9/19/2009

49 おこない,ことば,思うこと

生活は〈おこない〉だけで成り立っているのではありません.〈言うこと〉も〈思うこと〉も生活の一部です.行為だけが大事と思ってはいけません.もちろん行為がいちばん大事ですが,口にする言葉も心に思うことも,あなたの一部です.その思念をコントロールできずに,それに振り回されている人間が多いのは悲しいことです.

『シルバーバーチ 今日のことば』 p. 115.



誰かのことを思うだけで,その人のところへ念が飛び,思われると念が飛んできます.この目に見えないエネルギーの影響力は意外に大きいものです.良い念(愛のエネルギー)ならたくさん飛ばされるのは大歓迎です.でも,悪い念(嫉妬,恨み,怒り,悲しみなど)は,私たちの心身に直接影響を与え,生活に具体的な支障をきたすことさえあります.人を呪わば穴二つ,という諺どおり,念を飛ばす側にも同じだけのものが必ず返ってきます.具体的な行動を起こさずとも,心で悪念を抱くだけで負のカルマを生じる,ということに留意したいです.

「ことば」もひとつのエネルギーです.「言霊(ことたま)」と言われるように,使う言葉には想い,パワーが宿っています.言葉による影響力の大きさは侮れません.否定的な表現はできるだけ控え,前向きな表現を多用するように心がけます.

人によって為される内外における全ての活動は,エネルギーの表出,表現です.日々よい心がけで生きるようにしたいものです.

9/17/2009

Facing difficulties

   A burden has been placed upon your shoulders; how you bear it you will decide.  If you square your shoulders and say, "This is my burden, I will carry it", it will become lighter because your soul will grow and in growing allow some of that inner strength to heal you.  There is none spiritually impoverished for using honesty and courage in facing difficulties.  You have nothing to fear. (p. 61)

Kazuo Kondoh trans. and ed.  Silver Birch: Kyo no Kotoba.


あなたに一個の荷が背負わされる.それをどう扱うかは,あなた次第です.「よし,担ぎ通してみせるぞ.これは自分の荷物なのだから」という気持ちになれば,軽く感じられるものです.それだけ魂が成長するからであり,その成長の過程において内部のある力が魂を癒してくれます.困難に際し,正直さと勇気とをもって臨んで霊的に損をする人は絶対にいません.何ひとつ恐がるものはないのです.(p.60)






You are never alone あなたはひとりぼっちではない

   May you all realize that you are never alone, but always encompassed around and about by a host of those who love you, who seek to guard and guide you and to help and inspire you.  And may you, as you unfold your own spirits, realize that you are being drawn closer to the greatest Spirit of all, becoming more in unison with his law. (p. 175)

Silver Birch: Kyo no Kotoba.


自分が決して宇宙で一人ぼっちではないこと,いつもまわりに自分を愛する霊がいて,ある時は守護し,ある時は導き,ある時は補佐し,ある時は霊感を吹き込んでくれていることを自覚してください.そして,霊性を開発するにつれて,宇宙最大の霊,すなわち神に近づき,その心と一体となっていくことを知ってください.(p. 174)
 



His brother's sorrows are his sorrows

We must spread not indifference, not disregard, not callousness to the well-being of others, but tenderness, mercy, compassion, symapthy and service.  He whose soul is awakened cannot be indifferent to the sufferings of others.  His brother's pains are his pains and his brother's sorrows are his sorrows. (p. 56)

Silver Birch: Kyo no Kotoba, trans. and ed. by Kazuo Kondo.

近藤千雄 訳編 『シルバーバーチ 今日のことば』

Look forward

Hold your head high: look forward, not backward.  The pages of the past have been turned; they cannot be turned again.  There are always fresh pages in the book of life waiting for you to turn them.   Live for the day, not yesterday.  It is today that you will sow the seeds of a harvest that you will reap on the morrow.  (p. 97)


Silver Birch: Kyo no Kotoba. Translated and edited by Kazuo Kondo.
  

48 同胞の痛みをわが痛みとして


  1. 他人への無関心,無頓着,無神経をなくし,優しさと慈悲と同情と奉仕の精神を広めなくてはいけません.魂が目覚めた人は他人の苦しみに無関心ではいられないはずです.同胞の痛みを自分の痛みとして感じ,同胞の悲しみを自分の悲しみとして感じるものです.

近藤 千雄 訳編 『シルバーバーチ 今日のことば』 p. 56



スピリチュアリズムに精通している人々の中には,意外にも,人の苦しみを軽く受け止める傾向が強い人がいます.苦しみにも意味があり,必要なことだからその人に起こったのだ,くらいの教科書的な認識ではないかと思います.本当に苦しみの中から(霊的)真理に導かれた人であれば,そういった反応は示さないと思いますが・・・. 

