12/30/2010

精神が高まるほど繊細なものを喜べる

 精神がより高く,健康に育っていくほど,その人はあまり突飛的な笑いや下品な高笑いをしなくなるものだ.軽率で破壊的な高笑いはほとんどなくなり,微笑や喜びの表情が増えていく.
 なぜならば,この人生の中にこれほど多くの楽しいことがまだ隠されていたのかと,発見のつど喜ぶようになっているからだ.つまり彼は,その微細なものを見分けることができるほど,繊細で敏感な精神の高みに達しているというわけだ.


『漂泊者とその影』

フリードリヒ・ニーチェ 白取春彦編訳 『超訳 ニーチェの言葉』 p.35.





「神は死んだ」という言葉で有名なニーチェですが,無神論者だったというわけではなさそうです.当時のキリスト教哲学が,生きている人々のためになっていないのではないか,という懐疑から,独自の哲学を推し進めたようです.

さまざまな苦労を重ねた人には,独特の深みがあります.苦しみを乗り越えてきたがゆえに,日常生活の些細なことに幸せや喜びを見出せる,ということもあるでしょう. 

62 美を味わう能力」も参照ください.

62 美を味わう能力

霊界にはあらゆる美が存在しますが,それを味わう能力は霊性の発達の程度いかんに掛かっています.たとえば二人の人間に同じ光景を見せても,一人はその中に豊かさと驚異を発見し,もう一人は何も発見しないということも有りえます.それにもう一つ別の種類の美―魂の美,精神の美,霊の美があり,そこから永遠不滅のものの有する喜びを味わうことができます.充実した精神―思考力に富み,内省的で,人生の奥義を理解できる精神には一種の気高さと美しさがあります.それは,その種のものとは縁遠い人,従って説明しようにも説明できない者には見られないものです.

『シルバーバーチの霊訓  第3巻』  p. 165.



12/28/2010

60 癒し手こそが癒される

いつもこう申し上げているのですー施しをする人は必ずそれ以上の施しをしてもらっており,差引勘定すればいつも頂いたものの方が多くなっていると.施す者が施しを受けるというのが摂理なのです.なぜなら,施しをしようとすることは魂の窓を開き,精神を広げ、心を大きくすることであり,その広くなったチャンネルを通して愛と導きと保護の力が流れ込むことになるからです.

『シルバーバーチの霊訓  2巻』  p. 124.


「施し」とは,何も寄付に限ったことではありません.広い意味で,「ひとを助ける」ことを指していると思われます.人を癒すこともそのひとつです.


ミディアム(霊媒)など,広くサイキック・カウンセリングに携わる人々の中に,(相談者を)「救う」という表現を使う方々がしばしば見受けられます.が,本当に自分を救えるのは自分だけ.病気が治るのは,自分が治ろうとするから,悩みを克服するのは学びを終え,気づきを得たから,です.従って,医師であろうと,カウンセラーであろうと,ヒーラーであろうと,ひとを治せる,救える,と考えるのは一種の思い上がりです.患者さんの病気が治るように,相談者が悩みを克服するように,「お手伝いする」というのが本当のところなのです.「人を救う」という発想は,人間の本質(たましいの力)について,ひいては真理への理解が足りないことの表れだと認識しなければなりません.

忘れてならないのは,ダイアナ妃もかつて「私の方が癒されているのです」と言ったように,助けが必要な人を癒すことで,光の世界からさらに多くのエネルギー,愛をもらって癒されるのは,むしろ癒やす側のほうなのだ,という真理です.

記事,「病を治すもの」もご参照ください.

12/23/2010

I am in control

I am in control of my thoughts and my actions.

You can only control your reactions and attitudes to what happens to you.  You cannot control the actual events.  Learn the difference.

 B L Weiss (2003)

私は,自分の考えと行動をコントロールしています.

(あなたにコントロールできるのは,自分の身に降りかかる出来事への反応の仕方や態度だけです.実際の出来事はコントロールできません.違いを覚えてください.)




変えられないものを思い通りに変えようとすると,人は苦しくなるのですね.外界の状況や人の態度などで変えようがないものは,逆転の発想で,その受け止め方自体を変えることで,楽になれる,というわけです.

主体的に生きる,とは,自分の見方や立ち位置を,状況に応じて,臨機応変に変えたり,柔軟に調節していくことかもしれません.

変えようのない状況を何とか変えたい,打開したい,という動機で行動するのは,その出来事に振り回されているのと同じです.ままならない状況にも意味を見い出し,見い出した意味に自分の受け止め方を沿わせて行動すれば,余計な苦しみは減るでしょう.

12/10/2010

59 霊界からの愛

あなた方は地上だけでなく私たちの世界からも愛を受けていること,血縁とは別の縁で結ばれている霊がいて,血縁同様にあなた方を愛し、能力のかぎり指導に当たってくれていることを喜ばなくてはいけません. 

シルバーバーチ



他界した親族や知人の霊は補助霊として,高級霊とされる守護霊や指導霊(血縁とは別の縁で結ばれている霊)の指導のもと,許される範囲内で最大のサポートをしています.


