9/09/2009

「小さな」家族を超えて

 本当の愛をこの世によみがえらせるためには,心と心がふれ合う世の中にする必要があります.そのためには,みんなが「家族」として生きること.それにまさる道はありません.血縁の家族に限定せず,他人同士が「雑居家族」のように支え合って生きる,そんな世の中になるべきなのです.理想にすぎないと思う方もいるでしょう.でももうそれ以上にいい道は見つからないのではないでしょうか. 私が子どものころは,隣近所が家族のように助け合う「擬似家族」的な人間関係は,東京にさえまだ生きていました.しかしその後,物質主義的価値観が蔓延するにしたがい,各家庭の孤立化が進みました.その結果,孤独なお年寄り,密室育児に煮詰まる母親,人間関係の結び方がわからない子どもたちがあふれ返ってしまったのです.
 プライバシー尊重の美名のもと,隣に住む人の顔もわからないような世の中になってしまった今の日本.凶悪な犯罪も多発しているので,簡単にドアの鍵を開けられません.そのため,隣の家で誰かが孤独死や自殺をしていたり,虐待を受けていたりしても気づけません.みんなが寂しいのに,お互いに心を開けない悲しい世の中です.
 心のふれ合いを阻んで(はばんで)いるのは警戒心だけではありません.一人ひとりが自分や家族の「商品価値」を保つことで精いっぱいになっているのです.物質的な幸せへのレールから逸脱しないように走り続けるばかりで,他人を思いやる余裕をなくしているのです.
 それでも最近は,地域のコミュニティの重要性が見直されたり,ボランティア活動が盛んになっていたりと,いいことがたくさん起きています.バブル経済の崩壊は,物質主義的価値観から見ると不幸なできごとなのかもしれませんが,あれを機に人々が心のつながりを見直すようになったのは,とてもすばらしいことです.

江原啓之 『いのちが危ない』 pp. 126-7.



人身事故で電車が遅れたりすると,特に朝のラッシュ時などには大勢の人が迷惑します.だから,「鉄道自殺は辞めよう」ということではありません.すべての人は見えない領域でひとつながりであって,物質至上主義に基づく生き方やそれによる他者(の困難)への無関心・冷淡さ,「自分(たち)さえ良ければ,それ以外のことは無関心」という姿勢は形を変えて,必ず自分の元へ返って来る,ということを教えていると受け取めるべきでしょう.人で溢れかえる大都市にあって,孤独に陥り,はからずも死を選んでしまうたましいがある.それは見知らぬ他人かもしれませんが,自分の身近にも,思いやりや優しさが足りないために寂しい思いをしている人がいないとも限りません.忙しいから,自分の生活が大変だから気づかないのも仕方ない,という言い訳は一見正当なもののように響きますが,必ずしもそうではないということを知らなくてはなりません.我だけ幸せであろうとすることは,たましいの本来のあり方と対極にあるのです.

確かに,「家族愛」は善いものであり,美しいものです.でも,そこからさらに血縁という枠組みを超えて,外へ外へと広がっていくことがより一層望ましいあり方であり,尊い姿です.本来,「愛」とはどんな(物質的な)違いをも乗り越えて,無限に広がろうとする性質を持っているからです. 

虚しさの意味

 今までがんばって生きてきたけれど,ふと人生が虚しくなってしまった.一度の挫折をきっかけに,積み重ねてきた努力までが虚しく感じられるようになってしまった.人生はしょせん虚しいもの―.
 このような心境でいるあなたは,虚しくなることの意味をとり違えています.「心が虚しい」と「人生が虚しい」を結びつけてはいけないのです.虚しくなったということ自体に,大事な意味があるのだとわかってください.
 心が虚しいのは,実は,あなたのたましいがさらなる充実を求めているというしるしです.本当の目的に向かいたいと願っているしるしです.あなたのたましいは,今の環境から学びとるべきことはすでに学び終えていて,次の課題に進みたいと望んでいるのです.
 
