世の中には,様々な人々がいて,様々な人生があります.絶えず人に囲まれているために,たまには一人で過ごしたい,一人で過ごす時間がないと息がつまりそうだ,と思う人にとって,孤独は否定的な意味合いを持たないでしょう.しかし,大勢の人と一緒にいても,孤独感を感じている人々もいます.家族がいても,うつ病から自殺してしまうケースも後が絶ちません.結婚を,恰も持つべき"勲章"か何かであるようにみなす風潮が強い一方で,伴侶がいても孤独感を募らせる人々も少なくありません.
このように,孤独を感じる理由は人により様々に異なるため,万人に効く対処法は一つに絞りきれるものではありませんが,とりあえず,誰にでもできる緊急措置として
夜早く寝て,朝早めに起きる
ことが助けになるかと思います.別の言い方をすれば,太陽と地球の動きに合わせて規則正しい生活をする,ということです.特に,質の良い睡眠をとるように心がけることがポイントです.聖地とされる場所も,昼と夜ではエネルギーががらりと異なるように,夜は人もネガティブな気持ちになりやすい時間帯です.日没後は,徐々に体と心を休める体勢に入るのが自然なサイクルでもあります.仕事の都合等でなかなか難しいこともありますが,出来る限り夜はゆっくり休むことが肝心です.睡眠はとても大切です.寝ている間,私たちはスピリット・ワールドへ行って霊的なエネルギーを補給するからです.
* * *
私の艱難辛苦の時期は非常に長期に及びました.詳細は割愛しますが,モートン氏によるダイアナ妃の伝記を読んで少なからず共感し,彼女が感じた心の葛藤や痛みが我が事のように感じられたものです.私の場合,特に辛かったのは,苦しみや困難をひとに理解されないことでした.理解されないだけならまだしも,こちらの事情を知りもしない人々から,やっかみや明らかに偏見と思われる目で見られること,誤解されることは非常に悔しいことでした.とりわけ,そういう人々が,"スピリチュアリスト" を自認する人々の中にも少なくなかったことには驚かされました.真理の理解の深さは人により様々で,スピリチュアリズムの知識の多寡とは必ずしも比例しません.
ひとの苦労話を聞く人々の反応は,三つに大別できます.第一グループは,ただ圧倒されて反応できなくなるタイプ.思いがけないことに遭遇すると思考停止に陥るケースです.第二は,自分の方が大変な苦労をした,と苦労自慢大会をはじめるか,逆に相手の同情を得ようとするタイプ.第三グループは,誰にでも苦労のひとつやふたつはあるもの,そういう意味ではみな同じなのにね,と一般論で軽く受け流すタイプです.最後のグループに属する人々はさらに,本当の辛さ・苦しさを経験したことがなく,人の心の痛みがよくわからないタイプと,悲しみや辛さがまだ充分に癒されていないタイプに大別できます.第二グループも第三グループ(の一部)も共に,癒しが必要な人々といえます.それぞれの反応は表面的には異なるものの,いずれも相手の話を理解しようとしていない,心に寄り添おうとしていないという点では同じです.こんな分類がすぐに浮かぶほど,他者の無理解・無関心に苦しみ,さらに孤独感を強める,という悪循環を何度も経験しました.そんな中,唯ひとつだけ例外的なケースがありました.かつて友人だったある女性です.彼女は,私の話を一生懸命聞いてくれた後で,「私には同じ経験がないからわからない」と静かに言いました.この反応は上記のどのグループにも属さないもので,誠意が感じられます.少なくとも相手のしっかりと話を聞き,向き合っています.その上で,自分の正直な気持ちを伝えている点に誠意を感じました.
* * *
ある日曜の夜,私は,そのきっかけさえもわからぬ寂しさを抱えたまま,ある人と話をしました.話し終えてもすっきりせず,仕方なく寂しい気分のまま就寝しました.その晩,夢を見ました.夢の中で私は大勢の人々と一緒でした.国籍も人種も多様な大勢の人々と共に,コンサート会場にいました.普段の生活では絶対に聞かないレゲエを聞いて,その場に居合わせた人々と一緒に,縦ノリで楽しんでいました.そして,その楽しい気分のまま,翌朝目が覚めました.寝ている間にスピリット・ワールドで癒されのだ,と直感して驚き,そしてとても嬉しくなりました.
主護霊やスピリット・ガイドは,地上の誰よりも私たちのことをよく理解している存在です.その姿は目に見えずとも,声は聞こえずとも,常に我々に寄り添い,たましいの旅を無事続けられるようにあらゆる形でサポートしています.見えないものを信じ続けることはとても難しいことですが,非常に大切なことでもあります.
ダイアナ妃が生前,"You can't understand unless you are the individual concerned." (当事者でなければ理解できないものよ) と語ったように,所詮ひとには理解されないもの,との割り切りも時には必要でしょう.自分も他の人の苦労を,その人が感じた通りに理解できるとは限らないのですから.