補助霊から,かなり直接的な働きかけ(声が聞こえた,姿が見えた,あるいはミディアム経由でメッセージをもらったなど)がある場合は,よほどの緊急事態(たとえば事故)か私たちが相当困っている時が多いようです.それ以外の場合には,その存在をあまり感じることはないかもしれません.一方,守護霊などは,主に夢を通じてメッセージを伝えてきます.もちろん,身内の魂が夢を通じて知らせてくることもよくあります.

いずれにせよ,わたしたちは孤独な時も,決して一人ではありません.

以前の記事,「守護霊とは」も参照ください.






12/04/2010

57 自由な思考を

皆さんがスピリチュアリズムと呼んでいるものは自然法則の働きの一部ですが,これが人間にも霊が宿っていることを証明しました.その証拠は,視野を曇らされず理性に従い,何の捉われもなく自由な思考をめぐらすことの出来る人には,人間が本来霊的存在であることが議論の余地のない事実であることを雄弁に物語っております.そしてその基本原則から次々と重大な意味が湧き出てきます.その一つ一つがそれを受け入れる用意のできた人々に,こうしてはいられない,何とかしなくては,というせっぱつまった衝動を覚えさせます.

『シルバーバーチの霊訓  第三巻』  p. 29.



「何の捉われもなく自由に思考のめぐらすことのできる」とありますが,こうした性質を英語では open mind といいます.既成概念や世間の偏見にできる限り左右されず,真実により近い次元で,ものを見聞きし,理解すること.そのためにまず必要なことは,心静かな状態で,自分自身の直感やインスピレーションに気づき,それを信じることかもしれません.

とはいえ,長年の観念や感じ方のクセを直すのは一朝一夕というわけにはいきませんが.

11/21/2010

仕事の学び

 あなたの仕事は何ですか?見た目や肩書きではなくて,あなたがたずさわっている仕事の内容を,魂の目であたたかく見つめて見ましょう.(中略)
 私たちは仕事を通していつも自分を学び,自分を知ってゆきます.
 たとえば今かかわっている仕事は,あなたが惹かれる内容ではなく,やりたいわけではないけど仕方なくやっている―という場合もあるかもしれませんね.好きと仕事が一致しているほど幸福な事はありませんが,きっと多くの天使さんは,そこへ向かうプロセスの途中にいらっしゃるかもしれませんね.
 今の状況,それすらも偶然ではないんです.あなたがかかわっている仕事が持っている本質のエネルギーは,必ずあなたにとって必要であり,あなたの魂の目的に必要な世界がそこにあります.
 苦手はことを超える資質,どんな人とも仲よくなれる資質,人をまとめる,人が見逃すアイディアを形にする,小さなことでもりっぱに成就するなど,私たちのかかわる仕事には,あなたの魂の目的を成就するための気づきと成長が溢れています.
 それを見つければ,あなたの持つエネルギーがわかります.
 すべての仕事は,完璧なタイミングで,必要だから与えられているのです.


姫乃宮 亜美 『優しい光の招待状』 pp. 278-9.



働くことは,自分の成長のためでもあり,全体に貢献するためでもあります.

楽しく働こうとすることは結構ですが,それが,「嫌なこと(人)は回避して」という意味合いであるとすれば,的を射損ねていることになります.少なくとも報酬を得ているわけですから,意に沿わないことにも「必ず何か意味がある」し,「自分にとって必要なこと」として謙虚に受け止めて,真摯に取り組む姿勢こそが,本当の意味で前向きな態度です.

仕事による学びのパターンは二つに大別されるかと思います: 1)過去生で培った才能・資質を活かして(またはさらに伸ばして)社会に貢献する; 2)今生で才能・資質を新たに培いながら貢献する.才能や資質の種類は多岐に亘ります.引用文にはそれら才能・資質の一部が紹介されています.1つめのパターンでも新たな学びが必ずあります.

いまは就職難で,内定がもらえない新卒の学生が増えています.仕事が見つかりにくい,または見つからないことにも意味があるでしょう.意味や学びは人により様々ですが,ひとつには,探す場所(業種,分野)の変更が必要な場合があります.つまり,軌道修正を促されているケースです.また,四苦八苦する中で,自分を見つめ直すことができます.大企業の方が中小企業より魅力的だ,といった物質主義的価値観に陥ってはいないでしょうか.さらに,人によっては,一定期間,正規の職が見つからないことが必要なケースもあります.忍耐の学びの時期かもしれません.意に沿わない状況でも,落ち込まず,自分を否定せず,乗り越えようとする前向きな気持ちが大切でしょう.

また,仕事が決まらない人々は,他の人達に就職支援の機会を提供していることになります.自らも学びながら,他者にも学びの場を与えているのです.その意味でも,無駄は全くありません. 

11/11/2010

How Princess Diana lived ダイアナ妃の生き方

'Her public image is one of beauty, grace and caring.  Her private life is one of simplicity and humility.  She has time for everyone, the old, the sick and the deprived.'

ダイアナは公には,美,優雅さ,そして思いやりを表現していました.私生活は,質素で謙虚でした.そして,全ての人々,年老いた人々,病気の人々,貧しい人々のために時間を割きました.



Andrew Morton (1997).  Diana: Her True Story--In Her Own Words.Completely Revised Edition, p. 345.



