1/28/2011

72 たましいの進化を決めるもの

霊媒現象ばかりが霊力のはけ口ではありません.芸術家を通して,哲学者を通して,あるいは科学者を通しても発現することができます.要するにあなた方自身の霊的自覚を深める為,あなた方より恵まれない人々の役に立つ仕事にたずさわることです.看板は何であってもかまいません.係わる宗教,政治,芸術,経済がいかなる主義・主張を掲げようと問題ではありません.実際に行う無私の施しが進化を決定づけるのです.

『シルバーバーチの霊訓』 第12巻 p. 204.



医者,政治家,弁護士,会計士,大学教授などの知識階級が偉いという人々もいれば,いや,霊能者やスピリチュアルな活動家こそが優秀なのだ,と自負する人々もいます.そして,心のどこかで,同業者や異業種の人々を牽制したり,自分の優秀さを認めさせんとして躍起になる.それでは全く本末転倒です.

他者の福利ために,どれだけ自分を捨てて尽くせるか―これだけのようです. 

1/27/2011

Karma as lessons to be learnt カルマは学び

Karma should be seen as lessons to be learned, not punishment.

Brian Weiss, MD

カルマは,学ぶべきレッスンとして捉えるべきであり,罰としてではない.



カルマは,「行為の結果」を意味するとされます.カルマという言葉自体は,善し悪しを意味するものではありません.善い行いは良いカルマを生じ,摂理に反する行いはそれ相応の結果を引き起こします.英語では,positive karma肯定的なカルマ),negative karma (否定的カルマ)と表現されます.

ケイシーのライフリーディングでは,negative karmaのほかに,positive karma の例も明かされています.容姿も然ることながら,とりわけ手がとても美しく,化粧品やハンドクリームのモデルとして大活躍していたアメリカ人女性がリーディングを受けました.彼女は,いくつかの過去生で,人がしたがらないような卑しい仕事(特に素手で行うようなもの)に「献身的に」従事したことがあり,その結果として,非常に美しい手をもって転生した,とのことでした.(容姿が美しい人はすべて似たような過去生がある,というわけではありませんが.)

カルマについて考えるとき,その否定的な面だけでなく,それとは反対方向に作用することも思い出しましょう.

69 安らぎは内から湧き出る

物的なことと霊的なことの区別がつかない人は気の毒です.日常生活で悪戦苦闘していても,霊的な平静さと安らぎを忘れないでいることは可能です.地上のいかなる困難の中にあっても,自分が本来は霊であることを忘れず,その聖域を守ることができれば,いつでも内的な安らぎを得る事ができます.安らぎは外から得るものではありません.内部から湧き出てくるものです.

『シルバーバーチの霊訓』 第12巻 p. 231.



瞑想は,自分の本質を思い出す最善の方法のひとつです.

67 人生は困難なもの

問題も困難も厄介なことも生じないような人生はありえません.地上がそういうところだからこそ,あなたもこうして生まれてきているのです.大切なのはそれへの対処の仕方です.内在する神性を呼び覚まして解決策を見出し正しい方向を選択する,そういう対処の仕方が大切です.そんなことはよくご存知のはずです.なのに,それが実行できずにいます.難問や心配事に足をとられて身動きができなくなり,実在ではないただの陰をやたらに大袈裟なものに考えてしまっています.

『シルバーバーチの霊訓』 12巻 p. 167.



怒りや不安,悲しみといった負の感情は肉体を持つが故に経験される感情で,本来の状態に戻れば感じなくなっていくものです.だから,「実在ではないただの陰」とあるのだと思いますが,それも含めて全てが経験であり,学びです.問題は,必要以上に感情的になったり,憂えたり,動揺してしまい,問題解決のために前進できなくなってしまうことです.

ただ,女性は感情に翻弄されやすい傾向があるかも知れないです。感情を抑えてしまうのはよくないと言われますが(抑えても消えるわけではないので),必要以上に振り回されてしまうのはやはりあまり好ましくはないでしょう。

そういう傾向を自覚している場合は,少しずつ冷静になれるように意識的に心がけると良いと思います.それと共に,真理を学び,様々なことに関して「正しいこと」を知ることは,非常に大きな助けとなるはずです.

1/23/2011

怖い話が好きな子ども

クラスに参加することに決めてからも,私にはまだ自分が何をしようとしているのか,まるで把握できていなかった.なにしろ,「ミディアムになりたい」などと言いながら,「あなた霊媒体質でしょ?」と聞かれる度に,「いや,違うと思います」とか「さぁ,わからないです」などと答えていたのだから.

