9/16/2010

認知症

 私は「肉体はクルマ,たましいは運転手」と言っていて,「認知症」を必要以上に悲しむことはないと思っています.たましいは何も変わっていません.たとえ暴言を吐くとしても,ガタがきたのは肉体だけ.右へ作動すべきものが左へ行ってしまうようなパーツのトラブルにすぎないのです.
 たとえば古い自動車は,お金をかけてしょっちゅう修理しても,突然エンジンがかかわなくなったり,ヘッドライトがつかなかったりと,トラブルが続出します.いわばそれが認知症というもので,それ自体は必要以上に悲しむことではないのです.
 たとえば,暴言を吐いたりするのは,よほど心に溜めていたものがある人です.徘徊する人は,人生の中でよっぽど逃げたいことがあった人.本当はイヤだった,けれども子どもがいるから辛抱してきた,そういうことが表に現れる.異物を食べる人は,食べることに苦労してきた人です.
 そういうウミが最後に出せるんだから,「これも幸い」というとらえ方をすればいいのです.変に持ち越して執着するよりも,今のうちに全部吐き出してしまうほうが楽です.家族はショックを受けるより,「そうか」と気づいてあげればいいのです.「お母さんにもこういうことがあったんだ」「お父さんはこうだったんだ」「あんなに品のいいおばあちゃまだったのに,腹にすえかねることがあったんだね」と.


江原啓之 『スピリチュアリズムを語る』 pp. 124-5.



認知症は「脳の病気」であって,それ以上でもそれ以下でもない,という見方は間違いではありませんが,やや不十分な捉え方と言わねばならないようです.最近の研究で,病いによって失われてしまう機能がある一方で,失われずに保たれている機能もあることが明らかになっています.保たれている部分というのは「感情」ですが,これはまさしく魂と直結する部分であり,引用文の内容と符合するものとなっています.

認知症を患う人の感情を認め,受け入れ,受けとめることで,興奮状態など,これまで介護者を悩ませていた症状の一部が劇的に改善したケースが数多く報告されているとのことです.どのような症状が出ようとも,患者さんをひとりの人間,ひいては「たましい」として,尊重し,思いやる態度が求められ,試されている,ということかもしれません.

病気から教わるのは,患者だけではないようです.

認知症は,その特有の症状(普通の会話が成立しなくなったり,理解不能な言動をとるなど)によって,本人よりも(特に介護する)家族ー主に配偶者や子供ーの精神的な負担や苦しみが,他の病気に比べると,強く感じられやすいかもしれません.

どんな出来事にも必ず原因があります.「本当の」原因は何かを知ると,より前向きに対応できるようになるかもしれません.

「真実」を知ることによって,「不必要に」嘆き悲しんだり,振り回されることが減って,「正しく」悩み,苦しんで,学びを得ることができます.

Conflict from inner sources 内面の葛藤

As man advanced on the evolutionary scale, however, his conflicts rose more and more from inner sources.

しかしながら,人間は進化するにつれて,葛藤はますます内面から生じるようになったのです.

Gina Cerminara.  Many Mansions, p. 239.


人が経験する苦労は様々ですが,病気,お金,人間関係,心労にざっと分けることができるでしょう.大抵の場合,この中のどれかひとつだけということは少なく,病気とお金,人間関係とお金と精神的な苦労,などというふうに組み合わさることが多いはずです.苦労の中では,肉体的苦痛,精神的苦痛,金銭的打撃を伴う病気こそが一番大変で,精神的な苦労は所詮,心の持ちよう一つでなんとでもなる,として軽視する人がいますが,それは正しくありません.引用はそのことを裏付けていると思います.
歴史を振り返ると,病床にあっても偉業を成し遂げた偉人は少なくありません.病床で看護制度の礎を築いたナイチンゲールなどはその代表的な例でしょう.また,お金の苦労は,大なり小なり誰にでもつきものです.お金持ちは苦労がなくて,貧しい人こそ大変だ,というのは余りにも単純すぎる捉え方です.お金があるが故に,人間関係で気苦労が絶えなかったり,借金の保証人になって無一文となり,しまいには一家離散に追い込まれた,といった話はよく耳にします.自殺するのも,肉体的な苦痛というより,いじめられていたのに誰も助けてもらえなかった,もしくは助けを求められず一人で苦しんでいた,とか,リストラされ,家族ともうまく行かなくなって,絶望した等といった精神的な理由が引き金になる人々が多いことを考えれば,孤独感の深刻さが伺えます.