ダイアナ妃の親しい友人の一人だった,Oonah Toffoloがダイアナ妃について述べた言葉です.彼女の地上人生を,簡潔ながらも,見事に表現しているようです.原文は現在形ですが,過去形として訳しました.

マスコミ報道は洋の東西を問わず,虚偽を伝えていることが多いものです.でも,マスコミだけが程度が低いのではなく,おそらく地上に生きる我々人間の多くが,マスコミに同調してしまう波長を持っているということなのだと思えますが,どうでしょうか. 

11/09/2010

To heal other people

"To heal other people, you have to suffer yourself."

他の人々を癒すためには,自分が苦しまなければなりません.

Mother Teresa





生前,マザー・テレサがダイアナ妃に直接伝えた言葉です.

自ら苦しんだ体験のない人は他者の痛みを知ることはできません.痛みがわからなければ,その痛みに共感し,癒すことができません.

ひとは,苦労がないことが幸せ,と考えがちですが,決してそうではありません.大人の魂ほど多くの修行を積み,苦しみを克服してきているので,人の心の痛みに共感できます.

楽観的であることは悪くありませんが,能天気は未熟さの表れかもしれません.

56 瞑想の効用

・・・忙しい時間のいくばくかを割いて,背後霊との霊的な交流をもつことを心掛けてくださると,背後霊はとても助かるということです.そして,これは何度も申し上げていることですが,背後霊とのつながりを求め,たとえ表面的には何の反応もなくても,霊的にはかならず何かが起きているのです.
 (中略)心を空にして穏やかな気持の中で精神を統一するだけで十分です.
 その統一状態の中で霊の力が働くのです.そうした静かな精神状態というのが,物的生活に振り回されている騒々しさに一時的なストップをかけることになります.そのわずかな時間を霊性の開拓と,自宅内での霊的存在の認識へ向けたことになります.
 地上の人間は静かな精神状態をもつことの効用を十分に認識しておりません.私がよく申し上げているように,あなた方にとって無活動の時が私たちにとって活動の時なのです.あなた方が静かに受身の心でじっとしている時が私たちにとって一ばん近づきやすいからです


『シルバーバーチの霊訓 第七巻』 p. 101.



テレビやインターネット,携帯電子機器の普及で, 身の回りには常に音や情報が溢れています.電車に乗れば,乗客の大半は,携帯電話を見ているか,ゲーム機器を操作しているか,携帯音楽プレーヤーで音楽を聴いているか,居眠りをしているか(活字を読んでいる人もいますが)で,起きていて何もしていない人を探す方が難しい昨今です.人で溢れかえる都会で,知らない人と関わる煩わしさを避けたい気持ちはよくわかりますが,これはちょっと異様な光景です.

孤独を紛らわす手段には事欠きませんが,時にはあらゆる情報・ノイズをシャットダウンして,内なる声に耳を傾けることが必要だ,と引用は述べています. 

スピリチュアリズムに心酔しながら,瞑想に強い拒否反応を示す方がいますが,瞑想せずしてより正しく理解すること,理解を深めることは非常に困難ではないかと思います。


10/10/2010

空が空

空が空 (作詞・作曲: 川村結花 唄: 中孝介)

歌詞はこちらからご覧いただけます。



中孝介さんの歌には,スピリチュアルなメッセージ性の強く感じられるものが多くあります.「空が空」もそういう歌のひとつだと思います.

「あなた」という人間はたった一人しかいません.この世の物質的価値観で,自分を狭く規定する必要は全くありません.

私たち一人ひとりに届けられる高次のメッセージとして聴いてみると,深く心に染み入ります. 

9/16/2010

認知症

 私は「肉体はクルマ,たましいは運転手」と言っていて,「認知症」を必要以上に悲しむことはないと思っています.たましいは何も変わっていません.たとえ暴言を吐くとしても,ガタがきたのは肉体だけ.右へ作動すべきものが左へ行ってしまうようなパーツのトラブルにすぎないのです.
 たとえば古い自動車は,お金をかけてしょっちゅう修理しても,突然エンジンがかかわなくなったり,ヘッドライトがつかなかったりと,トラブルが続出します.いわばそれが認知症というもので,それ自体は必要以上に悲しむことではないのです.
 たとえば,暴言を吐いたりするのは,よほど心に溜めていたものがある人です.徘徊する人は,人生の中でよっぽど逃げたいことがあった人.本当はイヤだった,けれども子どもがいるから辛抱してきた,そういうことが表に現れる.異物を食べる人は,食べることに苦労してきた人です.
 そういうウミが最後に出せるんだから,「これも幸い」というとらえ方をすればいいのです.変に持ち越して執着するよりも,今のうちに全部吐き出してしまうほうが楽です.家族はショックを受けるより,「そうか」と気づいてあげればいいのです.「お母さんにもこういうことがあったんだ」「お父さんはこうだったんだ」「あんなに品のいいおばあちゃまだったのに,腹にすえかねることがあったんだね」と.


江原啓之 『スピリチュアリズムを語る』 pp. 124-5.