基本的に,霊媒体質でなければミディアムや霊能者として,幽界や霊界からメッセージを受け取って伝えるという活動はできないとされる.しかし,霊媒体質であれば全員ミディアムになるかといえば,そうではない.また,霊視・霊聴が利かなくても,霊媒体質ということがある.非常に大雑把に言えば,オーラが大きく,目に見えないエネルギーをキャッチしやすい体質を指して,霊媒体質という.自分以外のエネルギー体を引き寄せやすいということだ.例えば,俳優や広くアーティストと呼ばれる人々にはこの体質が多いとされる.特に,演じるという仕事は,自分以外の個性を表現しなければならないので,不可欠な要素かもしれない.要は,そうした体質がどういう方向性に活かされるか,である.直接,霊界通信に携わってメッセージを伝えることで人々を癒したり,励ましたりするのか,演技や演奏といった芸術活動等を通じて間接的にするのか,その違いだけのようだ.

クラスに参加することにした理由はもうひとつあった.2000年に都内で,アメリカ在住の英国人ヒーラーのセッションを受けていた.リーディングとヒーリングがセットになったセッションで,リーディングでは,あなたはインスピレーションがとても強いから,訓練すればわかるようになるわよ,と言われた.彼女によれば,なんでも私は10歳くらいまでに,自分のそうした能力を自分で一旦封じ込めた,というのだ.周囲の人々のネガティブな思いをそのまま感じ取って,影響を受けてしまわないようにするためだった,と.能力を封じ込めたという記憶は全くないが,少し心当たりらしきことはあった.当時,たとえばお祭りに出かけて人ごみの中に入ると,腹痛を起こして歩けなくなったり,風邪で寝込んで1ヶ月近く登校できなかったこともあった.(行楽地に出かけたとき,拾いものをしてきたのではないか,と今は思うのだが.)そのセッションで言われた言葉も,リーディングを受けた後に思い出された.もしかするとそうかもしれない,と信じるひとつのきっかけにはなったようだ.

子どもの頃,絵画教室とピアノ・レッスンに「通わされて」いたが,特に芸術的な感性に優れていたわけではなかった。が,霊とのご縁は,意外なところに潜んでいたようだ。最初の記事に,私はブランコと着せ替え人形が好きなごく普通の子どもだったと書いた。実は,他にも好きなものがあった.

それは怖い話.

それも,ヘビ女ゴーゴンとか,ろくろ首,四谷怪談といった類いの,ステレオタイプなお化けの話.10歳の頃,風邪をこじらせて肺炎になり,しばらく登校できなかった時,ベッドの中で何度も繰り返し読んだのが,学研の子ども向けの怪談本だった.また,いつごろかは思い出せないが,お盆の時期,某民放で一週間特集番組が組まれた『●●●の知らない世界』も大好きで,毎年,母と二人でよく観ていた.怪談好きが嵩じてついには,心霊写真集にまで手を延ばした.はじめのうちは,書店の店頭に並ぶ写真集を手にとって,怖いものみたさで,頁をぱらぱらめくるだけで満足していた.が,次第にそれでは物足りなくなり,黒表紙の本を一冊買ってもらうことに.部屋で一人になって,不自然に肩に置かれた手首とか,プールの水面に浮かび上がる不鮮明な人の顔など,写真の一枚一枚,本の隅々まで一通り目を通すとさすがに非常に怖くなってしまい,本棚の奥にしまったきり,その後二度と開くことはなかった.(6年前,古本屋に出す直前にもまともに開けなかった.)

当時は,死んだ人が化けて出るという,霊現象そのものにも面白さを感じていたに違いないが,いま振り返ると,むしろ背景にストーリーがある点に魅かれていたのだと思う.なぜ女性の霊が夜な夜な現れるかといえば,それは何か伝えたいことがあるからだし,お岩さんが化けて出たのは,愛する人に裏切られた悲しみゆえといった,隠れた真相にひきつけられていたように思う.また,そうした話の多くは,勧善懲悪的な要素を含んでいたところも気持ちが良かった.相手を傷つけると必ずその償いを受け,改心して,一件落着する,という展開だ.

