3/21/2017

You are tested 人生はカスタマイズされた試験

"In the end, all of you in the physical world are tested. Your world is a test, and your experiences, the events of your lives, are your own custom-designed personal exams. How do you measure up?Do you think mostly of yourself, or do you seize opportunities to help others? These comments should help you evaluate your own performance. We do try to help along those who make right decisions. I don’t mean that they become the richest, but they do find the greatest satisfactions, and they tend to achieve that elusive sense of inner serenity that you all yearn for."
Judy Laddon (1988/2001).  A Further Step beyond the Veil.  The World Press. Kindle edition

結局のところ,物質世界にいる皆さんは全員テストされているのです。あなたがたの世界はテストであり,皆さんの経験,人生の出来事は,各自にカスタマイズされた試験なのです。採点はどのようにされるかですって?皆さんは自分のことをもっぱら考えますか,それとも他の人々を助ける機会を捉えようとするでしょうか。こういうことが,皆さん自身の出来栄えを評価するのに役立ちます。私たちが助けようとするのは正しい選択をする人々です。それも,金持ちになるようにではなく,最大の満足を得るように,そして皆さんのだれもが切望する,捕えがたい内なる静けさを得るように,です。



よく「人生は選択の連続」と言いますが,それは「テストの連続」と言い換えても同じでしょう。この世で人間をやるというのは,日々,大小さまざまのテストを受けているようなものです。テスト合否の大きな基準は,引用中にもあるように,「他者の利益を優先できるか否か」です。自分が辛いとき,誰かが助けを求めに来たとします。さて,あなたならどうするでしょうか?いくつかの選択肢が考えられます。例えば,自分はいまこういう問題を抱えているので,あなたの話を聞く余裕はいまはない,ときっぱり断る対応が一つ。これは,ある意味とても誠実といえます。相手に余計な期待をさせたり,中途半端な対応をして,自他ともにエネルギーを無駄に消耗しないので決して悪い対応ではないと思います。次に,自分のことは黙っておいて,とりあえず話を聞くだけ聞いてあげる,という対応もあります。その話に共感できるようなら,相手を励ましたり慰めるが,自分のカンに障る部分については相手を批判するなど攻撃的な構えを取るというスタンスもまた充分に可能でしょう。相手によって対応を変えるというやり方は,いまの時代においては頻繁に採用されているようです。親しい人・近しい人や自分の仕事や評価など損得に大きな影響力を持つ人であれば,親身に応じる。そうでなければ,受け流すか回避する,という具合に。


ひとは誰もが人生のブループリントを携えてこの世に生まれます。(転生の目的についてはこちらの記事をご覧ください。)この意味で,「人生の出来事は,各自にカスタマイズされた試験」です。しかし,人生計画はあくまでも「ブループリント」であって,全てがきっちり決まっていて,全ての出来事や状況がただ「自動的に」展開または発動し,現実化する,ということでは必ずしもありません。もちろん,動かせない出来事,絶対そのようになる出来事はあります。計画通りに起こらなければならない出来事もある。が,人生を生きる主体はあくまでも私たち人間であり,たとえ予め計画されていることでも,私たちの意志が尊重されることが決して少なくありません。人生には岐路が度々訪れ,その都度,われわれは自由意志を用いて選択していきます。自由意志は,「自由」とはいえ,各人のカルマによってある程度の制約を受けており,その時々で,選択の余地はさまざまに異なります。ある場合には選択の余地はなく,また別の場合には余地が大いにあるかもしれない。いずれにしても,計画された全てのことが(大げさに言えば,何の努力もしなくても)計画どおりにただ起こる,ということであれば,私たちは人生を生きる意味を大幅に減ってしまうことになるでしょう。人間は自分で立てた人生計画の奴隷でも,守護霊の操り人形でもありません。ある程度決まった枠(=ブループリント)内で,ある程度の自由意志を持って,自ら選択し,現実を創造しながら生きていく,ということです。各自によって異なる制約の下で,自ら最大限の努力を払い,より適切な,より正しい選択をしながら課題をクリアしようとするところに,人生を生きる意義があるのではないでしょうか。
* * *

