまっしぐらに進み,モノに溢れる「豊かな」社会,「消費する大衆」の社会を築き上げることができました。
 魂の豊かさを棚上げにした社会であるとは言え,夢を失ったわけではありません。むしろ,新しい夢を得たのです。まだ名前がありませんから,僕は,仮にジャパニーズ・ドリームと名づけておこうと思います。(中略)
  日本には国家がスタートした時の定かな記憶がないので,アメリカのような「建国以来」の壮大な理想というものがありません。個々人が自分の経済的な繁栄を計ると,そのことが直ちに自由・平等や機会均等という壮大な理想や理念を実現するための方法になるといったプラグマティックな考え方はありません。(中略)
 しかし,僕たち日本人には,ヒトとの間に波風を立てず,「親しき仲にも礼儀あり」を守って暮らすという等身大の理想があります。
 個々人が「リッチ」になり,恋人・家族・友人に「絶対欲しいモノ」を贈ると,理想の現代版「親しき仲にこそ高価なプレゼント」がいとも簡単に実践できてしまいます。入学祝いに外車を買ってもらえる大学生,あるいは生前贈与で家の建築資金をもらえる人は,文句なしにうらやまれます。これなら,アメリカン・ドリームの日本版と言えるではありませんか。
 ジャパニーズ・ドリームはあくまでも夢です。いくら「豊か」になったとはいえ,この夢を実現した人は極くわずかです。アメリカン・ドリームのかげで,多くの人々が敗北感と粗暴な怒りにさいなまれているように,ジャパニーズ・ドリームのかげで,多くの人びとが相対的な貧困感に蝕まれていますノの壮大な階梯には,自分には手の届かないより高価な(原文傍点)プレゼントが常にあるからです。しかし,それでも人びとはこの夢の実現を目指すことをやめないでしょう。ジャパニーズ・ドリームに向き進む人びとの先頭に,僕は<モノ語り>の人びとの姿を見る思いがするのです。

 大平健.『豊かさの精神病理』 岩波新書,1990.pp. 237-243.



<モノ語り>の人びととは,自他ともに,人について描写したり説明するのが苦手な一方で,モノを媒介にすると雄弁になる特徴を持つ<患者>たちのことです。例えば,あるOLは,「私ですか・・・・・・えーと,まあ普通だと思います。明るいところも暗いところもあるし・・・・・・」「その人は,何て言うか,いじわるな人です。どういじわるかって言われても・・・・・・とにかくいじわるなんですよ」と,人間描写は苦手ですが,持ちモノについて尋ねられると,「そのオバサン,若ぶっちゃって,LLビーンのトートバッグか何かで会社に来るんですよ。靴もオイルド・モカシンで会社でパンプスに履きかえるの。なに気どってんのって皆で笑ってますよ。若い娘のまねしてリーボックならまだ可愛いですけどね。」などと途端に雄弁になるような人びとのことです(大平 1990, pp. 8-9)。

団塊の世代にあたる人々の中には,第二次世界大戦中,特攻隊員として短い命を散らした記憶を持つ魂が多くいる,という話をどこかで読んだことがありました。同じようなことが戦後のアメリカでも起こりました。ドイツ軍によるホロコーストで命を落とした多くの魂が,自分達を助けてくれた連合国軍を選び,自由の国アメリカを再生の地としてベビー・ブーム時に大勢転生したということです。

モノの非常に乏しかった戦時下に生き,国家を信じて,国家のために命を捧げた青少年たちが,モノの豊かな時代に転生して,その豊かさを享受しようとしたことは,ある意味当然の流れだったといえるでしょう。豊かさを通じて学ぶ,というカリキュラムだったかもしれません。本当の豊かさとは何か。それは物質的繁栄と同義なのか。

個々人によって学びも,答えも異なるかもしれません。しかし,昨今の社会諸情勢の中に,ひとつの答えがすでに提示されているのではないでしょうか。

人間関係の葛藤に耐えにくくなる程度のことで済んでいるうちはまだよいでしょう。風が吹けば桶屋が儲かるように,そうした人々を助ける職業に従事する方々も大勢います。ですが,それらがさらに深刻化したように思える事件の数々が,毎日のように新聞の紙面やテレビのニュースを賑わせていることにあらためて目を向けなければならないでしょう。

多少の縮小を伴いつつ,これまでの延長線上を歩き続けるのか,それとも,ここで立ち止まり,自分にとって「ほんとうの豊かさ」とは何かを思索し,模索するのか。最終判断と決断は,すべて各自に任されています。 



1/28/2015

45 真の信仰

真の信仰を身につける好機は全てのことが順調に行っている時ではありません.そんな時に信仰を口にするのは誰にでもできることです.暗黒の時に身につけたものこそ本当の信念といえます。

『シルバーバーチの霊訓』 3: 32.



既存宗教を批判するわけではありませんが,歴史を経て人間が大きく手を加えた宗教に限界があることは否定できません.完璧なものがこの地上に存在しないように,「100パーセント完全な」宗教も,少なくとも今の世には,存在しません.諸宗教の枠を超えたところにある,そして,さまざまな宗教がそこから出てきた大元である叡智,即ち,真理を求めることが,最終的には近道となるでしょう.

難病,借金苦,人間関係のトラブル,仕事上の困難など,人生にはさまざまな苦労があります.どのような苦労であれ,大きな困難を克服した人々が往々にして信心深くなるのは,人間の力だけではどうにも太刀打ちのできない問題に直面する為です.そういう経験を経てはじめて,人は人智を超えた存在を「悟る」ことになります.というよりも,そうした形でしか悟りは得られないないようになっているようです.

>> 以前の記事 5.悟りへの近道 も参照ください.





読みたい本(7)

  千賀一生。『ガイアの法則』ヒカルランド。 いまの時代に読むべき必読書です。 正・続2冊ありますが、1冊目の裏表紙に印刷されている言葉を以下に紹介します: 宇宙に,聖なる16ビートが存在することを告げるガイアの法則— 新型コロナとの驚くべき精緻なる関係性も明らかに! 地球の歳差...