認知症は「脳の病気」であって,それ以上でもそれ以下でもない,という見方は間違いではありませんが,やや不十分な捉え方と言わねばならないようです.最近の研究で,病いによって失われてしまう機能がある一方で,失われずに保たれている機能もあることが明らかになっています.保たれている部分というのは「感情」ですが,これはまさしく魂と直結する部分であり,引用文の内容と符合するものとなっています.

認知症を患う人の感情を認め,受け入れ,受けとめることで,興奮状態など,これまで介護者を悩ませていた症状の一部が劇的に改善したケースが数多く報告されているとのことです.どのような症状が出ようとも,患者さんをひとりの人間,ひいては「たましい」として,尊重し,思いやる態度が求められ,試されている,ということかもしれません.

病気から教わるのは,患者だけではないようです.

認知症は,その特有の症状(普通の会話が成立しなくなったり,理解不能な言動をとるなど)によって,本人よりも(特に介護する)家族ー主に配偶者や子供ーの精神的な負担や苦しみが,他の病気に比べると,強く感じられやすいかもしれません.

どんな出来事にも必ず原因があります.「本当の」原因は何かを知ると,より前向きに対応できるようになるかもしれません.

「真実」を知ることによって,「不必要に」嘆き悲しんだり,振り回されることが減って,「正しく」悩み,苦しんで,学びを得ることができます.

Conflict from inner sources 内面の葛藤

As man advanced on the evolutionary scale, however, his conflicts rose more and more from inner sources.

しかしながら,人間は進化するにつれて,葛藤はますます内面から生じるようになったのです.

Gina Cerminara.  Many Mansions, p. 239.


人が経験する苦労は様々ですが,病気,お金,人間関係,心労にざっと分けることができるでしょう.大抵の場合,この中のどれかひとつだけということは少なく,病気とお金,人間関係とお金と精神的な苦労,などというふうに組み合わさることが多いはずです.苦労の中では,肉体的苦痛,精神的苦痛,金銭的打撃を伴う病気こそが一番大変で,精神的な苦労は所詮,心の持ちよう一つでなんとでもなる,として軽視する人がいますが,それは正しくありません.引用はそのことを裏付けていると思います.
歴史を振り返ると,病床にあっても偉業を成し遂げた偉人は少なくありません.病床で看護制度の礎を築いたナイチンゲールなどはその代表的な例でしょう.また,お金の苦労は,大なり小なり誰にでもつきものです.お金持ちは苦労がなくて,貧しい人こそ大変だ,というのは余りにも単純すぎる捉え方です.お金があるが故に,人間関係で気苦労が絶えなかったり,借金の保証人になって無一文となり,しまいには一家離散に追い込まれた,といった話はよく耳にします.自殺するのも,肉体的な苦痛というより,いじめられていたのに誰も助けてもらえなかった,もしくは助けを求められず一人で苦しんでいた,とか,リストラされ,家族ともうまく行かなくなって,絶望した等といった精神的な理由が引き金になる人々が多いことを考えれば,孤独感の深刻さが伺えます.


故ダイアナ妃は,マザー・テレサ(およびヨハネ・パウロII世)と縁の深いたましいであるという見方があり,霊性の高い方だったようです.実際,36年の生涯において,彼女は王室へ入る前も,入ってからも,多くの苦難に直面しました.幼少期には両親が離婚し,親には愛されなかったと感じていました.婚約公表前からメディアに容赦なく追い回され(当時住んでいたフラットの向かいに部屋を借りたジャーナリストが,望遠鏡で彼女のプライバシーを覗いていたこともある),結婚式の直前にチャールズ皇太子とカミラさんの関係を知ったものの,結婚を取りやめるには遅すぎる.結婚前は好意的だった王室の人々の態度も結婚後には一変し,彼らの期待通りに振る舞えて当然,そうできなければ批判される.メディアで取り上げられることといえば,髪型やらファッションの話題が中心.目だった行動をとればありもしない事実へ曲解されては記事にされる.公務にあたれば,チャールズよりも人気があったことから,夫からは嫉妬され,彼女の意に反して,別々に公務を行う羽目になる.その一方で,夫が婚約前から懇意にしていた女性の影に悩まされ続ける.婚約時代に発症した拒食症には本人も周囲の人々も理解がなく,治療開始まで10年もかかり,二人目の王子の誕生は,女の子を切望していた夫からあからさまに落胆されるなど,ここには全て書ききれないほどです.しかし,真実を知りもせず,知ろうともせず,上辺でしかものを判断しないメディアや世間には彼女の苦しみなど想像もつかなかったことでしょう.私の知人にも「彼女ってわがままなんでしょ?」と言っていた人がいます.しかし,アンドリュー・モートン氏の著書,Diana--Her True Story In Her Own Words (生前,ダイアナ妃自身のインタビューに基づいて書かれた伝記の完全改訂版)や,死後,アメリカのテレビ局によって明らかにされた彼女の人生は,世の人々の勝手な憶測とは非常に異なるものでした.幼少期から愛を得ようとして得られなかった孤独感や心の葛藤,夫の不貞による苦しみや,まるで宮殿に幽閉されたかのような半生は,非常に苦労の多いものだったのではないでしょうか.