母とは,この点では趣味が合った.彼女は,晩年にはよく不思議な夢(特に予知夢)をみていた.ひとつは他所でも紹介したが,予知夢以外にも面白い夢を見る人だった.例えば,彼女の姉の一人が他界して暫くしてから,彼女のご主人も亡くなられた.その後間もなく,母の夢にご主人が出てきて,母の枕元に座っていた大きな犬に向かって,「こっちへ来い,こっちへ来い」と手招きしてその犬を連れて行った,というのだ.おばさんは戌年生まれだったから,あの犬は姉に違いない,と母は言っていた.おそらく,亡くなってからどこへ行ってよいかわからず,妹である母を頼ってこちら側に留まっていたものと思われる.その彼女のたましいを,亡くなったご主人が連れて行った,ということなのかもしれない.いま少し疑問に思うのは,他界して間もない人が,一足先に他界し,幽界へ行けないで迷っているたましいを導けるのか,ということ.真相は定かではないが,少なくとも,母はこういう話がわかる人であり,私にそういう世界があることを教える役目を果たしたのだろう.また,彼女は,四国巡礼中に,存在しない風景(宿泊先の庭先に,夏なのに雪が積もってみえた,と言っていた)をみたこともあった.帰省する度に母からこうした不思議な話を聞くのは,当時の私にとってひとつの楽しみだった.夢以外にも,出来事に隠された見えない意味や出来事のつながりを読み解く方法を,日常生活の中で彼女から教わっていた.いま振り返ると,彼女の存在は,私がミディアムになる流れに結びついていることがよくわかる.

人生に起こることはすべて必然だという.子ども時代に怖い話が好きだったのも,母と新倉イワオ氏の番組を真剣に見たのも,心霊写真集を買って読んだのも,母が予知夢をみる人だったことも,すべてリーディングをするために必要な出来事であり,プロセスだったのか.

心霊写真集を本棚にしまって以来,怖い話好きは落ち着きをみせた.その後,ピアノ弾きに夢中になった一時期を経て,英文科へ進学.英国史の授業を受けたことが,おそらくは,直接のきっかけとなり英国に魅せられた.その後,現在までの長きに亘り,最大の関心事は英国文化へとすっかり移行した.現在のところ,英国狂いは少し勢いを失っているが,英国への関心は英国留学として実現し,やがて予想もしなかった方法で人生での大きな転機へと結びつく.

1/20/2011

ガイドからのメッセージ

2007年春先に受けたリーディングでは,ガイドからいろいろなメッセージを貰った.

その頃までには,すでに精神世界の本を100冊近く読み漁り(千冊読む人も少なくない),精神世界やスピリチュアリズムについてある程度の知識があった.また,2001年の初めに出会った九州の女性霊媒(以下,Aさんとする−彼女は,ある有名霊能者と「同じものが視えるから,あの人は本物」と言われていたが,そういう言い方もあるのだろうか)から,過去生霊視(遠隔)を何度も受けており,自分の過去生,家族との過去生での関わりなどについて相当量の情報を得ていた.では,なぜ敢えて,この時点で新たにリーディングを受けたのか.それは,得るべき新たな情報を得る準備ができたからであり,次のステップへ進むためだった.

最初の記事でも触れたが,このスピリチュアル系団体を見つけたのはネット経由だった.その頃にはすでに,霊的な教えを知らない人々に伝えたい,と思うようになっていた.当時の私はスピリチュアルな教えを,あくまでもひとつの「知識」として,読書会のような形で少人数の人々を対象に広めることを考えていた.そして,その参考にするため,似たようなことをしている集まりに顔を出すことを思いついて探し出し,参加.しかし,その読書会は,参加した回に限って言えば,1冊の霊訓の数ページを輪読して,主催者の“レクチャー”を拝聴する形式で,全く期待はずれに終わった.近県で似たような形式の集まりを再び探してはみたものの,ピンと来るところが見つからぬまま,あちこちサーフしているうちに辿り着いたのがこの団体だった.

霊媒A氏を通じて,研究者の指導霊(男女二名)からサポートを得ていると知っていたため,リーディングでもてっきり同じガイドが何か言ってくるものと思いきや,実際には,それ以外のスピリットから通信があった.侍(浪人風),ネイティブ・アメリカン,医師,そして長髪の男性(髪型が刈谷崎省吾さんのようで,お茶とか活け花の先生のようだ,としきりに言われた)らが入れ替わり立ち代わり現れた.最後のガイドは,その後,Aさんによって「モーゼのような男性」と霊視されたガイドと同一と思われるが,リーディングの後半で,いまにつながる重要なメッセージを送ってきた.以下では,リーディングに関係のあるものに的を絞ってみたい.

まず出てきたのは,険しい山の峰から垂直に降ろされた1本の縄ばしご.はしごと山の岩肌の間に,導くように金色の紐が暗い世界から下ろされている.この山の光景はよほど険しく見えたのか,ミディアムは何度も「険しいね」と言った.この縄ばしごはゆらゆら揺れていたようだ.精神世界に関心があるかと尋ねられた.イエスの返事に,「きみは導かれている可能性が高いね」との言葉.でも,はしごが「揺れている」ので,確信を持ちきれないのではないか,と問われたが,全くその通りだった。

次に,酒樽が出て,その栓がかなり緩んだ状態で,いまにも抜けそうな様子に見えるという.すでに,お酒が少し漏れ出ているようだったが,中に入っているお酒が出たくてじっとしていられない,という感じがミディアムに伝わったらしい.栓がぐらぐらと動き始める様子は非常に良い感じがする,と言われた.その時は,何のことかはっきりわからなかったが,これはインスピレーションの開花を意味していると思われる.お酒は英語で"spirit" (蒸留酒)ともいう.