もしくは,今までしてきたことは,あなたのたましいにとって,なんらかの間違いや無理があったのかもしれません.たとえば物質的な価値をがむしゃらに求めてきたものの,それではたましいは満たされず,本当の目的とのずれが「虚しい」というかたちで表に出てきたのかもしれません
 人間は,自分自身のたましいに成長と喜びを与えてくれることをしている限りは,決して虚しくなったりしないものです.虚しさは「あなたがこれから進む道はそっちではありませんよ.もっと生き生きとした喜びを得られる道がほかにありますよ」と教えてくれているのです.
 (中略) たましいの視点では,人生において失うものはひとつもないのです.たとえ目の前からあなたの努力の成果が消えても,それまでに得た経験と感動は,誰にも盗まれない宝としてたましいに永遠に刻まれています.その積み重ねの上にこそ,あなたの未来を作っていけるのです.大切なのは,過去と現在に執着せずに,新しい未来に切り替えるべきときが来たら,上手に切り替えることです.
 虚しさに陥らないためには「生きることの真理」と「真善美」とともに生きることが大切です.いくら頭では虚しいと思っていても,あなたの本質であるたましいは,「生きることが虚しい」とは決して思っていません.新しい明日は,新しい経験と感動を,心待ちにしているのです.


江原啓之 『いのちが危ない』 pp. 141-3.



10年以上前までの我が人生を振り返ると,物質的な面では今よりもずっと満たされていて,周囲の人間関係も,量の面では今より遥かに充実していました.しかし,同時に,どこかでつねに満たされない寂しさも抱えていました.しかし,そのことをはっきりと自覚もしていなかった分,余計に悶々としていたのだと思います.

物質的な面も人間関係も,十余年で量的には格段に縮小しました.しかし,それと引き換えに得たものは,その両方が十分にあった当時には決して得られなかったほど貴重なものでした.そして,苦労を通じて得たもの(真理との出会い,様々な経験がもたらしたいくつかの小さな悟り,ならびに今生での目的の自覚)こそが,私が最も深いところから希求していたものなのだ,と納得するようになったのは,最近のことです.

人生のマイナスに思えることには,必ず大きなプラスが隠されています.そのプラスを見つけさえすればよいのです.そして,プラスを見つけたいと願って最善を尽くす時,必ず聖なる導きが与えられます.

前向きなたましいは,光の応援団を引き寄せずにはいません.

平凡な人生

 最近は,何か突出していないと不安,という感覚が強くなっています.それは幼稚な発想です.社会には普通な人がいないとやっていけません.みんなが芸能人やサッカー選手になってしまったら,どうやって社会が動くのでしょうか.
 非凡な人生には,浮き沈みがついて廻ります平凡だと相談者が危惧する人生には安定があるのです.そういう意味で,人生は平等です.


 江原啓之 『未来の創り方』 p. 232



大きな苦労をする人は,大きな活躍をする人でもある,と江原氏は述べています(『ことたま』参照).波乱万丈な生き方をする人には,霊的な感性が強い人が多いようです.

ひとは自分にないものに憧れる傾向がありますが,その憧れていることが本当に自分に相応しいものか,必要なものか,あるいは果たして憧れるだけの価値があるかどうかを,冷めた目で見つめてみることも大切です. 

9/05/2009

生まれ変わりを受け入れることの恩恵(3)

 4番目の恩恵として私が考えるものは,人生のさまざまな苦悩に対する忍耐が増し,また人間関係の苦しみに対する寛容さが増すことです.
 この地上に生きるかぎり,人生にはさまざまな苦しみや試練が生じます.その時に,これは前世のカルマが現れたものだ,誠実に対処してカルマを償うことにしよう,と考えられるなら,それらの苦しみや試練に対する姿勢はまったく違ったものになります.他人から思わぬ仕打ちを受けたとしても,それを受け入れる許容度が増すように思います.(中略)
 またそれは他人の苦しみに対する私たちのシンパシーの幅を広げるようにも働きます.これはかつてケイシーの長男であるヒュー・リン・ケイシーが述べていたことですが,彼は最初,人が輪廻転生とカルマの思想を受け入れるようになると,他人の苦悩の原因を何でもかんでもカルマに帰し,それは結局他人の苦しみに対する同情心が薄らぐことになると考えました.しかし彼自身が輪廻転生の意味をしっかりと内面化するようになると,むしろ人の苦しみや苦悩に対するシンパシーが深まり,苦しみを共有しようとする方向に心が動くことに気づいたといいます.輪廻転生を受け入れることは,人の愛を深める力があるのです.


光田秀 『眠れる予言者 エドガー・ケイシー』 pp. 313-14.




