7/18/2012

ほんとうの「仕事の流儀」とは

某放送局で放映中の『○○フェッショナル』をたまに観る。似たような番組に,他局で放映中の『●●モン流』がある。いずれも,各業界の第一線で活躍する成功者に密着取材し,その華々しい仕事ぶりや充実した私生活と共に,舞台裏での努力や苦労も併せて紹介し,成功の秘訣を探っている。正の要素と負の要素の両方があるから視聴率が取れるのかもしれないが,番組の一環した基調は,やはり“サクセス・ストーリー”だろうと思う。ドキュメンタリー番組ではない。取材される人々が赤裸々に描かれ,その全貌が明かされる,ということはあり得ない。あくまでも,働く姿を,いくつかのアングルから美しく切り取ったものにすぎない。プライバシーの問題もあろうし,番組を通じて伝えられるイメージが,彼らの仕事に少なからず影響する可能性なども考慮すれば,それも致し方ないことかもしれないが。

もちろん,成功の陰にあった過去の数々の苦労や日々のたゆまぬ努力,仕事に取り組む真摯な姿勢に心打たれ,勇気を得ることもあるが,いささか斜に構えて眺めてしまうことも少なくない。番組制作側の意図がどの辺りにあるのか私には図りかねるものの,視聴者はこの番組から何に気づき,何を学ぶだろうか,と疑問に思う。何がしかの不満や悩み・苦しみといった負の想いを誰もが抱え,だからこそ,他人の不幸せや失敗に安堵し,ほくそ笑む人が多いこの現世にあって,仕事で華々しい成功を収め,充実した人生を体現している(ように見える)同時代人を紹介することが,観る人々にとってどんなプラスとなり得るのか。取材され,番組で取り上げられる人々にとっての,いわば“ご褒美的”番組になっているような気がしないでもない。

スピリチュアルな観点からいえば,いくつかの過去生に亘って経験と研鑽を積んできたことは得意である。よく,「すじがいい」とか「才能がある」などと言うが,それは過去生での経験の積み重ね,努力の集積の結果といえる。だから,仮に,いま達人でなくても,誰もがそれぞれの得意分野で前向きな気持ちと努力を怠らない限り,やがては「達人」になりうる,“達人予備軍” であり,“プロフェッショナルの卵” といえる。やがて訪れるであろう未来の自分の姿を重ね合わせ,予習気分で観る分には,夢があって楽しいだろう。成功イメージを潜在意識にしっかりインプットし,植えつけるイメージトレーニング的な効果があるかもしれない。

とはいえ,人生における「成功」とは,いわゆる同番組で映し出されるようなものとは限らないはずだ。その道のプロであることは無価値ではもちろんないが,世間が思うほど,番組が謳い上げるほど,素晴らしいとも思わない。勤勉,ハード・ワークは,間違いなく評価に値する。しかし,どのような仕事に従事しようとも,最も肝心なことは,「他者の利益のためにどれだけ無私の想いで尽くせるか」,それだけだと思うから,「プロフェッショナルね・・・・・・」とつい冷めた目で観てしまう。ひがみと言われてしまえばそれまでなのだが。

英国留学を機に,私は大きな試練を経験することとなった。自分の置かれた状況がそうさせたのか,ある時期から,教育テレビの『福祉ネットワーク』という番組を,時々だが,観るようになった。そんなことでもなければ絶対観なかっただろう。世の中には,想像もつかない困難や経験を生きている人々が少なくないことを知った。例えば,祖国を追われて日本に来たものの,難民として受け入れて貰えず,かといって帰る国もない無国籍のアジアの人々。拒食症に長年苦しむ若い女性たちや幼児虐待の果てに施設で暮らす,心に深い傷を持つ子ども達。悩み・苦しみから,自殺を図るも,未遂で救急搬送される人々。経済的困窮に負いこまれ,生活保護について何も知らず,本気で自殺を考える中高年世代。あるいは,身体的なハンディキャップをものともせず,経済的自立を目指して仕事をし,また,アスリートとしてスポーツ競技に打ち込む人達。そして,そんな彼らに向き合い,心寄り添い,日々全力で支える無名の多くの人びと。普段の生活では決して知りえない人々の存在を,間接的にも知る絶好の機会である。気づきや励ましを得ることが圧倒的に多いのは,前述の番組より,この『ネットワーク』であることは言うまでもない。

逆境の中で,試行錯誤を繰り返し,つまづきながらも,ひたすら前進する人びとの姿は,われわれに多くの教訓を与える。いわわゆる「健常者」の側が,様々なハンディキャップを背負った人々から教わることの方が,その逆よりも圧倒的に多い。また,彼らをサポートするという行為を通じて,大勢の人々が間接・直接に結びついていく。

この世的な成功が悪いわけではない。そうした人々の存在は社会にとって欠かせない。成功を夢見る気持ちは,ひいては自己の成長へとつながり得る。しかし,社会から賞賛や名声を得ることと同じくらい,いや,もしかするとそれ以上に,追求する価値のあること,深い喜びを見い出せることがあるかもしれない。自分にとってそれは何なのか,心静かに内なる声に耳を傾けてみたい


タイミングと決意が肝心

小田和正さん作詞・作曲の『風と君を待つだけ』。

久しぶりに聴いて,メッセージ性のある曲だと感じました。

『遠景』と重なるメッセージ(夢をあきらめない)もありますが,さらに一歩前進するように,その機が熟しつつあることを伝えているようにも感じられます。

白い帆船の出航準備は整っています。あとは,「強い風」と「君」,つまり,その時期・タイミング(スピリット・ワールドからの後押しも含め)とあなたの(私たちの)踏み出そうとする意志・決意さえあれば,大海へと漕ぎ出せる段階まですでに来ています。

