1/24/2015

愛にふさわしいもの

 一問一答は略しますが,僕が<患者>に説明したのは次のようなことです。
 老夫婦が求めていたのは愛の対象です。自分の子供がいれば,否が応でも愛はその子に向けなくてはならなかったでしょうが,老夫婦には幸か不幸か,愛を与える特定のものがいませんでした。自分たちが愛を与えるのにふさわしいものを選べる立場にあったのです。しかし,老爺はそれができずに,全ての猫を連れて帰ります。愛を与えるのにふさわしいものを選ぶというのは,どだい,無理なことなのです。しかも,外見で選ぶということは。
 したがって,老爺の不決断を責めることはできません。老爺は自分が選べなかったにもかかわらず,選んだつもりになっています。全部の猫が愛を与えるのにふさわしいと選んだつもりなのです。老爺は自分の愛に酔っているのです。その点,家で待っていた老婆の方は現実的です。猫を養う家計に限りがあると言うのです。そうは言っても,老婆自身も自分が愛を与えるのにふさわしいものを選ぶことなどできません。そこで,その仕事を猫たち自身に押しつけるのです。誰が愛を受けるにふさわしいか,愛を受ける者が決める。
 無理はさらに大きな無理になります。この無理は,猫たちが食い合いをして一匹消えてしまうことで,終ります。残っていたみにくい仔猫は,自分が愛を受けるのにふさわしくないと思っていた猫です。この猫が,結局は,老夫婦の愛を受けます。そして,その愛にふさわしく美しくなるのです。つまり,愛を受けたものがその愛にふさわしくなるのであって,愛にふさわしいものが愛を受けるのではないのです。
 僕が<患者>に話したのはこういう主旨のことです。

大平健。『豊かさの精神病理』 岩波書店,1990。pp. 153-155.



イライラに悩んで精神科を受診した青年に,精神科医である著者が,自分の問題を客観視する姿勢を促すために,引き合いに出したガアグ作『100まんびきのねこ』(福音館)の解説です。童話の分析と解釈における深い洞察は,心に響きます。

ご存知の方も多いかもしれませんが,童話のあらすじは次の通りです: 老夫婦が二人だけで暮らしていましたが,子どもがおらず寂しかったので,おばあさんは可愛い猫を飼いたい,と言います。おじいさんは,猫を探しに出かけ,100万匹の猫がいる丘にやってきます。そこから気に入った猫を1匹選ぼうとしますが,選べません。そこで,全部連れていくことになりました。家に向かう道中,喉が渇いた猫たちは池の水を飲みほし,空腹を訴えては,野原の草をすべて食いつくしますが,それでもかまわずおじいさんは猫たちを連れて帰ります。おばあさんは大勢の猫に驚いて,全部に餌をやっていたら貧乏になってしまう,といいます。そこで二人は,どの猫を引き取るか,猫たちに決めさせることにしました。すると,猫たちは,自分こそが一番美しいと,猫同士の争いに発展し,老夫婦を驚かせます。しばらくして,猫たちは共食いして,一匹を残してすべて死んでしまいました。唯一の生き残りは,ちいさくてみにくい仔猫で,そのみにくさから誰も自分に見向きもしなかった,というのです。結局,二人はこの猫を引き取り,世話をします。ミルクをたくさん飲ませると,丸々と太って可愛い猫になります。おばあさんもおじいさんも大いに満足します。やはり,この猫こそ世界一美しい猫だった,何しろ100万匹の猫を見た自分の目に狂いはなかったのだ,と (大平 1990,pp. 151-153)。

本書が出版されたのは,バブル期の真っ只中です。その頃,本来なら心理カウンセリングを受けるべき人々が,次々と精神科医である著者のもとを訪れ,戸惑わせたことが本書誕生のひとつのきっかけとなっています。若いOLやサラリーマンでも,数か月貯金すれば,ヨーロッパ貴族向けの高級ブランド商品を,しかも,ヨーロッパの本店まで出向いて買うことができたような時代でした。ブランド品や高級品を所有し,身に着けることが,自分のランクを上げ,豊かにすること,と何の疑いもなく信じられていた時代です。もちろん,日本国民全員がそうだったわけではありませんが,少なくとも,物質至上主義的価値観に大きな意味を見出す人々が今よりは多かったでしょう。筆者が,「モノ語り」の人々と呼ぶ,人間関係における根の浅い心理的葛藤に耐えられず,精神科の門をくぐった老若男女の症例がいくつも紹介されています。モノはコントロールすることができますが,人の感情はコントロールできないため,ほんの些細な葛藤で容易に悩みを深め,自力で解決することができなってしまう。というか,他者との精神的葛藤を避けたいという気持ちがあまりにも強いために,モノに依存しているのではないか,と筆者は述べています。葛藤を避けるためには,欲しいモノに囲まれた「幸せ」に満足するよりほかなく,たとえ心のどこかで物足りなさや不幸感を感じていても,モノがある=幸せ,と思うしかないのだろう,というわけです。

