2007年春先に受けたリーディングでは,ガイドからいろいろなメッセージを貰った.
その頃までには,すでに精神世界の本を100冊近く読み漁り(千冊読む人も少なくない),精神世界やスピリチュアリズムについてある程度の知識があった.また,2001年の初めに出会った九州の女性霊媒(以下,Aさんとする−彼女は,ある有名霊能者と「同じものが視えるから,あの人は本物」と言われていたが,そういう言い方もあるのだろうか)から,過去生霊視(遠隔)を何度も受けており,自分の過去生,家族との過去生での関わりなどについて相当量の情報を得ていた.では,なぜ敢えて,この時点で新たにリーディングを受けたのか.それは,得るべき新たな情報を得る準備ができたからであり,次のステップへ進むためだった.
最初の記事でも触れたが,このスピリチュアル系団体を見つけたのはネット経由だった.その頃にはすでに,霊的な教えを知らない人々に伝えたい,と思うようになっていた.当時の私はスピリチュアルな教えを,あくまでもひとつの「知識」として,読書会のような形で少人数の人々を対象に広めることを考えていた.そして,その参考にするため,似たようなことをしている集まりに顔を出すことを思いついて探し出し,参加.しかし,その読書会は,参加した回に限って言えば,1冊の霊訓の数ページを輪読して,主催者の“レクチャー”を拝聴する形式で,全く期待はずれに終わった.近県で似たような形式の集まりを再び探してはみたものの,ピンと来るところが見つからぬまま,あちこちサーフしているうちに辿り着いたのがこの団体だった.
霊媒A氏を通じて,研究者の指導霊(男女二名)からサポートを得ていると知っていたため,リーディングでもてっきり同じガイドが何か言ってくるものと思いきや,実際には,それ以外のスピリットから通信があった.侍(浪人風),ネイティブ・アメリカン,医師,そして長髪の男性(髪型が刈谷崎省吾さんのようで,お茶とか活け花の先生のようだ,としきりに言われた)らが入れ替わり立ち代わり現れた.最後のガイドは,その後,Aさんによって「モーゼのような男性」と霊視されたガイドと同一と思われるが,リーディングの後半で,いまにつながる重要なメッセージを送ってきた.以下では,リーディングに関係のあるものに的を絞ってみたい.
まず出てきたのは,険しい山の峰から垂直に降ろされた1本の縄ばしご.はしごと山の岩肌の間に,導くように金色の紐が暗い世界から下ろされている.この山の光景はよほど険しく見えたのか,ミディアムは何度も「険しいね」と言った.この縄ばしごはゆらゆら揺れていたようだ.精神世界に関心があるかと尋ねられた.イエスの返事に,「きみは導かれている可能性が高いね」との言葉.でも,はしごが「揺れている」ので,確信を持ちきれないのではないか,と問われたが,全くその通りだった。
次に,酒樽が出て,その栓がかなり緩んだ状態で,いまにも抜けそうな様子に見えるという.すでに,お酒が少し漏れ出ているようだったが,中に入っているお酒が出たくてじっとしていられない,という感じがミディアムに伝わったらしい.栓がぐらぐらと動き始める様子は非常に良い感じがする,と言われた.その時は,何のことかはっきりわからなかったが,これはインスピレーションの開花を意味していると思われる.お酒は英語で"spirit" (蒸留酒)ともいう.
それから,本が沢山出てきて,「X」(ばつ)が見えるという.つまり,本は読まない方が良い,と言っているらしいのだ.ガイドは,私のサードアイチャクラ(第三の目 眉間の辺りにあるとされるエネルギーセンター)を指差して,「心眼でものを見極めよ」と言った.言葉に頼るな,といったメッセージではないか,とミディアム.「文字ばかりではなく,そろそろ開発し,実行に移せ」と言われたものの,いまひとつよくわからない.とりあえず「どうやって開発するのですか」と質問してみたら,今度は,オーラの浄化を意味するヴィジョンが出た.透明なビンの中に煙が一杯入っているが,そのビンを雲の中にしばらくおいておくと,雲も煙もすっかり消えて透明なビンだけが残る,そういうヴィジョンだ.ここで,瞑想がいい,とミディアムからアドバイスがあった.