困難に遭遇した時,記憶に全くないという意味では,身に覚えはないが,もしかすると過去生で犯した間違いを償っているのかもしれない,と考えることができれば,前向きに対処しようという気にもなり,その結果「不必要な」苦しみが多少は軽減されるかもしれません。地上で経験する問題や苦しみの原因の全てが過去生にあるわけでは必ずしもありませんが。

基本的に,理屈で考えて説明がつくことについては,過去生は何かと気にする必要はあまりないでしょう。普通の論理的な思考で説明不可能な出来事や人間関係上のトラブルや,必要以上に感情的な反応をしてしまう時は,多くの場合,過去生が強く影響しています。また,「なぜかわからない」漠然とした不安感,恐怖感,思考パターン,癖,嗜好等についても,過去生にその原因ルーツを見つけることができます。(自分の過去生を知ることで,その過去生から引きずっている感情を解消できたり,深く納得することで,その過去生の負のエネルギーを浄化することができます。準備ができた人には,浄化とたましいの学びのために過去生の情報が明かされます。その必要がない場合,あるいは転生の真実が理解されていない場合などには情報は与えられません。) 

自らも相当の苦しみを経験してきた人であって,たましいは永遠であり,地上での再生を繰り返しながら進化・向上を続けるのだ,という真理を深く納得するようになると,異なる個性ではあっても,人はみなそれぞれの重荷を背負って旅する仲間なのだ,との思いを抱くことができるようになるようです。そういう意味で,人の苦しみに対して慈悲,慈愛の気持ちが湧くのかもしれません。しかし,そのために生まれ変わりや自分の具体的な過去生を知る必要があるかというと,必ずしもそうではなさそうです. 

9/02/2009

外見に関するトラウマの意味

 ・・・顔や外見の美醜というのは,正直なところ,人によってまったく価値観が違うものです.美人かどうか,人それぞれに基準が違います.世間と比べてきれいかどうかを気にするのではなくて,自分のもって生まれた器の中で,それをどう輝かせられるか,ということを考えた方がいいのです.(中略)
 こうした外見的なトラウマを持っている人は,前世では絶世の美女だったりして,浮き名を流していたことがあったりします.華やかな思いも味わったぶん,傲慢になってしまったところもあるのです.たとえば,「今生でとても太っているひとは,人をけなしてきた経験がある」と,リーディングによる予言で有名なエドガー・ケイシーが言っていたのですが,私はそれも一理あると感じています.すべてではないにせよ,前世で人を批判したり,表面的にしか人を判断してこなかった人のたましいが,自分も同じように人からあれこれ言われる状況を選んできて,「人を悪く言うのは良くない」と知る学びがあるのです.たましいは,あえて反対の“役”を選び,違う学びをしようと決め,この現世という“舞台”に生まれてきたということです.
 そう言えば,昔の人は外見が良くないことを悪意なしにズバズバ指摘していました.親でさえ,「お前は器量が良くないから愛嬌は大事にしなさい」と言って子どもを諭していたもの.かと言って,それを聞いた子どもが「私ってそんなに不細工なんだ・・・」と悩むことは少なかったように思います.親が子を本気で想う愛が伝わったから,子どものほうも素直に聞き入れたのでしょう.勉強を必死で頑張ったり,笑顔は欠かさないようにしたりと,その子なりに欠点を補う努力をしたものです.
 不細工だとか背が低いとか,あらゆる外見的なトラウマは,自分でそれを受け入れることができれば気にならなくなるのです.周りからの陰口も許せるようになります.そしてもっと言えば,実は「たったひとりでもあなたを愛してくれる人」に巡り合えたら,あなたのたましいはもっと前向きに変わるでしょう.自分のことを気にしてしまう“たましい”は,それだけ,人から愛されることや誰かから受け入れてもらえることを,強く望んで生まれてきたのです.


江原啓之『トラウマ あなたが生まれてきた理由』 pp. 240-43.


「蓼食う虫も好き好き」という諺のとおり,人の美意識はさまざま.とはいえ,思春期に入ると人は自分の容姿容貌を気にし始め,一旦劣等感を持ってしまうとそれを克服するのにかなり時間がかかるようです.外見に関するコンプレックスが原因で,人間関係にも問題が生じたりして,生きづらくなったりします.そういうときは,容姿に大きな価値を見出す友人等から距離を置くことも一案です.

原因は過去生にあって,人を外見や出身,肩書きや富の多寡といった表面的な理由で裁こうとする,「偏見および差別意識撤廃」のために経験している出来事であることが多いようです.ですから,それ自体は決して楽しい経験ではありませんが,高い視点から俯瞰すると,たましいの成長につながる実に「喜ばしい」体験のひとつだと言えます.

