3/31/2015

19 インスピレーション

 もう一つ理解していただきたいのは,地上時代に発揮していた精神的ならびに霊的資質が何であれ,皆さんが“死んで”その肉体を捨ててしまうと,地上時代よりはるかに多くの資質が発揮されはじめるということです.肉体という物質の本質上,どうしても制約的・抑止的に働くものが取り払われるからです.そうなってから,もしも地上に,右の例の画家のように精神的ないし霊的なものを縁としてつながる人が見つかれば,その拡張された能力を役立てたいという気持になるものなのです.
 その影響力を無意識のうちに受けておられる場合もあります.地上の芸術家はそれを“インスピレーション”と呼んできましたが,それが“霊”から送られていることには気付いておられないようです.つまり,かつて同じ地上で生活したことのある先輩から送られてきているという認識はないようです.
 これは,わたしの場合にもいえることです.生命の摂理について皆さんより少しばかり多くのことを学んだわたしが,こうして地上へ戻ってきて,受け入れる用意のある人にお届けしているように,わたしより多くを学んでいる偉大な先輩が,このわたしに働きかけているのです.偉大さの尺度は奉仕的精神の度合にあります.いただくものが多いから偉大なのではなく,与えるものが多いから偉大なのです.
 どうか皆さんも,可能なかぎりの美徳を地上にもたらすために皆さんを活用しようとしている高級霊の道具である,というよりは,心がけ一つで道具となれる,ということを自覚なさってください.自分が授かっている資質ないしは才能を人類のために捧げたい-苦悩を軽減し,精神を高揚し,不正を改めるための一助となりたい,という願望を至上目的とした生き方をしていれば,何一つ恐れるものはありません
 何が起きようと,それによって傷つくようなことはありません.目標を高く掲げ,何ものにも屈しない磐石の決意をもって,“最大多数の人々への最大限の徳”をモットーにして仕事に当たれば,それが挫折することは絶対にありません.


『地上人類への最高の福音』 第七章より




インスピレーションを受けて為される仕事は,なにも芸術の創作活動に限ったことではありません。学校の勉強,会社や組織でのさまざまな仕事や,園芸,料理など,生活のありとあらゆる場面で霊的なはたらきかけがあります。大抵の場合,人々はそれと気付かずに受け取っているようです。

必要なときに,必要なインスピレーションをキャッチできることが肝要です。そのために,こういったことを「知識」という形で持っておくことも役立つでしょう。また,「こころの目や耳」を澄ませるように心がけることも大切です.霊的に受身の状態でいる,という言い方がされることもあります。

また,偉大さの尺度は奉仕精神の多寡にある,という点も,心に留めておきたいものです。


3/30/2015

知識はゆっくり身につく

…智恵はごくゆっくりとしか身につかない.なぜならば,短期間で簡単に得られる知的な知識が,“感覚的”あるいは潜在意識のレベルでの知識へと変えられなければならないからだ.一度この変化が起これば,この知識は永遠のものとして刻み込まれる.この変化のためには触媒としての行動が必要である.行動がなければ,単なる言葉だけの知識は枯れて色あせてゆく.実際に応用されなければ,理論的知識は何の役にも立たない

ホイットン他 『輪廻転生』 p. 255.

出典は不明です。

口先ばかりで頭でっかちはいけない,(霊的)知識は行動を伴わなければただのアクセサリーにすぎない,といった戒めの意味で,実践の重要性が説かれることがありますが,実践が重要であることの本来の意味は,知識を本当に身につけ,ひいてはたましいを成長させるため,ということなのですね.

知識を身につけるためには,まず行動が必要であり,身についた知識は適切な行動となって現れます.

記事 「Application is more important  実践が大切」 も参照ください.

Gain wealth in spirit たましいの豊かさを得る

Your sense of competition and your love of material gewgaws needs to be replaced by heartfelt love of others and a desire to share all that you have.  In sharing you gain greater wealth than any amount of hoarding could give you.  You gain wealth in spirit.  And you release what most of you suffer with now—you release the fear of losing those “valuables.”  When you give all you have, you have nothing important to lose and nothing to fear.  Yet your cup will overflow.  As you love others, you do not lose love, nor will your love be used up.  It grows even greater as it is given.