様々な人々を見てきて,また,比較的順調だった若き日々を振り返って,あぁこれは試されているな,試されていたなと思うのは,とりわけ順風満帆の時,全てがうまく進んでいるときです。自分が望むような,あるいは望んだ以上の結果が出て,人生が思い通りに運ぶ時―名声や人気,世間からの承認,昇進とそれに伴う大きな経済的豊かさや,愛情を手に入れた時など―です。

そしてまた,非常に多くの場合,多くの人々が,少なくとも最初の試験には落第するように感じられます。なぜなら,順調な時こそ,謙虚さを心がけ,援助してもらった人々に広く感謝し,周囲の人々のことも積極的に認めていくことが期待されているからです。しかし,実際には,多くの人は容易く慢心します。自分だけの努力と実力による当然の結果だ,と信じ,自信満々に振る舞います。そして,周りの人々から妬まれたり,足をひっぱられたりしては,人に対する思いやりが欠けていたことにさえ気づかぬまま,一方的に被害者意識を募らせるのです。

書籍や講演会で高らかに語る霊能者,広く霊能を活かした活動に従事する人々(霊能で受信した種々雑多な情報をブログで発信する人々など)にも当てはまります。芸能人,政治家,企業家,医療従事者にも見受けられます。ありとあらゆる分野の人々にそうした現象が観察されます。

書籍で,昨今のSNSによる人々のひけらかしを諌める一方で,温泉保養地の別宅をメディアで満足げに公開するのはいかがなものでしょうか。それを以て堂々と「スピリチュアリスト」を名乗る姿勢が,貧困の連鎖に苦しむ若者や老後破産する高齢者の増加がメディアでも大きく取り上げられる昨今,ただの大きな違和感としてしか感じられないのはただのひがみ根性でしょうか?「ニセモノ」のスピリチュアリスト!と罵られても決して文句は言えないだろうと思います。

苦労だけが試練ではないようです。順調なときも,同様に自分が試されるときのようです。物事が思い通りに運んで幸せなときこそ,謙虚で思慮深くあらねばなりません。そして,周囲の人々に対して,なお一層の思いやりと優しさを以て接する姿勢が大切になるのだと思います。


3/14/2017

不調和も調和の一部

この世には

無駄なものなど何もない。

砂の一粒に至るまで

すべてのものに

居場所がある。

不調和な多くのものも

それでよい。

不調和も調和の一部である。



1/30/2017

嫉妬は悪い感情?―嫉妬心への対処法

嫉妬心は人生を生きていく上で避けて通ることが難しい感情のひとつです。とりわけ,日本のような「出る杭は打たれる」といった精神風土の強い島国では,なおさらかもしれません。今回は,嫉妬心への対処法について考えてみます。

 「自分にない要素」を持っている相手にジェラシーを抱いて「悪意」を向ける場合,向けられる側にはまったく思い当たることがないかもしれません。
 けれど,人の表面だけしか見ない人は,騙されやすいものです。

 たとえば「私ってこんなに幸せよ」ということをひけらかす人がいたとしましょう。その人に対してジェラシーを覚える人は,騙されているだけです。
 本当に幸せな人は,その幸せを人にひけらかしたりしませんひけらかすのは,本当は不幸だからなのです。本当の大金持ちが,「私はこんなにお金を持っている」とは言わないのと同じです。
 けれど,表面的なひけらかしに騙されて,「なんて幸せなひとなんだろう」と思い,簡単にジェラシーを抱いてしまう.それが人間の弱さです. (中略) 人の笑顔を見て,「のんきで幸せそうな人」としか思えないのは,そういう背景を想像してみないからです.だから表面に騙されてジェラシーを抱き,嫌悪するのです。
 つまり想像力の欠如こそが,ジェラシーの源だと言えるでしょう。
 そして,ジェラシーを抱く人の心には,自分自身の満たされない思いがありますたとえば,いつも笑顔でいたいけれど,自分にはできない.だからいつも笑顔の人を見ると,非難したくなってしまうのです。
 「悪意」を向ける人の心の中を,そうやって冷静に分析すれば,その人自身のSOSが見えてきます。「本当は○○したいけど,できない.だからかわりに意地悪をするしかない.誰か私を助けて!」。そんな悲鳴が聞こえてきます。


