9/24/2012

92 本来の姿

人間がその基本的霊的真理に則って生活すれば,地上で享受できるかぎりの生き甲斐ある豊かさを手にすることができます。反対にそれを無視した生活を送れば,その生活は内面に関する限り空虚で無意味なものとなります。魂,霊,それがあなたの永遠の所有物です。それがあなたの本来の実像であり,肉体を捨てたあとに残るのはそれだけです

 『シルバーバーチの霊訓 第二巻』(近藤千雄訳 潮文社) p. 53.



物質的に快適で豊かな生活を楽しむことをよしとする風潮がまだまだ強い日本ですが,2011年の大震災を機に,僅かながらも,従来の生き方に疑問を感じる人々がではじめているのではないでしょうか。まだまだとても少ないのですが,すべては1からはじまります。一人でも多くの人々が,「ほんとうのこと」を知って,本来あるべき生き方を目指すようになることが必要です。

9/10/2012

希望は自分の中に

宮崎駿監督アニメ映画『千と千尋の神隠し』のエンディング・テーマ曲,「いつも何度でも」(歌詞はこちら)。木村弓さんのハープの音色と歌声がひとつに溶け合い,静かな癒しの曲になっています。

歌詞には深いメッセージを見い出すことができるように感じます。映画とは切り離して意味を探ってみたいと思います。(オスカーを受賞した同映画にも,見方によってはさまざまなメッセージを読み解くことができますが,それは後日述べてみたいと思います。)

私たちはたくさんの夢を抱き,それらを叶えようと思って転生します。「胸のどこか奥」,つまり,私たちの最もひかり輝く部分でそう決めて,いまを生きています。その夢実現プロセスにおいて,多くのかなしみがあり,希望が「こなごなに砕かれ」てしまうことがあるかもしれません。それでも,つねに希望をもち続けることが大切です(「いつも心躍る夢を見たい」,「この両手は光を抱ける」,「同じくちびるでそっと歌おう」)。砕かれた鏡が「新しい景色」を映し出すように,挫折のように思える出来事にも,必ず希望の種は宿っているからです。

かなしい時,夢を見失いそうな時,私たちには「ゼロになるからだ」があることを思い出しましょう。そして,「静かな」気持ちでこころの声に耳を澄ませば,自然とエネルギーに充たされ,希望と智恵とは,外ではなく(「海の彼方にはもう探さない」)自分の中にあることに気がつくでしょう(「輝くものはいつも・・・私のなかにみつけられたから」)

数え切れないかなしみの向こうで会える「あなた」は,夢実現の如何に関わらず,夢に向かって邁進したその先で到達する境地であり,一層輝きを放つ自分の本質なのかもしれません。

89 最高の判事は理性

 「霊が言うことも霊媒を通して届けられるわけですから,必ずしも正しく伝えられているとはかぎりません。こちらから見ていると,誤り伝えられているのに,それが我々のせいにされていることがよくあります。
 一方,われわれも絶対に誤りを犯さない存在ではありませんから,間違ったことを言う可能性もあるわけです。私の言うことが絶対に間違っていないとは申しません,と何度も申し上げてきたことはご存知かと思います。
 いかなる霊媒を通して届けられたものでも,かならず理性による判断を通さないといけません。最高の判事は理性です。これも大霊からの授かりものです。道義心とあわせて使用すれば,進むべき正しい方角が示されます。」



トニー・オツセン編 近藤千雄訳 
『シルバーバーチの新たなる啓示―スピリチュアルな言葉が教える“生きる”ことの意味』 ハート出版 p.128. 




霊能者,ミディアムにわかるのはほんの断片的な情報でしかありません。霊界から情報やメッセージをある程度正確且つ純粋に受け取れていると仮定した場合でも,相談者の具体的な感情や実情まではわからないケースがとても多いと思います。ましてや,相談者の全貌などはわかろう筈もありません。

断片的な情報だけで,「あなたは××よ」と決め付けたものの言い方をする占い師,霊能者,ミディアムが後を絶ちません。明言・断言を求める相談者が少なくないこともまた事実です。が,そうやって第三者の人間性や人生について決め付けること自体がそもそも不可能であり,誤りであることを知りましょう。一事が万事,ということはありますが,一部で全体を推し量ることは必ずしも適切ではありません。

