きっかけとこれまで
でも,なぜこの日に限ってその人の短かった生を思い出し,そんなことを考えたのか不思議だった。もしかして,「その人」の命日?
検索すると,6月23日は命日のちょうど1週間前だった。あの旅立ちから早いもので,16年の歳月が流れていた。日本の仏教では17回忌(満16年)という節目にあたり,「魂がすべての執着や過去の未練を完全に手放し,次のステージへと新しく羽ばたくための転換期」らしい。
当時,突然の訃報は衝撃以外の何物でもなかった。昼休み中,3限の授業が始まる少し前に,オンライン上で偶然見つけたこのニュースを,近くにいた学生の一人に確認した。すると,NHKの朝のニュースで言ってました,との返事。「一体どうして!?」授業が始まってからもしばらく動揺を隠せなかった。
オンラインでさまざまな情報を調べるうちに,経済的な困難やご家族の問題など,複数の複雑な心配事を抱えていたことがわかった。そして,私なりに感じたことをブログ記事として公表したところ,ファンの方々から感謝のコメントが相次いだ。
その後,ある大変一途で熱心なファンの方(Aさんとお呼びする)から,墓所で撮影した写真に不思議な光が映り込んでいるのでみてもらいたいと連絡があった。私は,いわゆる霊視は利かないが,リーディングをしたら何かわかるかもしれないと思い,試してみることにした。その結果,一部の真摯な日本人ファンに向けた,短いけれど暖かいメッセージを受け取ることとなった。当時の私にとって,これは全く予想外の展開だった。「その人」がメッセージを届けたくて,Aさんの写真に少し不自然な光が映り込んだのだろう。
正確な時系列は少し曖昧なのだが,メッセージを受け取った前後のタイミングで追悼イベントがあり,チケットが余ったからということで,Aさんから招待を受けた。コンサート的なイベントに参加したのは,後にも先にもこれ1回だけだが,私にとってはちょっとしたご褒美だったように思う。イベントの直後に,Aさんから少し面白い話を聞いた。あるサイキックによれば,その人は,江戸時代に歌舞伎役者だった過去生があり,今生でも同じ過ちを犯した,とのこと。現在も存続している有名な歌舞伎宗家であることから具体的な名前は伏せるが,その話を聞いた瞬間鳥肌が立ったので,おそらく正しい情報と思われる。しかし,歌舞伎役者とは一体誰で,繰り返した「同じ過ち」とは何なのか。
2017年の冬,その人の動画を何気なく見ていたら,急にある衝動が起こった。最初はその衝動の正しい意味がわからず,右往左往した。数週間悩んだ末,ご遺族(お母様)宛に当時公開していたブログ記事をとりあえず全てお送りすることにした。日本語記事に英文の添え状をつけて,言葉がわかる方を探して翻訳して貰って下さい,と伝えた。ちょうど7回忌法要から半年ほどが過ぎた頃だ。返信はなかったが,ご遺族は,「その人」が大いに苦しんだ結果の出来事として受け止められたようだった。最も苦しんでいたのは他ならぬ本人だ。そして,最も後悔しているのもまた,本人自身だ。残された側には「なぜ?」「自分勝手だ!」「何てことをしてくれたの!」など,様々な思いがあることは当然といえば当然なのだが,私たちがいつまでもそうした想いを引きずっていると死んだ人には必ず伝わり,本人の後悔が一層深いものとなり,身動きがとれない状態に陥る。全員が前に進むために,ご遺族がその重い悲しみを手放し,受容と赦しのレッスンを修了する必要があった。
その後は,「その人」のことを考える時間も徐々に減っていったが,今月23日に急に思い出したので,前から気になっていた「歌舞伎役者だった江戸時代の過去生と今回の人生との関連性」を調べてみようと思いついた。
歌舞伎役者としての人気・成功と謎の死