それから,本が沢山出てきて,「X」(ばつ)が見えるという.つまり,本は読まない方が良い,と言っているらしいのだ.ガイドは,私のサードアイチャクラ(第三の目 眉間の辺りにあるとされるエネルギーセンター)を指差して,「心眼でものを見極めよ」と言った.言葉に頼るな,といったメッセージではないか,とミディアム.「文字ばかりではなく,そろそろ開発し,実行に移せ」と言われたものの,いまひとつよくわからない.とりあえず「どうやって開発するのですか」と質問してみたら,今度は,オーラの浄化を意味するヴィジョンが出た.透明なビンの中に煙が一杯入っているが,そのビンを雲の中にしばらくおいておくと,雲も煙もすっかり消えて透明なビンだけが残る,そういうヴィジョンだ.ここで,瞑想がいい,とミディアムからアドバイスがあった.

リーディングは続く.石段があり,山の頂上から白い光が水のように流れてくるヴィジョンが来た.石段はゆるやかカーブしながら頂上へと続いていくが,途中,木の枝に隠れているところもあったことから,霊能開発のプロセスで回り道をしたり,苦労することがあるのではないか.さらに,白い滝が現れ,誰かが双眼鏡でこちらを見ているという.「光の世界に,君に注目している人達がいるね」と言われた.そして,最後に少し面白い映像があった.新聞が印刷機で大量に刷られる映像と,カメラで写真をパチパチ撮る様子だ.将来,精神世界に関する何らかの活動が,新聞などで報じられるのではないか,というのだ.

ここでリーディングは終了.この時点では,私にはこれらのメッセージが本当に何を意味しているのか,いまひとつわかっていなかった.わからないながらも,帰途の車中で,軽いショック状態にあった私は,ただ漠然と,「あぁ,大変なことになった」と途方に暮れたことを今でもよく覚えている.

その当時抱いた“霊的な教えを知らない人々に伝えたい”という想い−これは,長きに亘る試練の先に待っていたひとつの道標だった.それをようやく見出した私に対して,読書会という方向性ではなく,ミディアムとしてあの世とこの世の架け橋となる準備をしなさい,と強く促すリーディングであった.しかし,このことがわかるまでにはもう少し時間が必要だった.何しろ,最初の記事にも書いたように,私は生まれつき何かが視えるということもなく,霊感が強いと思ったことなど一度もなかったし,それまでも,それ以降も相談者の側であり続けるつもりだったのだから。いきなり,「さっさと霊能を開発しなさい!」などと言われても全く呑み込めなかったのである。

ほかに思うところも少しあり,とりあえず後ろの方々の指示に素直に従い,リーディングから1年後の春,同組織のクラスに参加。2011年7月までの3年半の間,ミディアムを目指して,指導と訓練を受けることになった。
* * *

リーディングで驚いたのは,「お医者さんがついているね」と言われたこと。学生時代から夢の中にお医者さんが登場しては,相談したり,アドバイスを貰うことがあったからだ.しかも,医師に会う夢は目覚めてからもよく覚えていたし,言われた言葉にびっくりして目が覚めたことも何度かあった.

今でも鮮明に覚えている夢がある.学生時代,ある別れがあった.正直なところ,さほど好きな相手ではなかったが,予期せぬタイミングだったこともあってショックが大きく,当時の私は怒りさえ覚え,わだかまりを捨てきれないでいた.

夢の中で私は,電動ノコギリを使って木の板を切っていたが,あやまって自分の左手首を切り落としてしまった.非常にリアルで,驚きのあまり一旦目を覚まして,左手首を確認してから再び寝なおしたほど.切断した左手をすぐに手首をくっつけみたら,元通りくっついたが(この辺りが夢のおかしなところ),みみず腫れのような跡がうっすらと残っていた.とはいえ,専門家に一度診て貰うほうがいいだろうということで,外科を受診.伊武雅人似のその医師は,私に左手でボールを投げるように言うので,小さなボールを下から上に放り投げてみると,問題なくできるではないか.彼は,「跡は少し残りますが,大丈夫ですよ」と事もなげに言った.

