8/13/2015

Learn lessons and let the past go 学んだら手放す

'Tom's ability to let go of his anger reminded me of a parable that I recently read about two monks who were preparing to cross a river with a powerful current. A nearby woman also wished to cross the river, but she was afraid to do so because of the power of the water. One of the monks picked up this woman and put her on his shoulders, and he and the other monk safely cross to the other side. He put the woman down, she went on her way, and so did the two monks.
After a while, the younger monk said to the older, "I can't believe that you carried that woman across the river. You put her on your shoulders. This is against our values; it's against our vows. We are not allowed to touch women. How could you do something like that?"
The older, wiser monk replied, "I put the woman down as soon as we crossed the river. You are still carrying her."
In thinking over this story, I realized that we all do this every day. After we finish with out tasks and problems, we frequently do not put them down and let them go on their way. We carry them with us far longer than is necessary, creating a burden that adds weight and fatigue to our shoulders and stress to our minds.
The cure is to live more and more mindfully, in the present moment. Of course, this is difficult to do and requires practice, but it is well worth it. It is important to learn lessons from the past and to remember them, but then we must let the past go. There is no need to carry it beyond the river.'
Brian Weiss and Amy Weiss.  Miracles Happen: The Transformational Healing Power of Past Life Memories.  p. 86.

トムの怒りを手放す能力を目の当たりにして,私は最近読んだ,激流の川を横切る二人の僧侶のたとえ話を思い出しました。そばにいた女性も川を渡りたいと思っていましたが,水の力を恐れて渡ることができませんでした。ひとりの僧が彼女を肩に担いで,もう一人の僧侶と一緒に無事向こう岸にたどり着きました。僧は女性を下すと,女性はそのまま歩いていき,二人の僧侶も旅を続けました。
 しばらくしてから,若い僧侶が年上の僧侶に言いました。「あの女性を背負って川を渡られたなんて信じられません。女性を背負うなど,われわれの教えに,誓いに反しているではないですか。私たちは女性に触れてはならないのですよ。一体どうしてあのようなことができたのですか?」
 年上の,賢明な僧侶は答えました。「私は川を渡り終わると同時に,あの女性をおろしました。あなたはまだ女性を背負っていますね。」
 この話のことをよく考えていると,私たちは誰でも毎日同じことをしていることに気がつきました。仕事や問題が片付いても,私たちはそれらをずっと引きずることが頻繁にあります。必要以上に長い期間,気にしては,肩に重さと疲労を加え,心にストレスを与える負担を作り出しています。
 これを治すのは,いまこの瞬間にもっと意識を向けて,生きることです。もちろん,これはむずかしいことですし,練習が必要ですが,その価値は多いにあります。過去から教訓を学んで,それを心に留めることは大切なことですが,それが終わったら過去は手放さなければなりません。向こう岸まで持っていく必要はないのです。


私自身,かなり前になりますが,同じことをある霊媒経由で教えられたことがあります。寝る前にその日1日の反省をしたら,もうその日の出来事のことは忘れなさい,といったようなメッセージでした。
向こう岸までもっていく必要はない,という言葉には,次の人生まで持ち越す必要はない,という含みもあるかと思います。あらゆる恐怖症やさまざまなネガティブな観念は,その多くが過去の人生の経験で生じたものです。悲惨な最期を遂げたり,強い恐怖を伴う出来事はそう簡単には忘れたり,手放すことはできませんが,影響を受ける期間をできるだけ短くしたり,気づきを早める,といったことはできるでしょう。
教訓を得て納得したら,それを教えてくれた出来事に感謝をして,手放す。意識して続けるうちに,身についていくのではないでしょうか。






Truths above and beyond science 真理は科学を超えて

Of course, truths really do not need research support. They exist above and beyond scientific confirmation, because science is constrained by the limitations of its measuring devices. It cannot prove what it cannot yet measure. When the appropriate tools are developed, the truths will be there, waiting to be discovered. Truths are independent and are unaffected by the beliefs of humans. Yet many people, understandably, find comfort and support in statistical and scientific proofs. Ideally, truth and proof coincide.
Brian Weiss and Amy Weiss. Miracles Happen: The Transformational Healing Power of Past Life Memories. p. 49.
もちろん,真理は研究による裏付けを必要とはしません。真理は科学的証明を超えて存在します。なぜなら,科学はその測定機器の制限を受けているからです。科学は測定できないものを証明することができません。適切な道具が開発されれば,真理が見つかることでしょう。真理は独立してあり,人間の信条に影響されることはありません。それでも,多くの人々は,無理もないことですが,統計的・科学的証明に安心と支えを見い出します。理想的には,真理と証明が一致していることですが。(拙訳)