あなた方の競争意識と物質的な見かけ倒しの物を愛する気持ちは,他者への心からの愛や持てる全てを分かち合いたいと思う気持ちに置き換えられる必要があります。分かち合うとき,いかに多くの蓄えももたらせないほど多くの富を得ます。そして,あなた方の大半がいま苦しんでいるもの―つまり,「高価なもの」を失う恐怖―を手放すことになります。持っているもの全てを与えるとき,あなたには失うものも,怖れるものも何もありません。それでも,あなたの杯は溢れるでしょう。相手を愛するとき,愛を失うのでも,あなたの愛が尽きてしまうこともありません。与えるとき,それは一層豊かになるのです。(拙訳)

Judy Laddon (2011).  A Further Step beyond the Veil. Kindle edition.




お金でさえ,出した瞬間には残高は減りますが,金は天下の周りモノ,という諺にもあるように,必要な時には必要な分だけ入ってくるものです。








3/29/2015

91 たましいが目覚めるとき

魂が目覚めるまでは往々にして悲しみや病気がお伴をすることになります。絶望のどん底に落ちてはじめて目覚めることもあります。物の世界には真の慰めとなるもの,希望を与えてくれるもの,魂を鼓舞してくれるものが無いことを悟ったときに魂が目を覚まします。長いあいだ眠っていた霊性が目を覚ますのです。 (中略) 人生は精神と身体と霊の相互作用から成り立っています。残念ながら霊の活動が抑えつけられ,本来の属性や才覚や能力がほんのわずかしか顕現されていないケースがあまりに多すぎます。

『シルバーバーチの霊訓』(近藤千雄訳 潮文社)第二巻 p. 47.




目に見えない世界に「気づかせる」または「関心を持たせる」出来事は,おそらく非常に多くの人が体験するでしょう。しかし,そこからさらに,「魂の目覚め」に至るには,人並みの苦労では充分ではありません。

霊性も決め手には違いないでしょうが,谷底に突き落とされ,そこから独力で這い上がったことがなければ,真理を深く理解できるようにはならないのではないでしょうか。シルバーバーチをはじめとする霊訓を何冊読もうと,通信の素晴らしさにどれだけ感動しようと,実体験を伴わない場合には,教科書的な字面だけの理解に終始しはないか,と感じるこの頃です。



75 哀れみの心

 私に言わせれば,道徳的であるということは,自分が悟った最高の原理に照らして行動しているという理想を信念として生きることです.それは,たとえば人にやさしくするということであり,人の役に立つということであり,哀れみの心を忘れないということです.
 またそれは,いかなる意味においても人を傷つけないということであり,人の進歩を妨げないということであり,自分の理想としている真理に忠実でなかったと,後になって恥じ入るような振る舞いをしないということです.


バラード/グリーン共著 近藤千雄訳.
『シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q & A』 p. 168.


スピリチュアリズムを知っていると言いながら,日常生活で活かせていない人がとても多いと感じます.知識を持っているだけでは不十分です.まず自分に当てはめ,いかに実生活で活かすか-これは非常に難しいことですが,これこそが最も重要なのです.

自分が楽しければそれでいい,という能天気な態度は,スピリチュアリズムを深く理解している人のものとは言えません.


日本は豊かな国だから貧しい国々の人々に無関心なのも仕方がない,と事もなげに言い捨ててしまう態度も,哀れみの心が豊かな人のものとは言えないのではないでしょうか。


日頃から自分より恵まれない人々に目を向け,関心を寄せ,こころ寄り添う姿勢を.そうした心がけが持てないでいて,「霊界のメッセージを人に知ってもらい,役立ててほしい」などと言うのはいとも容易いこと.それでもし,自分はスピリチュアリズムを「理解している」とか,知らない人より人格が高い,と思っているとすれば,ただの思い上がりです.そういう人は,一見優しそうに見えても,ひとの苦しみや痛みに鈍感で,こころが冷たいものです.寄付などにも無関心な場合が多いでしょう。

