3/18/2010

いのちをいたわる

 あるとき,花束として私のところにきてくれたお花たちがありました.とても綺麗で,私は嬉しくなり,「よく来てくださいましたね」と,妖精さんたちを歓迎するようにふれていました.
 そのとき,花のいのちが「痛い!」と訴えてきたのです.私のいのちに,痛みがかすかに響いたのです.「え,どうしたの?」と見てあげますと,花束のデザインの都合で,葉っぱにホチキスの針が直接とめてありました.
 私はこれに,とても複雑な気持ちになりました.花たちはこれをよく痛がります.
 もちろん葉っぱを切っても,お花をつんでも,植物たちは大丈夫なんですって.
 けれども,そこにある花のいのちを物として見ていて,いのちに思いやりも敬意ももたない,そういう私たちの心を,花たちは「痛い」と感じてしまうそうです.誤解がないように申し上げたいのですが,私はけっしてお花屋さんを責めているわけではなく,ダメですと,そのあり方を批判しているのでもないんです.
 ただ,私たちの社会は,大切なものを薄めてしまったんですね.見た目の綺麗さが優先されて,中身であるいのちの光が見えなくなっている.それは私たち一人ひとりの生き方を反映しているのかもしれません.いつのまにか,いのちにさわっていることを忘れ,ほかのいのちへの敬意を忘れてしまっているんですね.
 それを知ってから,私はお花にふれるとき,たとえばハサミを入れるときには,「これから切りますよ」「葉っぱを少しきりますね」というように,心の中で話しかけて,花たちへの思いやりを忘れないようにしています.そうすると,花たちはとっても嬉しくなって,ホッとするんですって.ここに安らぎが出てくるのです.(中略)
 ...ほかのいのちに対して優しい敬意を忘れてしまうことがあるのは,自分のいのちへの敬意も,忘れてしまっているときなのです.光不足になってしまう原因が,ここにもありそうですね.


 人は自分を見るのと同じエネルギーで,ほかを見るものだからです.



 私たちを包む愛のエネルギーの法則は「鏡」そのものです.与えたものを,受け取るのです.つまりほかのいのちへの労り(いたわり)が薄れているときは,自分への労りも薄れているんです.自分の心の痛みにさえ,鈍くなってしまいます.
 あなたが花に注いだ優しい労りが,花のいのちをうるおし,いのちの世界を幸福にします.そしてその幸福なエネルギーは宇宙を巡り,いろんないのちをうるおして,今度は誰かのあたたかい心からあなたの心へと,優しい労りが届いてくるようになっています.


姫乃宮亜美 『愛とやすらぎのスピリチュアルメッセージ 優しい光の招待状』
pp. 121-3.

(*引用文中の太字は著者のものです.)



花は人間を喜ばせるために生きている,と言われます.ですから,感謝の気持ちで花を切って活ける分には殺生にはあたりません.それだけ,花は健気ないのちといえます.そのけなげさや美しさに対する感謝の心を忘れないことが大切,ということでしょう.つい忘れてしまう時は,私たち自身が心に余裕を失くしているときなので,充分に心身の休養をとり,自分を大切にする心を取り戻すことが必要かもしれません.



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