欧米諸国や日本など,先進国の多くで,有識者=科学信奉者,という方程式が当然と思われています。確かに,科学的進歩は人類に大小さまざまな恩恵をもたらしてきました。実は,科学技術は「われわれ人間のために」霊界からもたらされたものです。

しかし,どういうわけか人類は,科学=最も信頼に足るもの,というふうに考えるようになってしまいました。物質的・現実的に結果が出るもの,把握できるもの,わかりやすいものは,助けになるものは,やはり物質界で暮らす我々には,大きな説得力を持つからでしょう。

ですが,科学技術の進歩は,私たちの大多数の意識が大元の存在から離れすぎてしまう,という負の側面ももたらしました。それが現幽の両界で様々な問題を引き起こすに及んで,最も大切なものを思い出し,立ち返るべき,という働きかけが地球規模でなされてきました。ワイス博士が広めてこられた,過去生の記憶を思い出して,心身の不調を改善する,というヒプノセラピーもその一環として登場したのだと思います。



5/24/2015

Making of a hero 新時代の偉人とは

Most who seek admiration are driven by egotistical desires. Their achievements are based on such motives as personal gain, a desire for recognition in job status, accomplishment or wealth. Most people in your society seek to compete with others and excel beyond others in whatever society deems admirable, whether it be sports competition or business titles and advancement, and so on. We of the realms of spirit strongly suggest you drop many of your society’s definitions of achievement and adopt an identity for a new kind of hero and heroine.

Let’s begin to admire spiritual values over competitive, materialistic ones. Selfless motives over selfish and egocentric ones. Attempts at cooperation, collaboration and brotherly love over one-upmanship, competition, envy, fear and hatred of the peoples of other nations, other states, other neighborhoods, other nationalities, other creeds, other gender, other ideas.
In defining heroic tendencies, we suggest you begin to perceive humanistic behaviour—kindness, warmth and appreciation of differences—to be admirable in individuals and to be fostered within oneself.
Children should be taught the essential lesson of cooperation with others and not encouraged to compete, to excel over others, to win, or to defeat classmates in their games and activities. We would strongly suggest altering sports games to reflect these ideals—cooperating in team play rather than in individual performance.
賞賛を求める人々の多くは,自己中心的な欲望に突き動かされています。達成は,個人的利益,仕事上の承認を求める気持ち,業績,財産といった動機に基づいています。皆さんの社会の大抵の人々は,ほかの人と競争し,社会が素晴らしいとみなすこと―スポーツや職業上の肩書き,昇進など―ならどのようなことにおいても,ひとより抜きん出ようとします。霊界にいる私たちは,皆さんが現代の成功の定義の多くを取り下げ,新しい英雄や偉人のアイデンティティを採用することを強く望んでいます。 
これからは,競争心や物質的価値よりも霊的価値を,自己中心的な動機よりも無私の動機を,人より上に立ちたい気持ち,競争,妬み,他国の隣人たち,国籍の異なる人々,異なる宗教を持つ人々,性別の異なる人々,考えの異なる人々に対する恐怖や憎悪よりも,協調し協力しようとする気持ちや博愛心を賞賛するようにしましょう。
偉人の特徴を決める際に,私たちが皆さんに提案したいのは,人道的行動―親切,暖かさ,違いを尊ぶ気持ち―をこそ賞賛すべき点とみなし,自分の中にも培うことです。
子どもたちはまず,他者との協力を教えられるべきであり,競争や他者より優位に立つことや,試合やその他諸活動において仲間に勝ったり負かすことではないのです。私たちは,スポーツ競技が,個人プレーよりもチームプレーで協力することを理想とするものに変えるのが良いのではないかと思っています。(拙訳)

Judy Laddon. (1988/2001) A Further Step beyond the Veil. Kindle Edition.




