機械化によって,そこに人の温もりを感じられなくなってしまっています。そればかりか,「効率の悪いものは切り捨てる」という弱肉強食の世をつくりだしてしまいかねないでしょう。もし今後,何でもコンピューターやロボットが人の代わりに仕事をするようになったら,職を失う人がさらに増え,よほど能力のある人しか生き残れないような時代になってしまうのではないでしょうか。便利を求め,経済効率を優先していたら,ますます「格差社会」になるのでは?と危惧してしまいます。
これからは,あえて「不便なもの」を残し,効率を追求することに歯止めをかけることも大切ではないでしょうか。この先どこまで科学の進歩を取り入れるのか―。 (中略)「便利なモノ」もどこまで発展させ,どこまで取り入れるのかをしっかりと見直していくことが急務ではないでしょうか。
どんなモノも,それ自体が何か悪さをするわけではありません。お金と一緒で,それを使う人の「心」が問われるのです。これからは,「私は,この便利はいらない」というふうに,自分で取捨選択し,自律していくことが大切ではないでしょうか?
江原啓之(2012) 『予言』 講談社。 pp. 141-147。
(強調はブログ作成者によるものです)
過剰な効率追求も,物質至上主義の一側面かもしれません。
「馬鹿と刃物は使いよう」という諺が示すように,核にしても,インターネットにしても,それらに本質的な問題があるということではないでしょう。ラジウムを発見したキュリー夫妻も,自らの研究成果が,やがては戦争の兵器として,さらには,原発事故を通じて,多くの人々に苦しみを与えることになろうとは予想だにしなかったでしょう。すべては人類の未熟さゆえに生じた出来事で,何であっても賢く使えば便利でも,使い方を誤ると命取りになりかねません。そして,地上には,さまざまな道具をより正しく,より賢く使えない人間が圧倒的に多いということでしょう。
話は少し飛躍しますが,霊能も同じです。人格のあまり高くない人が振り回すと刃物となり,ひとを不用意に傷つけます。また,霊能者経由で得た情報を他者に対して濫用することも同様です。
万事に通じることだと思います。
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