江戸時代の,ある宗家の八代目歌舞伎役者の情報は,Wikipediaに仔細が掲載されている。七代目の長男として誕生。初舞台は生後1ヶ月とある。10歳で父の名前を襲名した。Wikiには次のように書いてある:
「面長の美貌で、歴代の團十郎とはまったく仁の異なる二枚目役者だった。(中略)一時深刻な不況をこうむった江戸の芝居町に人出が戻ったのは、八代目團十郎に負うところが大きかった。上品ななかに独特の色気があり、おっとりとした愛嬌が身にそなわって、嫌味がなかったという。当時の批評には「男振りはすぐれて美男子といふにあらねど、いはゆる粋で高等で[*高等な]人柄で、色気はこぼれる程あれどもいやみでなく、すまして居れども愛嬌があり」(『俳優百面相』)とある。(以下略)
「高等で人柄で」とあるが,ここは「高等な人柄で」と読み替える方が意味は通じる。
彼の実父にあたる七代目は,幼い頃に父も祖父も他界したため劇団の孤児となるも,努力を重ね,五代目の贔屓筋から後援を得て人気役者へと成長した。七代目に後を継がせたあとは,愛妾3名と豪邸に暮らし,派手な暮らしをしていた。1840年にいわゆる『勧進帳』の初演を果たし,宗家の権威を一層高めることに成功。江戸歌舞伎の権威としての宗家の地位を確固たるものにした偉大な存在だった。八代目はこの実父とは性格が正反対で,荒事も演じたが,むしろ和事向きの,爽やかな優男タイプと言われていた。
1842年,幕府の方針により,七代目はある種の見せしめとして,江戸十里四方所払の処分を受け,江戸で舞台に立てなくなった。7年後にはご赦免となるのだが,江戸追放中は,駿府(静岡)を経て大阪へ渡り,京・大津で舞台に立った。江戸追放以前から備中,名古屋などで地方巡業をしており,追放後も伊勢,京都,岐阜の各地を訪れた,とある。赦免後,江戸に戻るがすでに居場所はなく,結局大坂へ戻り,上方の舞台で多く演じることになった。
父の追放後,八代目は16歳で江戸歌舞伎界の最高責任者となり、父に代わって家を守る親孝行者として幕府により表彰される。これにより八代目の人気は爆発的に高まったという。しかし,その生活実態はといえば,実母と妾二人,そして異母妹弟11名が同居しており,家庭環境は非常に複雑だった。彼は,妾たちとは折り合いが悪く,こうした環境にいたことから結婚はおろか女性に嫌気がさしてしまったらしい。
また,八代目には,正義感が強く神経質な面があったようだ。筋の通らないことは,たとえそれが芝居上の事であっても,自分の正義感を曲げることができない潔癖さがあった。融通が利かず,一旦気になると深く悩んでしまい,夜もなかなか寝付けなかった。
そして,父には巨額の負債があった。それを彼は返済していたらしい。経済的困窮を抱えており,10両ほどの借金返済にも困っていたことは,本人の手紙に書き残されている事実である。
上方に拠点を置いていた父から,名古屋公演への出演を懇願された。自刃する4ヶ月ほど前のことだ。親孝行な彼のこと,江戸の芝居座やご贔屓に不義理をすることに抵抗がありつつも,しぶしぶ引き受けることになった。名古屋公演が終わったら江戸に戻るはずだったが,実は父とその妾が,大坂で親子共演興行の契約を彼に内緒で結んでおり,八代目に8月の大坂公演への出演を依頼。つまり,ダブルブッキングとなってしまったのだ。不本意ながらも,江戸の座元に許しを乞い,大坂の舞台に出演することになった。江戸の大スター登場に大坂は大いに湧き立った。道頓堀での親子2代による船乗り込みは,大勢の観客が詰めかけて大変な賑わいだったという。しかし,大坂での初日を迎えた8月6日の朝,旅館の一室で喉を突き,30歳10ヶ月という若さで自刃を遂げた。役者として人気絶頂期の突然の死は,さまざまな憶測(病死説,割腹自殺説)を呼び,死絵が300種も刷られたと言われている。直筆の書き置きが何も残されていなかったことから,死の理由は謎とされている。
同じ過ちとは?