イスラム国の問題には,こうした現代の在り方に目を向けさせる側面もあるようです。欧米の価値観が世界標準のようにとらえられがちな昨今ですが,それは決して「標準」などではありません。

自然界が多様な生命から成り立っているように,人間社会にも同じくらいの多様性があるはずで,それをもっと認め合う土壌が今後ますます必要になってくるかもしれません。








5/06/2015

90 「スピリチュアリズム」は地上のラベル

しばしば申している通り,あなた方はスピリチュアリズムという言い方をされますが,これは地上のラベルであって,私にとっては自然の法則そのものなのです。スピリチュアリズムという用語を用いると人によっては,とくにその真意を知らない人にとっては,何やら不気味な感じを与えます。それよりも,大自然の法則―宇宙の物理的・精神的・霊的法則,まだまだ未開拓のままである人間の潜在的能力,表面下に存在する活動の世界,すなわち超自然界,人間のもつより繊細な能力―こうした広大な分野は“スピリチュアリズム”とか“霊媒現象”といった,誤解されやすい用語を用いなくても教えることができます
 詭弁を弄しなさいと言っているのではありません。真理には多くの側面があり,したがって特別なラベルを貼らなくても表現できることを言っているのです。
『シルバーバーチの霊訓  第二巻』  pp. 62-63.





『シルバーバーチの霊訓』は,スピリチュアリズムの,いわば「バイブル的書籍」として認知され,日本で広く読まれるようになりました。中には,シルバーバーチと英仏の一部の霊訓以外は認めないという,あたかも原理主義的立場を取る人々もおり,ウェブサイトを通じて自説の普及に尽力されています。が,その様子は一種カルト的様相を呈しているようにも見受けられ,少し危惧を覚えます。そして,彼らに,ネット経由ではないかと思いますが,影響された人々が少なからずいて,その中には,当該団体がしているように,特定個人を名指しで批判したり非難されている方々もいらっしゃると聞いています。イスラム国の過激思想に染まってしまう若者たちのことが心をよぎるのは,私だけでしょうか。

当ブログでも,『シルバーバーチ』からの引用には独立したカテゴリーを設けて,相応の扱いをしているせいかどうか,ブログを読んで下さる方の中には,専らシルバーバーチの記事に目を通して,あなたはどのような経緯でスピリチュアリズムに出会ったのですか,と質問なさる方もいます。他の記事もお読みになれば,いきさつの概略くらいはわかるはずなので,そのような野暮な質問はとても尋ねることができないだろうと思うのですが,読む記事の選択は個人の自由意志に委ねられているため,正直,こちらとしては対応に困ることがあります。

また,あなたは英語教師なのか,それともスピリチュアリズムを追求するミディアムなのか,と二者択一の答えを迫る質問も受けたことがあります。普通の会話で問われたとしても,いささか頓珍漢ですが,このような疑問を抱くこと自体,スピリチュアリズムの理解が表面的であることの現れではないでしょうか


スピリチュアリズムとは,宇宙・自然の摂理/真理を,既存宗教の枠を(ついに)外して説いた知識体系です。発祥の地である英国では,その教えをにわかには信じられない大多数の人々に,様々な霊媒現象(初期には,エクトプラズムを用いてスピリット・ガイドや亡くなった人やそこには存在しない物質を作り上げたり,物体を移動させて離れた場所にあるもの目の前に出すといった物理現象を通して,中・後期には降霊会,マスコミを利用したデモンストレーションやプライベート・シッティングを通して)を起こして,わかりやすく示してきました。「スピリチュアリズムといえば霊媒現象」,つまり,死んだ人と話をすること,と短絡的に結び付ける英国人が少なくないのは,こうした歴史的経緯があるためではないかと思います。

いずれにしても,そこにあるのは,無知であり,字面通りの解釈であり,教科書的な理解です。

スピリチュアリズムとは自然の摂理であり真理であると深く納得すれば,教条や霊訓の種類にこだわらなくなるものではないでしょうか。例えば,「シルバーバーチ」以外は認めない,という偏狭さは,ラベルやレベルで物事を判断する態度,ひいては物質至上主義と類似しています。年下の女性を見下ろす男性の態度とも通じる部分があります。

