12/31/2012

楽観が大切

 「大丈夫・・・・・・」と老人は繰り返した。「あんたの悲しみもまだまだ大したことはない。人生はながいからな。これから先いいことも悪いことも,いろんなことがある。母なるロシアは広いんだ!」と老人は言い,左右を見まわした。「私はロシア中を歩いて,ありとあらゆることを見て来たから,嘘は言わない,信用しなさい。これから先いいことも悪いこともあるさ。私はね,歩いてシベリアにも,アムールにも,アルタイにも行ったんだ。シベリアに住みついて百姓をやったこともあるが,そのうちに母なるロシアが恋しくなってな,生まれ故郷の村へ帰ってきた。帰りもやっぱり歩いてさ。今でも覚えているが,渡し船に乗っていたときのことだ,私はがりがりに痩せて,ぼろ服を着て,はだしで,寒さにがたがた震えながらパンの皮をかじっていた。するとその渡し船に乗っていた旅の旦那が-もし亡くなったのなら安らかに眠りたまえー気の毒そうに私を見て,涙を流してこう言った。『ああ,黒パンを食べているんだね,あんたの暮らしもお先真っ暗なんだね・・・・・・』 村に帰り着いたときは,いわゆる素寒貧というやつでね,女房はいたけれどもシベリアに残って,あっちで骨を埋めた。そんなわけで今じゃこうして日雇いの百姓の暮らしさ。といったって,なあに,その後いいこともあったし,悪いこともあった。今だって死にたくはない,あと二十年がとこは生きたいな。つまり,いいことのほうが多かったということさ。なにしろ母なるロシアは広いんだ!」

 アントン・チェーホフ 「谷間」 『可愛い女・犬を連れた奥さん』 新潮文庫.p. 183.



チェーホフは結核のため44歳という若さでこの世を去っています。引用元の作品は,亡くなる5年前に発表されたもので,老人の台詞には,彼の人生観やまだ生きたいという思いを読み取ることができなくもありません。

人生は長いようで短く,短いようで長いかもしれません。そして,いいことばかりも悪いことばかりもない。この老人は人生に対して楽観的ですが,こうした「ある種の楽観」が,苦しいときこそ必要かもしれません。



12/20/2012

NOTHING IS THE END OF THE WORLD

Relax.  Nothing is the end of the world. 
There is a solution to everything. 
We must never, ever, take ourselves too seriously.


Ted Waitt (a co-founder of Gateway)

リラックスしてください.何も「この世の終わり」というほど最悪ではありません.全てのことには解決策があります.私たちは決して深刻になりすぎてはなりません.


アメリカのGateway社の創立者の一人,テッド・ウェイトの言葉です.出典は不明です.

ゼロから会社を立ち上げ大企業にまで成長させた自身の体験から生まれた哲学のようですが,これもスピリチュアルな教えにぴたりと符号していて見事です.

どんな試練の時も,私たちは,常にスピリット・ガイドに見守られ,導かれています.絶体絶命のように見えても,前向きな気持ちを失わない限り,そこから抜け出すきっかけに必ずや導かれます.自分が乗り越えられない試練は絶対に起こりません.そう信じて,不安からできるだけ自分を解放しましょう.不安の念が強いと,ガイドからの援助を受け取りにくくなります.
 

11/23/2012

あなたの価値

 真の価値は心にあること,そして自分の価値に責任があるのは自分だけなのだ,ということを覚えておいてほしい。雇い主が自分の価値を与えてくれることはあり得ないのだ。または仕事上の地位などというものは,まったくの錯覚だということを銘記しておこう。地位には何の意味もない。事実,職業上の地位や名声にこだわるあまり道に迷う者が多いので,こちら側にいるわれわれは深く悲しんでいる。

ジュディ・ラドン 『輪廻を超えて』

11/12/2012

伊勢神宮参拝 2

一生に一度は行きたい伊勢参り,と言われた時代があった。現代のように交通網が発達した時代では,時間とお金の都合さえつけば,どこからでも何度でも行かれる。だから,ありがたいのか,逆にありがたみが減るのか。

