現実には,専業で霊能者もしくは霊感占い師をされている方々はとても多い。その中で,文字通り引く手あまたで,数か月先まで予約が埋まる人々は,ごく一握りで,一般的には,それほど収益の上がる職業とは言えないのではないか。大雑把にいえば,実力があるから,予約が途切れない正統派タイプと,話術の巧みさ,優しさや親しみやすさ,といったような実力以外の部分で人を惹きつけるパフォーマンス型があるだろう。前者の典型で言えば,青森のKさんが真っ先に思い浮かぶ。が,彼女ほどの方でも,ネット上に流れる情報を見る限り,全国から相談者が殺到して多忙を極めるということもあろうが(早朝から夜遅くまで,途中ゆっくり休憩もとらずに鑑定をされているらしいし,鑑定終了後には執筆活動もされている),霊能一本でやっていく,というのは非常に大変なことなのだと思う。男性で扶養家族がいる場合には,お客さん(相談者)の確保が非常にシビアな問題になろう。自分独りならいかようにもできようが,家族の生活が懸かっているとなれば,集客は最優先事項となる。単価もある程度高額に設定する必要が出てくるし,自己アピール(営業)も欠かせない。「霊界の意思に沿うように,すべきことをしていけば,必要なものはすべて何とかなるのです」的発想では,ある程度(以上)の生活水準を維持することは難しいだろう。かつて,奇跡の心霊治療(無償)で多くの人々を癒した,ハリー・エドワーズ氏も絶えず経済的に困窮していたと言われている。
ということは,経済的困難をも引き受けるだけの覚悟がなければ,霊能者を専業とすべきではないのかもしれない。霊能を授かるということは,地上で富と名声を享受することと同義では決してない。自分の名前を売り込んだり,人々に愛されるためのものでは,もちろんない。それを活かして,助けが必要な人々の役に立ち,いのちは永遠であることや本来あるべき人の道を伝えていく,ということだ。何かを得れば何かを失う。こと霊能に関しては,経済的犠牲はある程度つきもののようだ。経済的困難がなければ,他の点で大きな犠牲を払う可能性が高い。
が,これまた現実には,本来の大義名分より,現実の利益や自分の野望・エゴを優先させる霊能者,ミディアム,占い師のなんと多いことか。 私自身,ごく一部のスピ関係者のエゴに,ある意味巻き込まれて,とある場所を追われたと認識している。(そこを去ったことは大正解だったが。)基本的に,宣伝して組織を大きくしようとか,改名・リニューアルして新たに売り込みをかけよう的な発想からして的外れではないか。「国際」とつければ本物らしく響くとでも思うのか。名前だけ立派にしようとするのは,物質主義的であるという意味で,スピリチュアルな教えと相容れずお粗末なことこのうえない。「大風呂敷を広げる」というが,看板ばかり立派でも,その看板を掲げる人間の器が不釣り合いに小さくては名前負けするだけ。名称に相応しい懐の深さがあれば,風評被害を恐れる余り,優秀なヒーラーやらミディアム(として重んじていた人々)をある日突然解雇したりしない(そして,二次災害として新たな人材喪失を生じることもない)。ましてや,自分(たち)がやりにくい存在になるや否や,それまで重んじていた立場の人々をばっさり切り捨てるということも,あまりしないだろう。指導力やリーダーとしての素質が豊かとはとても思えない。自分に甘く,(自分より秀でた部分―スピリチュアルな領域で,或いは,社会的に―を持つ)他者に厳しい人間性にも常に違和感があった。
さらに,霊性の高いことを自慢するのもまるで違う。(優秀・有名な)ミディアムといってもいろいろいるからね,などと言う。さも,人間のレベルが自分とは違う(自分の方が高い)と言わんばかりだ。その謙虚さの欠如は,「スピリチュアリスト」としてどうなのか。知る限り「たましいの年齢ってあるしね」といったり(スピリチュアリズムを知らない家族・友人への批判も込められている),某国の先輩ミディアムから霊性の高さを指摘されたことをやたらとひけらかす人々に限って,少なくとも “自分が思うほどには” 霊性は高くない。未熟ながらも,精一杯ご奉仕させて戴きます,とか,皆で共に成長していきましょう,といった姿勢ではないのだ。「我(ら)こそスピリチュアリスト」的な雰囲気が,しばしば観察される,思慮の浅い一連の言動と合致していない点は,常に疑問だった。
また,優秀な霊能者に指導を受ければ,その霊能者並みに力がつくだろうと期待し,或いは,その傘下に入れば自分にも得なことがあるのではないか,おこぼれにあずかれるに違いない,といった「打算」から協力するということがある,と最近知った。不思議なことに,私がリーディングを受けた数名の(専業)霊能者全員が,時期は異なるが完全独立(または休業/廃業)されていた。それぞれ自分の実力に自信もあり,また,当初の目論見が外れた部分もあったようだが,いずれにしても,霊能者本来のあるべき理想ばかりでないことだけは,全員に共通してみえる。人間だから当然といえば当然だろうが。
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福祉とスピリチュアルの組み合わせー福祉の仕事を生業として,空き時間に(天職として)スピリチュアルな活動をする―は理想かもしれない,と思う。もちろん,福祉の仕事も内容によっては,非常に体力を消耗するものであるし,拘束時間の割に待遇が良くないといった面もあるようなので,決してラクなものではないだろう。が,福祉とスピリチュアルは,その中核に,「人助けの精神」を共有し,その純粋な精神からぶれずに生きやすい,という大きなメリットがあり,ひとつの理想の形なのかもしれない。