3/28/2015

40 霊的な仕事に携わるために


真理のために身を捧げる者は徹底的に試練を味わう必要があるからです.霊の大軍に所属するものはいかなる困難にも耐え,いかなる障害にも対処し,あらゆる問題を征服するだけの強さを身につけなければなりません.
   はじめて遭遇した困難であっさりと参ってしまうような人間が霊の道具として役に立つでしょうか.最大の貢献をする道具は浄化の炎で鍛え上げなければなりません.それによって鋼鉄の強さが身につきます.一見ただの挫折のように思えても,実際はみな計画された試練なのです.人を導こうとする者が安逸の生活をむさぼり,試練もなくストレスもなく嵐も困難も体験しないでいては,その後に待ちうける大事業に耐えうる性格も霊力も身につかないでしょう.


『シルバーバーチの霊訓』 第2巻 p. 206.


霊能者やミディアム(霊媒)になる人は予め決まっているといわれます.どんなに霊感が強くても,そうなりたいという思いだけでなれる訳ではないようです.元々霊感が強いという自覚もなく,また霊視・霊聴が利かなくても,そうした役割を担うことが決まっている場合には必ず導きがあって,例えば,大きな苦労,臨死体験等々がきっかけとなって,霊的に覚醒し,自然とそういう方向へ進むようになります.

ただの「きれいごと」として,その上,ある種の優越感さえ伴って,霊的真理を伝えることを「大事業」とは呼ばないでしょう。自ら汗することなく,もしくは,手を汚さずして,大事を成し遂げることなどできるはずがありません。

3/22/2015

気づきは日々の些事から

霊的真理・摂理と呼ばれるスピリチュアルな教えは素晴らしい。特に,19世紀後半から20世紀半ばにかけて英仏の有識者を霊媒として降ろされた数々の霊訓の奥深さには,いまなお他の追随を許さないものがある。ところで,当時,神学者,牧師,教育家といった知識人たちが霊媒として選ばれたのは,彼らの,抽象概念をよく扱い得る発達した知性や豊富な語彙力を利用して,真理のメッセージを活字として残し,時空を超えて地上にできるだけ広く行き渡らせる為だったのだろう。高度なインスピレーションは,ことばではなく,映像やイメージで来るものだ,と言うミディアムがいたが,私は少し疑問に思う。言葉による受信を否定することは,『シルバーバーチの霊訓』に代表される優れた霊界通信・霊訓の信憑性をも否定することになりはしないか。要は,霊媒の得意な部分,優位な器官を利用してメッセージを送ってくるのだろう。大雑把に言えば,右脳をよく使う,直観や感覚が発達したタイプの人(アーティストなど)は,霊視が発達しやすく,左脳的思考に馴染じむ人の場合は,言葉や思念として受け取られる(変換される)ことが多いのではないかと思う。

しかし,デパ地下の惣菜売り場で試食を繰り返しても食事の代わりにならないように,霊界から届けられた教えの(さらに)ごく一部を拾い読みし続けても,決して自分の身にはつかない。「簡単に手に入れたものは簡単に失う」とシルバーバーチも伝えているように,額に汗して自らの手で掴みとらなければ,本当に学ぶことはできないものだ。かといって,膨大な冊数の本を読んで,知識を得さえすればそれで充分ということもない。知識を得るだけでも,体験から学ぶだけでも不十分で,この両方のバランスがとれてはじめて(バランス比は人によって異なるかもしれないが),スピリチュアルな教えが身に着いていくのではないか。本を読んで知識を得ることと,日常生活での具体的な体験と沈思黙考(内省や自己分析)を通じて気づきを重ねていくことは,車の両輪のようなものだろうと思う。

といったことを考えさせられる出来事がある。


* * *  

世の中には,さまざまな個性の人がいて,私も,他の人々からみれば,その「さまざまな人」のひとりだが,人間同士が理解し合うことはとても難しいと思う。特に,面識の全くない人々と,オンラインや電話などでの言葉のみによる散発的なコミュニケーションを積み重ねて信頼関係を築くことは,ほぼ不可能な場合が多いと感じる。

