1/06/2010

曖昧と無知

 つまり,「あいまいを良しとする文化」が日本にはあるのです.
 物事がはっきりとして,明確になることを好まない傾向があると言ってもいいでしょう.やわやわとして,とらえどころがないものを「心地よいもの」「良きもの」と感じるのが伝統的な日本の感性なのです.
 それは確かにひとつの美学ではあるでしょう.けれど別の見方をすると,すべてが可もなく不可もない,責任の所在が明確でなくてもそれで良しとしてしまう感性にもつながっているのではないでしょうか.
 また,日本人は人に対して,「NO」とはっきり言うのが苦手です.外交においても,よくその点が指摘されるように,これは人とコミュニケーションをとるときには,マイナスに作用することが多いものです.(中略)
 さて,この「明確さを好まない」という特徴が,「悪意」とどう関わってくるのでしょうか.
 先ほど,悪意の源に「無知」があると書きました.無知を知に変えるために必要なもの,それは明晰な「分析力」であり,自分の心を「内観する力」なのです.
 悪意が生まれ,それが蔓延し,自分や周囲の人が不幸になっているとき,大切なのは,その状況を分析して原因を明確にしたり,自分の心の中を深く内観して,そこにあるものを見つめる,という作業です.
 それをして始めて無知は知に変わり,悪意を乗り越えていくことができます.
 人が人に悪意を向ける場合,必ず「理由」があります.それを隠している限り,悪意は増長します.
 理由を白日のもとにさらして,分析し,内観して,初めてそれと向き合うことができるのです.悪意を「おぼろに」かすませてしまってはいけません.
 たとえば,「なんとなくあの人が嫌い」というところから,いじめが始まる場合があります.けれど「なんとなく」はありません.必ず理由があるのです.後述しますが,それは「あの人」の中にあるのではなく,自分の中にあります
 状況を分析し,自分を内観して,理由をはっきりさせること.それがいじめという悪意に打ち克つ第一歩なのです.


江原啓之 『悪意/善意』 pp. 50-2.



曖昧がすべて悪いとは思いませんが,問題の先送りや責任回避を生み出し,問題解決を阻む大きな要因であることは否めないでしょう.

分析的な思考をする人ほど精神世界や過去生の存在を信じやすいはず,と書いている人がいましたが,その通りだと思います.物事を突き詰めて考えると,目に見える,または考えが及ぶ範囲の因果関係だけで説明のつかない問題は山ほどあるからです.  


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