1/26/2014

地球は宇宙の一部

ひとは,自分の家庭だけ,

自国だけ,または

地球だけのことを考えている。

地球は宇宙の一部。

そして,

神の一部である。

日ごろから

そうした広い視点を持って

生きるように。





1/25/2014

あなたは世界で一番不幸ではない

世の中には人の数だけ苦しみがあり

悲しみがある。

自分たちだけが苦しんでいると思わないで欲しい。

同じ苦しみを背負う仲間に出会えたことだけでも

大きな恵みと考える。

そして,異なる重荷を背負う人々に対しても

できるだけ共感的であるように。

苦労の経験別にグループ分けする姿勢は

神を学ぶ者にふさわしくありません。



同じ苦しみを抱えた仲間と出会えたということは,共感し合える仲間に恵まれた,ということ。仲間がいるということは大きなことです。なぜなら,「共感は癒す」からです。世の中には,共感を得られない苦しみもたくさんあることを知ってください。

同じ痛みを知る人々で集まって体験を共有し,痛みを和らげることも,しばらくの間は前進の手助けになることでしょう。しかし,人生で起こること,とりわけ大きな困難には,それに匹敵する大きな深い学びがあるもの。気づきを得るためには,いつまでも同じ場所に留まり,ただ傷を舐め合っていてよいはずがありません。そうした傷の舐めあいは,最終的に足の引っ張り合いに終わる可能性が高いものです。「所詮,体験者にしかわからないこと。部外者には理解してもらわなくて結構です」と言って,自分たちほど大きな不幸を味わった人間はどこにもいない,といった雰囲気の中で,内輪で固まっているうちはいかなる進歩も望めないのではないでしょうか。自己憐憫は,本当に霊性の高い人の態度ではありません。(ちなみに,霊性が高いことを夢で教えて貰えるということも,あまり聞きません。自分でそう思いたいだけではないでしょうか。)

それでは,しかし,何のためにスピリチュアリズムを学んできたのですか?と疑問に思います。果たすべき役目とは,もう少しスピリチュアリズムに立脚したものであるべきではないのでしょうか。(スピリチュアル・ヒーラーの資格取得を公言する一方で,スピリチュアリズムに関して批判的な文章を掲載することも,明らかな自己矛盾で,浅薄です。また,霊能者も,中途半端な援助であれば,すべきではなかったでしょう。)

キサー・ゴータミーの記事とベートーベン不滅の恋人の記事はいずれも,個人的な悲しみを乗り越えて(或いは,痛みに耐えながら)前進するように告げています。尤も,ゴータミーは非常に優れたたましいの持ち主だったようですから,誰もが彼女のように急速に悟りを開けるわけではないでしょうが。

誰が正義か否かといった狭い話ではありません。客観的かつ冷静に,そしてできるだけ広い視野で,自分の置かれた立場を見つめ,社会を見る努力をしていただきたいと思います。



1/24/2014

個人的な悲しみから普遍的な苦しみへ

 アントーニア・ブレンターノがそうした絶望から立ち直ったのは,不思議なことに,テレーゼ・ブルンズヴィックの場合とはなはだ似ている.二人とも個人的な悲しみをバネに,より普遍的な社会の悲惨に目を向けたことだった.アントーニアもまた,フランクフルトで設立された,貧困者や失業者を支援するための女性たちの教会の共同設立者となった.そうした社会組織や赤十字や教会を通して,彼女は莫大な経済的援助を死ぬまで続けた.当時フランクフルトで,彼女は「貧者の母」と呼ばれていたのだった.(中略)
 こうした度重なる試練の中で,アントーニアは次第にカトリック教会に回帰し,祈祷書に心のよりどころを求めるようになった.ベッティーナは彼女が,カールの障害のせいで人柄が変わり,「悲しみの天使になった」と言っている.だが同じカトリックへの回帰であっても,修道院にこもったあと狂信的なナショナリストになった義弟クレメンス・ブレンターノとは,そのあり方がまったくちがっている.
 彼女の場合,自分自身の大きな不幸を背負いながら,その心がいつも他者に向けてひらかれていたことだ.社会福祉がまだ未熟だった19世紀の前半に,失業者や貧困者のために手をさしのべることは,それ自体勇気のいることだったにちがいない.彼女が名流婦人だっただけに,風当たりも強かったことだろう.そんなとき有形無形に彼女を力づけたのは,ベートーヴェンではなかったのだろうか?作品番号なしの彼の歌曲に『高貴な人は慈悲ぶかく,善良であれ』というのがある.これはゲーテの詩に作曲したものだが,制作年代は1823年と推定されている.こんなところにも,二人のあいだの共通な精神風土が感じられる気がする(後略).


