「結構です,一種の死です。あなた方が死と呼んでいるのは霊的に見れば霊界への誕生であり,あなた方が誕生と呼んでいるのは,霊的には死と同じです。
何度も申し上げていることですが,仲間が地上界へ行ってしまうのを見て,霊界では大勢の者が涙をながしているのです。反対に,地上を去ってこちらへ来るのをあなた方が悲しんでいる時,私たちは“ようこそ”と言ってよろこんで迎えているのです。すべては全体としての視野の捉え方の問題です。」
トニー・オツセン編 『シルバーバーチの新たなる啓示』 p. 161.
特に愛する人が亡くなったとき,人々が涙を流すのは,その人の姿や存在をもう見られなくなってしまう,という自分自身の寂しさのためではないか,と思います。いわゆる大往生を遂げた人に対しても,人は多かれ少なかれ悲しむものです。非常に単純なことですが,生きとし生けるものは,人間であろうと,アリであろうと,いつか必ず死にます。病死であれ,事故死(や自死)であれ,当事者が「(あの若さで)死んでしまってかわいそう」,「あんな死に方をして気の毒だ」というようなことはありません。どのような方法であの世に戻るかにも意味があり,例えば,病などで苦しんで亡くなることは,(何らかの)カルマの解消になるといわれますし,逆に,即死などで痛みなどを全く感じずに瞬時に身体を失った場合は,死の自覚を持ちにくいため,浄化に時間がかかってしまう,ということもあります。本人はまだ生きていると思って,いつも通りに行動しただけで,「出た!」といって騒がれたりします。死ぬタイミング,死に方など,死にまつわる全てのことにも因果があります。
まだ非常に幼いとか,事故死であった,もしくは,事件に巻き込まれた,自ら命を絶ってしまった場合など,年齢や死に方に対して,人々は頻繁にショックを受けます。そして,その衝撃が様々な気づきや学びをもたらすということが,これもまた非常に頻繁に起こります。多くの人々の,死に対する誤った捉え方でさえも,ムダにはならないようです。
しかし,生命は永遠であり,地上は仮の住み処・学び舎であり,スピリット・ワールドこそが私たちの本来いるべき場所であることを深く理解した方々であれば,こうした反応や悲しみ方からは,少しずつ卒業する必要があるでしょう。