精神世界の教えは,実に幅広く奥深いものです。霊界サイドは,様々なチャンネル(霊媒や各種ライトワーカー)を通じて,真理を広く地上の隅々にまでいきわたらせようとしています。地上には,実に多種多様な人びとがいるので,伝え手にも,多種多様なライトワーカーたちを用意して,多くの人々が受け取りやすいようにしています。昨今の日本には,“シルバーバーチ・ファン”が大勢いますが,シルバーバーチ以外は価値がないとか,霊訓に書いてある内容と矛盾している・いない,といった狭い視野から,他のライトワーカー達の活動を否定したり,批判したり,軽視する,といった姿勢は,真理を深く会得した人々のものとは言えないだろうと,個人的には感じます。

スピリチュアリズムというのはひとつの知識体系ですが,シルバーバーチでも繰り返し言われているように,「知識には責任が伴う」ものです。責任とは,知識の「実践」です。知識を得た以上は,その実践者になることが強く期待される,ということです。実践とは,あらゆる機会において,言動と感性を真理に沿ったものにするよう努める,ということでしょう。他の人々を助ける,ということもその中核をなすものです。いわゆる生業の仕事とスピリチュアルな活動とを切り離す発想の方がおられますが,これも理解不十分が理由です。あなたは英語教師かミディアムかと問う頓珍漢な質問はひとつの典型例です。


本来であれば,人を教え導き,自らも精神修養を日々怠ってはいけない立場にありながら,察知される数々の的外れで自己満足的な理解や女性に対する差別的態度には,失望と落胆を禁じ得ません。

リーディングを受けることを「実践」と呼ぶ人はいないでしょうが,個人的に行う瞑想は,実践に含まれるでしょう。霊訓を繰り返し読んだり,読書会に参加することにも意義はあるかと思いますが,一人ひとり異なる個性を持ち,課題を持ち,異なる人生を歩んでいます。最終的には,自ら気づきを得るしかありません。スピリチュアリズムの価値を認めつつ,瞑想は私には関係ない,と言う方がいらっしゃいますが,こういう考え方は初心者のものです。外界のノイズをシャットダウンして,心静かに過ごす時間を持つということは,内なる気づきを得やすくなる,非常に有効な手段です。

「スピリチュアリズム」という用語が,地上の便利なラベルにすぎないのなら,「スピリチュアリスト」という呼び名もラベルにすぎないことになります。「スピリチュアリスト」を名乗る人々は,スピリチュアリズムを理解し,それに沿った生き方を実践しているという自覚と自負があるようです。現実には,しかし,自己評価―かなり楽観的な―にすぎないのではないか,と思われるケースが少なくありません。私が「スピリチュアリスト」とわざわざ名乗る行為にずっと違和感を感じてきたのは,未熟すぎる「自称」スピリチュアリストたちを少なからず見聞きしてきたこともありますが,その背後には理解の不十分さが隠れているのではないか,と感じるからです。


スピリチュアリズムとは,人生を生きる上で指針とすべきものですが,実は,それによって私たちが生かされている,私たちもまさにその一部である,そのような大いなる摂理を説いたものです。多くの人びとは,その摂理のことをことさらに意識したり,俎上に載せることなく,日常の目先のことに取り紛れて暮らしながらも,生まれてきた目的や課題をクリアしていきます。スピリチュアリズムという用語など知らぬまま,インスピレーションを受け取って,広く世の為人の為になる活動を展開されている方々は大勢います。そうした中で,敢えて「スピリチュアリスト」を名乗る行為は,「私はあなたがたがとは違う」と自らを差別化し,多くの場合,(意識的にせよ無意識にせよ)自分を他より優位に置きたい,という気持ちの表われのように思えます。特定の霊訓名を殊更に強調して話すケースも同様です。

少なくとも私には,そうした優越意識や特定の霊訓のみを認める排他的嗜好・思考を共有することはできません。

単純なことをむずかしく語るのではなく,単純なことを深く理解する
自己内省と客観的な思索を。誰かのお説にぶら下がっているうちは,いつまで経っても自分のものにはなりません。



Radioactive waste is not an intrinsic part 核廃棄物は安全に取り除ける?!

