1/06/2013

カルマは影

 釈迦は,たとえ高いところまで到達しても,前世の過ちをのがれることも破棄することもできないことをあきらかにした.法は法であり,カルマの状況の目標である叡智に到達する近道はない.アラン・ワッツは『禅の精神』で,「…人間のカルマは影のように人についてまわる.『自分の影のなかに立ちながら,暗いのはなぜなのだろうと人間は不思議がる』といわれてきたように,たしかにカルマとはみずからの影なのだ」と書いている.カルマに終止符をうつには,昔の負債を完済しなければならず,新しく借りをつくってはならない.多くの生涯にわたる帳簿上の収支を清算しうる方法はただひとつ,愛と無我の戒めを全身全霊で受け入れることだ.もうひとつ,ジョセフ・ウィードのことばを引用してみよう.

 「ほんの少しでも利己心をもって行動したり,見返りをもとめて善行を行うかぎり,その報いを受けるためにこの世へと戻らなくてはならない.原因には結果があり,活動には成果がある.欲望はこれらをつなぐ紐である.紐の一本一本の糸が燃えつきて切れるとき,その関係も終わり,魂は自由になるであろう.」

 カルマの概念のもたらす結論としていちばん重要なのは,私たちのおかれた境遇は決して偶然のなせるわざによって決められたのではない,ということだ.この世で私たちはバルド*で選んだことを体現している.私たちが,バルドの肉体をもたない状態にあって決定したことによって今生の境遇が決まり,潜在意識のありかたによって,良運や悪運がめぐってくる.カルマの法則が真実だと確信することはすなわち,たとえ現状がいかに困難でも,この現状にわが身をおいたのは自分自身なのだ,と認めることなのだ.人はそれぞれ,試練や苦難の中にこそ学び成長するための最大の機会がある,と理解したうえでその試練や苦難を探しだしていくのである.

J.L. ホイットン他著 片桐すみ子訳 
『輪廻転生 驚くべき現代の神話』 pp. 114-5.



*バルドとは,本書では「中間生」と訳されてあり,「仏教用語では中有または中陰という.死の瞬間からつぎの生を受けるまでの間の時期.生きとし生けるもの,すなわち「有情」の4つの存在の仕方―死有・中有・生有・本有のひとつ」(p. 238) と注釈があります.おそらく,霊界に入る手前の幽界の最上層部,もしくは霊界のことを言っているのではないかと推測されます.ちなみに,人間の魂は死後,平均して1年ほどは幽現界にとどまり,その後,幽界に移行し,そこで数十年を過ごすといわれています.幽界は幽現界に近い低い段階のところから,霊界のすぐ手間のサマーランドと呼ばれる波長の高いところまで広く幅があります.霊界に入るのは,従って,かなり先のことになります.もちろん,幽界の上層部や霊界に移行できる時間には個人差があります(が,一足飛びに霊界に帰ることは滅多にありません).魂によっては,霊界に戻らず幽界から直接現界に転生する場合もあります.



エドガー・ケイシーのリーディングに,"meeting self" という表現がよく出てきますが,上の引用にある「カルマとは自分の影なのだ」,と同じ内容を指していると思います.カルマは誰かとの間に生じますが,相手が悪い,とか,相手との組み合わせが良くなかった,ということではなく,あくまでも自分の未熟さが原因なので,カルマは「自分の問題」であると言えます.もちろん,相手にもカルマがありますが,それは自分とは別の問題として捉えるべきです.

カルマを「完済」しなければ次の段階には進めないとありますが,必ずしもそうではないようです.ある段階にまで到達したら,まだ返済すべきものが若干残っていても,地球での転生を終えることが許されるケースも伝えられています.そうした場合には,守護霊の立場になった時,守護する人間に裏切られるなど,何らかの方法でカルマを返済する可能性があるかもしれません.

0 件のコメント:

コメントを投稿

2025年は大きな転換期

2025年7月5日(土)の早朝(夜明け前),フィリピン沖の海底火山が噴火して,周辺国と日本の太平洋沿岸に巨大津波(120mほど)が押し寄せ,国土の1/3から1/4 が津波に呑まれる,という予知情報があります。最初にこれが注目されたのは,下にも関連動画のリンクを貼っていますが,たつ...