固定観念にかかわらず広い心を持つことは,心を開くことでもある。広い心の持ち主なら,必ずしも自分が人生について何もかも知っているわけではなく,人の考えも傾聴に値するものだということを認めるだろう。一方,かたくなな心の持ち主は自己中心的で,自分には何でもわかっている,宇宙の神秘さえ知っていると信じ,自分の間違いが証明されても知らん顔を決め込む。このように自分の信念にしがみついているのは気楽なもので,結局人間は,自分とは異なった意見に悩まされずに済むほうを選んでしまうものなのだ。(中略)信念を手放したくないという気持ちを振り払ってもらいたいためなのだ。かたくなな心を持ったために,多くの人が身を滅ぼしている。そして魂の領域においても,この同じかたくなさが成長を阻むのだ。
ジュディ・ラドン『輪廻を超えて』 pp. 146-147.
ひとは,自分の世界観に合わないものを認めたがらないという傾向は,なにも霊的真理に限ったことではなく,どのような場面においても起こり得ることです。
よく「常識がない」といって相手を責めることがありますが,自分の常識と相手の常識が異なるだけかもしれません。
相手のことをよく知りもせず,また,自分のことを客観的に眺めることも難しいならば,相手だけを一方的且つ全面的に悪とみなすことには,誰もが慎重でなければならないでしょう。