1/06/2013

孤独に耐える力

 「友人が欲しい,あるいは親友が欲しいといっても,単に自分のメリットだけを考えている人は,決して,その人が望むような人間関係は得られない。人間関係は,「持ちつ持たれつ」なのだ。

 心の苦痛も体の苦痛も,最終的には,自分がその苦痛と戦い,解決していくしかないのだ。
 そこで,人間は孤独な存在なのだということがわかると思う。だからといって,苦しんでいる相手を放っておけというのではなく,相手の苦痛を思いやり,その苦痛を少しでも軽減してあげるために努力することはできる。
 友情のあり方,あるいは愛情のあり方というのは,そういうものではないだろうか。つまり,相手に対して,どのくらい気遣いができるかということである。
 相手に対して,求めるだけでは,友情は成り立たない。自分が相手に対してどのように気遣いができるかも,また試されるものだ。そこで孤独に耐えることができる精神が必要になってくるのではないか。孤独に耐えられないと,相手に依存しがちだ。相手に依存し甘えるだけでは,決して友情は成り立たない。それでは,相手を利用しているだけにすぎない。
 ここで孤独と言っているのは,心の在り方のことである。

 孤独に耐えることのできる人は,人間は本来孤独であることがわかっているから,逆に付き合う人に対して気遣うことができる。そして,人間関係の距離を上手に保つことができる。
 関係の距離をきちんと維持できる人は,人間関係で孤立することはない。
 いま,精神的な在り方を述べてきたが,具体的に言うと,一人で時間を過ごすことのできる強さを持つことが,孤独に耐える強さを持つことの第一歩である。一人で時間を過ごすことができることは,一人で決断し,悩みを解決していく強さをもつことにもつながる。
 まず,自分の力で立つことができること,つまり孤独に耐える力があってこそ,人に対する気遣いもでき,そこではじめて相互的な人間関係を持つことができるのだ。
 孤独でいられることと,人間関係を上手く保って行くことができることは,矛盾することではなく,イコールなのである。」



おそらく,斉藤茂太氏の著書(のどれか)からの引用かと思いますが,かなり前に抜粋したもので,定かではありません。

依存的な人は,人間関係で適正な距離を保つことができない,というのは全くそのとおりです。個人的な付き合いが全くないにも関わらず,いきなり救いを求める意味不明なメールを(はじめの挨拶すらない)送ってくる人が,非常に稀に,いますが,これなどは依存以外の何者でもありません。年齢は重ねていても,精神的に幼い場合,求めるばかりで,相手の心情や事情を気遣ったり,配慮することができません。自分こそこの世で一番不幸だ,とたやすく自己憐憫に陥るのも依存的な人々の特徴です。(ちなみに,この類いのメールには一切返信しませんし,依存が程度を超えていると判断された時点で,一旦距離を置かせていただきます。)

そういう人々は,相手から善意で与えられた,もしくは,ミディアム経由で伝えられるスピリット・ガイドからの愛あるアドバイスにも耳を傾けることができません。そもそも,有益なアドバイスを求めているわけではありません。彼らが求めているのは表面的な優しさや同情など,自分に好都合な言葉と反応だけです。この世知辛い現代社会にあって,一方的に求める“大人”に-しかも個人的な付き合いもない,いや,親しい間柄でも-快く与える人なんて滅多にいません。物乞いにだって,せがまれれば逃げ出したくなるのと同じことです。

誰もが,自分に背負えるだけの重荷を背負っています。

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