ですが,コンプレックスがトラウマになってしまう根本的な理由は外見が「良くないこと」ではありません.引用の最後にあるように,「無条件に自分が受け入れられ,大切に想ってもらえる」と感じられる体験があれば,自分を自分で受け入れられない,という状態はなくなります.ただ,そのために生身の誰かが絶対に必要か,というと必ずしもそうではないと思います.現実は自分の想いが創り出すということを考えれば,例えば,子どもの頃に両親やおじいさんおばあさんに可愛がられ,愛された記憶を思い出すだけでも,効果は充分に期待できます.

愛や癒しを期待できる生身の人間とすぐに巡り会えない場合は,自分を頼みとする努力も大切です.その自分は,最終的にはたましいの親である神につながっています.


8/20/2009

生まれ変わりを受け入れることの恩恵(2)

 このようないい方をすると,来世に逃避しているように聞こえるかもしれませんが,そのような遠大なビジョンを持つことでかえって現実の生き方に集中することが可能になり,有意義に生きることが可能になるのを私は実感します.自分が獲得した能力や才能は決して失われることがないことを知るなら,たとえ今回の人生では求める才能に恵まれていなくても,その才能の獲得のために一分一秒を無駄にすることなく努力することが可能になります.今回の人生で体力に恵まれなかったと思うなら,いまからコツコツと体力増強に励み,来世において望む体力を獲得する準備をすることができます.あるいは次回の転生ではピアノの才能を獲得したいと思うのであれば,今回の人生で,ピアノの基礎練習に励むことができます.そして今の人生における進歩がどれほど遅々としているように見えても,私たちは将来において必ず才能が開くことを確信するがゆえに,それに挫けることがありません.
 実際,ケイシーはある老婦人に対して,残り少ない人生を使って小説を書くことを学ぶように勧めたことがあります.彼女の場合,その努力が今回の人生で実を結び,有名な作家になることは明らかに不可能な話ですが,ケイシーは次の人生を視野に入れて,彼女にその方面での才能を開花させるように指導したのです.なんと遠大な計画ではありませんか.
 私たちも同じような姿勢で人生に臨むことができるのです.昔聞いた話ですが,あるお寺の管長が,いよいよ老境に入り,残りわずかの人生を残すだけになった時,突然,英語の勉強を始められたというのです.驚いたお弟子さんたちがその理由を尋ねたところ,管長はこともなく,次の人生では英語をマスターしたからだ,と答えられたということです.輪廻を確信する人の,余裕と力強さが感じられます.そしてケイシーのリーディングに従うかぎり,この管長の確信は正しいものであり,私たちもまた最後の瞬間まで有意義に生きられるのです


光田秀 『眠れる予言者エドガー・ケイシー』 pp. 312-3.



過去生の負のカルマを解消するために,例えば体力に劣る,スポーツが苦手など足りない部分を持つ場合も多くあります.

「六十の手習い」と言う場合,成果は期待しない,というよりできないから,老後の余暇を楽しむ手段の一つとしてのんびりやろう,といった消極的なニュアンスが感じられます。が,真実は違うようです。晩学には,もう少し積極的な姿勢で臨む方が良さそうです。

今生のみならず,次の再生がどのような目的でなされるかも,大まかですが決まっていると言われます。たましいは永遠であり,今生で遣り残したこと・遂げられなかったことは後の人生で再挑戦の機会がありますが,たましいの再生を本当に長いスパンで捉えることができるようになると,一度限りの「いま」を精一杯生きよう,悔いの残らぬよう最善を尽くそう,と自然と思えるようになるのかもしれないです。

8/12/2009

生まれ変わりを受け入れることの恩恵(1)