さて,「その人」の今回の俳優人生と江戸時代の過去生には共通点がいくつかある。大きく異なる点もある。例えば,今生の「その人」は次男であり,家庭環境も非常に異なるし,晩年はよく「早く結婚したい」と言われていた。しかし,通常,ひとつの人生に複数の過去生の影響があることを考えれば,この程度の違いは両者の関連性を否定する決定的な要因ではない。
俯瞰すると,今回の生は江戸時代より格段にバージョンアップしている。ハードルが高くなった,と言ってもよい。時代が異なると言えばそれまでだが,例えば,活動範囲が大幅に拡大した。江戸時代は,江戸と大坂という東西の主要都市(文化圏)の板挟みになったのに対し,今回は日韓という歴史・政治的にも複雑な背景を抱えた国の架け橋として板挟みになっていた部分がある。江戸時代の瓦版を遥かに凌ぐ「インターネット」の普及が大きな後押しとなり,彼の活動は台湾も含め,広くアジア圏にも知られていた。それには,しかし,負の側面もあった。過去生において,日本の大衆芸能で成功した歓びの記憶は深く魂に刻まれ,日本を愛する気持ちとして再現したことが容易に想像されるが,そうした日本への「純粋な愛着」が,オンライン上での,母国の世論による複雑な受け止めや,日本を快く思わない母国の同胞からの批判的な視線に晒されがちだったことは事実である。日本でも人気を博した他の韓国スター達と同じく,国内で「親日派」と批判されることのリスクと常に隣り合わせだった。
さらに,「韓流ブーム」の初期,文化交流の最前線にいたスター達は,単なる芸能人を超えた「国を代表する存在」としての役割も期待されていた。かつて,ある皇族の方が日韓の関係を「近くて遠い国から,近くて近い国へ」と願われたことがあったが,その重要な一端を担ったのは,彼ら初期の韓流スター達であった。
八代目には,正義感と潔癖さから,悩み事があって寝付けない夜もあったそうだが,それは俳優・歌手としての「その人」にも持ち越されていたようだ。俳優としてデビューしてから睡眠薬なしには眠れなかったという。繊細で優しい気質,周囲への気配りや仕事に対する真摯さ・自分への厳しさに加え,身近な人からの裏切りや,世論・世間という個人が制御不可能な不条理さが重なり,普通に睡眠を取ることすらままならないほど,つねに神経が張り詰めていたのかもしれない。
二人はいずれも書き置き・遺書は残していない。書く余裕がないほど追い詰められていたと考えることもできるが,八代目は覚悟の自刃だったと伝えられ,「その人」も,最期の数日,親しい知人たちにそれとなく別れの挨拶をしたり,亡くなる直前には家族へ言葉を遺したりしている。何も書かないことで家族や関係者を更なる困難に巻き込まないようにした可能性が高いだろう。彼を愛した人々を悲しませたことは変えようのない事実ではあるものの,沈黙の中で人生の幕を下ろしたことは,二人の周囲への優しさの表れだったと思いたい。
繰り返した過ちは何かと問われれば,次のようになるだろう:いずれの人生でも,彼らは,優しさや正義感・責任感から,すべてを一人で抱え込んでしまい,引くべき境界線を引けず,葛藤に苦しんだ挙句,唐突に人生を終わらせて,自分を愛してくれた人々を悲しませたこと。彼らには,誰をも犠牲にしない,あるいは犠牲を最小限に抑えるために,別の可能性を探る正しい冷徹さ,ある種ドライな立ち回り,という智慧が必要だった。例えば,父親の借金を息子が精算しなければいけないという絶対的なルールは存在しない。Wikiによれば,「八代目の死により返済できなくなった (中略)借財(成田山から七代目が借りた莫大な借金と八代目が借りた100両)は新勝寺が処理した」とある。ならば,一人でなんとかしようせず,利害が絡まない専門家や第三者に相談するなど,打開策を探る発想の転換と実務的な努力が必要だった。他の可能性を探る余地も充分にあったはずなのだ。(補足:19世紀半ばの歌舞伎興行システムでは,役者の借金は1年ごとの契約更新時(11月の顔見世)に座元から支払われる前借金で返すのが慣例だったという。八代目は,父(と妾)が受け取ってしまった大坂の興行主からの「前借金」の契約に縛られ,「自分が大阪の舞台に立たなければこの借金を返せず一門が破綻する」という当時の常識に囚われてしまっていた可能性を示唆する情報もあったので,参考までに記しておく。)