 江原啓之 『悪意/善意』 pp. 119-21.



幸せをひけらかす人は本当は不幸だ,とありますが,これは,SNSなどでしきりに “リア充アピール” をする人が,実際にはリア充じゃない!というのと同じです。

嫉妬するのも嫉妬されるのも,どちらもいやなもので,嫉妬心はネガティブな感情,諌めるべき悪感情,と一般的には思われています。ですが,嫉妬心は本質的に悪い感情ではありません。喜び,怒り,悲しみなどといった人間なら誰もが経験する心の反応のひとつにすぎません。

感情は情報です。私たちに何かを伝えよう,教えよう,気づかせようとして内側から湧き出てくるものです。従って,嫉妬心を抱くことに後ろめたさを感じたり,嫉妬する人を上から裁くよりも,その感情が私たちに何を気づかせようとしているかを知ろうとすることが,より根本的で前向きな対応と言えるでしょう。つまり,感情をどのように受け止め,どのような気づきを得るかです。

確かに,引用にあるように,嫉妬心は想像力の欠如によって引き起こされやすいことはあるでしょう。ひとが誰かを妬むとき,その人のさまざまな事情についてはよく知らないことが多いと思います。自分が好意を感じている親しい間柄の人で,信頼または尊敬している人物に対しては,嫉妬心を抱きにくいかもしれないです。また,私自身が嫉妬されて(さらには,攻撃的な態度を取られて)いやだなと思うのは,そこに愛情の欠如を感じるからです。想像力だけでなく,相手に対する思いやりや愛情が欠けている場合に,嫉妬が起こりやすいとは思います。

しかし,嫉妬心を「嫉妬する側」の「想像力の欠如」だけで説明するのは性急であり,偏っていると言わざるを得ません。人間の想像力には限界があります。個人差もあります。著者は,嫉妬される側よりも嫉妬する側に対して批判的な目を向けていますが(これは著者個人の経験に基づくもので,私心が少なからず混入しているという点でやや客観性に欠けるのではないかと思われる),どちらかといえば,嫉妬される側に原因がある場合も少なくはないだろうと個人的には感じています。

例えば,成功やよい評判が世の人々に知れ渡り,謙虚さや感謝の気持ちが足りなかったり,その結果として,自惚れたり,ひけらかしたり,満足げに振る舞いすぎると,無自覚なまま不特定多数の人々に嫉妬され,重い病に罹ったり,職や財産を失くしたり,挙句の果てには警察のご厄介になるといった,三次元的に甚大な被害・損害に見舞われるケースもあるとか。しかし,それらの多くは,過去生のカルマの解消であったり,当事者に気づきを促す出来事であるため,一概に悪いとは言いきれません。

よく言われることは,嫉妬する人は,自分の欠乏感にのみフォーカスを合わせ,不幸感を強く抱いていたり,自信を失くしているということです。さらに,心理的な視野狭窄状態にあるため,悲観的であり,心に余裕がありません。そのため,ひとが現実以上によく見えたり,妄想を膨らませてありもしない現実に美化して,嫉妬心を深めてしまったり,自分が本心では望んでいない状況でさえも羨ましくなってしまいます。元来の性質として,視野が狭い,心の器が小さいタイプの人は嫉妬心を抱きやすいかもしれません。自分は人に嫉妬しやすいなという自覚がある場合は,周囲の動向を伺うことは極力避け,自分の内側に目を向けることが必要です。自分の良さをいま一度思い返し,自分で自分を認める作業をすることです。そして,自分と対話を重ね,自分の本当の声に耳を澄ましてみます。かすかにでも聞こえる声が,思いが,言葉が,目に浮かぶ光景があるかもしれません。それが自分へのメッセージでしょう。