適切な霊感占い・リーディングは,目に見えない種類の情報を提供したり,本人が気づいていない点を指摘して,さまざまな気づきや困難を乗り越えるヒントを与えるという点で,非常に有効な手段といえます。しかし,ヘビーユーザーだった私の個人的な経験から言っても,利用の仕方次第では,利用者の思考力や洞察力を奪いかねない危険性も孕んでいます。いわゆる「依存(症)」に陥らないよう注意が必要です。最も頼れるものは,自分(の内なる叡智)以外にない,と理解するようになることが最終目標です。

優秀な霊能者に相談してあらゆる問題が解決するなら,こんなラクなことはありませんが,残念ながら人生は自ら試行錯誤しながら進んでいかなければならないもののようです。

8/08/2012

愛は信頼

愛と心配を同一視する人々は多い。例えば,親が子どもを心配するのは子どもを愛しているから,という。心配は愛の証し,というわけだ。しかし,心配の念はネガティブで重い。子どもが学校でいじめをしているという報告を学校から受け,心配しすぎていた母親が,心配するのを意図的に止めたら,子どももいじめをやめるようになった,という実例もあるほど(越智啓子氏の最初の著書をご参照下さい)。人のすべての想いは,目に見えぬエネルギーとして瞬時に相手に届き,何らかの影響を及ぼす。ならば,受け取った人が元気で前向きになれる,そんな明るく暖かい愛の想いを送りたい。 愛は信頼である。

信頼の源はひとつ。それは,「自分」である。つまり,自分を信頼している人(「自信のある」人)は,ひとも信頼できる,ということ。人に対して何かとネガティブな思いを抱きやすい人は,自分に対しても否定的な傾向があるだろう。このことについて,間接的にだが,改めて考えさせられる出来事があった。


* * *

先月下旬にリーディングを受けた。私が以前,瞑想やサイコメトリーなどのエネルギー・ワークを中心とした訓練を受けていた時に出会った方(以下Dさんと呼ぶ)にである。メッセージは納得のいくものだった。ここ数ヶ月間,何となく感じていたこと,夢や気になる曲を通じて漠然と心に掛かっていたことについて,進むべき方向性を明確な形で示された。今回のリーディングは,しかし,私への個人的なアドバイスに留まらず,我々の双方にとっても意味のある出来事らしかった。

Dさんと出会ったのは約2年前だが,数ヶ月間,隔週ペースでクラスで顔を合わせるだけの間柄だった。一度,ペアでリーディングの練習をした時,当時抱えていた大きな悩み(で,まだ結果は出ないが,私はその答えを知っているはずの問題)に,短いが非常に端的なメッセージを伝えてもらったことがあった。そうしたメッセージは,こちらが全く予想もしないタイミングでもたらされることが多いが,それが非常に印象深かった。Dさんの実力を実感する機会は他にもあり,また,認定試験には昨年合格されていた。とはいえ,初めから彼のリーディングを受けようとしたわけではない。イギリス式のシッティングに近いリーディング(一方的にメッセージを受け取るタイプの)を希望していたが,以前の記事(夢は知らせる3)で記した経緯で,通っていたスクールを自ら去っていた為,そこに申し込むつもりはなかった。ネットサーフしているうちに,Dさんのブログを見つけた。しかし,彼は,私が去った当時すでに内部関係者だったこともあり,予約を受け付けて貰えるかどうか不安があった。思い切って問い合わせてみたら,すぐに快諾いただき,その5日後にお会いすることになった。

リーディングの後で,少しだが話す時間があった。彼とまともに会話したのはその時が始めてだったが,この時の会話は大変興味深かった。まず,Dさんについて新たな発見があった。さらに,事務所の男性(は受講生でもあった)が,つい最近まで,私のことを非常に気に掛けておられたことも知った。スクールを辞めるきっかけとなった出来事は,その最終局面で,この男性を介して展開した部分もあり,彼は,当事者である私ともう一人の女性以外で,間接的ながらも関わりを持った唯一の存在だった。ずっと,きっと彼は彼女の肩を持つだろう,いや,私に対してはむしろ批判的かもしれない,と何となく思っていた。というのも,私は必要最低限の時間しかその場所では過ごさないようにしており,クラス外で言葉を交わす人すらいなかったからだ。リーディングの練習の妨げになるという理由から,受講者同士の親しい交流は避けるようにという指示があり,この,個人的には大変好都合な規則を遵守していた。一方,彼女は,他のクラスにも積極的に参加するなど熱心で,スクールで比較的長い時間を費やしていた。事務所の男性とも親しそうだった。昨年9月に,講師(兼責任者)から,大変なことになりましたね(スピリチュアルなことをやっているにもかかわらず),という私に対して批判的なコメントも貰っていた(その直後,彼女にどのような対応をされたかは知らなかったし,彼自身にも責任がないとは決して言えないはずなのだが)。とはいえ,去るべき時期が来て去ったと納得していたし,「今後は余計なストレスと出費が減る」くらいの気持ちでいた私は,その件について考えることも思い出すこともなかった。Dさんは何度も安心した表情で,「元気そうでよかった!」と言われた。最低でも3回くらいは聞いたような気がする。通っていた当時より遥かに元気そうだと言われて,少し複雑な心境だった。また,少なくとも昨年夏の出来事に関して,私に共感できるといった趣旨のことばも聞いて,なるほど,それでリーディングを引き受けて下さったのか,と思った。