彼女がこの度の転生において果たしかったであろう事のひとつは,我が身を呈して(彼女が苦しんだ拒食症や夫婦関係の破綻はいずれも幼少期における愛の不足に原因があるとされる),「愛の大切さ」を世の人々に伝えることだったかもしれません.同時に,癒し手として,愛の力で,いわゆる恵まれない人々を癒すことでもあったでしょう.彼女は死後もなお,地上の様々なメディアを通じて愛の尊さを訴え続けています.(比較的若くしてこの世を去った人々は,あの世から地上に働きかけ,活動を継続することがあります). 内的な葛藤に大いに苦しむ人は,往々にして高い霊性を備えている好例かと思います.(さらに,霊性の高い人々は,自ら高い目標設定をして生きるプログラムを選ぶ傾向が強いようです.というよりも,大人であるがさらなる成長のためにハードなプログラムに挑むし,やり遂げられるともいえます.)

病いの苦しみは精神的な苦しみを伴います.しかし,多くの場合,面倒を見てくれる人がいますし,身体が病んでいるからといってたましいまで病気ということはありません.健康でありながら心が孤独であり,苦しみがあって,しかも,それを誰にも理解されないことも,大きな苦労だと言えます.

いずれにせよ,自分の苦労を尺度にして他者の苦しみを測ることは不適当であり,不可能です. 

8/15/2010

我々はみな仲間

 誰一人,他の人より偉大な人はいない.すべての人は平等であるということを理解しなさい.またそう感じなさい.他の人々を助けなさい.我々はみな同じ一つの船を漕いでいる仲間同士なのだ協力してオールを引かなかったら,この世は恐ろしく孤独な場所になってしまうだろう

ホイットン,フィッシャー著 片桐すみ子訳 『輪廻転生』 p. 258.



戦後65年を迎えた今年,NHKでは今週ずっと戦争関連の番組を放送していました.

インタビューに答える戦争体験者の方々は,みな異口同音に「戦争は二度と繰り返すべきではない」と語ります.

それはなぜか.国や人種が違っても,人類はみな仲間で,みな神の子だからです.「競争」ではなく「協力」こそが大切なことだ,と引用では述べられています.切磋琢磨は良いことですが,その先にあるものが協調や他者への貢献でなければ本末転倒です.

戦争根絶のために最も大切なこと―それは,私たちひとりひとりの心が満たされて平和になること,内なる平和を維持し続けるような努力を各自が積み上げることです.戦争とは,言い換えれば規模の大きな「喧嘩」です.大きなことは小さなことの積み重ねでしか達成できないからです.

7/24/2010

ONE LOVE ~笑顔であふれるように~ YongHa's last wishes

ONE LOVE ~笑顔であふれるように~ (作詞 Kenko-p  作曲 Nickii 唄 パク・ヨンハ)

歌詞はこちらからご覧になれます。


エドガー・ケイシー関連の書籍によく出てくる
,"oneness" (ワンネス)という言葉があります.これは,大雑把に言えば,本来,全ての生命,エネルギーはひとつに繋がっているので,地上レベルでも人々は絆を強め,心をひとつにして生きる必要がある,といった趣旨かと思われます.全てをつないでいるのは,愛であり,愛は唯一絶対の存在である神から来ています.この歌詞の "ONE LOVE" は,その全てのいのち,スピリットを見えない次元で繋ぐ「神の愛」と通じるように感じられます.

"promise" と重なる深い意味がこの歌詞からも読み取れます.

人生で辛く苦しい体験をし,涙を流すようなことがあっても,それは自分のたましいの糧になり(「大地を潤す」),「歓びという花が必ず咲」いて,苦労は必ず報われます(「大きな花になる」).雨の日も風の日も,スピリット・ガイド(及び他界後,浄化の進んだ身内のスピリット―祖父母や父母など)が「いつでも側にいる」のです.私たちが「笑顔でいられるように」,いつも見守り,導いてくださっています.彼らと私たちは,まさに "ONE LOVE" で繋がっていることを忘れないでいましょう.

その "ONE LOVE" を私たちは,地上で暮らす仲間へ広げていく必要があります.「星と星が星座になる」ように.私たちは一人で生まれ,一人で死んで生きますが,生きている間も光の世界に戻ってからも,誰もが,どこかで必ず,「かかわりあいながら」生きています.苦しいとき,辛いとき,一人で頑張ることが必要な時期もありますが,自分を追い込むほどまで「こらえる」必要はありません.助けを求めることは決して弱さの表れではないのです.私たちは,目には見えずとも,ガイド達とひとつの存在であって(「こころはひとつ」),さらに他の人々のたましい,生命すべてと繋がっているので,お互いに助け合うことは,実はごく自然な在り方なのです.依存には注意しなければなりませんが,互助は依存とは異なります.助けを求めることで,相手に助ける機会を与え,学びのチャンスを提供することになります.その意味で,助けを求める側にも援助者を助けることができます.また,「ひとりでふるえ」ている人に積極的に気づこうとすることも必要です.そうして,この地上においても「愛を繋ごう」,という大きなメッセージをこの歌詞から受け取ることができます.

