12/03/2011

試練のはじまり

"One picture tells a thousand words." という表現がある。直訳すると,「一枚の絵は千の言葉を語る」だが,絵は言葉で言い尽くせぬものをも表現する,という意味かと思う。自然言語(人間が使う言葉)には限界がある。ことばは,必ずしもコミュニケーションの万全のツールではない。

この文が示すように,2007年のリーディングで示されたいくつかのヴィジョンは,私のそれまでの試練の意味を端的に物語っていた。中でも,山の峰から垂直に降ろされた縄ばしご,山の岩肌とそのはしごの間に垂らされた金色の紐。そして,ミディアムを唸らせたその険しさ―簡にして要を得た表現とはまさにこのこと。リーディングの最中には漠然としかわからなかった意味が,リーディング後,軽いショック状態から立ち直るとより深く理解されるようになった。それまでの約10年が私にとってどのような意味を持っていたのか,どのような時期だったのか。

険しい山を登るヴィジョンやイメージは,精神世界を歩む人々へのメッセージによく出てくる。また,金色は崇高さや叡智の象徴ともされる。この場合は霊的な教えを指している。谷川岳さながらの垂直に切り立った岩山を,縄ばしごで登るということは普通に考えても並大抵のことではない。が,そこには霊界からの導きがあった。霊界という表現に抵抗があるなら,見えざる存在といってもよい。集合無意識といってもよい。要は,人智では計り知れない意志のはたらきだ。私は,今生でこの世界に入ることが予め決まっていた。そして,計画通り,ロッククライミングに挑む時期が訪れ,真理に目覚めるべく導かれた。

道を究める,ということはどの分野においても,誰にとっても決して容易なことではないと思う。求道,つまり,神の教えを知ることは特にそうではないかと思う。これを書いている現在もまだ,私は苦しみから解放されてはいない。ただ,“本当の”教えを知った分だけ,以前とは物事を見る視点が異なり,自分を不必要に責めたり,周囲の意見に振り回されたり,いわゆる「世間の目」を気にするということが少し減ったのではないかと思う。心の地図,と呼んでもよいし,杖といってもよいが,よすがとすべきものを自分の外にではなく,内側に見出すようになった。


「試練」を英語では,trials and tribulations というが,過去十年の歳月は,少なくとも私にとって,大きな困難・苦しみの毎日だった。が,一旦社会に目を転じると,児童虐待,難病,家庭内暴力に苦しむ人々から,祖国を追われ難民生活を強いられる人々,そして,今日一日生きられるかどうかわからない極貧状態や飢餓にさらされている人々が溢れているし,後を絶たない。日本という平和な社会で暮らせるだけでも有難いわけで,にも関わらず大変だと嘆くのは,そうした極限状況で日々格闘している人々からみれば,許されないことかもしれないが。

振り返ると,これまでの人生で,入院・手術が必要なほどの大病と極貧以外の主な苦労は少しずつ経験してきたようだ.乳児虐待と育児放棄に始まり,実の両親の離婚,自己嫌悪による精神的な悩み,抑うつ状態による精神科通院(非投薬の治療),肉親との絶縁,勤労学生,授業料支払困難による休学ならびに授業料未納による停学・退学,解雇による失職,不倫疑惑,自殺未遂一歩手前の絶望,軽い霊的憑依による体調不良(結核初期症状に類似のものと急性低体温症),不眠症,借金苦,長年に及ぶ非正規雇用,そして,長期に亘る孤独。乳児虐待,育児放棄と実の両親の離婚は思い出せない記憶だが,多くのものは,主にこの十余年に集中して体験したもので,一部は現在もなお継続中である。

人生の転機となったのは,英国留学だった。


英国留学を決意したのは,20世紀も終わり近くなってからである。霊的世界の話がよくわかる母は,同時に非常に保守的な人でもあった。私に暗黙裡に禁止されていたことのひとつに海外留学があった。反対する両親を説得することが必要だったが,当時の私は直接掛け合うやり方ではなく,大学教員だった別の肉親を介して説得を試みた。結論から言えば,留学は実現した。しかし,実は,その時すでに家の経済事情は厳しく,私を留学させられる余裕などなかったようだ。3年間フルタイムで滞在すべきところ,1年という期限付きでどうにか経済支援を受けることができた。1年目の学費と生活費は出すが,2年目以降はすべて自分でなんとかすること―そういう約束だった。行ってしまえばこちらのもの。滞在中に現地で仕事が見つかるかもしれないし,パートナーと出会うかもしれない。可能性は未知数でも行けばなんとかなるだろうと楽観して,とりあえず渡英できることに喜んだ。

指導を受けたい先生は一人しかいなかった。その英国人の先生は,留学を考え出した当初は米国の大学に勤務していたが,申請書類を送る直前に英国の大学に赴任することになったという知らせが届いた.もとより英国好きの私は,渡りに船とばかり行き先をアメリカからイギリスに即変更し,留学を日本脱出の足がかりにしようと思った。日本にはもはや何の未練もなかった。英国移住への夢が大きく膨らんだ。

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