必要以上の物質的満足は,自分が本当に求めるもの―自分のこころ,たましいが最もよろこぶものが何か―を見えなくしてしまいます。貧困は人間の心を蝕み,物心ともに貧しくする,と言われますが,バブル期(末期)に見られたような行き過ぎた物質的豊かさと,それを求める志向性も,人間を不幸にしてしまうもののようです。

スピリチュアリズムをよくご存知の方々には,いささか前時代的な感が否めなくもないでしょうが,紹介されている患者たちはやや極端なだけで,いまこの時代でも,彼らと似たような価値観を持つ人々は決して少なくはないだろう,と感じます。「彼ら」は私たちなのかもしれないし,私たちも容易に「彼ら」になりうるのだ,と読みながら恐怖を覚えました。

1/20/2015

Many Approaches to One Truth

Even though there may be one truth, many approaches exist to this truth.

B. L. Weiss, MD

真理は一つかもしれませんが,この真理に辿り着く道は沢山あります. 



たとえば「愛」について学ぶ場合,学び方-体験する出来事-は人により実にさまざまで多岐に亘っています.幸せでも短い結婚生活のあとの配偶者の突然死であったり,結婚したいのになかなか相手に出会えないつらさを通して,または配偶者の不貞であったり,家族との深刻な葛藤など,枚挙にいとまがありません.人の数だけパターンがあります.

また,真理探究への道程も様々です.イスラム教を通じて歩みを続ける人々もあれば,マザー・テレサに感銘を受けたり,サイババを通じて目覚める人々もいます.日本の諸新興宗教しかりです.どういうコースを選んでも,最終的に到達すべき目的地はひとつです.即ち,人間の本質は光,たましいであって,本質は永続することを知り,地上人生を「真理」に沿った形でよりよく生きることです.

霊界サイドは(主護霊を始めとするガイドを通じて),あらかじめ立てた(はずの),「納得ずくの」人生計画に則って,われわれ個々人の興味・関心を「利用して」,あくまでも我々が受け入れやすいように "カスタマイズされた" 方法で,真理に気づき,学ぶことを奨励し,サポートしています.真理を学ぶコースは,人の数だけあります.通う学校が異なれば,使用する教科書や,カリキュラムや,教わる先生が異なるのとも酷似しています.また,各自の「たましいの経験値」が異なるため,自分にとっての正解が他の人々にとっても同じように正解とは限りません.

とはいえ,特定の高級霊からの霊界通信に基づくスピリチュアリズムしか認めないとか,宗教もスピリチュアリズムも,ある種の必要悪と見做すような,"超スピリチュアル" こそが最善であるかのような主張を展開する方々も一部にはいらっしゃるようですが (スピリチュアリズム普及のため,長年に亘り苦労と勉強とを積み重ね,大我で活動されて来られた数多くの先達ならびに同時代の人々に対する,ある種の挑戦とも受けとられかねず,思慮が足りません) ,どちらにも,小我な部分 (ある種の偏狭さと勉強不足) が感じられます.人に危害を加えて社会に多大な迷惑をかけたり,良識に反する,明らかに誤った教えを広めたり,多額の献金を求め,高価な商品の購入を要求するようなものでなければ,既存の宗教,新興宗教,新新興宗教もよし,ニュー・エイジも結構です.相手が信ずるものへの尊重を大きく欠いた態度は,残念ながら,真理に適ったものとはいえません.

また,霊能力(霊視,霊聴)を殊更に有難がったり,自負する,といった風潮も真理に沿うものではありません.某霊能者の言葉を借りれば,「だれでもあの世に帰れば霊能者(で,自分はただの人になる)」です。優れた霊能者やヒーラーを,それこそ"救世主"よろしく崇め奉る態度も,非常に物質主義的であり,無知から来るものでしょう。霊性は霊能の優劣とはほぼ無関係であり,いわゆる "霊能" がなくても霊性が高く,そのことを別段自覚するでもなく,「ひとのために」をモットーに日々を真摯に生きている人々は少なくありません。逆に,どれほど優れた霊能者でも,群がり,おもねる大衆の愚昧さによって,勘違いをして優越感を抱き,傲慢に陥るケースも後を絶ちません。

特に熱心に信じている宗教等がなければ科学的にある程度立証され,確立され,継承されてきた知識を体系的に学びそれに則って日々生きるように努めること,長い目で見て,自他ともに有益であると思います.