例えば,明らかに大変好意的と読める文面に違和感を覚える。「益々のご活躍をお祈りします」と締めくくられている。形式的で丁寧な決まり文句,と読み流せばそれまでだが,ひっかかる。「活躍」には「(世間的)成功」のニュアンスがあるから。同義語の「活動」には成功・不成功という価値判断は含まれない。ブログ上でしか私をご存知ないのに,なぜ「活躍」などと書かれるのだろう,と悩む。ある時点まで,閲覧数も記事数も少ないほうのブログで,ここ十余年の個人的な事情のごく一部を開示していた。メインのブログにも触れている記事がある。関心を持って注意深く読まれれば,「活躍」などとは言えないはず,というのがこちらの言い分だが,いろいろな人がいて,いろいろな考え方・受け止め方がある。そのブログの存在はご存知ないのかもしれない。自分と比較して,「活躍」していると思われたのかもしれない。或いは,「今後はもっと活躍してくださいね」と励まされたつもりなのかもしれない。いずれにせよ,書き手の意図は私にはわからないし,「ご活躍」と仰るのはごく一部の方なので,揚げ足取りは慎むべきだと思うものの,読み流すことができない。(ちなみに,「充実した日々をお過ごし下さい」などの決まり文句も同様で,個人的な事情を全く知らない相手に対する使用に際しては,注意を要する。「ご多幸をお祈りします」はこれらの亜型であり,気持ちのない形式だけの挨拶表現の典型である。)

また,あるブログ記事の言葉を読んで,入院されていた知人の方がとても心を動かされたとお知らせ下さる。記事の言葉に私の名前を添える(添えてもいいですか?という問いではなく),とのお申し出だった。数年前に他のブログで記事が無断転載されているのを見つけて以来,リンクを張らない引用に関する注意喚起文を掲載しているが,それを読まれて連絡されたようであった。正直なところ,これには少し当惑した。なぜなら,ブログを少しでもご覧いただけば一目瞭然なように,私は実名を出してはいないからだ。リーディングでは,お申込みになる方々から氏名を伺うので,こちらの名前もお知らせしているが,それ以外では,ことスピリチュアルな活動に関する限り,年齢等の素性は明かしていない。差し当たり明かす予定もない。記事を直接読んでいただけるように,(紹介する,と言われたので,どうせなら)名前ではなくブログを紹介してください,とお願いしたと思う。メインのブログはよくご覧になっている様子だが,にも拘わらず,なぜ名前を添えるなどと言われたのか。そう書けば,私が喜ぶとでもと思われたのか。真意は量りかねるものの,メールを下さる度に,配慮の方向性がどこかずれている印象があった。(いや,そもそも配慮などなかったことに,私が気づけていなかっただけかもしれない。)紹介した二つのケースの,いずれも一見,“非常に好意的で丁寧な”メールの文面に,有り体に言えば,傷つくのである。

これらの実例は,きわめて些細な出来事で,受け取る側としては,たとえ違和感を感じたり悲しくなったとしても,けなされたわけではないのだから,自分に都合よく良く受け取るか,読み流せば済む話である。わざわざ時間を割いて取り沙汰するほどのことでもないと思われるだろう。しかし,敢えて記事にしたのには意味がある。

二つの共通点があることに気づいたから。

ひとつは,いわゆる物質(至上)主義的価値観。いわゆる「マーヤー」(反義語の「サティヤ」は真理の意)と通じるものがあると思うのだが,地上にしかないもの,地上でしか価値を持たないもの全てを殊更に重視する考え方を指す。例えば,財力,学歴,家柄,肩書き,美貌,世間的な成功や名誉,年齢,性別(男性のほうが上)などを,量が多いほうがよい,ないよりも持っているほうが良い,とする価値観だ。これがやや強く感じられる。尤も,「成功」を暗示する表現に反応することも,突き詰めれば根本は同じだろうが。

