Even though there may be one truth, many approaches exist to this truth.
B. L. Weiss, MD
真理は一つかもしれませんが,この真理に辿り着く道は沢山あります.
たとえば「愛」について学ぶ場合,学び方-体験する出来事-は人により実にさまざまで多岐に亘っています.幸せでも短い結婚生活のあとの配偶者の突然死であったり,結婚したいのになかなか相手に出会えないつらさを通して,または配偶者の不貞であったり,家族との深刻な葛藤など,枚挙にいとまがありません.人の数だけパターンがあります.
また,真理探究への道程も様々です.イスラム教を通じて歩みを続ける人々もあれば,マザー・テレサに感銘を受けたり,サイババを通じて目覚める人々もいます.日本の諸新興宗教しかりです.どういうコースを選んでも,最終的に到達すべき目的地はひとつです.即ち,人間の本質は光,たましいであって,本質は永続することを知り,地上人生を「真理」に沿った形でよりよく生きることです.
霊界サイドは(主護霊を始めとするガイドを通じて),あらかじめ立てた(はずの),「納得ずくの」人生計画に則って,われわれ個々人の興味・関心を「利用して」,あくまでも我々が受け入れやすいように "カスタマイズされた" 方法で,真理に気づき,学ぶことを奨励し,サポートしています.真理を学ぶコースは,人の数だけあります.通う学校が異なれば,使用する教科書や,カリキュラムや,教わる先生が異なるのとも酷似しています.また,各自の「たましいの経験値」が異なるため,自分にとっての正解が他の人々にとっても同じように正解とは限りません.
とはいえ,特定の高級霊からの霊界通信に基づくスピリチュアリズムしか認めないとか,宗教もスピリチュアリズムも,ある種の必要悪と見做すような,"超スピリチュアル" こそが最善であるかのような主張を展開する方々も一部にはいらっしゃるようですが (スピリチュアリズム普及のため,長年に亘り苦労と勉強とを積み重ね,大我で活動されて来られた数多くの先達ならびに同時代の人々に対する,ある種の挑戦とも受けとられかねず,思慮が足りません) ,どちらにも,小我な部分 (ある種の偏狭さと勉強不足) が感じられます.人に危害を加えて社会に多大な迷惑をかけたり,良識に反する,明らかに誤った教えを広めたり,多額の献金を求め,高価な商品の購入を要求するようなものでなければ,既存の宗教,新興宗教,新新興宗教もよし,ニュー・エイジも結構です.相手が信ずるものへの尊重を大きく欠いた態度は,残念ながら,真理に適ったものとはいえません.
また,霊能力(霊視,霊聴)を殊更に有難がったり,自負する,といった風潮も真理に沿うものではありません.某霊能者の言葉を借りれば,「だれでもあの世に帰れば霊能者(で,自分はただの人になる)」です。優れた霊能者やヒーラーを,それこそ"救世主"よろしく崇め奉る態度も,非常に物質主義的であり,無知から来るものでしょう。霊性は霊能の優劣とはほぼ無関係であり,いわゆる "霊能" がなくても霊性が高く,そのことを別段自覚するでもなく,「ひとのために」をモットーに日々を真摯に生きている人々は少なくありません。逆に,どれほど優れた霊能者でも,群がり,おもねる大衆の愚昧さによって,勘違いをして優越感を抱き,傲慢に陥るケースも後を絶ちません。
特に熱心に信じている宗教等がなければ,科学的にある程度立証され,確立され,継承されてきた知識を体系的に学び,それに則って日々生きるように努めることは,長い目で見て,自他ともに有益であると思います.
0 件のコメント:
コメントを投稿