4/29/2010

人として目指すべきところ

 真実の博愛主義者,全てに先んじて同胞の利益と進歩を慮る(おもんぱかる)人こそ真実の人間,真の神の子である.なぜなら神こそ真の博愛主義者だからである.真の博愛主義者とは時々刻々と神に近づきつゝある者のことである.絶え間なき努力によりて永遠にして不滅の同情心を広げつつ,その不断の同情心の行使の中に,汲めども尽きぬ幸福感を味わう.博愛主義者と哲学者,すなわち人類愛に燃える人間と偏見なき道理探求者こそ神の宝―比類なき価値と将来性に満ちた珠玉である.前者は民族の違い,土地の違い,教義の違い,名称の違い等の制約に捉われることなく,一視同仁 [ いっしどうじん: 差別せず,全ての人を同じように愛すること],全人類を同胞としてその温き心の中に抱き込む.全ての人間を,友としてまた兄弟として愛するのである.思想の如何を問わず,ひたすらにそのものの必要とするものを洞察し,それに相応しい進歩的知識を授けることに無上の喜びを覚える.これぞ真の博愛主義者である.もっとも,しばしば似て非なる博愛主義者がいる.己の名声を広めんがために己に同調する者,それに媚びへつらい施しをする者のみを愛する.かくのごとき似非(えせ)博愛主義者はその真実の印である“博愛”を傷つける者である.
 一方哲学者は一切の宗教,いかなる教派のドグマにも媚びず,一切の偏見を捨て,いかなる真理でも,いやしくも証明されたものは潔く受け入れる.即ち,かくあるべき―従ってかくあらねばならぬという固定観念に捉われることなく,神的叡智の探求に邁進し,そこに幸せを見出す.彼には宝庫の尽きることを懸念する必要はない.何となれば神の真理は無限だからである.生命の旅を通じてひたすらに,より豊かな知識の宝の蒐集に喜びを見出す.言い換えれば神についてのより正しい知識の蒐集である.
 この二者の統合,すなわち博愛主義者的要素と哲学者的要素とが一体となりし時,そこに完璧なる理想像ができあがる.両者を兼ね備えし魂は片方のみを有する魂より大いなる進歩を遂げる.


W. S. モーゼス著,近藤千雄訳 『霊訓 完訳・上』 (心の道場刊) pp. 36-7.


あくまでも目指すべき到達点を記した,自動書記によるメッセージです.これほどの人物であれば,まず地上にはいる必要がないでしょう.朗報なのは,私たちも「いずれは」このような魂に進化できる,ということです.それがいつか,ということは各人によって異なりますが,少なくとも現在地上人生を送っている大半の我々にとっては,気が遠くなるほど未来のことに違いないと思われますから,焦る必要は全くありません.

社会的肩書きや学歴,仕事の業績といった面で「成功している」といった理由から,「自分は偉い」と勘違いしている人が現代社会にはごまんといます.また,そういう人々や団体に媚びへつらう人々も後を絶ちません.


(1)正しく愛他的であるということ(他者の福利を自分の利益より優先できる能力や洞察力に秀でている)と,(2)(霊的)真理をより多く理解できているということ(いわゆるIQが高い,というのではなく,真理を深く理解できる思考力や能力[肉体を失くしたあとに残る部分,たましい,の性質]が高い)―この二つが魂の進化を決定する,真の尺度であるようです.


つまり,「神の眼から見て」正しい知識を多く携え,その知識に沿った行動が出来るたましいことが,本当の意味で「偉い」のです.


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