もうひとつの共通点は,一見相手に好意的であり,賞賛しているように読めるものの,実は,自分自身が理解されることや賞賛されることを求めていて,しかも,本人にその自覚が(おそらく)殆どない,という点だ。つまり,相手に本当に関心があるわけではない。自分をわかってもらいたい,認めてもらいたい,誉めてもらいたい,癒されたい,という想いがまずあって,その自己愛を満たすために相手に取り入る(と言うと語弊があるかもしれないが),という感じがする。

人間だから我が身可愛さはあって当然だが,その自覚がないところに問題があると思う。何かをする時,自分の本音や真の動機を,ある程度でも,把握しているのといないのとでは,相手に及ぼす影響など,“最終的な”部分で違いが出てしまう。この人なら私の気持ちをわかってくれるだろう,という期待がおありだったかもしれない。また,私個人よりも,私「経由で」伝えられる言葉やメッセージの方に興味があるのではないか。私自身は,人に好かれるためにブログで発信しているわけではないので,個人的にご好意や(好奇心ではなく)関心を持っていただかなくても差し支えはない。しかし,残念ながら,ほぼ一方的に愛情を求められる類いのご期待には沿えないことの方が多いと思う。リーディング後のコメント等で,いろいろなお話を伺うことは全く厭わないし,痒いところに手の届くようなことはなかなか言えないが,できる範囲内でお返事もする(たまに返事が長すぎて,ご迷惑をおかけしている方々もいるかもしれない)。が,「私をわかってください!癒してください!」といった強い訴えにお応えすることは難しいかと思う。少なくとも今はかなり厳しい。

以前,メインのブログにいただいたコメントや,リーディングを受けてくださった方々との遣り取りの中で,人それぞれに思い描いておられるイメージが,私の実像とかけ離れていると知って驚いた。浮かび上がる“60代の男性像”は,現実とは全く異なっている。たとえ面識があったとしても,相手を知ろうとしなければ,わからないことは多い。例えば,実際の年齢よりかなり下に見られることがよくある(家系的に)が,この個性は仕事面ではあまりプラスに作用しないことが多く,諸事情も手伝って,若く見えると指摘されるたびに複雑な心境になる。このように,顔を合わせる人であっても,その実像を正しく把握することは非常に難しいものだ。

そもそも,この15年間,私が「具体的に」どのような境遇で,どのような心境で暮らしてきたか,現状がどうであるかはご存知ないはず。全貌や詳細を知っていただく必要も,お知らせするつもりもないが,せめて,「私はこの人のことはよく知らない」という認識を持っていただけないものか,と思う。事実を知らない,という「事実」を知っていただきたいのだ。

話を戻すと,スピリチュアリズムをよく知っています,ブログをいつも読んでいます,としきりにアピールされる一方で,文面に成功や名声を想起させる言葉が見え隠れするというのは,霊的真理の理解が断片的であるか,或いは,最初から理解されていないからだと思わざるを得ない。さらに,相手も自分と同じ(物質主義的)価値観を共有していることを(暗に)前提とされている。その前提にはどのくらい確かな根拠があるのだろう。

私たち誰もが心すべきこと,それは: 汝自身を知る (Know thyself) ということ。自分の本当の気持ちは,動機は何なのか,立ち止まって静かに見つめたい。そして,自分にとっての「常識」が,万人にとっての常識とは限らないことを意識しなければならない。

* * *

普段のごく些細な出来事にも,気づきの種は潜んでいて,その気になりさえすれば,一瞬一瞬が貴重な学びのチャンスになり得る。「小事を軽んじて大事をなすことはできない」という趣旨の言葉をある本で読んだが,千里の道も一歩から始まるように,日々の生活から学ばずして,真理の深い理解に到達することなどあり得ない



読みたい本(7)

  千賀一生。『ガイアの法則』ヒカルランド。 いまの時代に読むべき必読書です。 正・続2冊ありますが、1冊目の裏表紙に印刷されている言葉を以下に紹介します: 宇宙に,聖なる16ビートが存在することを告げるガイアの法則— 新型コロナとの驚くべき精緻なる関係性も明らかに! 地球の歳差...