9/09/2009

「小さな」家族を超えて

 本当の愛をこの世によみがえらせるためには,心と心がふれ合う世の中にする必要があります.そのためには,みんなが「家族」として生きること.それにまさる道はありません.血縁の家族に限定せず,他人同士が「雑居家族」のように支え合って生きる,そんな世の中になるべきなのです.理想にすぎないと思う方もいるでしょう.でももうそれ以上にいい道は見つからないのではないでしょうか. 私が子どものころは,隣近所が家族のように助け合う「擬似家族」的な人間関係は,東京にさえまだ生きていました.しかしその後,物質主義的価値観が蔓延するにしたがい,各家庭の孤立化が進みました.その結果,孤独なお年寄り,密室育児に煮詰まる母親,人間関係の結び方がわからない子どもたちがあふれ返ってしまったのです.
 プライバシー尊重の美名のもと,隣に住む人の顔もわからないような世の中になってしまった今の日本.凶悪な犯罪も多発しているので,簡単にドアの鍵を開けられません.そのため,隣の家で誰かが孤独死や自殺をしていたり,虐待を受けていたりしても気づけません.みんなが寂しいのに,お互いに心を開けない悲しい世の中です.
 心のふれ合いを阻んで(はばんで)いるのは警戒心だけではありません.一人ひとりが自分や家族の「商品価値」を保つことで精いっぱいになっているのです.物質的な幸せへのレールから逸脱しないように走り続けるばかりで,他人を思いやる余裕をなくしているのです.
 それでも最近は,地域のコミュニティの重要性が見直されたり,ボランティア活動が盛んになっていたりと,いいことがたくさん起きています.バブル経済の崩壊は,物質主義的価値観から見ると不幸なできごとなのかもしれませんが,あれを機に人々が心のつながりを見直すようになったのは,とてもすばらしいことです.

江原啓之 『いのちが危ない』 pp. 126-7.



人身事故で電車が遅れたりすると,特に朝のラッシュ時などには大勢の人が迷惑します.だから,「鉄道自殺は辞めよう」ということではありません.すべての人は見えない領域でひとつながりであって,物質至上主義に基づく生き方やそれによる他者(の困難)への無関心・冷淡さ,「自分(たち)さえ良ければ,それ以外のことは無関心」という姿勢は形を変えて,必ず自分の元へ返って来る,ということを教えていると受け取めるべきでしょう.人で溢れかえる大都市にあって,孤独に陥り,はからずも死を選んでしまうたましいがある.それは見知らぬ他人かもしれませんが,自分の身近にも,思いやりや優しさが足りないために寂しい思いをしている人がいないとも限りません.忙しいから,自分の生活が大変だから気づかないのも仕方ない,という言い訳は一見正当なもののように響きますが,必ずしもそうではないということを知らなくてはなりません.我だけ幸せであろうとすることは,たましいの本来のあり方と対極にあるのです.

確かに,「家族愛」は善いものであり,美しいものです.でも,そこからさらに血縁という枠組みを超えて,外へ外へと広がっていくことがより一層望ましいあり方であり,尊い姿です.本来,「愛」とはどんな(物質的な)違いをも乗り越えて,無限に広がろうとする性質を持っているからです. 

虚しさの意味

 今までがんばって生きてきたけれど,ふと人生が虚しくなってしまった.一度の挫折をきっかけに,積み重ねてきた努力までが虚しく感じられるようになってしまった.人生はしょせん虚しいもの―.
 このような心境でいるあなたは,虚しくなることの意味をとり違えています.「心が虚しい」と「人生が虚しい」を結びつけてはいけないのです.虚しくなったということ自体に,大事な意味があるのだとわかってください.
 心が虚しいのは,実は,あなたのたましいがさらなる充実を求めているというしるしです.本当の目的に向かいたいと願っているしるしです.あなたのたましいは,今の環境から学びとるべきことはすでに学び終えていて,次の課題に進みたいと望んでいるのです.
 
もしくは,今までしてきたことは,あなたのたましいにとって,なんらかの間違いや無理があったのかもしれません.たとえば物質的な価値をがむしゃらに求めてきたものの,それではたましいは満たされず,本当の目的とのずれが「虚しい」というかたちで表に出てきたのかもしれません
 人間は,自分自身のたましいに成長と喜びを与えてくれることをしている限りは,決して虚しくなったりしないものです.虚しさは「あなたがこれから進む道はそっちではありませんよ.もっと生き生きとした喜びを得られる道がほかにありますよ」と教えてくれているのです.
 (中略) たましいの視点では,人生において失うものはひとつもないのです.たとえ目の前からあなたの努力の成果が消えても,それまでに得た経験と感動は,誰にも盗まれない宝としてたましいに永遠に刻まれています.その積み重ねの上にこそ,あなたの未来を作っていけるのです.大切なのは,過去と現在に執着せずに,新しい未来に切り替えるべきときが来たら,上手に切り替えることです.
 虚しさに陥らないためには「生きることの真理」と「真善美」とともに生きることが大切です.いくら頭では虚しいと思っていても,あなたの本質であるたましいは,「生きることが虚しい」とは決して思っていません.新しい明日は,新しい経験と感動を,心待ちにしているのです.