1/07/2015

101 知識の伝達者になる

 私はスピリチュアリズムが信仰だとは思いません。知識です。その影響力の息吹きは止めようにも止められるものではありません。真理の普及は抑えられるものではありません。みずからの力で発展してまいります。外部の力で規制できるものではありません。あなた方が寄与できるのは,それがより多くの人々に行きわたるように,その伝達手段となることです。

『シルバーバーチの霊訓 第七巻』  潮文社.  p. 173.



地上にも,そして宇宙にも,善なる光の広がりを阻止しようとするエネルギーが作用しているようです。そうした闇のエネルギーによって地上にいかなる困難が起ころうとも,真理の光に出会った人々が,その光から目を逸らすことなく,ただひたすらに善なる導きを信じ,高い波動を持って生き続けることで,必ずや問題は克服できることでしょう。

各自の“内なる善の光”を広めようとする,具体的な行動の積み重ねが鍵となります。



70 霊的な褒美を得るために

気楽な道は前途に霊的な目標をもたない人に任せればよろしい.霊的な鍛錬とそれに伴ってもたらされる霊的な豊かさを求める者には,厳しい道が用意されます.霊的褒賞は気楽な道を求める者にはもたらされません.もしそうでなかったら,その褒賞は敢えて求めるほどの価値はないことになります.闘いを挑み苦しみ抜いた末に勝利を得る方が,何の挑戦課題もなく呑ん気に生きているよりはるかに上です.魂が自我に目覚め内在する神性が表現の機会を得るのは,必死に努力するその最中(さなか)においてです.

『シルバーバーチの霊訓』 第12巻 p. 170.



ひとは往々にして,苦しみや困難について,あまり語りたがりませんし,相手のことも聞きたがりません.渦中にある時は致し方ありませんが,苦労をマイナスに捉えるのは,単なる無知のようです.

キサー・ゴータミーの悟り-個人的な悲しみを超えて

わが子の死をきっかけに,ブッダの弟子になった女性,キサー・ゴータミーの話は有名です。

キサーは,結婚して幸せな家庭生活を送ることに夢を抱いていた若い女性でした。親が決めた結婚ではありましたが,夫となる男性とは最初に会った時から,互いに惹かれました。が,結婚して1年後,夫は事故で亡くなります。そして,生まれたばかりの,夫にそっくりな息子を育てることに情熱を注ぎ始めた矢先のある朝,ベッドの上で亡くなっている息子を発見しました。悲しみが余りにも大きく,彼女は気がふれてしまいます。腐敗しはじめても,息子の遺体を手放しませんでした。この続きはこちらをご覧下さい



    ". . . the Buddah as a friend and facilitator headed Kisha-Gotami in the right direction, and she was able to move from her painful intimate loss to loss as a general human issue.  He helped her successfully move from a particular to the general.  This is the way of wisdom.  This gave her distancing.  Wisdom is what makes us rise above life's miseries, not unrealistically but rather in the same timely existential way that Kisha-Gotami did.  She confronted the main challenge of her life as she went from door to door.  Little by little wisdom awakened in her like the morning sun.      True release from suffering is never effected by harping ad infinitum on the personally toned material of a painful complex.  Freedom comes when, bearing our scars, we are able to rise above the personal to the level of the transpersonal . . . ."

Eugene Pascal (1992).  Jung to Live by: A Guide to the Practical Application of Jungian Principles for Everyday Life.  p. 77.

 ブッダは,友として,且つ,先導役(ファシリテーター)としてキサー・ゴータミーを正しい方向へ向かわせたので,彼女は,辛い個人的喪失から人間の一般的な喪失の問題へと前進することができたのである。ブッダは,彼女が特殊から一般へと上手に進む手助けをした。これが智恵のはたらきである。そうして,彼女は,自分の問題から距離を置いた。智恵とは,非現実的なやり方でではなく,キサー・ゴータミーのように,いまの生活の中で,われわれに人生の惨めな出来事を乗り越えさせるものである。彼女は,人生の大きな挑戦に,一軒一軒家を訪ね歩くことで向き合った。そして,少しずつ,朝日が昇るように智恵に目覚めていったのである。
 苦しみからの真の解放が,つらい個人的な経験を延々と語り続けることによって達成されることは決してない。解放は,痛みに耐えながら,個人を超越した段階に至ることができたときに訪れるものなのだ。

(原文中および訳文中の強調はブログ作成者によるもので,和訳は同作成者による試訳です。)



否定的で後ろ向きなものの見方・考え方は,前向きな性質を培うことで克服できる,と著者は述べています。それには時間がかかります。車の運転のように比較的簡単なことでも教習所に通って覚える必要があることを考えれば当然かもしれません。

ブッダは,悲しみに暮れる彼女に最初から教えを授けたわけではありませんでした。彼女自身が気づけるようにと,そのきっかけを提供したにすぎません。私たち一人ひとりを守り導いているスピリット・ガイド(守護霊)たちも,このブッダと同じことをしています。気づけるか気づけないかは,すべて私たち次第です。