その後も夢にたびたび登場する医師は,実はスピリット・ガイドだったらしいと判明し,納得.リーディングで医師が伝えてきたことは,健康に関する内容が多かった.例えば,私はアレルギー体質で,軽度の食物アレルギーがあるが,花粉症はでない.よほど大量に飛散しない限り,春先にマスクなしで外出しても何ともない.ミディアムに見えたヴィジョンでは,私の頭からすっぽりと透明なプロテクト用のヘルメットが被せられていたが,このことを指しているように私には思えた.花粉アレルギーが起こる因縁がないか,花粉から守られている,といってもいいのかもしれない.

もうひとつ,その医師が,芸者姿の女性(私の過去生ではないかと指摘あり)の背中を診察しているヴィジョンが出た.彼は,カルテを見て,背中のどこが悪いか探ろうとしている.そのカルテが一枚ずつ縦にずらりと並んでいる.あたかも一枚のカルテがひとつの人生であるかのように,その一枚一枚をみてどこに原因があるか調べているようだ,というのだ.これにも少し心当たりがあった.肩こりに悩まされていた私はその頃ちょうど,欧米式のカイロプラクティックで脊柱矯正を受け始めたところだった。そして,漠然と,この背骨のゆがみは一体どの過去生に由来するものなのだろう,などと思っていた.調査した結果が芸者の過去生,ということなのか,まだ調査中という意味なのか,はたまた,あなたの考えていることはすべてお見通しですよ,というお知らせなのか.ミディアムの口からそれ以上のことは聞かなかったし,私も尋ねなかった.

1/12/2011

きっかけ

今年4月からリーディングを始めた。リーディングとは,「霊査(れいさ)」という言い方もされるが,霊感(インスピレーション)や,それと共に霊視・霊聴等の能力を用いて,相談者の守護霊とコンタクトをとり,その相談者に必要なメッセージや情報をもらう行為を指す.

しかし,私は生まれつきオーラが見える子どもではなかった.人ごみが苦手ということもなかった.暗闇と掃除機とジューサーの音を怖がり,泣き虫で,公園のブランコ乗りと着せ替え人形遊びが好きなごく普通の子どもだった.自分で霊感が強い,などと思ったことは,ただの一度もなかったし,正直なところ,今以てそうした自覚はない.周りの大人から,感受性が強いとか,カンがいいと指摘されることはあったが,もっと繊細な人はざらにいるし,ましてや霊媒体質などとはつゆ知らずごく普通に暮らしてきた.

その一方で,私は学生時代から長年,霊感占い師や霊能者のお得意さんだった.つい数年前まで,今後も人生で何か困ったことがあれば当たる霊媒に相談するのが最善だと大真面目に考えていた.その私が,なぜリーディングを提供する側になったのか.

直接のきっかけは,都内某所で受けた英国式のリーディングだった.ある晩,ネットサーフをしていたら,あるスピリチュアル系団体のウェブサイトに辿りつき,スピリット・ガイド(指導霊)のリーディングを提供していることを知った.留学中,英国でプライベート・シッティング(一対一の対面リーディングで,亡くなった親族からのメッセージを受け取る個人向け交霊会)を一度受けた経験から,非常に興味を持ち,すぐに申し込んだ.リーディングを受けたのは忘れもしない,その翌年2007年2月14日である.

当日,会場に入ると待っていたのは男性ミディアム(medium 霊媒)だった.女性ミディアムに申し込んだはずだったのに,なぜか男性だった.私の単なる記憶違いか,それとも天のはからいによる手違いか,いまなお真相は闇の中.リーディングではさまざまなメッセージが伝えられ,かなり先の将来を見通したものもあった.リーディングの直後に,ミディアムから,クラスに来てみないかと誘いを受けたことがはじまりだった.

これは,しかし,ひとつの小さなきっかけにすぎない.はじまりは13年前に遡る.尤も,本当の始まりは,そのずっと前,この世に生を受ける以前かもしれないが.

人はだれもが,自分で自分の人生のシナリオを決めて生まれてくる.


1/09/2011

地球卒業の資格

インドのサーンキャ哲学では,解脱の直接原因は純粋精神の「智」であるとし,行はそのための間接的要因に過ぎなかった.例えば,「われは存せず,わがものならず.われならず」という,自我意識を超えた純粋智が魂に起こったときに解脱が成就すると説かれている.「自我」の滅却した状態が智として実現されている状態であるが,興味深いのは本書に登場する18人いずれもが,ケイシー・リーディングによってその状態を指摘されていることである.
 しかも,この人々は巷で説かれているような自分のための修行でなく,常に人助けのために身を捧げ尽くし,与え尽くすことによって自我の滅却を実現しているのである.この人たちに共通するファクターは「与える,与える,与える」であると,著者のシェリーは書いている.人や社会の中に入り,辛い人間関係を修行の場として解脱へのパスポートを誰もが手に入れているのだ.「体に水をかぶるより,心に水をかぶれ」とは,日本民間宗教史の巨人,金光大神の言った言葉だが,心の修行は体の修行よりはるかに難事であり,日々の実生活がその中心的修行場となることは否めない.それこそが解脱への近道なのであると本書は訴えているように思われる.