これはあくまでも私見にすぎない。当事者として,抜き差しならぬ状況に陥ったとき,どのように考えてどのような選択を行うのか,それを決めるのは本人以外にはない。当事者でない第三者には何とでも言える。頼まれもしないのに,外野からあれこれと評価を下すことは傲慢というものかもしれない。
仮に江戸時代の人生を1回目とすれば,同じテーマに挑んだ今生は2回目だ。一つのテーマを学ぶのに複数回の人生を必要とするのが通常であることを考えると,これを「失敗」や「過ち」として断罪するのは早計だ。今回は前回と比べると,多くの点でかなりバージョンアップしており,ハードルが高くなっていた。「その人」の魂にとっても,相当大きなチャレンジであったに違いない。前回より負荷を高め,大いに成長しようとして果敢に「挑んだ」転生だった。八代目が大坂で極限状態に陥ったように,日本でのツアーの真っ最中という越境のタイミングで極限状態に達したことは,充分に想定の範囲内だったと思われる。つまり,今生は,次の転生での課題クリアに向けて,避けては通れない大切な通過点だった,と捉えることができる。
極限状態で迎えたその終わり方も,魂の視点からみれば一つの区切りであり,ある種の寿命だったと言えるかもしれない。人生の終え方が「その人」の遺した多くの善いことさえもゼロにして,人生を丸ごと台無しにしてしまうことなど決してない。実際,「その人」は,21世紀の現代において,江戸時代には成しえなかった数々の素晴らしい功績を遺した。十七回忌の節目にあたり,今生での収穫を振り返って終わりとしたい。
永遠の記憶と未来の希望
国を跨いでの大きな活躍で,多くの人々に愛を届けたことや,歴史・政治的に分断された二カ国の架け橋として文化交流を通して,その距離を縮めたことへの貢献は大きな評価に値する。自らの幸福よりも,ファンや周囲の人々の幸福により多く心を砕いたことも同様である。演技や歌唱の向上に邁進し,真摯に活動を続けた姿勢は,私たちに実に多くのことを教えてくれた。その生き方と芸能活動全般を通して,私たちに様々な気づきを与えたことは,永遠に記憶に残り続けるだろう。
人生の後半にはアフリカで慈善活動を展開した。彼の死後,彼の志や,その名を冠した組織の活動の軌跡を辿れば,慈善活動がいまなお継続中であることがわかる。小さな学校ではあるが,規模は問題ではない。全ては動機だから。私たちは,「その人」が非常に純粋な想いで遥かアフリカ大陸の地にまで赴いたことをよく知っている。
同時期に活躍したある韓流スターは,巨額の資金運用に成功し,表舞台から身を引いたあとは自らの会社さえも売却して投資家となり,家族と南の島へ移住して悠々自適の生活を送っている。自分と自分の家族を大切にする生き方を批判するつもりは決してない。それはそれで尊いことだし,投資家は世界経済の循環に貢献している。単純に「その人」と投資家に転じたスターは,互いの人生において異なる選択をしたに過ぎない。
ただ,もし次の人生で再び同じテーマに挑むことがあれば,そのときは,新たな選択肢として,自分をもう少し大切にすること,を加えてもらえたら幸いだ。それによって,次こそは,必ず大きな飛躍を遂げることができる。
彼を愛する私たち全員の祈りとして,この願いを届けたい。
参照したサイト一覧(URLのみ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E5%9C%98%E5%8D%81%E9%83%8E_(8%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E5%9C%98%E5%8D%81%E9%83%8E_(7%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
https://mag.japaaan.com/archives/106530(その1)
https://mag.japaaan.com/archives/106944(その2)
https://mag.japaaan.com/archives/106972 (その3)
https://mag.japaaan.com/archives/107159 (その4)
https://mag.japaaan.com/archives/107162 (最終話)
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