故ダイアナ妃は,マザー・テレサ(およびヨハネ・パウロII世)と縁の深いたましいであるという見方があり,霊性の高い方だったようです.実際,36年の生涯において,彼女は王室へ入る前も,入ってからも,多くの苦難に直面しました.幼少期には両親が離婚し,親には愛されなかったと感じていました.婚約公表前からメディアに容赦なく追い回され(当時住んでいたフラットの向かいに部屋を借りたジャーナリストが,望遠鏡で彼女のプライバシーを覗いていたこともある),結婚式の直前にチャールズ皇太子とカミラさんの関係を知ったものの,結婚を取りやめるには遅すぎる.結婚前は好意的だった王室の人々の態度も結婚後には一変し,彼らの期待通りに振る舞えて当然,そうできなければ批判される.メディアで取り上げられることといえば,髪型やらファッションの話題が中心.目だった行動をとればありもしない事実へ曲解されては記事にされる.公務にあたれば,チャールズよりも人気があったことから,夫からは嫉妬され,彼女の意に反して,別々に公務を行う羽目になる.その一方で,夫が婚約前から懇意にしていた女性の影に悩まされ続ける.婚約時代に発症した拒食症には本人も周囲の人々も理解がなく,治療開始まで10年もかかり,二人目の王子の誕生は,女の子を切望していた夫からあからさまに落胆されるなど,ここには全て書ききれないほどです.しかし,真実を知りもせず,知ろうともせず,上辺でしかものを判断しないメディアや世間には彼女の苦しみなど想像もつかなかったことでしょう.私の知人にも「彼女ってわがままなんでしょ?」と言っていた人がいます.しかし,アンドリュー・モートン氏の著書,Diana--Her True Story In Her Own Words (生前,ダイアナ妃自身のインタビューに基づいて書かれた伝記の完全改訂版)や,死後,アメリカのテレビ局によって明らかにされた彼女の人生は,世の人々の勝手な憶測とは非常に異なるものでした.幼少期から愛を得ようとして得られなかった孤独感や心の葛藤,夫の不貞による苦しみや,まるで宮殿に幽閉されたかのような半生は,非常に苦労の多いものだったのではないでしょうか.

彼女がこの度の転生において果たしかったであろう事のひとつは,我が身を呈して(彼女が苦しんだ拒食症や夫婦関係の破綻はいずれも幼少期における愛の不足に原因があるとされる),「愛の大切さ」を世の人々に伝えることだったかもしれません.同時に,癒し手として,愛の力で,いわゆる恵まれない人々を癒すことでもあったでしょう.彼女は死後もなお,地上の様々なメディアを通じて愛の尊さを訴え続けています.(比較的若くしてこの世を去った人々は,あの世から地上に働きかけ,活動を継続することがあります). 内的な葛藤に大いに苦しむ人は,往々にして高い霊性を備えている好例かと思います.(さらに,霊性の高い人々は,自ら高い目標設定をして生きるプログラムを選ぶ傾向が強いようです.というよりも,大人であるがさらなる成長のためにハードなプログラムに挑むし,やり遂げられるともいえます.)

病いの苦しみは精神的な苦しみを伴います.しかし,多くの場合,面倒を見てくれる人がいますし,身体が病んでいるからといってたましいまで病気ということはありません.健康でありながら心が孤独であり,苦しみがあって,しかも,それを誰にも理解されないことも,大きな苦労だと言えます.

いずれにせよ,自分の苦労を尺度にして他者の苦しみを測ることは不適当であり,不可能です. 

2025年は大きな転換期

2025年7月5日(土)の早朝(夜明け前),フィリピン沖の海底火山が噴火して,周辺国と日本の太平洋沿岸に巨大津波(120mほど)が押し寄せ,国土の1/3から1/4 が津波に呑まれる,という予知情報があります。最初にこれが注目されたのは,下にも関連動画のリンクを貼っていますが,たつ...