繰り返しになるが,私にとって問題の一件は既に過去の出来事だった(もう一人の女性に対しては”指導”で,私にとっては場所を変わるべき区切り,というのが本当のところらしいが)。詳しい経緯もかなり忘れている。しかし,Dさんにリーディングを受けたことで,そこに所属している人々の中には,批判的どころか,私を気遣って下さっている人がいたと知ることができた。また,Dさんの安堵ぶりを思い返すと,おそらく彼(と,彼にかなり心配させたらしい事務室の男性)にとっても,心の重荷を下ろす機会になったのかもしれない。二人は,私がそこを離れたことに関して,団体側に多少なりとも疑念や失意の念を抱いていたのではないか。スピリチュアリズムを標榜している団体が人を潰すような真似をしていいのか,と。しかし,彼らの立場上,もちろん意見することもできず,現実を受け入れるより他になす術がないわけで,その意味では無力であり,いくばくかの罪悪感を感じていたのかもしれない,と。

私の身を案じていてくださったらしいことは,大きな驚きであったし,ありがたいことだと感じた。これまでの十余年間,好奇心(関心ではなく)を向ける人々はいたが,私を本当に気遣ったり,心配してくれる人間などただの一人もいない,と感じてきたから。

私をよく知らない人々,そして,その場所以外には霊能を伸ばす術がないと信じている人々からすれば,そこを離れてしまうことは,即ち将来への道が閉ざされる・絶たれる,と結論づけられるだろう。その発想は容易に想像がつくし,あながち咎められるものではない。が,同時に,非常に悲観的でネガティブな見方ともいえる。突き詰めれば,厳しいようだが,スピリチュアルな教えとは多くの点で相容れない見方だと思う。意外に知られていないこととして,霊能者やミディアムなど,広く意識的に霊能を用いることが必要な仕事に従事する人はあらかじめ決まっている,という真実がある。霊媒になることを決めて転生してくる。ということは,本人の(表層意識の)意思や好き嫌いとは無関係に,(大抵の場合)なる人はなるし,ならない人はならない(なりたいと望んでもなれない)。だから,もし誰かがある師の元を去ったとしても,その人が霊能者もしくはミディアムになることが予め決まっているなら,必ず導きがあってなるようになる。一見,上手くいっていないように見えたとしても,本人も周りも徒に焦ったり心配する必要はないし,心配すべきではない。心配というネガティブなエネルギーは,下手をすると足を引っ張りかねないから特に慎むべきだ。さらに,誰にも複数のスピリット・ガイドがついていて,守り,導いている,ということを思い出したい。彼らの視野は私たち人間より遥かに広く,愛は深い。私たちのことを誰よりもよくわかっている彼らのサポートがある限り,基本的には,私たちに必要な出来事だけが起こり,学びのチャンスが与えられる。

学生時代,今回と重なるような状況を経験していたことを思い出した。学生の身分だった時間が長かったせいもあり,自慢じゃないが,放校・退学と主席で入学・卒業以外は全て経験した。今回のリーディングで思い出したのは,2回同じ学校を受験して不合格になった時のこと。1回目の成績を聞いて,挽回の余地があると感じた私は,再チャレンジすべく準備した。しかし,さすがに2回目も不合格だった時は,その学校には留まる必要がないとわかった。そして,その2年という時間も,その後の(留学を中心とした)出来事が起こるべきタイミングで起こるために必要な時間調整だったと悟った。が,そう深く理解するまでは,できれば人に知られたくない出来事だったし,周囲もそのように見ていたことに傷ついた。合格発表のあと間もなく,今にして思えばよせばいいものを,何の用事か忘れたが,わざわざ母校に出向いた。図書館の前で私に気づいた2名の仲間はどちらも合格者だったが,次の瞬間,見てはいけないものでも見たように,さっと視線をそらした。そのあと会った指導教授も一瞬私を見て見ぬふりをした。(この先生とは,その後もご縁があり,折々に必要な指導を受けることになった。今となっては,数少ない,本当の意味で敬愛できる方の一人である。)幸い,滑り止めというのではないが,他の学校も受験して合格しており,そちらへいくことにしたが,そこは“世間的に”みると,不合格になった学校よりランクが下がる場所だった。「上の学校に行くならともかく」と,母も最初は不満を漏らした。しかし,専攻分野や様々なことを考慮すると,私にはそこへ行くのがベストな選択だと思えたし,それを裏付ける夢も,しばらくして経ってからだが,見た。だから,というべきか,当時は彼らの反応がとてつもなく冷たいものに感じられ,静かに傷ついた。「失敗者」と見られている,と感じた。私が彼らの立場だったら,あぁ残念だったな,という気持ちから同じように反応していたかもしれないし,別段咎められる態度ではないかもしれないが。