青木やよひ.『ベートーヴェン・不滅の恋人』 河出文庫.pp. 346-347.



終生独身だったベートーヴェンには愛する女性 ("immortal beloved" 不滅の恋人) がいたとされています.青木氏は,アントーニア・ブレンターノがその人ではないかと主張されますが,これは現在最も有力な説と一致しています.引用箇所はその論拠について述べた部分です.

青木氏らの推測が正しいとすれば,かの偉大な作曲家の心を動かしたものは,彼女の崇高な心の在り方であり,生き方だったのかもしれません.

自分の苦しみを乗り越え,それを契機に恵まれない人々へ目を向けられるようになってはじめて人は救われるのでしょう.

ほんとうに強く美しい人は,より普遍的な愛を知っていて,実践します.


1/19/2014

True self-love 本当の自己愛

   Self-love isn’t selfish; it's healthy self-esteem.  The egotist, the braggart, the self-promoter, the diva, and the salesman—those who come across as self-loving in order to sell themselves or their products—are often insecure at heart.  The man I once thought was the most put-together person I knew, a model of public self-assurance and self-promotion, told me in a moment of mutual confidence that he played a game called “dodge the bus,” which meant he stood at a dangerous street corner and tried to see how close he could come to being hit.    “What if you were killed?” I asked, flabbergasted.   “Then the world would be rid of a worthless thing,” he answered. 
 True self-love doesn't need to be broadcast or publicly displayed.  It is an inner state, a feeling, a strength, a happiness; it is security.  Remember, souls are part of the One, which is love.  We all have souls.  We are always loved.  We can always love in return." (p. 138)

Brian Weiss (2004).  Same Soul, Many Bodies.

 
自己愛は自分勝手なものではありません.健全な自尊心です.エゴイスト,自慢家,自分を売り込む人,プリマドンナ,セールスマン-つまり,自分や商品を売り込むために自己愛的な印象を与える人々-は,本当は不安を抱えていることが多いのです.かつて出会った男性で,自惚れと自己宣伝のまさに典型だと思っていた人は,自分は「バスをかわす」ゲームをやっている,と打ち明けてくれました.危険な街角に立って,どのくらい轢かれそうになるか見ようとしているのだ,と.
 「死んだらどうするんですか.」私はびっくりして尋ねました.
 「この世から無駄なものがひとつなくなるだけですよ.」と彼は答えました.
 真の自己愛は,人前で発表する必要がありません.それは,内なる状態であり,感情であり,強さであり,幸福感です.安心です.思い出してください.たましいは神の一部であって,神は愛だということを.私たちはみなたましいを持っています.私たちは常に愛されています.そしてつねに愛することができるのです.

(上記は拙訳にて,山川氏による日本語訳,『未来世療法』(PHP)を参照下さい.)



自慢する人は,本音の部分では自信がなくて,さびしい人かもしれません.自慢して,他者からの承認・賞賛,ひいては愛を得ようとしています.まずは,自分で自分を認められるようになる必要がありそうです.

私たちは既に大いなるものから深く愛されている存在です.愛を外に求めるのではなく,存在の根源にすでにあることを思い出し,気づきましょう,というメッセージです.

いま,ここに生きているということが,即ち,愛されている,ということです.