『地球卒業生18人の過去生』 訳者解説より pp. 233-34.


(引用中の強調はブログ作成者によるものです.)


多くの人は,「与える」イコール「損をする」と捉えがちですが,それは全く逆です.与えられるためには,まず自分(のこころ)が豊かでなければ,つまり,与えるものがなければなりません.この意味で,自ら進んで与えられる人は,「ほんとうに」豊かな人です。

そして,人は,誰かに与えれば与えるほど益々豊かになります。「積極的に与える」精神が,宇宙の法則と符合していて,大いなる愛と引き合うからかもしれません。

与えることに心理的な抵抗がある場合は,まず自分にエネルギーを充電する必要があるでしょう.

いつかは死ぬのだから

死ぬのは決まっているのだから,ほがらかにやっていこう.
いつかは終わるのだから,全力で向かっていこう.
時間は限られているのだから,チャンスはいつも今だ.
嘆きわめくことなんか,オペラの役者にまかせておけ.


『力への意志』

『超訳 ニーチェの言葉』 p.51.



人生は長いようで意外と短いです.無駄なことにエネルギーを費やす暇を惜しんで,前向きな生き方を心がけ,今年も1年間,少しでもひとのためになることをしましょう.

1/06/2011

アカシックレコードは遍在する

In reading 254-67, Cayce said that the Akashic Records could be read by a psychic, but they could also be deduced by the individual who had written the record to begin with.  Asked how this was possible, the reading confirmed that the records were everywhere and were manifested through one’s consciousness by means of the five senses.  In other words, our patterns and our abilities become evident through what we say, what we write, what we choose to see, and what we choose to hear.  According to Cayce, each of these things, as well as our thoughts, are [sic] affected by the “shadows” of what is written upon the records themselves.  Clarity of obtaining specific information is dependent upon why the information is being sought in the first place.



リーディング254-67において,ケイシーは,アカシックレコードは霊媒によって読まれうるが,その記録を書いた張本人によっても導き出されうるものだ,と言った.どうすれば導き出せるか,との問いに対してリーディングは,アカシックレコードは至るところにあり,五感によって意識を通じて顕現する,と述べた.つまり,私たちの行動パタンや才能は,私たちが言うこと,書くこと,見ようとするもの,聴こうとするものを通して明らかになるのだ.ケイシーによれば,想念同様,これら活動のひとつひとつが,アカシックレコード自体に書かれているものの「影」に影響されている.得ようとする特定の情報の明瞭さは,そもそもなぜその情報が求められるか,に左右される.


Kevin Todeschi (1998).  Edgar Cayce on Akashic Records: Book of Life. p. 87.


★アカシック・レコード 古代インドでは,四大元素である地水火風のほかに第五番目の元素として「空」,つまり天地を満たす精気があるとされており,これをサンスクリット語で「アカーシャ」という.神秘学ではこのアカーシャにあらゆる欲望や想念,感情,行動などの記録が残されていると考える.(片桐すみ子訳 『輪廻転生』 訳注 p. 262.)


エドガー・ケイシーは催眠状態に入ると,アカシックレコード(宇宙の全生命に関する過去・現在・未来の記録貯蔵庫)にアクセスして,相談者からの質問に答えていた,と伝えられています.おそらく,ケイシーは非常に優れた霊媒で,彼の指導霊を「経由して」,相談者に関する様々な情報を得ていたのではないでしょうか.

先進国で生きる現代人の生活に欠かせなくなったインターネットは,このアカシックレコードが地上レベルで顕現したものだと言われます.ネット環境があれば,検索ワード一つでたちどころに様々な情報にアクセスできます.いつでもどこでも一瞬で情報を取得できるその様は,時空を超えて存在するアカシックレコードから霊能や直感を通じて情報を得る様子に似ているのかもしれません.

引用では,アカシックレコードは,どこか宇宙の彼方にあって,特殊な技能に恵まれた一部の人々(霊媒,霊能者など)にしかアクセスできないものではない,と言っています.私たちは誰もがアカシックレコードとつながっています.その記録を残した私たち自身の言動にそれは自然と顕れてくるので,自分の言動を振り返ってみればわかる,というわけです.確かに,全く同じものを見ても,反応は人により様々です.ひとつの曲を聴いて,ある人々は感動して涙するかもしれませんが,また別の人々は,歌詞の意味がよくわからない,とか悲しい,と感じたりします.