さらに,嫉妬心は,欲しいもの(や状況や性質)を得られる可能性のシグナルとも言われます。自分にも(時機が来れば,或いは,努力すれば)手が届くもの,なれるものだからこそ,余計に意識が向いてしまう,というわけです。例えば,スポーツが苦手な人は,オリンピック選手に憧れることはあっても,嫉妬することはありません。自分の分野外のこと,明らかにできない・しないとわかっている事柄には人はあまり感情的に反応しないものです。この場合の嫉妬感情は,誰もが生まれる前に立てた「人生計画」というブループリントの記憶が為せるわざとも言えますし,自分の深い意識やスピリット・ガイドからの語りかけと言ってもよいです。この類いの嫉妬心は,ただのネガティブな,抑制すべき感情ではなく,むしろ励ましであったり,前進を促す強力なインセンティブと言えます。気づいたことがあれば,目標の実現に向けて具体的な行動を起こすなり,自分の未来を信じて前向きな気持ちに切り替えればよいだけなのです。

* * *

嫉妬して心が苦しくなったときは,嫉妬心はただの感情である,と受け止めて,自分をいたずらに責めたり,落ち込むのはやめましょう。感情を黙って受けとめ,まずは自分に優しくすること。嫉妬心を行動の動機にしないことです。自分や相手を攻撃する以外の方法で自分の心をラクにできる方法,前向きな気持ちになれる道を探してみます。

嫉妬されて辛いとき,もしあなたの心にゆとりが少しでもあるなら,自分の言動を振り返ったり,相手の気持ちや状況を想像してみてください。直接働きかけるのが難しければ,心の中で願う,祈る,もしくは語りかけるのでも構いません。そうすることで,嫉妬の想いをいくらかでも軽減できるかもしれません。


* * *


かなり以前に掲載していたこの記事のコメント部分を大幅に改訂するきっかけとなったのは,ほかでもない私自身がある人に対して感じた嫉妬心でした。誰のせいにしてよいかわからず,終いにはガイドに八つ当たりするほどに,私は落ち込んでしまいました。

その晩,久しぶりに鮮烈な夢を見て,メッセージを受け取ったことで少し落ち着きを取り戻したものの,まだ心にひっかかりがあるようで,すっきりしません。「嫉妬」というキーワードが意識下に残り,他のスピ系ブログを2,3拾い読みしたあとで,気が付いたらこの記事を改訂していました。何度も推敲を重ねるうちに,徐々に形をなし,最終的な文章に整ったところで,気づきました。嫉妬とは何かをあらためて考えなおすために,そして,この記事を書く意味もあって,辛い気持ちを経験したのだ,と。

今回のように,ブログ記事は「書かされる」ことがとても多いです。誰に書かされるかというと,書き手のスピリット・ガイドです。つまり,我々ミディアムとは,俗な言葉でいえば,パシリであり,都合のいい手下であり,もう少しお上品に言うなら,従順なお手伝いさん,といったところです。

また,人に伝えたいことには,自分へのメッセージが含まれている,ということをあらためて
確認しました。

精神的にアップダウンの激しい週末でしたが,いろいろ気づかされることの多い時間でもありました。


9/30/2016

グラストンベリー訪問(1)

昨年12月にふと思いついて,8年ぶりに渡英を決断。慣れ親しんだBirminghamに滞在して,そこからパワースポット・聖地として有名なグラストンベリー(Glastonbury)を訪れることにしました。