とはいえ,それだけで問題が解決するケースは極めて稀です.自分の淋しさに気づいた場合の,ひとつの根本的な対処法は,なぜさびしいか,その理由を徹底的に探ってみることです.内観と自己分析でわかる場合もありますが,限界もあります.心理カウンセリング,セラピーやリーディングを利用するのも一案です.原因がわかったら半分は解決したようなもの.あとは具体的な解決法を知って,実行するだけです

1/07/2014

Science abused 科学の濫用

Please understand that all these scientific advances have been given to your world with the greatest sense of goodwill and love, to be used for humankind’s benefit and pleasure.  The abuse of science and technology was born out of people themselves, not out of any desire from this side.  The loving soul of who watch over your world are heartsick over the misappropriation of such gifts for wrong purposes that is so prevalent in your world.  Unfortunate conditions arise from human confusions like selfishness, greed, the desire to be superior to others, hoarding wealth, and so on.  Science is not antihuman.  Scientific advances ideally should advance the human condition, and when technology and medicine are used lovingly, with grace, wisdom, and caution, then they truly can benefit your world.
         When used unwisely and with base motives, then the power that exists as part of human freedom on earth, the power to harm others, may also affect many other beings, even beyond your own solar systems.

これらあらゆる科学的進歩は,人類の福祉と喜びのために用いられる目的で,最大限の善意と愛の想いであなたがたの世界に与えられたものであることを理解してほしい。科学技術の濫用は,人間自身から生じたのであり,こちら側が望んだものではない。あなたがたの世界を見守る愛に溢れたたましいは,あなたがたの世界に広くいきわたっている,この贈り物の間違った目的での誤用に意気消沈しているのだ。不幸な状態は,人類の自己中心性,強欲,他者より上でありたいという気持ち,大量の富を蓄えたい願望といった,人間の混乱から生じている。科学は人間に反抗するものではない。科学的進歩は,理想的には,人類の諸状況を前進させるべきものであり,科学や医療が愛,思慮,智恵,そして慎重さを以て利用されれば,真にみなさんの世界のためになりうるものなのだ。

 愚かに,卑しい動機で利用されれば,地上の人間の自由の一部として存在しているその力,つまり,他者を傷つける力は,あなたがたの太陽系を超えたところに存在するほかの多くの存在にさえ,影響するかもしれないのだ。

Judy Laddon (1988/2001).  A Futher Step beyond the Veil. Kindle edition.



人類の未熟さが,太陽系を超えたところにまで悪影響を及ぼす,というのは聞き捨てなりません。UFOが,これまでも多く目撃されていますが,地球人の在り方を心配して,視察に来たり,注意信号を発信しているのかもしれません。



1/04/2014

目には見えないから

人の愛は,お金や物で計ることはできません。

支払われたプレゼントの金額が,

贈り手の好意や感謝の重さと正比例しているとは限りません。

同様に,人の気持ちを,その行動だけを観察して


判断することにも,私たちは慎重でなければなりません。

観察する時でさえ,見る人それぞれのフィルターがかかり,

現実は様々に歪みうるものです。

そもそも,人のこころは目に見えないものです。

そして,さまざまな行いの結果や答えが

すぐに出るとは限らないからです。

1/03/2014

"After you" - 自己中は罪

"After you"(「お先にどうぞ」)というのは,ひとに順番などを譲るときに使える日常英会話表現のひとつ.英語圏では,譲り合いの精神が日本よりも多く見られるように感じます.イングランドのスーパーマーケットにいくと,レジのひとつがExpress Lane (エキスプレス・レーン)と呼ばれ,買う品物の個数が少ない(5~6個くらいか)お客さんが並ぶ列になっています.旅行や短期滞在の経験のある方はご存知と思います.英国では1週間分の食糧品を週末にまとめて買う家庭が多いこともあるかもしれませんが,大変合理的なシステムで,日本にも取り入れるべきと思うもののひとつです.