さらに,アカシックレコードに記録された情報は,直感やインスピレーションによっても得ることができますし,大抵の場合,得ているはずです.目や耳に入る様々な情報,心に浮かぶ考えや気持ち,さらには夢を通じて,です.人との会話で聞いたことばに解決策や未来へのヒントが隠されているかもしれません.いつもしているあることが,その日に限ってどうしても気が乗らずできなかったおかげで,災難を逃れたとか,よい知らせを得ることができた,といったことはよく聞く話です.みた夢のストーリーがそのままメッセージだった,ということは誰もが一度は経験しているでしょう.

ひとは,自力で解決できない問題や悩みに直面すると,占いや霊能者に相談したりしますし,そうした仕事に携わる人々の生活も,ある意味では,悩み苦しむ人々がいるから成り立っているところがあります.が,本来,相談はよほど困った時に留めるべきものかもしれません.基本的には,自力でヒントを得るようにいろいろ試行錯誤することが理想であり,学びを得る最善の方法です.といっても,ひとりよがりな方法ではなかなか上手くいかないこともあるでしょう.そのためにも,基本原理は知っておく必要があります.人はなぜ生きているのか,そして,いかに生きるべきか,についてスピリチュアルな「真理」について予め正しい知識を学んでおくと,大きな助けになります.

また,相談の動機が正しくないと(例えば,依存心があるとか,自力で乗り越えなければならないことになっている場合を含め,たましいの成長につながらないすべての場合),リーディングなどでアドバイスを求めても,納得のいく回答やヒントが得られない,つまり,なかなか教えてもらえなかったりします.そういう場合は,自分自身に聞いてみるのが手っ取り早いです.


1/05/2011

愛という地図

愛という地図

歌詞:mavie  作曲:Hwang Se Jun, Park Hyo Shin唄 パク・ヨンハ

なんでそんなふうに 一人きり泣いているの?
なんで孤独だって 嘆き悲しんでいるの?
頼りないこの世界で 瞳閉じるたび,ほら
浮かぶ誰かの笑顔がひとつあればいい


見えなくなるまで手を振ってくれた何も聞かずただ笑ってくれた
ささやかな記憶が今 踏み出す勇気に変わるよ
暗闇の中 行き先は遠いけど


きっと愛という地図を持って
愛という旅に出よう
道なき道を行こう 
Someday振り向けば大事な誰かがそこにいるから
一人前を向いていける 忘れないで


人の言葉に何度も傷ついて
だけど人の優しさに救われる
誰だって一人きりで 生きてはゆけないってことが
一人になって 初めてわかったんだ


きっと愛という痛みだけが愛というキズナになる
たとえ離れていても 
Somewhere「ありがとう」ひとこと届ける代わりに今は
誇りにできるような日々を 生きてくから


きっと愛という地図を持って
愛という旅に出よう
道なき道を行こう 
Someday振り向けば大事な誰かがそこにいるから
一人前を向いていける 忘れないで




故パク・ヨンハさんのアルバム,『LOVE』 (2008) に収録されている曲です.

人との競争や物欲が蔓延する殺伐とした現代社会を生きていると,淋しくなることもありますし,実際,淋しい人が多いと感じます.でも,少し「瞳を閉じて」思い出してみて下さい.楽しい頃もあったのではないでしょうか.「浮かぶ笑顔がひとつ」はあるはずです.それは,子どもの頃に優しい微笑をくれたご両親,おばあさん,おじいさん,近所の人々やきょうだいの笑顔かもしれません.幼稚園や小学校へ出かけるとき,姿が「見えなくなるまで手を振ってくれた」おかあさんやお祖母さんが思い出されるかもしれません.泣いていたとき,落ち込んでいたとき,「何も聞かずただ笑ってくれた」近所のおじさんや,飼い犬やペットのネコがいたかもしれません.愛された「ささやかな記憶」を思い出すだけで,それは新たな一歩を「踏み出す勇気に変わる」ことでしょう.人生には暗闇を歩かなければならないこともあります.そういうときこそ,幼き日のこと,楽しかった頃のことを思い出してみて下さい.それは,過去を振り返る,という後ろ向きな態度とは別のものです.

人生とは,「愛」を学ぶための「旅」です.「道なき道」こそ,たましいにとって大きな成長のチャンス.誰もが「道なき道を行く」旅人です.旅路に連れがいないときでも,今まで受け取った「愛という地図を持って」いれば,愛の学びの旅を続けることができるでしょう.自分は決してひとりではないことを忘れないでいましょう.

