悟りの道に近道はありません.代りの手段もありません.安易な道を見つけるための祈りも儀式も聖典もありません.いくら神聖視されているものであっても,そんな出来合いの手段では駄目なのです.師であろうと弟子であろうと新米であろうと,それも関係ありません.悟りは悪戦苦闘の中で得られるものです.それ以外に魂が目覚める手段はないのです.
『シルバーバーチの霊訓』 第1巻.p. 112.
ただひたすら地道に瞑想を続けていったからといって,それだけで自動的に,人格が向上したり,磨かれることなどあり得ません。
霊的真理が,苦しみの中から掴んだものなのか,比較的平坦な道のりを経て辿り着いたのかで,その理解度,そして,慈悲深さの程度に違いが出るように感じられるのは,気のせいでしょうか。もし,血の滲むような苦しみを経ずして知り得た教えにも関わらず,スピリチュアリズムが「わかる」自分は優秀だ,とか,どこぞの国のミディアム達に霊性が高いと言われた,ということで自信を持っているような人がいるとすれば,それはやや笑止千万です
0 件のコメント:
コメントを投稿