例えば,職業。私に聞こえる距離で,「肩書きよね。」と“自称”スピリチュアリストのある年配女性は言った。相手の職業を知って傷つきたくなければ,申込書に職業欄をもうけなければいいではないか。ここまで露骨でなくても,聞こえないフリをする,静かに無視する,拒否的雰囲気をかもし出す,という反応を示す人はざら。コンプレックスが刺激されるのだろう。不機嫌になるのは,医師などの,いわゆるエリート男性に多かった。無視しないケースでは,わが子や孫の学歴や自分の輝かしい過去をご披露なさる方々もいた。いずれにしても,こちらとしては認められたという気にはならない。一方,同業者間では互いに(何となく)ライバル意識を持ちやすいため,異業種の人々とは違った意味で,精神衛生を脅かす。「私の方が上よ」,「あなたのことは認めたくない」とか「ことばに出して認めると負けですから」という(ある英語学校の元女性講師の)心の声を,霊媒S氏経由で知らされたこともある。何でも「勝ち負け」で捉える人がこの学校には多かった。
おまけに,10年程前から大学教員は学生から評価される時代となった。教員の査定というよりは,授業改善を意図したもので,アメリカから導入されたシステムだ。少子化の影響で,特に私学は学生数の確保に必死という背景もあろう。授業の進め方は適切か,声は聞こえるか,課題は課されたか,授業の満足度はどうか,など質問は多項目に及ぶ。5段階評価で答えるこれらの質問とは別に,学生が自由に感想を書ける用紙も配布される。質問内容は学校により少しずつ異なる。ある女子大では「教員は学生から評価されることに疲れている」ということで,自分の授業への取り組みを評価させる方向へと変わった。無記名のアンケート結果は統計処理がなされ,成績評価提出後に各教員宅へ受け取り確認が必要な方法で送られる。いまや権威は通用しない時代であり,教員はさらにストレスにさらされやすい環境になった。
最近では,言葉からは敬いが読み取れるものの,どうしても素直に喜べないケースがちらほらある。例えば,一見相手を認めているようでいて,本音では「私はスピリチュアリズムに出遭った優秀な人間なんです」とか「わたしが一番苦労を知っているわ!」と絶叫している。相手がどうこうというより,「自分をわかってほしい」という我が身かわいさが優っているご様子。客観的に文面を読めば一目瞭然でも,本人は気づいておられない。かといって,直接指摘するわけにもいかない。物事を自分に都合よく自己流で解釈する,自己完結的でひとりよがりな傾向を持つ方に多いような気がする。自分のことがわかりにくいのは誰でもそうだが,特にこういうタイプの方は真の自己像には気づきにくい。
また,「あなたは本物だ」などと言う方がいた。「えっ?!」 霊能者ではない,普通の方である。しかも,その根拠が極めて物質的で説得力を欠いているではないか。私を本物だと言うあなたは何物でしょうか?と問いたかった。なぜなら,本来“評価”のベクトルは下向きだから。誰かを評価できるためには,評価する側が遥かに多くの知識,経験,見識等を備えている必要がある。つまり,評価する側が評価される側より上であることが前提なのだ。だから,職場のように互いに承認された(相対的な)上下関係が見えやすい状況でなければ,あからさまに相手を評価するような物の言い方には慎重でなければ,失礼にあたる可能性がある。
器の大きさ,適性は一人一人異なる。ある人は,8リットルのバケツの水面に映った星をみて「まぁ,きらきら輝いて,なんて綺麗なのかしら!」と感嘆する。「これだったら,毎晩でも眺めたいわ」と。しかし,そのバケツに水を汲んだ別の人は「バケツに映った星空なんて小さすぎて,星の本当の美しさはわからない。やはり,夜空を仰いでこの目で確かめなければ」と不満を漏らす。そこで,バケツの星に感動した人が,夜空の星を自分の目でしっかり見たいと思っている人に,「バケツの水に映った星は綺麗なんだし,私は感動したんだからそれでいいじゃないの」と(何気に咎めるような口調で)言ったところで,なぐさめにも何にもならない。バケツに水を汲んでもらったことへの感謝は伝わるかもしれないが。