伊勢神宮は,日本の神社の中では最高の位置づけである。カジュアルな軽装ではなく,男性ならスーツとか,女性なら最低でもスカートにジャケットといった,きちんとした服装で行くのが本当なのだが,そうした服装の人は,お宮参りで訪れた(らしい)一部の人々以外には殆ど見当たらなかった。我々のグループは40名余りの団体だったが,その中でもスカートを穿いていたのは私だけではなかっただろうか。さすがに添乗員さん(女性)はパンツ・スーツだったが。スピリチュアルなことや霊的世界に特別な関心のない人々が,特に遠方から出向くとなれば,服装にまでは気がまわらないかもしれない。が,それでも,お墓参りにくだけた普段着で出かけるべきではないのと同じ理由で,格式の高い神社参拝の際にも服装に注意したい。いやしくも霊的な仕事に携わっているなら,言うまでもない。
 
* * *

さて,両参りは今回が初めてだが,内宮へは(おそらく)2回目の参拝となる。最初に行ったのは小学校の修学旅行で。が,いかんせん五十鈴川しか記憶にないため,本当に参拝したかどうか定かではない。

来年の式年遷宮(20年毎に正殿・社殿を建て直し,御神体を移す行事)に向けて,内宮でも新しいお社の建設中であった。鳥居や川に掛かる橋もすべて新しくされるとか。新しい橋げたが見えた。


橋の反対側は,


木々が美しい。

どちらも,風日祈宮(かざひのみのみや)の手前に架けられた橋の上から撮影したもの。風日祈宮とは,風の神様を祭る別宮で,鎌倉時代元寇のとき神風を吹かせて日本を守った神様。この別宮の傍に立つどれかの木に強いパワーが感じられるらしいと,どなたかのブログで読んで期待していたが,特に何も感じなかった。


その後で,荒祭宮(あらまつりのみや)という別宮へ向かったが,どうやらこちらの宮が格が高いらしく,正殿の次に向かうべきは荒祭宮だったと,風日祈宮へ行ってから判明。引き返す時間も惜しいので,そのまま参拝。別宮にも格の違いがあるそうで,格の高い別宮から参拝するのが正式だ。建て替えも格の高い順に行われるとか。風日祈宮の前にいらした警備員さん(らしき男性)が,他の参拝客に説明されているのを,立ち聞きして知った。


荒祭宮は,内宮のご祭神,天照大御神(あまてらすおおみかみ)の荒御魂(あらみたま)が祀られているが,石段を上がった高台にある。石段のふもとに,樹齢200年とも言われる巨大な杉の木がある。その幹に耳を当てると,中を水が流れる音が聴こえるとか聴こえないとか。試したが何も聴こえない。大勢の人がそのエネルギーを感じようとして触った跡だけが,遠目に黒ずんで見えた。


出口の方へ向かって歩いていると,通りがかりの年配の女性(地元の方)が,池に鯉がいるわよ,と教えてくださった。なんでも,五十鈴川の鯉は最近の大水で流されてしまったそうだ。せっかくなのでその池をのぞいてみると,立派な鯉が何匹も泳いでいた。うちの近所の,とある有名なお寺の池にも鯉がたくさん泳いでいるが,その鯉たちと比べると,やはり色つやも,雰囲気も一段と立派な様子。きっとお値段もお高いのだろうな,などと下世話な考えが一瞬頭をよぎる。


それから,馬がどうとか言われていた。厩がおはらい町通りのほうにある,ということだが,未確認。白馬だけじゃなくて,茶色い馬もくるのよ,とお話されていたが,そもそも何のために馬が来るかがわからない私。鯉が泳いでいるという別の池の方へ歩みを進めて,その方とは別れた。

出口へ向かう途中,ふと見上げた空には珍しい形の雲が浮かんでいた。



この2枚はあまり時間を置かずに撮影したもので,場所も殆ど移動していないが,カメラを向ける方角を変えてみたもの。いま改めて見直してみると,上の写真の雲は,翼を大きく広げた鳥のようにも見えて面白い。(みなさんは何を感じますか。)

宇治橋をわたって内宮を後に。(下は,宇治橋からみた五十鈴川)


内宮では風景写真しか撮っていないことに改めて気がついた。個々のお社というより,川の流れから空に至るまで,この境内そのもの,この場一帯に強いエネルギーが満ち溢れている,ということかもしれない。(それとも,ただ大勢の参拝客を避けた結果なのか。)少なくとも,内宮は,自然の多様さにおいて外宮よりまさる。


