私に言わせれば,道徳的であるということは,自分が悟った最高の原理に照らして行動しているという理想を信念として生きることです.それは,たとえば人にやさしくするということであり,人の役に立つということであり,哀れみの心を忘れないということです.
またそれは,いかなる意味においても人を傷つけないということであり,人の進歩を妨げないということであり,自分の理想としている真理に忠実でなかったと,後になって恥じ入るような振る舞いをしないということです.
バラード/グリーン共著 近藤千雄訳.
『シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q & A』 p. 168.
スピリチュアリズムを知っていると言いながら,日常生活で活かせていない人がとても多いと感じます.知識を持っているだけでは不十分です.まず自分に当てはめ,いかに実生活で活かすか-これは非常に難しいことですが,これこそが最も重要なのです.
自分が楽しければそれでいい,という能天気な態度は,スピリチュアリズムを深く理解している人のものとは言えません.
日本は豊かな国だから貧しい国々の人々に無関心なのも仕方がない,と事もなげに言い捨ててしまう態度も,哀れみの心が豊かな人のものとは言えないのではないでしょうか。
日頃から自分より恵まれない人々に目を向け,関心を寄せ,こころ寄り添う姿勢を.そうした心がけが持てないでいて,「霊界のメッセージを人に知ってもらい,役立ててほしい」などと言うのはいとも容易いこと.それでもし,自分はスピリチュアリズムを「理解している」とか,知らない人より人格が高い,と思っているとすれば,ただの思い上がりです.そういう人は,一見優しそうに見えても,ひとの苦しみや痛みに鈍感で,こころが冷たいものです.寄付などにも無関心な場合が多いでしょう。
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