リーディングは続く.石段があり,山の頂上から白い光が水のように流れてくるヴィジョンが来た.石段はゆるやかカーブしながら頂上へと続いていくが,途中,木の枝に隠れているところもあったことから,霊能開発のプロセスで回り道をしたり,苦労することがあるのではないか.さらに,白い滝が現れ,誰かが双眼鏡でこちらを見ているという.「光の世界に,君に注目している人達がいるね」と言われた.そして,最後に少し面白い映像があった.新聞が印刷機で大量に刷られる映像と,カメラで写真をパチパチ撮る様子だ.将来,精神世界に関する何らかの活動が,新聞などで報じられるのではないか,というのだ.
ここでリーディングは終了.この時点では,私にはこれらのメッセージが本当に何を意味しているのか,いまひとつわかっていなかった.わからないながらも,帰途の車中で,軽いショック状態にあった私は,ただ漠然と,「あぁ,大変なことになった」と途方に暮れたことを今でもよく覚えている.
その当時抱いた“霊的な教えを知らない人々に伝えたい”という想い−これは,長きに亘る試練の先に待っていたひとつの道標だった.それをようやく見出した私に対して,読書会という方向性ではなく,ミディアムとしてあの世とこの世の架け橋となる準備をしなさい,と強く促すリーディングであった.しかし,このことがわかるまでにはもう少し時間が必要だった.何しろ,最初の記事にも書いたように,私は生まれつき何かが視えるということもなく,霊感が強いと思ったことなど一度もなかったし,それまでも,それ以降も相談者の側であり続けるつもりだったのだから。いきなり,「さっさと霊能を開発しなさい!」などと言われても全く呑み込めなかったのである。
ほかに思うところも少しあり,とりあえず後ろの方々の指示に素直に従い,リーディングから1年後の春,同組織のクラスに参加。2011年7月までの3年半の間,ミディアムを目指して,指導と訓練を受けることになった。
* * *
リーディングで驚いたのは,「お医者さんがついているね」と言われたこと。学生時代から夢の中にお医者さんが登場しては,相談したり,アドバイスを貰うことがあったからだ.しかも,医師に会う夢は目覚めてからもよく覚えていたし,言われた言葉にびっくりして目が覚めたことも何度かあった.
今でも鮮明に覚えている夢がある.学生時代,ある別れがあった.正直なところ,さほど好きな相手ではなかったが,予期せぬタイミングだったこともあってショックが大きく,当時の私は怒りさえ覚え,わだかまりを捨てきれないでいた.
夢の中で私は,電動ノコギリを使って木の板を切っていたが,あやまって自分の左手首を切り落としてしまった.非常にリアルで,驚きのあまり一旦目を覚まして,左手首を確認してから再び寝なおしたほど.切断した左手をすぐに手首をくっつけみたら,元通りくっついたが(この辺りが夢のおかしなところ),みみず腫れのような跡がうっすらと残っていた.とはいえ,専門家に一度診て貰うほうがいいだろうということで,外科を受診.伊武雅人似のその医師は,私に左手でボールを投げるように言うので,小さなボールを下から上に放り投げてみると,問題なくできるではないか.彼は,「跡は少し残りますが,大丈夫ですよ」と事もなげに言った.
その後も夢にたびたび登場する医師は,実はスピリット・ガイドだったらしいと判明し,納得.リーディングで医師が伝えてきたことは,健康に関する内容が多かった.例えば,私はアレルギー体質で,軽度の食物アレルギーがあるが,花粉症はでない.よほど大量に飛散しない限り,春先にマスクなしで外出しても何ともない.ミディアムに見えたヴィジョンでは,私の頭からすっぽりと透明なプロテクト用のヘルメットが被せられていたが,このことを指しているように私には思えた.花粉アレルギーが起こる因縁がないか,花粉から守られている,といってもいいのかもしれない.
もうひとつ,その医師が,芸者姿の女性(私の過去生ではないかと指摘あり)の背中を診察しているヴィジョンが出た.彼は,カルテを見て,背中のどこが悪いか探ろうとしている.そのカルテが一枚ずつ縦にずらりと並んでいる.あたかも一枚のカルテがひとつの人生であるかのように,その一枚一枚をみてどこに原因があるか調べているようだ,というのだ.これにも少し心当たりがあった.肩こりに悩まされていた私はその頃ちょうど,欧米式のカイロプラクティックで脊柱矯正を受け始めたところだった。そして,漠然と,この背骨のゆがみは一体どの過去生に由来するものなのだろう,などと思っていた.調査した結果が芸者の過去生,ということなのか,まだ調査中という意味なのか,はたまた,あなたの考えていることはすべてお見通しですよ,というお知らせなのか.ミディアムの口からそれ以上のことは聞かなかったし,私も尋ねなかった.