伊勢神宮とは,外宮,内宮を中心として,合計125の神社から成る全体を指すとか。たしかに,ご存知の通り,外宮と内宮は離れた場所にある。また,今回は月読宮(つきよみのみや)など,立ち寄れないところもいくつかあった。内宮に行ったのは土曜日とあって,参拝客が非常に多く,神社参拝というより,有名観光地を訪れた気分だった。正宮の拝殿で拝むのも順番待ちで,後ろを気にしながら祈らなければならない。初詣はこの比ではないとか。「ところてん状態」とはバスガイドさんの言葉。が,平日はとても空いているらしいので,次回は今回廻れなかったところも含めて,平日に参拝したい。




猿田彦神社

伊勢神宮内宮から徒歩で15分くらいのところに,猿田彦神社がある。ご祭神は,二見興玉神社と同じ猿田彦大神とその子孫と言われる大田命(おおたのみこと)。みちひらき(啓行)の神様として知られている。

名前は聞いていたが,内宮の近所にあるとは知らず,出発前に参拝の予定はなかったが,時間もあったので参ることに。内宮から行くにはいくつかのルートがあるが,内宮を出て,右手に広がるおはらい町通りを突き抜けて,御幸(みゆき)道路に出るコースが初めて行くときは間違いがないだろう。幹線道路に出てしまえば,大きな看板が見えるので必ず辿りつける。

猿田彦神社に到着した時点で,出発時間が気になったのと疲労のためか,写真を撮ることさえ忘れていて画像は何も残っていない。宇治橋から撮影したのが今回最後の写真となった。内宮の後で訪れたせいか,境内はかなり狭い印象がある。七五三参りの家族が多かった。

鳥居を入ってすぐ右側に小さな社(佐瑠女神社 さるめじんじゃ)があるが,芸事と鎮魂の神様,天宇受売命(あめのうずめのみこと)が祀られている。天照大神が天岩戸にお隠れになったとき,世の中が真っ暗になり混乱が生じた。そこで,あめのうずめのみことが岩の上で舞を踊り,集まった八百万の神々を笑わせた。その騒ぎを聞いた天照大神が,なにごとか,と岩戸を少しだけあけて尋ねたところ,「新しい神様の誕生をみなでお歓びしているところです」と答えた。新しい神様と聞いて興味をそそられたアマテラスは,さらに大きく岩戸を開け,世の中に光が戻った,という神話は有名だろう。
* * *

日本人は,人生の節目節目で神社を訪れる。「神社に詣でるから,転機が来る」のではなく,「転機を迎えるにあたり」神社参拝をして新たな気を戴き,古い気を手放すのだと思う。この辺りのことをわかっていないと,参拝も「ご利益」を求める,ただの“パワースポット巡り” になってしまう。

11/11/2012

伊勢神宮参拝 1

ある朝聞いたラジオ番組で,ふと耳にした情報から,急に伊勢神宮参拝を思い立った。気がつくと,その日の夕方には伊勢神宮両参りのツアーに申し込んでいた。

細かく計画を立てて用意周到であることも少なくない反面,このように全くの思いつきで行動を起こすことも同じくらい少なくない。この殆ど全く根拠のない思いつきは,大抵の場合,インスピレーションである。今年の11月は,都合よく金曜の仕事が休みの日が多く,週末にかけて出かけることが可能だった。また,どういうわけか利用が著しく減った占いのお陰で,経済的にも若干の余裕があった。進めてもよい,または進めるべき出来事は,こうして万事上手く流れていく。


最初は,神宮参拝を(後ろから)促されているのかと思った。それもあるだろう。しかし,どうやら先方から呼ばれてもいるらしかった。この「呼ばれた」感覚は,現地でさらに強まった。


神宮参拝の古来からの順序は,外宮(げくう)から内宮(ないくう)とされている。これはよく知られているのではないだろうか。しかし,昔は,外宮へ向かう前に寄る場所があった。それは二見浦。こちらに寄り,実際に海に入って禊ぎをしてから詣でたとか。旅の全行程で,天候には恵まれたが,1日目の夕方は風が強くなり(ガイドさんによれば,もっと強いことも珍しくないとか),神社へ向かう途中,波しぶきがかかる場面も。かなり強い風と少しの波しぶきで,禊ぎの効果は充分あったと思う。


今回は,宿泊場所の関係などで,まず外宮を参拝し,それから
二見浦興宮神社へと向かった。1泊2日の団体行動はなにかと慌しく,写真を撮る余裕もあまりなかったが,二見浦のとあるショット:




