2/28/2026

過去生体験 2

私の棄教に最も驚き,衝撃を受けたのは,親しかったバテレンでした。自分の信仰を他の人のために棄てるということ,「連帯責任」という概念が,個人主義の文化から来た彼には理解できないようでした。私に裏切られたようにも感じたようです。バテレンはそのまま役人に連れて行かれました。  

信仰を失った私は,その後,まるで抜け殻のような状態でしばらく暮らしていました.そして,ある日,風の便りでバテレンが処刑されたことを知ります。信仰を棄てるなら,命も捨てる−それこそが真の信仰。つまり,信仰は全生命をかけて貫き,守るべきもの,という考えが,知らせを聞いた私に迫ってきました。「あぁ,棄教したにもかかわらず,まだこうして生き続けているとは!深いと信じていた自分の信仰はその程度のものだったのか。」大きな後悔に包まれた私は,まもなく自分で命を絶つことに決めました。私の死を最初に発見したのは父でした。彼は,すぐには事情が呑み込めず,戸惑い,ショックを受け,激しく動揺しました。私は,(死後に)彼の様子を知って自殺を後悔しましたが,他に選択肢がなかったことも認めずにはいられませんでした。

以上が,リーディングと過去世退行によって知らされた過去生です.しかし,話はこれだけでは終わりません.  

霊媒からこの話を聞いてしばらくの間,この別のパーソナリティを持つ「私」−大元は同じですが−に大変感動し,周りの人を守るために信仰を棄てられるとはなんと勇ましい女性か,と感じ入っていました.それでこそ本物のクリスチャンだ,と。しかし,当の本人の気持ちは違っていたようです。

ある晩のこと。いつものように部屋の灯りを全て消してベッドに入りました。寝入りばなの,意識がまだわずかにあるとき,突然,安土桃山風に装ったひとりの若い女性が見えてきました。髪は結上げず長く垂らし,黄色や金色の糸で織った華やかなうち掛けを羽織った立ち姿で,どこか恨めしそうな表情でこちらを見ています。(この内掛けの色は,当時の私のオーラの色だったのではないか思われます。)数秒だったか,数分だったのか,時間の感覚は全くありません。が,いきなり見えるはずのないものが見えて非常に怖かったため,必死の思いで目を開けました。私が見た恨めしそうな表情は,「あなたには私の気持ちがまるでわかっていない」とでも訴えかけているようでした。

その後しばらくして,霊媒S氏に再び過去生リーディングを受ける機会があり,「教会にでも行ったら?気持ちがすっきりするかも」というアドバイスを貰いました。あまり深く考えもせず,それは良さそうだ!と思い,アドバイスを実行に移すべく,教会探しを開始。私はクリスチャンだったことはありませんが,学生時代に学内礼拝や教会の日曜礼拝に何度も出た経験があったため,抵抗は全くありませんでした。ネット検索すると,片道1時間以内で行かれそうな教会が3つ見つかりました。一番関心があったのは聖公会でしたが,地図の印刷が不鮮明で行き方がよくわかりません。2つめの教会も地図の印刷が鮮明に出ませんでした。最後に,阿佐ヶ谷の教会を試したところ,大変鮮明な地図が印刷されたため,ここだと直感しました。礼拝には合計3回ほど通いましたが,その3回の礼拝中に少し変わったことがありました。
(その3へ続く)

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過去生体験 3

その教会では,牧師さんの説教の後などに,合計3度お祈りをする機会がありました。が,不思議なことに,目を閉じて祈るたびに涙が溢れてきます。そして,きまって「キリスト教を棄てた私を,こうして皆さんで暖かく迎えてくださって,こんなに嬉しいことはない」という想いがこみ上げてくるのです。今...