私たちの「笑顔」や「微笑み」は,「まぶしい輝き」を放つ(不可視の)光となって私たちの後ろの方々に伝わり,彼らにとっては「勇気」になります.私たちの夢や希望,願いを,彼らは熟知しているからです.私たちと「同じ夢を」,「同じ空を見て」いるため,親心と同じで,子どもの笑顔を見ると,もっと頑張ろう,と思えるのです.

"promise" と比べると,より一層スピリチュアルで,普遍的なメッセージ性を備えた素晴らしい歌だと思います.メロディーにも明るさと力強さが感じられ,聴いていると元気になります. 

*********

むかし,「地球はひとつ,人類は皆きょうだい」というCMコピーがありましたが,地上に神の愛を行き渡らせ,人類の思いをひとつにつないで,平和な世界を実現するために,私たちは誰もがそれぞれのやり方で,各々の持ち場で活動を続けています.パク・ヨンハさんは,芸能活動,特に日本においては歌うことで,人びとを癒し,励ましながら,地球村の韓国と日本の橋渡し役を務め,神の"ONE LOVE"を広めていたと言えます.比較的短い地上人生でしたが,この意味で,彼の人生は成功だったのではないでしょうか.(記事,「ひとりひとりの使命」も参照ください.)

日本ツアー開始前に,地方のラジオ局,テレビ局をまわり,新曲『ONE LOVE』のプロモーションをしていたパク・ヨンハさん.この曲のメッセージがそのまま,私たちに宛てた彼の遺志のように感じられます.彼が支援していたチャドの子ども達に代表される,我々より恵まれない国々の人々への援助や関心も大切です.同時に,ごく身近なところに,私たちの優しい「まなざし」や「微笑み」が「勇気になる」人々が,まだたくさんいるのではないでしょうか.家族や友人に留まらず,職場の仲間や顔見知りの人々,さらには通りすがりの人々をも含めて.地球村の他の部落・部族へ思いを馳せることも欠かせませんが,まずはわが部落,わが部族を平和にすることが必要でしょう.

これまでヨンハさんから受け取った素晴らしい愛のエネルギーを,これからは私たちが周囲に伝えていく番です.そうすれば,自ずと悲しみも癒され,ヨンハさんにも喜んでもらえることでしょう

「笑顔であふれるように 僕らの愛をつなごう ONE LOVE  こころはひとつ」

5/29/2010

平等の意味

 「あなたはいつも,すべての人は平等だと言っていますが,それは明らかに事実と相反していると思います.徳の高さ,自制心,財産,権力,才能,知識,数学の実力など,どれも不平等ではないですか?」
 答えはたとえ話で返ってきた.
 「それはいわば大きなダイヤモンドが,それぞれの人の内にみつけられなければならないということなのだ.直径が30メートルの大きさのダイヤモンドを想像してみなさい.そのダイヤモンドには一千個の面があるが,そのどれも,泥や油でまみれている.一つひとつの面がキラキラと輝き出し,虹の光を反射するようになるまで磨いてゆくのが,魂の仕事なのだ」
 「今,ある人々は,己れのダイヤモンドの面をきれいに磨いて,キラキラと輝いている.またほんの少しの面をやっと磨いただけの人もいる.そのためにまだあまり輝いてはいない.しかし,どの人もその胸に一千個の輝く面を持つダイヤモンドを持っているのだ.そのダイヤモンドはどれも完全で一つの傷もない.人々の間の差は,ただどれくらいの面をすでにきれいにしたかということだけなのだ.しかし,どのダイヤモンドもすべて同じで,しかもすべてが完璧なのだ
 「すべての面が美しく磨き上げられ,虹の光の中で輝いている時,ダイヤモンドは本来の純粋エネルギーへと戻ってゆく.光だけが残る.それはまさに,ダイヤモンドがつくられるまったく逆のプロセスであり,すべての圧迫が解放されるのだ.純粋エネルギーは光の七色の中に存在する.そして光は意識と智恵をもっている


ホイットン他 『輪廻転生』 pp. 258-9.


可能性としてあるダイヤモンド自体は完璧ですが,すべての面が磨かれていなければ,まだ完全なタイヤモンドとは言えないでしょう.完全なダイヤになる可能性は,すべての魂に平等に与えられている,ということだと思います.

誰もが持つ「神性」が,このダイヤモンドに相当します.

進歩の代償

 進歩の代償はつねに試練と困難である.魂が成長するにつれ,人生が次第につらいものになっていくのは,まさにこのためなのである.

ホイットン他 『輪廻転生』 p. 66.



苦労,苦難なくして,魂は成長できません.成熟した魂は,さらなる成長を目指して,高いハードルを自らに課し,挑みます.そして,苦しみもがきながらも,何とかやり遂げていくものです.

しかし,その苦しみは地上に在る時だけのこと.一回につき,たかだか数十年にすぎません.本来の姿に戻れば,地上で経験するようなつらさは全くありません.よほど邪悪な性質の魂か,迷える魂でなければ,ですが.

そして,基本的に,たましいは成長を強く望むものです.神に少しでも近づきたいと願うものなのです.それが私たちの「本来の」性質です.

霊格を高めたければ,自ら進んで困難な人生を設定し,それをやり遂げるしかありません.この殺伐とした地上にあって,涙を流し,汗を拭い,歯を食いしばって修行を完遂してはじめて,光は輝きを増し,たましいは進化するのです.