蛙の像は,二見蛙とも呼ばれるようだが,後に人々から奉納されたもののひとつ。蛙は,この神社のご祭神,猿田彦大神(さるたひこおおかみ)の使いと信じられていて,帰る,返る,との語呂合わせにちなんだご利益(お金が返る,無事に帰る,若返るなど)があるらしい。信じる信じないは全く自由である。

しめ縄が掛けられた岩をご存知の方は多いだろうが,蛙とのツーショットはちょっと珍しいかもしれない。(画像の上でクリックすると大きくなります。蛙の眼差しがややリアルですね。)ちなみに,岩のしめ縄は,一本(いや,一箇所というべきか)でも切れると,全て掛けなおさなければならないとか。


時間が前後するが,1日目のハイライトは外宮参拝。金曜日だったせいか,人も少なく,静かで良かった。




写真は,人気が無くなってから,出発時間を気にしながら撮影したもの。正宮の鳥居とその奥には,拝殿の一部と新たに建設中の新御敷地(しん・みしきち)の一部が見える。来年は20年に一度の式年遷宮(しきねんせんぐう)の年。正宮・別宮がすべて建て替えられ,御神体が移される。川に架かる橋や鳥居もすべて新しくされるという。境内のあちこちで,建て替え作業の様子が聴こえてきた。

多賀宮(たかのみや)は別宮(べつぐう)で,外宮の祭神,豊受大御神荒御魂(とようけのおおみかみのあらみたま)を祀ってある。ちなみに,外宮ご祭神の豊受大御神は,内宮のご祭神(天照大御神)とともに,女性の神様である。が,バスガイドさんの話によれば,なかなか強く,頼もしい気質を持たれた方とか。
荒御魂とは,和御魂(にぎみたま)とは対照的に,神性の荒々しさ,強さの部分が顕現したもの。気のせいでなければ,確かにそうした強いパワーを感じた(かも)。

呼ばれたと感じた,と最初に書いた。多賀宮の参拝後,鳥居を出たすぐのところにある杉の巨木の幹に触れていたとき,「よく参った(か,参られた)」という言葉が浮かんだ。外宮へ向かうバスの中でも出ていたのだが,まさか多賀宮から発信されていたとは。次の日参拝した内宮でも似たようなことがあった。正宮に参る前,人の多さに少々うんざりしながら,拝殿に背を向けて,ひとり目の前の空き地を眺めていた時だった。「よく参られた」と言葉が来た。バスの中でも,外宮でも,自分が考えた文句ではないか,と思っていた。が,内宮で再びその言葉が出たときようやく,そうではない,伝わってきたものなのだ,と信じるに至った。


面白いのは,いずれも背後から来た,ということ。外宮では,真後ろではないが,鳥居を出て右手に出た位置に背を向けて立っており,内宮ではほぼ真後ろだった。いずれも後ろから声をかけられる,というのは,神々が私たちに姿を見せられることはない,ということなのか。挨拶の主が誰なのか今以て定かではない(それぞれのご祭神なのか,その方々に仕える下々の神様なのか)し,また,なぜ呼ばれたのかもまだ不明だが,いずれにせよ何らかの必然性によって今回の参拝が実現したにちがいない。


この日の夜から次の日にかけて,夢-怖くて,驚いて目が覚めるような-を見た。そのおかげで明け方5時に目覚め,東向きの窓から朝日を拝むことが出来た。
  6.19am

 6.25am

東向きの部屋だったことに感謝。



10/10/2012

Humility 謙虚さ

It is said that humility is truth.
The path that will make us more like Jesus
is the path to humility.

Pride destroys everything.  To imitate Jesus
is the key to be meek and humble in heart.


謙虚さは真実だと言われます。
私たちがイエスに近づく道は
謙虚さへの道です。

プライドはすべてを破壊します。イエスを見習うということは優しく,控えめな心になるということです。(マザー・テレサ)

Mother Teresa: In My Own Words.  (1996)
Compiled by Jose Luis Gonzalez-Balbado. 
 Liguori: Misouri, p. 56. 

読みたい本(7)

  千賀一生。『ガイアの法則』ヒカルランド。 いまの時代に読むべき必読書です。 正・続2冊ありますが、1冊目の裏表紙に印刷されている言葉を以下に紹介します: 宇宙に,聖なる16ビートが存在することを告げるガイアの法則— 新型コロナとの驚くべき精緻なる関係性も明らかに! 地球の歳差...