要した時間は,着想から航空券予約まで3か月,実行まで9か月。経済状況がなかなか改善しない中でも,航空券と宿泊先を予約でき,予算に余裕のある状態で無事行って戻って来られたことは驚きでした。まさかのEU離脱によるポンド大幅下落も助けとなりました。全ては導きと実感。

グラストンベリーのことを知ったのは,あるスピリチュアル系ブログの記事経由で。精神世界に傾倒してきたわりに,パワースポットには殆ど無関心で,最初に記事で知ったときも,さほど気にも留めませんでしたが,ウェブサイト上で何度が地名を目にしたことから,数ヶ月後に渡英を決めました。

* * *

グラストンベリーは,英国南西部のサマセット州(Somerset)にある小さな街。酪農が盛んらしく,バスの車窓からは牧草を食む牛たちがたくさん見られる,辺鄙な場所にあります。バーミンガムという中西部の都市から出かけましたが,ロンドンからも鉄道とバスでアクセスでき,所要時間はやや短めとなります。

グラストンベリーへの行き方は以下の通りです:

1) どの都市から出発しても,Bristol Temple Meads (ブリストル・テンプル・ミーズ)という駅を目指します。電車でも長距離バス(Coach) でも行くことができます。ブリストル (Bristol) という都市にまずは向かいます。

2) テンプル・ミーズで,路線バスに乗り換えて1時間半くらいで到着です。First Busの376番バス(二階建てバス)に乗ります。日帰りの場合は,Day Ticket(West of England = 7.5ポンド) がお得。バスに乗る際に運転手さんに申し出てください。(前もって小銭を用意しておくとよい。)バス停は,駅から大きな道路に出るまで直進して左折してすぐの所にあります。

ちなみに,First Busは停車駅が逐一アナウンスされ,車内には電光掲示板もあるので,運転手さんに「○○に着いたら教えてください」などと,慣れない英語でお願いする必要はありません。イギリスにもこんな便利なバスがあったことに驚きます。(バス車内の電光掲示板は,2020年に行ったときはありませんでした。)



一階最後列から撮影

3) 376番のバスに乗って,The Queen's Head というバス停で降ります。Glastonbury に入ってから15分くらいで到着します。降りる人が多いので,焦らなくても降りられます。ハイ・ストリート(メインストリート,商店街)の入り口でバスは停まります。帰りのバス停は,通りの反対側やや右よりにあります。帰りはテンプル・ミーズ行きのバスに乗ります。

* * * 

朝5時半起きで,帰りは夜9時という,移動時間の方が圧倒的に長い日帰り旅に。復路は,電車を3本乗り継ぐことになり,しかもそれらほぼすべての電車が10分遅れで運行。本降りの雨の中,寒さと疲労の状態で帰路につきました。夏は日が長く,8時近くなってもまだ明るい英国ですが,最寄駅に着いたころにはすっかり暗かったです。時間と予算に余裕がある場合には,グラストンベリーで一泊するのが良いかもしれません。

今回訪れたのは,グラストンベリー・トー(Glastonbury Tor) ,チャリス・ウェル(Chalice Well)グラストンベリー修道院(または大聖堂)跡(Glastonbury Abbey)の3か所でした。

(2016年9月14日公開)
(2025年7月24日部分改訂)


5/15/2016

聖なる者

あなたがたは神に選ばれ,

聖なるものとされ,

愛されているのですから,

憐みの心,慈愛,謙遜,柔和,寛容を

身につけなさい。



『聖書』 「コロサイの信徒への手紙」 3・12 




誰もが目指すべき性質です。が,とりわけ,(広く)霊能を活かした仕事に従事する人々こそ耳を傾け,実践すべき言葉でしょう。

但し,霊能があるというだけで,自らを「聖母」や「聖人」と名乗るのは,たとえそれがブログのスクリーンネームのようなものであっても,あまりにおこがましいのではないでしょうか。