5/04/2010

マリッジブルーの意味

 結婚を控えた人のなかに,急に不安になったり,「やっぱり結婚するの,やめようかな」などと心が揺れる人がいます.いわゆるマリッジブルーですが,こうした思いを抱く人の前世を視てみると,許婚がいて結婚したけれど,結婚して姑とうまくいかなかったとか,夫と合わなかった,夫から横暴な扱いを受けたなど,いろいろと苦労をしてきた過去が視えることがあります.すべてではないのですが,過去の結婚で苦い思いを味わったために,今の人生において結婚するときにも,「本当に結婚してもいいんだろうか.大丈夫だろうか」と不安になってしまうのです.
 前世を考えると,今とはまったく時代背景も異なります.とくに前世を女性で生きたたましいにとっては,結婚はまさしく一大事で,それによって人生が決まってしまうようなところもあったでしょう.それに,自分の意志で結婚相手を選べることなどまずなかったでしょうから,どんなにつらくても耐えるしかなかったのです.
 そうした前世を経ているからこそ,「今度こそは,悔いのない結婚をしたい」「夫婦,二人三脚で歩いていきたい」とあなたは望み,強い意欲を持って産まれてきたのです.前世でつらい経験をしていると「もう結婚したくない」と思ってしまう場合もあるかもしれませんが,実は,仮にそう感じたとしても,たましいのほうはむしろ反対に,「次は乗り越えたい」と前向きに結婚をとらえていることのほうが圧倒的に多いのです.こうしたたましいは,結婚しても,相手に依存しない生き方をしたい,お互いに束縛せず自立した夫婦でありたいと志しています.
 つまり,本当に幸せな結婚とは何かを真剣に考えるあまり,マリッジブルーに陥ることもあるのですが,それ自体は,べつに悪いことではありません.感情でうかれて決めるのではなく,冷静に理性で判断して,ときには「本当に大丈夫かな」と立ち止まるくらいの慎重さが,本来は誰にとっても必要です.結婚前に,疑問を感じたり,ためらいが生じることがあったら,その気持ちにフタをしてはいけません.それが,たましいからのサインかもしれないからです.じっくり分析し,自分のなかでゴーサインが出てから話を進めても遅くはありません.


江原啓之『トラウマ あなたが生まれてきた理由』 pp. 172-4.



この他に,周囲から結婚を反対されるケースについても説明が載っています.自分の気が進まないことや,親きょうだいから反対されることが,その結婚を辞めるべき,というメッセージとは限らないことがわかります.

どんなことにも必ず意味があります.その意味を自ら探りあてようとすることが重要です. 

4/29/2010

人として目指すべきところ

 真実の博愛主義者,全てに先んじて同胞の利益と進歩を慮る(おもんぱかる)人こそ真実の人間,真の神の子である.なぜなら神こそ真の博愛主義者だからである.真の博愛主義者とは時々刻々と神に近づきつゝある者のことである.絶え間なき努力によりて永遠にして不滅の同情心を広げつつ,その不断の同情心の行使の中に,汲めども尽きぬ幸福感を味わう.博愛主義者と哲学者,すなわち人類愛に燃える人間と偏見なき道理探求者こそ神の宝―比類なき価値と将来性に満ちた珠玉である.前者は民族の違い,土地の違い,教義の違い,名称の違い等の制約に捉われることなく,一視同仁 [ いっしどうじん: 差別せず,全ての人を同じように愛すること],全人類を同胞としてその温き心の中に抱き込む.全ての人間を,友としてまた兄弟として愛するのである.思想の如何を問わず,ひたすらにそのものの必要とするものを洞察し,それに相応しい進歩的知識を授けることに無上の喜びを覚える.これぞ真の博愛主義者である.もっとも,しばしば似て非なる博愛主義者がいる.己の名声を広めんがために己に同調する者,それに媚びへつらい施しをする者のみを愛する.かくのごとき似非(えせ)博愛主義者はその真実の印である“博愛”を傷つける者である.
 一方哲学者は一切の宗教,いかなる教派のドグマにも媚びず,一切の偏見を捨て,いかなる真理でも,いやしくも証明されたものは潔く受け入れる.即ち,かくあるべき―従ってかくあらねばならぬという固定観念に捉われることなく,神的叡智の探求に邁進し,そこに幸せを見出す.彼には宝庫の尽きることを懸念する必要はない.何となれば神の真理は無限だからである.生命の旅を通じてひたすらに,より豊かな知識の宝の蒐集に喜びを見出す.言い換えれば神についてのより正しい知識の蒐集である.
 この二者の統合,すなわち博愛主義者的要素と哲学者的要素とが一体となりし時,そこに完璧なる理想像ができあがる.両者を兼ね備えし魂は片方のみを有する魂より大いなる進歩を遂げる.


W. S. モーゼス著,近藤千雄訳 『霊訓 完訳・上』 (心の道場刊) pp. 36-7.


あくまでも目指すべき到達点を記した,自動書記によるメッセージです.これほどの人物であれば,まず地上にはいる必要がないでしょう.朗報なのは,私たちも「いずれは」このような魂に進化できる,ということです.それがいつか,ということは各人によって異なりますが,少なくとも現在地上人生を送っている大半の我々にとっては,気が遠くなるほど未来のことに違いないと思われますから,焦る必要は全くありません.