2007年に渡英した時,折り畳み傘を無くした私は,スーパーに買いに行きました.そのとき買ったのは小さな折り畳み傘一本だけでしたが,Express Laneは大抵,一番右端にあって(つまり,入口に近い),やけに広い店内をうろうろ歩きまわった後で疲れていた私は,すぐ目の前のレジの,年配の男性の後ろに並びました.何点もの食料品がコンベヤー(レジの手前に1.5メートルくらいのベルト・コンベヤーがあって,その上に商品を置いて店員の手元まで移動させる仕組み)の上に並べてありました.そのおじいさんは,私を見ると,笑顔でなにやら話しかけて来られます.彼の英語は,私には大変聞き取りにくく,最初は何と言われたのか全く聴き取れませんでしたが,彼の身振りやその場の状況から,あなたが先にチェックアウト(支払)しなさい,と言われているのだとわかりました.レジの女性も,「そうよ,あなたが先のほうがいいわ」とあっさり同意.ようやく事態が呑み込めた私は,彼にお礼をのべてレジを後にしました.

近所のスーパーで買物をすると,特に年末など混雑するとき,買う品物の個数の多い人ほど先を争うようにしてレジに並ぶ風景を目にすることがあります.ご夫婦で来られている年配の方々でさえそうなのです.こちらはひとりで,商品のあまり入っていないかごを軽そうにぶら下げていても,私たちが先よ,といった雰囲気で列に並びました.
「私たちは時間がかかるから,お先にどうぞ」というのではないのです. イングランドでの経験も思い出され,あきれました.彼らの「こころ」のあり方に,です.

アルピニストの野口健さんがヒマラヤ登頂を果たした際,日本の登山隊が残すごみの量が多いことに呆れたヨーロッパのある登山家から,「日本は経済では一流だが,文化では三流だ」と言われた話は有名ですが,全くその通りです.

「一時が万事」というべきか,現代の日本人にはこうした自己中心性の強い人々がとても多いように感じます.自己中心性は未熟さの表れにほかなりません.「わがまま」とは,性格のひとつの型などではなく,人間の程度が低い,ということです.この認識を持つことが必要です.

自己中心性はさまざまな場面で,さまざまな形をとります.たとえば,オンラインゲームにおいても頻繁に観察されます.目標達成に必要な情報収集の労は惜しまない一方で,自分が知り得た情報を他の人々にも伝えて助け合おう,という姿勢に欠ける人々が多く見られます.
そういうひとは他の人に頼んだり頼ったりすることは非常に得意でも,誰かのために自ら進んで情報発信しよう,知りえた分を分かち合おうと積極的に振る舞うことは多くありません.そして,そのことを指摘されると,「まだよく把握してないから」とか「従妹の手伝いで忙しくて」などと意味不明な言い訳をします.自分を正当化することにも決して手は抜きませんが,人のために動こうとか,相手を理解しよう,という姿勢は全くないのです.そういう人々は,人と心を本当に通わせることはできません.

「自分勝手なのではなく,自分のことをするのに精一杯で,人のことまで気遣える余裕がないのでは?」という声が聞こえてきそうです.同じことです.精神的に成熟した人は,人のために役立とう,尽くそう,という気持ちが豊かです.そして,自分のことは後回しにできるものです.自分のことは決して手抜きはしないが,他者のために時間やエネルギーを積極的に使おうとしない態度・生き方は,やはり自己中であるといわざるを得ません.また,口癖のように「面倒だから」という人を見かけますが,自己中が罪であるのと同様に,「怠惰も罪」であることを知ってください.

どんな些細なこと(スーパーでの買物に限らず,公共交通機関の利用時,ネットゲーム上の協力等々)であっても,自分は損をしたくない,できる限り得をしたい,とか,自分が上へ上がればそれでいい,自分たちが幸せなら何もいらない,といった気持ちに基づいて取ったあらゆる言動は,どこかで必ずそのツケを払うことになります.「自分だけ」得をしようとすると,必ずどこかで「自分だけ」損をすることになるのです.

他者の利益を優先できる心―そのような「きれいな気持ち」は,たとえ一時的に損をするように思えることがあっても,必ず大きな恵みを引き寄せます


2025年は大きな転換期

2025年7月5日(土)の早朝(夜明け前),フィリピン沖の海底火山が噴火して,周辺国と日本の太平洋沿岸に巨大津波(120mほど)が押し寄せ,国土の1/3から1/4 が津波に呑まれる,という予知情報があります。最初にこれが注目されたのは,下にも関連動画のリンクを貼っていますが,たつ...