江原啓之 『いのちが危ない』 pp. 141-3.



10年以上前までの我が人生を振り返ると,物質的な面では今よりもずっと満たされていて,周囲の人間関係も,量の面では今より遥かに充実していました.しかし,同時に,どこかでつねに満たされない寂しさも抱えていました.しかし,そのことをはっきりと自覚もしていなかった分,余計に悶々としていたのだと思います.

物質的な面も人間関係も,十余年で量的には格段に縮小しました.しかし,それと引き換えに得たものは,その両方が十分にあった当時には決して得られなかったほど貴重なものでした.そして,苦労を通じて得たもの(真理との出会い,様々な経験がもたらしたいくつかの小さな悟り,ならびに今生での目的の自覚)こそが,私が最も深いところから希求していたものなのだ,と納得するようになったのは,最近のことです.

人生のマイナスに思えることには,必ず大きなプラスが隠されています.そのプラスを見つけさえすればよいのです.そして,プラスを見つけたいと願って最善を尽くす時,必ず聖なる導きが与えられます.

前向きなたましいは,光の応援団を引き寄せずにはいません.

平凡な人生

 最近は,何か突出していないと不安,という感覚が強くなっています.それは幼稚な発想です.社会には普通な人がいないとやっていけません.みんなが芸能人やサッカー選手になってしまったら,どうやって社会が動くのでしょうか.
 非凡な人生には,浮き沈みがついて廻ります平凡だと相談者が危惧する人生には安定があるのです.そういう意味で,人生は平等です.


 江原啓之 『未来の創り方』 p. 232



大きな苦労をする人は,大きな活躍をする人でもある,と江原氏は述べています(『ことたま』参照).波乱万丈な生き方をする人には,霊的な感性が強い人が多いようです.

ひとは自分にないものに憧れる傾向がありますが,その憧れていることが本当に自分に相応しいものか,必要なものか,あるいは果たして憧れるだけの価値があるかどうかを,冷めた目で見つめてみることも大切です. 

9/05/2009

生まれ変わりを受け入れることの恩恵(3)

 4番目の恩恵として私が考えるものは,人生のさまざまな苦悩に対する忍耐が増し,また人間関係の苦しみに対する寛容さが増すことです.
 この地上に生きるかぎり,人生にはさまざまな苦しみや試練が生じます.その時に,これは前世のカルマが現れたものだ,誠実に対処してカルマを償うことにしよう,と考えられるなら,それらの苦しみや試練に対する姿勢はまったく違ったものになります.他人から思わぬ仕打ちを受けたとしても,それを受け入れる許容度が増すように思います.(中略)
 またそれは他人の苦しみに対する私たちのシンパシーの幅を広げるようにも働きます.これはかつてケイシーの長男であるヒュー・リン・ケイシーが述べていたことですが,彼は最初,人が輪廻転生とカルマの思想を受け入れるようになると,他人の苦悩の原因を何でもかんでもカルマに帰し,それは結局他人の苦しみに対する同情心が薄らぐことになると考えました.しかし彼自身が輪廻転生の意味をしっかりと内面化するようになると,むしろ人の苦しみや苦悩に対するシンパシーが深まり,苦しみを共有しようとする方向に心が動くことに気づいたといいます.輪廻転生を受け入れることは,人の愛を深める力があるのです.


光田秀 『眠れる予言者 エドガー・ケイシー』 pp. 313-14.




困難に遭遇した時,記憶に全くないという意味では,身に覚えはないが,もしかすると過去生で犯した間違いを償っているのかもしれない,と考えることができれば,前向きに対処しようという気にもなり,その結果「不必要な」苦しみが多少は軽減されるかもしれません。地上で経験する問題や苦しみの原因の全てが過去生にあるわけでは必ずしもありませんが。

基本的に,理屈で考えて説明がつくことについては,過去生は何かと気にする必要はあまりないでしょう。普通の論理的な思考で説明不可能な出来事や人間関係上のトラブルや,必要以上に感情的な反応をしてしまう時は,多くの場合,過去生が強く影響しています。また,「なぜかわからない」漠然とした不安感,恐怖感,思考パターン,癖,嗜好等についても,過去生にその原因ルーツを見つけることができます。(自分の過去生を知ることで,その過去生から引きずっている感情を解消できたり,深く納得することで,その過去生の負のエネルギーを浄化することができます。準備ができた人には,浄化とたましいの学びのために過去生の情報が明かされます。その必要がない場合,あるいは転生の真実が理解されていない場合などには情報は与えられません。) 

自らも相当の苦しみを経験してきた人であって,たましいは永遠であり,地上での再生を繰り返しながら進化・向上を続けるのだ,という真理を深く納得するようになると,異なる個性ではあっても,人はみなそれぞれの重荷を背負って旅する仲間なのだ,との思いを抱くことができるようになるようです。そういう意味で,人の苦しみに対して慈悲,慈愛の気持ちが湧くのかもしれません。しかし,そのために生まれ変わりや自分の具体的な過去生を知る必要があるかというと,必ずしもそうではなさそうです. 