「共感を広げるもご覧ください。



1/06/2015

Age of Aquarius  グルは自分の中にいる

"In terms of prophesy," Teabing said, "we are currently in an epoch of enormous change.  The millennium has recently passed, and with it has ended the two-thousand-year-long astrological Age of Pisces--the fish, which is also the sign of Jesus.  As any astrological symbologist will tell you, the Piscean ideal believes that man must be told what to do by higher powers because man is incapable of thinking for himself.  Hence it has been a time of fervent religion.  Now, however, we are entering the Age of Aquarius--the water bearer--whose ideals claim that man will learn the truth and be able to think for himself.  The ideological shift is enormous, and it is occurring right now."

Dan Brown.  (2003) The Da Vinci Code. 『ダ・ヴィンチ・コード』  pp.289-290.

「預言によれば」と,ティービングは答えて言った。「いまわれわれは大きな変化の時代にある。千年至福期がちょうど終わり,それと共に2000年の長きに及ぶうお座の時代が終わった。うお座はイエスの星座でもある。占星術象徴学者たちが言うように,うお座の観念では,人類には自分で思考する力がないために権力者から何をすべきか“教わらなくて”はいけなかった。だから,熱烈な宗教の時代でもあったわけだ。だが,いまわれわれは,水瓶座の時代に入り,人類は真理を学び,自ら考えることができる,と言われている。イデオロギーのシフトは非常に大きく,それがちょうど今起きているのだよ」 (my emphases and translation)



イングランドでは,スピリチュアリズム (Spiritualism) は,宗教 (religion) として扱われているようです。スピリチュアリスト・チャーチが点在し,毎週日曜にはサンデー・サービスが行われています。しかし,厳密に言えば,スピリチュアリズムは宗教ではないでしょう。宗教には,教祖(guru) と聖典 (sacred text) がつきものですが,そのどちらも存在しないからです。

スピリチュアリズムでは,グルは唯一絶対の神 (シルバーバーチからの霊界通信では,Great Spirit 「大霊」と呼ばれている) であると同時に,われわれ一人ひとりの中に存在するものです。そして,自分が理解できる教えだけを信じ,日常生活において実行すればよいのです。宗教では,グルの教えを絶対的なものとして,よくわからなくてもひたすら信じ続ける,という情熱や熱狂が必要になります。そうした態度は,個人レベルでも,集団レベルでも,多くの問題を引き起こす原因でした。本来は寛容であるべき宗教ですが,熱狂的な信仰は,自らの教義の押し付けや押し売りとなり,これまた本来ならば救うべき悩み苦しむ人々を救う力を,実質的には大幅に失っているような状態です。

グルは宇宙に遍在しており,かつ,個々人の中に存在するものであるなら,どんな素晴らしい霊能者であろうと,人格者であろうと私たちはグルにすべきではないし,また,自らをグル的な存在とすべきでもありません。私たちは,誰をもグルにしてはならないのです。こちらもご覧ください(専門家によれば,ブッダは,儀式や個人的カルトの無意味さを説いていた,とのことです)。

12/27/2014

61 無関心をなくす

自分を愛するごとく隣人を愛せよ.苦しむ者に手を差しのべよ.人生に疲れた人,潤いを求める者に真理を語って聞かせよ.病の人を癒し,悲しみの人を慰め,不幸な人を訪ねてあげよ.こうした訓えは遠い昔から説かれてきた真実です.こうしたことを実行しさえすれば地上は一変し,二度と恐ろしい悲劇をもたらす戦争も訪れなくなるでしょう.

 『シルバーバーチの霊訓  第3巻』  p. 66.


現代人は,自分のことで忙しく,他人はおろか,家族・友人にさえ無関心になりがちかもしれません.近すぎて見えにくい,気づきにくいという部分もありますが.自分の用事が片付いたら,または,気持ちに余裕がある時,周囲の人に目を向けてみることも大切です.

「愛の反対は無関心」という言葉はあまりに有名です.この真理に反した他者への無関心は,必ずや形を変えて,思いがけないタイミングで自分の元へ返ってきます.通勤・帰宅ラッシュ時の人身事故(いわゆる事故以外のケース)で会社や学校に遅刻したり,帰宅が遅れたりするのはひとつの好例かもしれません.

読みたい本(7)

  千賀一生。『ガイアの法則』ヒカルランド。 いまの時代に読むべき必読書です。 正・続2冊ありますが、1冊目の裏表紙に印刷されている言葉を以下に紹介します: 宇宙に,聖なる16ビートが存在することを告げるガイアの法則— 新型コロナとの驚くべき精緻なる関係性も明らかに! 地球の歳差...