ですから,怯むべきではありませんし,心を閉ざしてもいけません。徒に焦ることなく,好機が到来したら,行動あるのみです。





夢をあきらめないで

遠 景

作詞・作曲,唄: 中村隆道 編曲: 西本 明

つまらぬ悲しみに足をとられて
やけになってしまうよりも
転んで起きたときのあの光景は
いつか強さに変わるはず
豊かな時代に響く笑い声
時々寂しくなるけど
目の前の現実に 背を向けないで
首を傾げるだけでいい

忘れるなよ 決して 君だけじゃないさ
本当の自分を隠して もがいているのは

左手を上げて 右手をあげて
「参りました」と空を仰いだら
報われなくても ほめられなくても
何かをつかむまで あきらめるな

あんなに愛したあの人も今は
どこかで誰かの夢になる
悲しみが肩をたたいて喜びが振り返る
見えぬ春風はやがて吹くさ
今は遠くて追いつけないけれど
いつか辿りつく景色に
ひとにぎりの友達と一人だけの君が
そばにいてくれるだけでいい

忘れるなよ いつも どこかで誰かが
言い出せない君を信じて 見つめてるのを

左手を上げて 右手をあげて
「参りました」と空を仰いだら
報われなくても ほめられなくて
何かをつかむまで あきらめるな

左手を上げて 右手をあげて
「参りました」と空を仰いだら
報われなくても ほめられなくても
何かをつかむまで あきらめるな

何かをつかむまで あきらめるな



1990年代半ばにリリースされたシングルCDの曲で,中村隆道さんのデビュー曲です。(当時,少しだけ面識があった方です。)

作詞者本人へのメッセージにもなっていると感じますが,誰が聞いてもなにか感じるものがあるでしょう。 

夢に向かって進む道程で,いかなる困難に出会おうとも,苦しいのは自分だけじゃない。苦労は自分を強くし,自分の肥やしになる。だから決して降参してはいけない。諦めずに歩み続けていけば,必ず苦労は報われ,実を結ぶ,というのが一貫したメッセージのようです。「遠景」は「夢」と受け取ることもできます。

サビの部分の歌詞(「参りました」と空を仰いだら)は,「天に委ねる」(自力で何とかしようと悪あがきするというより),とも解釈できます。天に委ねつつも,諦めず前進し続ける,ということかもしれません。なぜなら,「いつも どこかで誰かが・・・君を信じて 見つめてる」,つまり,私たちのスピリット・ガイドが必ずや見守り,導いているのですから。

歌い出だしの部分(「・・・転んでおきたときのあの光景は いつか強さに変わるはず」)や1回目のリフレインの後の,「悲しみが肩をたたいて 喜びが振り返る 見えぬ春風はやがて吹くさ 今は遠くて追いつけないけれど いつか辿りつく景色」が示すように,困難や苦労は自分のかけがえのない糧となり,いつか必ず何らかの形で報われます。

7/09/2012

21 人生はプランに従う

閉め切られたドアを忙しく叩いてはいけません.自然に開くのを待つのです. 宇宙全体だけでなく一人一人の人間にも,きちんとした計画があります. そのプランが実行に移されていくのです. ・・・私たちはそのプランのもとに,私たちのやり方で私たちのタイミングで事を運ぶしかないのです.人間側の都合に合わせるわけにはいかないのです
 
その理由の一つは,
人間には自分にとってどうなるのが一ばん良いかが判断できないからです.物質的に,精神的に,そして霊的にあなたに何が一ばん望ましいかを判断するには,私たちの方が有利な立場にあります.
 待つのです.きっとドアは開かれます.
 
 

『シルバーバーチの霊訓  第10巻』  p. 172.



人生では思ったように物事が進まないことがあります.それがたまに起こるなら何とか対処できても,そういう状態が長期に及ぶのはとても辛いもの.自分自身の努力で解決が図れる問題ならともかく,相手があることや,とりあえず為す術がない,現状維持に甘んじなければならない場合は特に大変です.例えば,就職先が決まらない,恋愛や結婚の話が進まない,職場や家庭内のトラブル,などは本当に消耗します.

多くの問題は,自分の心の持ち方や考え方,行動を変えることによって,何らかの変化が見られるでしょう.しかし,自分の言動を変えても何をどうやっても状況が変わらない場合には,問題の受け止め方を変えるしかありません.大きく分けて,2つのアプローチがあります: 1)願望を変えるか,諦める(軌道修正); 2)今は結果が出る時期ではない,と受け止めて,一切の抵抗を辞め,できることをしながら時を待つ(「人事を尽くして天命を待つ」,つまり一種の諦念と辛抱)です.

宿命(意志力で変えられない部分)と運命(自分次第の部分)は違う,人間は霊界の操り人形ではない,自由意志こそが大切,とよく言われますが,個人的には,宿命の占める割合のほうが運命よりも大きいのではないか,と感じることが多いです。自由意志発動の範囲も,負うべきカルマによって,ある程度制約を受けています。

ですが,基本的には,前向きな気持ちさえ忘れなければ,そして,日々努力している人であれば,霊的な世界を信じようと信じまいと,必ずなるようになります.

いかなるときも自分自身を信じることが大切です. 

2025年は大きな転換期

2025年7月5日(土)の早朝(夜明け前),フィリピン沖の海底火山が噴火して,周辺国と日本の太平洋沿岸に巨大津波(120mほど)が押し寄せ,国土の1/3から1/4 が津波に呑まれる,という予知情報があります。最初にこれが注目されたのは,下にも関連動画のリンクを貼っていますが,たつ...