 まず第一にいえるのは,輪廻転生を受け入れることで「死」に対する恐怖を克服することが可能になる事です.現代に生きる私たちは常に死の不安を持っています.死によってすべてが変わると考えるかぎり,私たちの人生の価値は,他ならぬ私たち本人にとって無意味なものになってしまいます.これほど苦痛で,また生きる希望を喪失させられるものはありません.しかし,人間の本性を永遠不滅の霊的存在として受け入れるなら,死の恐怖から解放され,人生に対して永続的な価値を見出すことが可能になります
 また,人生が一度きりでないということを受け入れると,人生に対して精神的な余裕が出てきます.人生であくせくすることがなくなります.無用の焦りから解放されます.しかしながら,それは怠惰な人生を送ることを決して意味しません.むしろ,人生の意味を深く考えるようになり,大切に,そして充実させて生きようと努力するようになります.人生に対する精神的な余裕がある分,人生をエンジョイしながら生きることが出来るようになります.
 三番目に私が考えることは,人生を最後の瞬間まで有意義に生きる勇気が得られることです.私の場合,だいたい人生をプラス・マイナス2000年くらいのオーダーで考えています.過去2000年にわたる数回分の過去生をどのように生きるかを考えます.自分の長所や短所,才能や弱点を考えれば,おおよその前世の様子は見当が付きます.そしてこれから先どのような人間になりたいと思っているのかを考え,そのためには今回の人生をどのように生きるべきかを考えます


 光田 秀 『眠れる預言者エドガー・ケイシー』 pp. 311-12.


生まれ変わりを受け入れることの効用は,人により様々に異なるとも思います.

あくまでも個人的な経験から言えば,人間は,表面的な要素-見た目の良し悪し,出身(家柄),学歴や肩書きの「世間的」評価,収入の多寡,性別,宗教の有無など-によって簡単に定義されてしまう存在ではない,ということがよくわかります。最も大切なのは,このようないわば「飾り」のような部分を取り払って最後に残る部分,一番根本的な核の自分(魂)なのだ,ということが少しずつわかります。とはいえ,物質世界に生きている以上,その束縛を完全に超越することは難しく,その必要があるとも思えません.

そして,誰しもが,それぞれの魂の目的遂行のために,様々な楽しみ・苦しみを通して「学びの旅を続ける」同士なのだ,ということも理解されるかと思います。それによって,自他共に許容しやすくなる可能性はあるでしょう。学びの途上にある以上,間違いを犯すのも当然,という認識が深まるかもしれないです。私はある時期,ある国へ行くのに,アムステルダム経由のコースを取っていました.スキポール空港のラウンジで空き時間を過ごしているとき,人種も年齢もさまざまな旅人たちが,様々な荷物や連れと共に,文字通り「行き交う」場面を何度も目にしました.その光景を見るたびに,まさしく人生は「旅」であり,背負う荷物や同行者や旅行の目的・目的地は異れど,旅人であるという点では全く同じだと,感慨深く思ったことがあります.

過去生リーディングにより自分の過去生を知ることを許された場合には,つぎのようなメリットもあるかと思います.今生の自分とは別の個性,違うの面を生きていた「別の性格の自分」というものに触れる,つまり,顕現していない,潜在的な自己の人格を知ると,自己認識が新たになり,狭い自己認識から脱することができます。それによって自信を得る場合もあるでしょう.例えば,今生では忍耐と寛容を学ぶプログラムを組んで,短気で批判的な性格を携えて生まれてきたとします。せっかちさゆえに問題を必要以上に大きくしたり,批判的なために人と衝突することが多く,その結果人間不信に陥りがちという状況があったとします。こうした状況下で,しかし,過去生では慈悲深い性質を持ち,奉仕の人生を送ったこともあったと知れば,現在の欠点のみを見て自己否定し,自己嫌悪に陥ることが減るでしょう。今回こういう性格であることにも意味があり,他方では慈悲深さという素晴らしい面を持っていると知れば,その良さを発揮するように努め,人を許す方向にベクトルを切り替えるなど,余裕を持って課題に取り組むことができるようになるかもしれません。(あくまでも一つの可能性です。)

特定の過去生を知ることで,その時代からひきずってきた否定的な感情を解放し,癒しが起こることがあります。その結果,気持ちがすっきりしたり,体の症状が,場合によっては,劇的に改善するということもあります.また,悩んでいる人間関係改善のヒントを得ることもあるでしょう。


いずれにせよ,知りえた過去生を,自分の成長のために,建設的な方向に活かすことが最も重要ではないでしょうか。



読みたい本(7)

  千賀一生。『ガイアの法則』ヒカルランド。 いまの時代に読むべき必読書です。 正・続2冊ありますが、1冊目の裏表紙に印刷されている言葉を以下に紹介します: 宇宙に,聖なる16ビートが存在することを告げるガイアの法則— 新型コロナとの驚くべき精緻なる関係性も明らかに! 地球の歳差...