本当に謙虚な人は,自分は謙虚だとは言わないし,本物の賢人はみずからを賢人と名乗ることもありません。「大智愚如」―本当に智慧のある人は,謙虚さからそれを表に出さないので,傍からは愚かに見えることがある―という言葉があります。

自らを「聖母」などと名乗るのは,とても恥ずかしいことだと思います。

9/21/2015

かたくなな心

固定観念にかかわらず広い心を持つことは,心を開くことでもある。広い心の持ち主なら,必ずしも自分が人生について何もかも知っているわけではなく,人の考えも傾聴に値するものだということを認めるだろう。一方,かたくなな心の持ち主は自己中心的で,自分には何でもわかっている,宇宙の神秘さえ知っていると信じ,自分の間違いが証明されても知らん顔を決め込む。このように自分の信念にしがみついているのは気楽なもので,結局人間は,自分とは異なった意見に悩まされずに済むほうを選んでしまうものなのだ。(中略)信念を手放したくないという気持ちを振り払ってもらいたいためなのだ。かたくなな心を持ったために,多くの人が身を滅ぼしている。そして魂の領域においても,この同じかたくなさが成長を阻むのだ。
ジュディ・ラドン『輪廻を超えて』 pp. 146-147.




ひとは,自分の世界観に合わないものを認めたがらないという傾向は,なにも霊的真理に限ったことではなく,どのような場面においても起こり得ることです。

よく「常識がない」といって相手を責めることがありますが,自分の常識と相手の常識が異なるだけかもしれません。

相手のことをよく知りもせず,また,自分のことを客観的に眺めることも難しいならば,相手だけを一方的且つ全面的に悪とみなすことには,誰もが慎重でなければならないでしょう。

9/11/2015

Seeing yourself as a process すべてはプロセス

Most of you could find the elusive meaning of life if you saw yourselves as an ever-changing process, the learning and development of the soul. As such, each day can be a lovely thing, a cause for joy, grace and gratitude. By seeing yourself as a process, you can appreciate each moment. It is when you evaluate your life as a ledger of accomplishment or failure, it is then that you cannot find peace or happiness, for you never reach your goal of success. If you have one success, you then yearn for the next one.
Judy Laddon (1988/2002) Another Look at the Life Beyond. Kindle edition.

皆さんは自分自身を,絶えず変わり続けるプロセス,即ち,魂の学びと発達としてみるなら,人生の捉えがたい意味を見い出すことができるだろう。プロセスの人生として,毎日が楽しみであり,喜びであり,感謝となり得る。自らをプロセスとみることで,一瞬一瞬をありがたいと思える。平安や幸福を見い出すことができないのは,人生を達成か失敗かで評価するときである。なぜなら,成功というゴールに到達することは決してないのだから。もし1つ成功をおさめたら,あなたは次の成功を切望するだろう。(拙訳)

いわゆる世間的な意味での「成功」―地位,名誉,業績達成,経済的豊かさ―を追い求めることは,人から精神的なゆとりを奪い,それによって人生の本質的価値から目をそらせてしまう傾向があるかもしれません。それは,ひとと優劣を競うことであり,他者を蹴落としてでも自分がのし上がることにつながっていきます。
先を見据えてプランを立てたり,ビジョンを持って生きることは確かに大切です。今この瞬間を大切に生きることが重要だ,と言うことは,無計画な生き方を奨励することと同義ではありません。
夢と目的をもって生きるとき,通過点で達成や成功を経験することもあるでしょうが,その達成や成功でさえ,さらなる前進,成長への通過点になります。
「ゴールは通過点にすぎない」というのは,人生自体がひとつのプロセス,という意味でもあります。


読みたい本(7)

  千賀一生。『ガイアの法則』ヒカルランド。 いまの時代に読むべき必読書です。 正・続2冊ありますが、1冊目の裏表紙に印刷されている言葉を以下に紹介します: 宇宙に,聖なる16ビートが存在することを告げるガイアの法則— 新型コロナとの驚くべき精緻なる関係性も明らかに! 地球の歳差...