旅の途中には,「人の言葉に何度も傷ついて」,旅を続けることが嫌になることがあります.でも,「人の優しさに救われる」こともあるでしょう.捨てる神あれば拾う神あり,です.そうやって人々は,支えあって旅を続けています.

傷ついたり,人から裏切られたりする痛みを知ればこそ,余計に人はひとを愛することができるようになります.傷ついた経験がなければ,愛が何なのかよくわからないままでしょう.傷つくからこそ,自分を愛してくれた人々の愛を知ることができます.自分を愛してくれた人々に恥じないように,感謝の意味も込めて,自分を「誇りにできるような日々を生き」ましょう.

スピリチュアルで,奥の深い歌詞です.疲れたとき,ふと淋しさを感じたときに,ぜひ心静かに聞いてみてください.

記事「道なき道」も参照ください.

1/01/2011

64 ほんとうの成功

 世間でいう“成功者”になるかならないかはどうでもよいことです.この世的な成功によって手に入れたものは,そのうちあっさりと価値を失ってしまいます.大切なのは自分の霊性の最高のものに対して誠実であること,自分でこれこそ真実であると信じるものに目をつぶることなく,ほんとうの自分自身に忠実であること,良心の命令に素直に従えることです.それさえできれば,世間がどう見ようと,自分は自分としての最善を尽くしたのだという信念が湧いてきます.そして,いよいよ地上生活に別れを告げる時がきたとき,死後に待ちうける生活への備えが十分にできているという自信をもって,平然として死を迎えることができます.

『シルバーバーチの霊訓』 pp. 155-56.



自分の理性,道義心に背く生き方をしているのでなければ,いたずらに人の評価や世間の目を恐れたり,気にする必要はない,ということでしょう.だからといって人の気持ち,思惑をまるっきり無視してよい,ということではないとは思います.思いやりは必要です.

ただ,自分の理想に沿うように行動し続けることは,実はとても難しいことです.でも,難しいからできなくていい,といって諦めたらそれまでです.難しいと思いつつも,そうしようと努力し続けること.それによって,本来の場所に帰った時,大きな違いが出るとのことです. 

65 ほんとうの進歩

実は“脳”ばかり発達して“精神”や“霊”の発達がともなっていないことがあるのです.すると頭のいい人が多くなりますが,頭がいいということは必ずしも偉大な魂,あるいは偉大な精神の持ち主ということにはならないのです.
 それは脳という物質のみにかぎられた発達なのです.そういう発達をした人の中には複雑なものほど立派であるかに思っている人がいることは確かですが,ほんとうの発達,精神と魂の発達をともなったものであれば,霊的なことについてもより深く理解するようになります.正しい発達とは精神的ならびに霊的な発達のことを言うのです.そういう発達をしている人は古い間違った概念を捨てて,ますます真理に近づいてまいります.


『シルバーバーチの霊訓』 第7巻  p. 145.



古い概念とは,いわゆる物質主義を指しているでしょう.既存宗教の,真理と合わない教義も含まれるかもしれません.

真理には際限がありません.ここまで知ったら終わり,というものではありません.上にはさらに上があり,成長は永遠に続きます.

焦らず,怠らず,自分のペースでよいのです.

63 すべてはつながっている

 もしも皆さんが霊の目をもって見ることができれば,宇宙の全次元の存在の場をつないでいる絆をごらんになることができるのですが・・・.それをごらんになれば,地上の誰一人として見棄てられたり取り残されたり無視されたり見落とされたりすることがないこと,霊的なつながりが人間に知りうるかぎりの最低界から人間が想像しうるかぎりの最高界まで連綿として続いていることを理解されることでしょう.
 その全次元を通じて“光り輝く存在”が隈なく待機し,連絡網を通じて霊力を一界また一界と段階的に送り届け,最後は物的チャンネル(霊媒・霊能者)を通して地上へ届けられます.


『シルバーバーチの霊訓』 第7巻 pp. 110-111.



人は,肉体に入っているため,他からは切り離された存在のように感じられますが,ほんとうの次元ではすべてのものとつながっています.これが,いわゆる"oneness" です.

光り輝く存在,とは高級霊を指しているかと思われます.輝く光はすなわち愛,叡智,です.

2025年は大きな転換期

2025年7月5日(土)の早朝(夜明け前),フィリピン沖の海底火山が噴火して,周辺国と日本の太平洋沿岸に巨大津波(120mほど)が押し寄せ,国土の1/3から1/4 が津波に呑まれる,という予知情報があります。最初にこれが注目されたのは,下にも関連動画のリンクを貼っていますが,たつ...