逆に,笑顔にしていても面白くなかっただろう。幸せそうに見えるのが気に入らない,といって妬まれたに違いない。実際,そういう年上の女性がいた。いじめとはいえないだろうが,それらしい態度を取られた。彼女は有名商社勤務の夫と一男一女を持つ家庭の主婦だった。夫の海外勤務で数年間英語圏で暮らしたことがあり,英文科卒業後,中学校の英語教師だった経験を生かして,非常勤で英語を教えに来ていた。当時は,都下にマイホームを建設中だった。S氏に鑑定を依頼すると「私には悩みがたくさんあるのに,あなたは独身貴族で何も悩みがなさそうに見えるのが面白くない」と出た。確かに控え室では,「(有名一流私大に通う)息子が話を聞いてくれない,家族なんかいらない。ひとりになりたい!」とたびたび愚痴をこぼしていた。一人で生きられるほどの強靭な精神力の持ち主とは到底思えなかったが,悩みを口にしていたことは事実だった。「たましいが汚れている」とS氏は言った。その心の曇りは,相談する度に悪化していた。明るく社交的で控え室では多弁だったが,「周りの人は彼女の話に真剣に耳は傾けていない」というのが本当のところらしかった。物質的価値観がとても強く,自分の年齢や容貌,学歴,子供の大学や夫の出身大学のランクを人と比べては,負けたと思えば落ち込んで攻撃的になるか陰口を叩き,勝ったと思えば安心し,得意げになるという感情の起伏の激しいところがあった。物質面は豊かでも心の侘しい,寂しい方だった。
みじめさと不安と孤独感を抱えながら日々を過ごしていた私にとって,彼女らの無遠慮な好奇心や時折り出る家族の話は,拷問以外の何物でもなかった。帰宅後,腹痛でトイレへ駆け込むこともあった。しかし,この学校をやめるわけにはいかなかった。大学のコマ数を増やすことはそう容易ではなかったからだ。考えた末,自己防衛のために控え室に滞在する時間を最低限にした。私の仕事は授業をすること。講師控え室でおばさま方のご機嫌伺いをすることではない。次第に担当する授業数は減ったが,週1ペースで通う日々がしばらく続いた。敷地に入ってコンクリートの灰色の建物を見上げる度,「こんな建物,私が辞めてから崩壊すればいい」と心の中で罵った。やがて英語学校からは授業の依頼が途絶え,大学のコマ数が増えた。その後,同校は長年の経営難から解散することとなり(実質的には倒産に近い),母体である某私大に吸収された。「崩壊すればいい」と恨めしく眺めていたその建物は,耐震基準を満たしていないという理由で解散後間もなく取り壊されたことを後で知った。その頃を思い出すと,「いずれはここを去るし,この建物も無くなるから,それまでは頑張って!」と,ガイドたちが一生懸命励まして(或いは,なだめて)くれていたような気がする。スピリット・ガイドは,私たちの考えや想いをすべて把握している。
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最初の方で触れた英語学校では8年ほど教えただろうか,4,5年目頃から出講が苦痛になった。同霊媒からは「ここに通うストレス,ピークだね」と言われたが,まさにその通りだった。ストレス(と不規則な生活)から食物アレルギーの症状に数年間悩まされた。圧倒的に女性が,それも比較的優秀な人々が多い職場だった。「自分が一番優秀!」と思っている人々の集まりだった。もちろん,普段はそういう雰囲気を表立って出すようなことは控えていても,会話をすると言葉の端々に見え隠れした。それが耐えがたかった。「そこで認められようと思うことが間違い」と霊媒S氏には言われた。また,私のプライベートにかなり露骨に関心を示す女性(当時50代?)もいた。普段から無愛想な私の様子がどうも気に食わなかったらしい。ツンとすましているように見えたのだろう。(「あなたのファンよ」などと言われていたが,S氏の鑑定によれば本音は逆で,私の人間性に反感を感じておられたらしい。)笑顔をつくる余裕などなかった。母が他界し,留学先から戻ってからは,何もかもが自分の思うように進まず悩む日々であった。博士論文もはかどらず,専任校も見つからず,前進も後退も許されないどん底の状態で,順調に人生を歩んでいる(ようにみえる)仲間や先輩・後輩の動向を知っては落ち込み,少ない給料から占いの鑑定料と家賃と生活費を捻出する計算ばかりしていた。
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自分の心を満たすものは,自分の中にしか見つからない。誰かに,何かに満たしてもらおうと求め続ける限り,満たされることはない。そのためには,「ほんとうのこと」を積極的に学び,自分と静かに対話を続けること。まずは,自分と向き合うことから始めたい。
2017年11月20日