4/08/2012

豊かさを見直す

 終戦後のまったく食べ物のない状態からたかだか60年あまりでここまで豊かになった,そのスピード感たるやまさに超特急です。しかし,この変化で私たちはどこかで幸せを見失い,幸せ迷子になっているのではないでしょうか。さすがのアメリカでも,一般の家庭の日常食は質素なもので,日本ほどの贅沢をしている国はないと感じます。
 けれど,あなたは本当にいま,幸せを感じていますか?たとえば,仕事のつきあいで食べるご馳走より,家に帰ってから食べる一杯のお茶漬けのほうがホッとできるように,どんなに質素な食事でも,家族や友達など気のおけない相手と食べていれば,それだけで十分心が満たされると思いませんか?
 人は未熟さゆえに,ついついわかりやすい贅沢や物質的な豊かさに溺れてしまいます。しかし,それで得られるのは,刹那的な充足にすぎません。たとえお金をたくさん持っていなくても,1冊の本を読むなり美術館で絵画を観るなり,心を豊かにする方法はたくさんあります。モノやお金でしか幸せを得られない,というのは思い込みなのです。
 「足るを知る」というのは,とりもなおさず,本当の幸せを探すということ。人と比べず,自分自身の心が豊かに満たされる生き方をするということではないでしょうか。人は物質的に満たされすぎるとかえって喜びを感じづらくなります。「あって当たり前」と思うと,そこに感謝も生まれませんが,「ないのが当たり前」と思っていれば,謙虚になれるものなのです。

江原啓之(2012) 『予言』 講談社。 pp.116-117。

(強調はブログ作成者のものです)



失ってはじめてわかるものがあります。大震災がきっかけで,当たり前の有難さに気づいた人も多いと報じられています。

バブル崩壊後に私たちは気づくべきでした。しかし,まだ気づけなかったので,今回のような事態となりました。これでもまだ気づけなければ,次は何が起こるかわかりません。

気づいている人々には,その気づきを周囲へ伝える“責任”があります。

一人の目覚めは全体の目覚めにつながります。







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