こうした外見的なトラウマを持っている人は,前世では絶世の美女だったりして,浮き名を流していたことがあったりします.華やかな思いも味わったぶん,傲慢になってしまったところもあるのです.たとえば,「今生でとても太っているひとは,人をけなしてきた経験がある」と,リーディングによる予言で有名なエドガー・ケイシーが言っていたのですが,私はそれも一理あると感じています.すべてではないにせよ,前世で人を批判したり,表面的にしか人を判断してこなかった人のたましいが,自分も同じように人からあれこれ言われる状況を選んできて,「人を悪く言うのは良くない」と知る学びがあるのです.たましいは,あえて反対の“役”を選び,違う学びをしようと決め,この現世という“舞台”に生まれてきたということです.
そう言えば,昔の人は外見が良くないことを悪意なしにズバズバ指摘していました.親でさえ,「お前は器量が良くないから愛嬌は大事にしなさい」と言って子どもを諭していたもの.かと言って,それを聞いた子どもが「私ってそんなに不細工なんだ・・・」と悩むことは少なかったように思います.親が子を本気で想う愛が伝わったから,子どものほうも素直に聞き入れたのでしょう.勉強を必死で頑張ったり,笑顔は欠かさないようにしたりと,その子なりに欠点を補う努力をしたものです. 不細工だとか背が低いとか,あらゆる外見的なトラウマは,自分でそれを受け入れることができれば気にならなくなるのです.周りからの陰口も許せるようになります.そしてもっと言えば,実は「たったひとりでもあなたを愛してくれる人」に巡り合えたら,あなたのたましいはもっと前向きに変わるでしょう.自分のことを気にしてしまう“たましい”は,それだけ,人から愛されることや誰かから受け入れてもらえることを,強く望んで生まれてきたのです.
江原啓之『トラウマ あなたが生まれてきた理由』 pp. 240-43.
「蓼食う虫も好き好き」という諺のとおり,人の美意識はさまざま.とはいえ,思春期に入ると人は自分の容姿容貌を気にし始め,一旦劣等感を持ってしまうとそれを克服するのにかなり時間がかかるようです.外見に関するコンプレックスが原因で,人間関係にも問題が生じたりして,生きづらくなったりします.そういうときは,容姿に大きな価値を見出す友人等から距離を置くことも一案です.
原因は過去生にあって,人を外見や出身,肩書きや富の多寡といった表面的な理由で裁こうとする,「偏見および差別意識撤廃」のために経験している出来事であることが多いようです.ですから,それ自体は決して楽しい経験ではありませんが,高い視点から俯瞰すると,たましいの成長につながる実に「喜ばしい」体験のひとつだと言えます.
ですが,コンプレックスがトラウマになってしまう根本的な理由は外見が「良くないこと」ではありません.引用の最後にあるように,「無条件に自分が受け入れられ,大切に想ってもらえる」と感じられる体験があれば,自分を自分で受け入れられない,という状態はなくなります.ただ,そのために生身の誰かが絶対に必要か,というと必ずしもそうではないと思います.現実は自分の想いが創り出すということを考えれば,例えば,子どもの頃に両親やおじいさんおばあさんに可愛がられ,愛された記憶を思い出すだけでも,効果は充分に期待できます.
愛や癒しを期待できる生身の人間とすぐに巡り会えない場合は,自分を頼みとする努力も大切です.その自分は,最終的にはたましいの親である神につながっています.
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