The atom can be used for good. Its power can lead to the betterment of humanity. Toxic byproducts do not have to be a part of the process. But the evolution of man's atomic technology cannot leap ahead of his own spirit. To date, the most prevalent motives of those working with nuclear science have been greed, lust and selfish exploitation. So the science has followed suit, producing huge profits, tremendous power and unthinkable pollution. Nuclear technology has simply magnified the spirits of the people controlling it. When humankind approaches the science with a new spirit, then a new process, a new technology will result.
When the spirit is one of humble reverence for the earth, for the powerful forces of nature, when the spirit seeks to unite humankind in goodwill and to share the earth's resources in order to alleviate material suffering, when the spirit is to share all one has with others, then and only then will the whole science of nuclear processes be unlocked to your physicists. There is a way, there is a path to the solution of these apparently insoluble problems. The atom can lead to abundant power and energy. It can be used for peaceful purposes exclusively. This can be accomplished with virtually no toxic byproducts. The terrible radioactive waste material that you now have is not an intrinsic part of nuclear power. And -- this should comfort many of you -- the stockpile of radioactive waste that you now have and that you project to be deadly for hundreds of thousands of years -- can be eliminated safely and surely. It is not inevitable that those of your generation leave a legacy of incredibly toxic and polluting materials for all humanity to endure, into the far reaches of the earth's future.
原子力は善のために用いることができます。そのパワーは人類の向上につながり得るものです。有害な副産物はそのプロセスの一部である必要はありません。が,人間の核開発技術の進化は,その霊性を追い越すことはできません。これまで,核開発に携わる人々の主たる動機は,我欲と利己的搾取でした。科学はその動機に従い,莫大な利益を生じ,強大なパワーと,思いもよらない汚染を引き起こしました。核技術は,それを支配する人々の精神を単に拡大したにすぎないのです。人類が科学に新たな精神を以て近づけば,新たなプロセス,新たな技術が生じるでしょう。
精神が地球や自然の脅威的な力を謙虚に敬い,人類を善意において結びつけ,物質的困難を和らげるために地球資源を分かち合おうとするとき,持てる全てを他者と分かち合おうとするとき,そうするときに限り,核生成プロセスの全てが科学者に明かされるでしょう。解決策がないように見える核の問題には,実は解決策があるのです。核は巨大なパワーとエネルギーを生み出すことができ,平和のためだけに使用され得るものです。この平和利用に際しては,有害な副産物は,実質的には全く生じません。あなたがたがいま所有している恐ろしい放射性廃棄物は,核エネルギーに固有のものではない,ということです。こう言うと皆さんの多くが安心するはずですが,何十万年も有毒であり続けると皆さんが言っている放射性廃棄物の山は,安全かつ確実に取り除くことができるのです。皆さんの世代が,全人類が背負わなければならない,信じられないほど有毒な汚染物質を遺産として,遥か未来まで地球に残すことは避けがたいことではありません。(拙訳)
Judy Laddon. (1998/2002) Another Look at the Life Beyond. Kindle Edition.

原子力の専門家(特に,反原発の研究者たち)は,放射能そのものを危険なものみなしています。ラジウムを発見したキュリー夫妻も,被曝して他界されたとか。人工の放射性核種が放射能を放たなくなるのには,気が遠くなるほどの長い時間が必要であり,一世代ではとても管理しきれないと言われています。原発は,核融合によって生じたエネルギーの3分の1しか電力として供給できず,実際には,大変効率の悪い発電方法です。残りの利用不可能なエネルギーは,熱として海に廃棄しているため,「海温め装置」の異名があります。

こうした専門家の見解に馴染んだ知性にとっては,引用した通信内容は,にわかには信じがたい情報ですが,奇しくもシルバーバーチも似たようなことを伝えてきていることを思い起こせば(「99 原子エネルギーと人類」を参照下さい),あながち疑うこともできないだろうと思います。

ただ,人類の意識が十分に進化を遂げ,高い境地に到達するまでの間,特に,日本のような火山列島においては,原発のない生き方を模索するほうが良いかもしれません。



4/25/2015

Application is more important (実践のほうが大切)

Edgar Cayce repeatedly reminded people they could be successful—in terms of soul growth and personal transformation—if they simply applied whatever it was that they knew to do.  Most often, individuals are aware of some of those very things which would enable them to become better people.  However, too often there is a gap between knowledge and its application.  The readings frequently admonished individuals to “do what you know to do and the next step will be given.”  In other words soul growth is not dependent upon what an individual knows; instead, it is predicated upon what an individual does about what she or he knows.  (p. 158)



エドガー・ケイシーが繰り返し人々に語ったのは,魂の成長と変容の点で人々が成功するには,すべきであると知っていることを素直に実行すること,ということだった.往々にして,何をすれば自分がよりよい人間になれるか人々にはわかっているものだ.しかし,大抵の場合,知識とその実践の間にはギャップがある.リーディングでは頻繁に,「すべきであるとわかっていることをしなさい,そうすれば次の段階に進めるであろう」という訓戒が与えられた.つまり,魂の成長は,個人が知っていることにではなく,その知っていることをどのように扱うかに基づくのだ.

