キサーは,結婚して幸せな家庭生活を送ることに夢を抱いていた若い女性でした。親が決めた結婚ではありましたが,夫となる男性とは最初に会った時から,互いに惹かれました。が,結婚して1年後,夫は事故で亡くなります。そして,生まれたばかりの,夫にそっくりな息子を育てることに情熱を注ぎ始めた矢先のある朝,ベッドの上で亡くなっている息子を発見しました。悲しみが余りにも大きく,彼女は気がふれてしまいます。腐敗しはじめても,息子の遺体を手放しませんでした。この続きはこちらをご覧下さい。
". . . the Buddah as a friend and facilitator headed Kisha-Gotami in the right direction, and she was able to move from her painful intimate loss to loss as a general human issue. He helped her successfully move from a particular to the general. This is the way of wisdom. This gave her distancing. Wisdom is what makes us rise above life's miseries, not unrealistically but rather in the same timely existential way that Kisha-Gotami did. She confronted the main challenge of her life as she went from door to door. Little by little wisdom awakened in her like the morning sun. True release from suffering is never effected by harping ad infinitum on the personally toned material of a painful complex. Freedom comes when, bearing our scars, we are able to rise above the personal to the level of the transpersonal . . . ."
Eugene Pascal (1992). Jung to Live by: A Guide to the Practical Application of Jungian Principles for Everyday Life. p. 77.
ブッダは,友として,且つ,先導役(ファシリテーター)としてキサー・ゴータミーを正しい方向へ向かわせたので,彼女は,辛い個人的喪失から人間の一般的な喪失の問題へと前進することができたのである。ブッダは,彼女が特殊から一般へと上手に進む手助けをした。これが智恵のはたらきである。そうして,彼女は,自分の問題から距離を置いた。智恵とは,非現実的なやり方でではなく,キサー・ゴータミーのように,いまの生活の中で,われわれに人生の惨めな出来事を乗り越えさせるものである。彼女は,人生の大きな挑戦に,一軒一軒家を訪ね歩くことで向き合った。そして,少しずつ,朝日が昇るように智恵に目覚めていったのである。
苦しみからの真の解放が,つらい個人的な経験を延々と語り続けることによって達成されることは決してない。解放は,痛みに耐えながら,個人を超越した段階に至ることができたときに訪れるものなのだ。
(原文中および訳文中の強調はブログ作成者によるもので,和訳は同作成者による試訳です。)
否定的で後ろ向きなものの見方・考え方は,前向きな性質を培うことで克服できる,と著者は述べています。それには時間がかかります。車の運転のように比較的簡単なことでも教習所に通って覚える必要があることを考えれば当然でしょう。
ブッダは,悲しみに暮れる彼女に最初から教えを授けたわけではありませんでした。彼女自身が気づけるようにと,そのきっかけを提供したにすぎません。私たち一人ひとりを守り導いているスピリット・ガイド(守護霊)たちも,このブッダと同じことをしています。気づけるか気づけないかは,すべて私たち次第です。
「共感を広げる」もご覧ください。
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