Edgar Cayce repeatedly reminded people they could be successful—in terms of soul growth and personal transformation—if they simply applied whatever it was that they knew to do. Most often, individuals are aware of some of those very things which would enable them to become better people. However, too often there is a gap between knowledge and its application. The readings frequently admonished individuals to “do what you know to do and the next step will be given.” In other words soul growth is not dependent upon what an individual knows; instead, it is predicated upon what an individual does about what she or he knows. (p. 158)
エドガー・ケイシーが繰り返し人々に語ったのは,魂の成長と変容の点で人々が成功するには,すべきであると知っていることを素直に実行すること,ということだった.往々にして,何をすれば自分がよりよい人間になれるか人々にはわかっているものだ.しかし,大抵の場合,知識とその実践の間にはギャップがある.リーディングでは頻繁に,「すべきであるとわかっていることをしなさい,そうすれば次の段階に進めるであろう」という訓戒が与えられた.つまり,魂の成長は,個人が知っていることにではなく,その知っていることをどのように扱うかに基づくのだ.
Kevin Todeschi. Edgar Cayce on the Akashic Records: The Book of Life.
精神世界に親しむ人々が犯しがちなあやまちに,「知識を重んじ,実践を軽んじる」というものがあります。本を読んで真理の教えを知り得たというだけでは,ハードディスクに入力したデータの容量が増えただけで,コンピューター自体の性能が向上したことにはなりません。要は,インプットしたデータをいかに正しく使いこなせるかどうか,です。
知識を正しく理解することに重きを置くあまり,理解が不十分な人に対して批判的であったり,優越感を持つ人々もあります。正しい理解も大切ですが,知識は,実生活で活かさなければ意味がありません。知識の収集・知的理解で満足しないよう,注意したいものです。
また,実践とは,福祉施設を建設したり,社会の弱者支援グループに加わる(そして,そのことを公表する)とか,震災の被災地に赴いてボランティア活動をするといった,一見して誰の目にも明らかで,華やかな活動と必ずしも同義ではありません。スピリチュアル・リーディングを受けることも,実践ではないでしょう。実践とは,日常生活において,自分の言動や感性をコントロールすること,身近な人々に愛他的であろうとすることが中心となるべきであり,これこそが非常に困難な鍛錬ではないかと思います。
そして,最終的には,恵まれない人々への心からの眼差しと,彼らに心寄せる具体的な行動につながっていくべきものです。
実に,「霊的な教えを日常生活の中でそのまま実践すること」はとても難しいものです.例えば,自分も人も裁いてはならない,といわれて納得したつもりでも,無意識のうちに私たちはそうしています.単純な例をあげれば,公共マナーの悪い人を見た時,つい眉をひそめたり,批判的な構えを取ることがあります.また,学歴や肩書き,容姿などで人を判断するのは違う,と理解したつもりでも,実際には,容姿端麗な人に一目置いたり,上辺の資格や仕事上の業績を気にしたり,或いは,それで人を値踏むということを,無意識にしていることがあります。
正しい実践には,正しい理解が必要ですが,理解の深さは人によりさまざまで,自分のいまの理解力を超えたところまでわかることは土台無理な話.自分の理性と知性を総動員してわかる範囲でよいようです。