2011年夏の一件にしても,不合格時の仲間の態度にしても,その背後には「無知」が潜んでいる。進学先も就職先も決まっている。なぜなら,そこで出会わなければならない人々がいるから。いつどこで会うか,ということは予め決まっているので,出会うべきタイミングで出会うために,ストレートで合格したりしなかったりする。もちろん,それ以外の学びもあろう。

* * *

一見したところ,失敗や不幸な出来事に見えることも,当事者にとって必要な出来事であり,何らかの意味があり,次の段階に移るのに必要なプロセスであったりする。見えがかりにとらわれて,不幸や失敗と否定的に決めつけ,落胆したり心配しすぎるのは,突き詰めれば,無知と自分への信頼の欠如から来る反応ではないか。もし,上手くいってないように見える人が周りにいたら,心配の念を送るのではなく,“万事上手く進みますように” という祈りと,“本人にとって最善の出来事でありますように” という信頼と希望の念を送りたい。それこそほんとうに愛のある態度だと思うから。


8/07/2012

24 心配は毒

思い煩ってはなりません.心配の念はせっかくの援助の通路を塞いでしまいます. 私はいつも取り越し苦労はおやめなさいと申し上げております. 心配の念は有毒です.悪気を生み出し,それがあたりを取り囲みます. 陰湿な雰囲気で包まれてしまいます. その状態になると霊の力も突き通せなくなります.  

 『シルバーバーチの霊訓  第9巻』 p. 65.



インスピレーションは,予期せぬ時に湧くことが多いです.リラックスした状態の時にひらめきやすいのは,私たちの恐れや不安など否定的な想いが強いと,ガイド達が助けたくても,働きかけにくくなってしまうからです。

"Never trouble trouble until trouble troubles you." ― 「取り越し苦労はするな」という意味です.

7/19/2012

ほんとうの「仕事の流儀」とは

某放送局で放映中の『○○フェッショナル』をたまに観る。似たような番組に,他局で放映中の『●●モン流』がある。いずれも,各業界の第一線で活躍する成功者に密着取材し,その華々しい仕事ぶりや充実した私生活と共に,舞台裏での努力や苦労も併せて紹介し,成功の秘訣を探っている。正の要素と負の要素の両方があるから視聴率が取れるのかもしれないが,番組の一環した基調は,やはり“サクセス・ストーリー”だろうと思う。ドキュメンタリー番組ではない。取材される人々が赤裸々に描かれ,その全貌が明かされる,ということはあり得ない。あくまでも,働く姿を,いくつかのアングルから美しく切り取ったものにすぎない。プライバシーの問題もあろうし,番組を通じて伝えられるイメージが,彼らの仕事に少なからず影響する可能性なども考慮すれば,それも致し方ないことかもしれないが。

もちろん,成功の陰にあった過去の数々の苦労や日々のたゆまぬ努力,仕事に取り組む真摯な姿勢に心打たれ,勇気を得ることもあるが,いささか斜に構えて眺めてしまうことも少なくない。番組制作側の意図がどの辺りにあるのか私には図りかねるものの,視聴者はこの番組から何に気づき,何を学ぶだろうか,と疑問に思う。何がしかの不満や悩み・苦しみといった負の想いを誰もが抱え,だからこそ,他人の不幸せや失敗に安堵し,ほくそ笑む人が多いこの現世にあって,仕事で華々しい成功を収め,充実した人生を体現している(ように見える)同時代人を紹介することが,観る人々にとってどんなプラスとなり得るのか。取材され,番組で取り上げられる人々にとっての,いわば“ご褒美的”番組になっているような気がしないでもない。