9/02/2009

外見に関するトラウマの意味

 ・・・顔や外見の美醜というのは,正直なところ,人によってまったく価値観が違うものです.美人かどうか,人それぞれに基準が違います.世間と比べてきれいかどうかを気にするのではなくて,自分のもって生まれた器の中で,それをどう輝かせられるか,ということを考えた方がいいのです.(中略)
 こうした外見的なトラウマを持っている人は,前世では絶世の美女だったりして,浮き名を流していたことがあったりします.華やかな思いも味わったぶん,傲慢になってしまったところもあるのです.たとえば,「今生でとても太っているひとは,人をけなしてきた経験がある」と,リーディングによる予言で有名なエドガー・ケイシーが言っていたのですが,私はそれも一理あると感じています.すべてではないにせよ,前世で人を批判したり,表面的にしか人を判断してこなかった人のたましいが,自分も同じように人からあれこれ言われる状況を選んできて,「人を悪く言うのは良くない」と知る学びがあるのです.たましいは,あえて反対の“役”を選び,違う学びをしようと決め,この現世という“舞台”に生まれてきたということです.
 そう言えば,昔の人は外見が良くないことを悪意なしにズバズバ指摘していました.親でさえ,「お前は器量が良くないから愛嬌は大事にしなさい」と言って子どもを諭していたもの.かと言って,それを聞いた子どもが「私ってそんなに不細工なんだ・・・」と悩むことは少なかったように思います.親が子を本気で想う愛が伝わったから,子どものほうも素直に聞き入れたのでしょう.勉強を必死で頑張ったり,笑顔は欠かさないようにしたりと,その子なりに欠点を補う努力をしたものです.
 不細工だとか背が低いとか,あらゆる外見的なトラウマは,自分でそれを受け入れることができれば気にならなくなるのです.周りからの陰口も許せるようになります.そしてもっと言えば,実は「たったひとりでもあなたを愛してくれる人」に巡り合えたら,あなたのたましいはもっと前向きに変わるでしょう.自分のことを気にしてしまう“たましい”は,それだけ,人から愛されることや誰かから受け入れてもらえることを,強く望んで生まれてきたのです.


江原啓之『トラウマ あなたが生まれてきた理由』 pp. 240-43.


「蓼食う虫も好き好き」という諺のとおり,人の美意識はさまざま.とはいえ,思春期に入ると人は自分の容姿容貌を気にし始め,一旦劣等感を持ってしまうとそれを克服するのにかなり時間がかかるようです.外見に関するコンプレックスが原因で,人間関係にも問題が生じたりして,生きづらくなったりします.そういうときは,容姿に大きな価値を見出す友人等から距離を置くことも一案です.

原因は過去生にあって,人を外見や出身,肩書きや富の多寡といった表面的な理由で裁こうとする,「偏見および差別意識撤廃」のために経験している出来事であることが多いようです.ですから,それ自体は決して楽しい経験ではありませんが,高い視点から俯瞰すると,たましいの成長につながる実に「喜ばしい」体験のひとつだと言えます.

ですが,コンプレックスがトラウマになってしまう根本的な理由は外見が「良くないこと」ではありません.引用の最後にあるように,「無条件に自分が受け入れられ,大切に想ってもらえる」と感じられる体験があれば,自分を自分で受け入れられない,という状態はなくなります.ただ,そのために生身の誰かが絶対に必要か,というと必ずしもそうではないと思います.現実は自分の想いが創り出すということを考えれば,例えば,子どもの頃に両親やおじいさんおばあさんに可愛がられ,愛された記憶を思い出すだけでも,効果は充分に期待できます.

愛や癒しを期待できる生身の人間とすぐに巡り会えない場合は,自分を頼みとする努力も大切です.その自分は,最終的にはたましいの親である神につながっています.


2025年は大きな転換期

2025年7月5日(土)の早朝(夜明け前),フィリピン沖の海底火山が噴火して,周辺国と日本の太平洋沿岸に巨大津波(120mほど)が押し寄せ,国土の1/3から1/4 が津波に呑まれる,という予知情報があります。最初にこれが注目されたのは,下にも関連動画のリンクを貼っていますが,たつ...