Kevin Todeschi.  Edgar Cayce on the Akashic Records: The Book of Life.



精神世界に親しむ人々が犯しがちなあやまちに,「知識を重んじ,実践を軽んじる」というものがあります。本を読んで真理の教えを知り得たというだけでは,ハードディスクに入力したデータの容量が増えただけで,コンピューター自体の性能が向上したことにはなりません。要は,インプットしたデータをいかに正しく使いこなせるかどうか,です。

知識を正しく理解することに重きを置くあまり,理解が不十分な人に対して批判的であったり,優越感を持つ人々もあります。正しい理解も大切ですが,知識は,実生活で活かさなければ意味がありません。知識の収集・知的理解で満足しないよう,注意したいものです。

また,実践とは,福祉施設を建設したり,社会の弱者支援グループに加わる(そして,そのことを公表する)とか,震災の被災地に赴いてボランティア活動をするといった,一見して誰の目にも明らかで,華やかな活動と必ずしも同義ではありません。スピリチュアル・リーディングを受けることも,実践ではないでしょう。実践とは,常生活において,自分の言動や感性をコントロールすること,身近な人々に愛他的であろうとすることが中心となるべきであり,これこそが非常に困難な鍛錬ではないかと思います。

そして,最終的には,恵まれない人々への心からの眼差しと,彼らに心寄せる具体的な行動につながっていくべきものです。

実に,「霊的な教えを日常生活の中でそのまま実践すること」はとても難しいものです.例えば,自分も人も裁いてはならない,といわれて納得したつもりでも,無意識のうちに私たちはそうしています.単純な例をあげれば,公共マナーの悪い人を見た時,つい眉をひそめたり,批判的な構えを取ることがあります.また,学歴や肩書き,容姿などで人を判断するのは違う,と理解したつもりでも,実際には,容姿端麗な人に一目置いたり,上辺の資格や仕事上の業績を気にしたり,或いは,それで人を値踏むということを,無意識にしていることがあります。

正しい実践には,正しい理解が必要ですが,理解の深さは人によりさまざまで,自分のいまの理解力を超えたところまでわかることは土台無理な話.自分の理性と知性を総動員してわかる範囲でよいようです。  

4/19/2015

地上に生まれるわけ

 “あなた”という個的存在は,最初から,つまり大霊と一体であった時から今の“あなた”だったわけではありません。表現の媒体を得て初めて“あなた”という個性をもった存在となったのです。その目的は内部の神性を顕現させるためです。内部に宿る神性は完ぺきです。が,それは種子が土とか水といった養分を得て発芽し,生長し,花を咲かせるように,顕現という活動を経て初めて,その美しさ,その輝きを外部へ発揮することになるのです。
 地上的な形態での存在の目的もそこにあります。すなわち物的身体に植えつられた神性の種子が発芽と生長と成熟の過程を体験するためです。その地上生活特有の体験によって,死後に訪れる,次の段階の生活に必要な資質と能力を身につけるのです。


トニー・オツセン編 近藤千雄訳。『シルバーバーチの新たなる啓示』 p. 163.



人間は神から分かれて誕生し,その生みの親である神に帰一すべく進化していくことが目的なら,なぜわざわざ分かれたのか,という質問に対するシルバーバーチの答えです。

ダイヤモンドも元はただの硬い岩です。機械で研磨して,整形して初めて高価な貴石としての価値が出るように,だれにも潜在している神性も,地上でのさまざまな体験を経て磨かれなければ,輝かない,というわけです。

そして,地上での様々な快苦は,スピリット・ワールド(「霊界」は英語では,Spirit world と表現される)での生活に必要な才能と能力を伸ばすためである,と言っています。

読みたい本(7)

  千賀一生。『ガイアの法則』ヒカルランド。 いまの時代に読むべき必読書です。 正・続2冊ありますが、1冊目の裏表紙に印刷されている言葉を以下に紹介します: 宇宙に,聖なる16ビートが存在することを告げるガイアの法則— 新型コロナとの驚くべき精緻なる関係性も明らかに! 地球の歳差...