スピリチュアルな観点からいえば,いくつかの過去生に亘って経験と研鑽を積んできたことは得意である。よく,「すじがいい」とか「才能がある」などと言うが,それは過去生での経験の積み重ね,努力の集積の結果といえる。だから,仮に,いま達人でなくても,誰もがそれぞれの得意分野で前向きな気持ちと努力を怠らない限り,やがては「達人」になりうる,“達人予備軍” であり,“プロフェッショナルの卵” といえる。やがて訪れるであろう未来の自分の姿を重ね合わせ,予習気分で観る分には,夢があって楽しいだろう。成功イメージを潜在意識にしっかりインプットし,植えつけるイメージトレーニング的な効果があるかもしれない。

とはいえ,人生における「成功」とは,いわゆる同番組で映し出されるようなものとは限らないはずだ。その道のプロであることは無価値ではもちろんないが,世間が思うほど,番組が謳い上げるほど,素晴らしいとも思わない。勤勉,ハード・ワークは,間違いなく評価に値する。しかし,どのような仕事に従事しようとも,最も肝心なことは,「他者の利益のためにどれだけ無私の想いで尽くせるか」,それだけだと思うから,「プロフェッショナルね・・・・・・」とつい冷めた目で観てしまう。ひがみと言われてしまえばそれまでなのだが。

英国留学を機に,私は大きな試練を経験することとなった。自分の置かれた状況がそうさせたのか,ある時期から,教育テレビの『福祉ネットワーク』という番組を,時々だが,観るようになった。そんなことでもなければ絶対観なかっただろう。世の中には,想像もつかない困難や経験を生きている人々が少なくないことを知った。例えば,祖国を追われて日本に来たものの,難民として受け入れて貰えず,かといって帰る国もない無国籍のアジアの人々。拒食症に長年苦しむ若い女性たちや幼児虐待の果てに施設で暮らす,心に深い傷を持つ子ども達。悩み・苦しみから,自殺を図るも,未遂で救急搬送される人々。経済的困窮に負いこまれ,生活保護について何も知らず,本気で自殺を考える中高年世代。あるいは,身体的なハンディキャップをものともせず,経済的自立を目指して仕事をし,また,アスリートとしてスポーツ競技に打ち込む人達。そして,そんな彼らに向き合い,心寄り添い,日々全力で支える無名の多くの人びと。普段の生活では決して知りえない人々の存在を,間接的にも知る絶好の機会である。気づきや励ましを得ることが圧倒的に多いのは,前述の番組より,この『ネットワーク』であることは言うまでもない。

逆境の中で,試行錯誤を繰り返し,つまづきながらも,ひたすら前進する人びとの姿は,われわれに多くの教訓を与える。いわわゆる「健常者」の側が,様々なハンディキャップを背負った人々から教わることの方が,その逆よりも圧倒的に多い。また,彼らをサポートするという行為を通じて,大勢の人々が間接・直接に結びついていく。

この世的な成功が悪いわけではない。そうした人々の存在は社会にとって欠かせない。成功を夢見る気持ちは,ひいては自己の成長へとつながり得る。しかし,社会から賞賛や名声を得ることと同じくらい,いや,もしかするとそれ以上に,追求する価値のあること,深い喜びを見い出せることがあるかもしれない。自分にとってそれは何なのか,心静かに内なる声に耳を傾けてみたい


7/18/2012

タイミングと決意が肝心

小田和正さん作詞・作曲の『風と君を待つだけ』。

久しぶりに聴いて,メッセージ性のある曲だと感じました。

『遠景』と重なるメッセージ(夢をあきらめない)もありますが,さらに一歩前進するように,その機が熟しつつあることを伝えているようにも感じられます。

白い帆船の出航準備は整っています。あとは,「強い風」と「君」,つまり,その時期・タイミング(スピリット・ワールドからの後押しも含め)とあなたの(私たちの)踏み出そうとする意志・決意さえあれば,大海へと漕ぎ出せる段階まですでに来ています。

ですから,怯むべきではありませんし,心を閉ざしてもいけません。徒に焦ることなく,好機が到来したら,行動あるのみです。





過去生体験 3

その教会では,牧師さんの説教の後などに,合計3度お祈りをする機会がありました。が,不思議なことに,目を閉じて祈るたびに涙が溢れてきます。そして,きまって「キリスト教を棄てた私を,こうして皆さんで暖かく迎えてくださって,こんなに嬉しいことはない」という想いがこみ上げてくるのです。今...