究極のことをいえば,子どもを産むばかりが人生ではありません.私はよく「子育てはボランティアである」とか「子どもは親を選んで生まれてくる」という話をするのですが,不妊で悩んでいる方のなかには,これらの言葉を字面だけで受け止め,「私はボランティアさえもできない,子どもに選ばれる資格もないんだ」と落胆する人がいます.しかし,それは違います.スピリチュアルに見れば,子どもを持とうとする気持ちになったときから,すでに立派なボランティアが始まっているのです.結果がどうであれ,子どもがほしいと望み,想いを込めたこと,それだけで尊いのです.そのことを忘れないでいただけたらと思います.子どもをもてなかったらダメなんだという“成果主義”に陥るのではなく,もっと広い視野を持ちましょう.
江原啓之『スピリチュアリズムを語る』 pp. 61-2.
2年ほど前,スピリチュアルな活動に従事している或る年配女性が,若い女性に「子どもはできたの?」と質問している場面を見かけたことを思い出しました.その女性は不妊で悩んでいたようで,年配の女性はそれを知った上で尋ねていたようです.そばで聞いていて,帰宅後に,無神経な発言だと内心強い違和感を覚えました.このように,スピリチュアリズムを高らかに唱える人々の中にも,理解が浅く,その結果,行動がまるで伴っていない人が見受けられるのが現実です.スピリチュアリズムを学んだ後でさえ,レベルやラベルで人間の価値を判断したり,格づけする傾向に気づけない人は決して少なくありません.気づきがないところに向上はありません.
子どもに限らず,結婚,職種,学歴,出自などありとあらゆるところに差別は潜んでいます.差別は偏見(真理と相容れない,人のこころの傾き)から来ています.そして,偏見は無知から出ています.
スピリチュアルな教え,即ち,「真理」を知るほど,自分がどういう偏見,傾きを持っているかわかってきます.わかったら,そこで満足せず,傾きに基づく想いと言動とを減らす努力を日常的に続けることが肝心です.
真理の教えに沿った生き方を日常生活で積み上げていきましょう.心で想わないというのがおそらく最も難しく,言葉に出して言わないのが比較的取り組みやすいのではないでしょうか.自分にできるところから一つずつ始めていって,できないことがあっても,自分を責めず,くさらず,諦めず,ひたすらこつこつ続けていきましょう.継続は力なり,です.
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