社会的肩書きや学歴,仕事の業績といった面で「成功している」といった理由から,「自分は偉い」と勘違いしている人が現代社会にはごまんといます.また,そういう人々や団体に媚びへつらう人々も後を絶ちません.


(1)正しく愛他的であるということ(他者の福利を自分の利益より優先できる能力や洞察力に秀でている)と,(2)(霊的)真理をより多く理解できているということ(いわゆるIQが高い,というのではなく,真理を深く理解できる思考力や能力[肉体を失くしたあとに残る部分,たましい,の性質]が高い)―この二つが魂の進化を決定する,真の尺度であるようです.


つまり,「神の眼から見て」正しい知識を多く携え,その知識に沿った行動が出来るたましいことが,本当の意味で「偉い」のです.


God loves a cheerful giver 神は喜んで与える者を愛す

Remember that the Lord loveth the cheerful giver, as well as those who seek His face.

Edgar Cayce's Story of Karma, p. 104.



主は,その御顔(みかお)を求める者と同様に,物惜しみせず喜んで与える者を愛されることを覚えておきなさい.



エドガー・ケイシーによるライフリーディング(3633)からの引用です.
"seek His face"
は,旧約聖書の詩篇(27:8 と105:4 )に出てくる表現です.人間が従うべき神の意志や意図を探求する,といった感じかと思います.キリスト教信仰や,神の道を生きる,という意味の表現でしょうか.別の解釈もありそうです.
 


欲しがるのは人間の常に思えますが,真理では,与えるほうが幸いなのです.

以前の記事,「与える人生」も参照ください

4/28/2010

トロイのヘレン - 歴史上(伝説上)の人物を過去生に持つたましい

かつてエドガー・ケイシーのライフリーディングを受けた人々のうち,歴史(もしくは伝説)上の人物だった過去生を持っているのはわずか2割ほどだと言われています.また,データを見る限り,過去生で有名人だったからといって,その後の人生でも再び有名になるとは限らないようです。むしろ,名もない一市民として人生を送る方が多いとか。さらに,歴史に名を残したたましいは,他と比べて格段に進化しているとも限らないようです。後世に語り継がれる功績を残したから,人としても素晴らしい,ということでは残念ながらありません.世間に名が知られている・いないということは,たましいの成熟度と直接関係はなさようです。

エドガー・ケイシー協会(ARE)CEOである,Kevin J Todeschi 氏の著書,Edgar Cayce on the Reincarnaion of Famous People. (Virginia Beach, VA: A.R.E. Press, 1998) から,今回はトロイのヘレンを過去生に持つアメリカ人女性のライフ・リーディングについて紹介します.

トロイのヘレン(紀元前約12世紀)

*トロイのヘレンとは誰か
 ギリシャ神話の人物として知られていますが,ケイシーリーディングが残っていることから,どうやら実在の人物だったようです.神話やホメロスの『イリアス』によれば,絶世の美女で,トロイ戦争の遠因だったとされています.その美しさゆえギリシャ国中の皇太子から求婚されましたが,スパルタの王,Menelaus と結婚し,スパルタ王妃となります.その後,パリに誘拐され,トロイ戦争が勃発しました.トロイ陥落後,ヘレンは夫の許に帰りました.しかし,晩年には,義理の息子たちによって王国から追放され,ロードスへ逃げ,そこでトロイ戦争の報復として女王によって絞首刑にかけられました.

*ヘレンを過去生にもつアメリカ人女性の課題 

 1925年,あるアメリカ人青年が受けたリーディングで,彼の恋人の二十歳の女性は,過去生でトロイのヘレンだったと明かされました.ちなみに,この青年にはアキレス(同じくギリシャ神話の英雄とされていますが,実在の人物)だった過去生があり,二人は暫くしてから結婚しました.トロイ時代に,アキレスはヘレンと個人的に関わることはなかったようですが,20世紀の人生では夫婦になったのです.
 リーディングによれば,この女性(リーディング番号136)は感傷的で,恋愛問題が非常に重要でした.短気な性格ではありませんでしたが,一旦恨みに思うと,それをいつまでも根に持つ傾向があったため,今生でその傾向を改めるように,とのアドバイスが与えられていました.ある過去生では,彼女はシャルル1世の妃に仕えていたことがあり,その人生でカウンセラーとしての技術を培いましたが,「仕返しする (to get even) 」ことも覚えていました.また,古代エジプトで過ごした過去生では,音楽家として霊的に大いに進化しました.
 女性(136)は,今回の人生ではしっかりとした家庭を作ることにエネルギーを注ぐように言われました.トロイ時代の彼女は,今生で夫となる男性(アキレス)のことは知りませんでしたが,彼の方は気にしていました.というのも,二人はエジプト時代に一緒だったことがあるからです.その時代,彼女には周囲の人々を支配したがる傾向もあったので,今回は支配ではなく調和を求めるように,ともリーディングは助言していました.
 結婚後,数年経って二人に息子が産まれると,夫は他の女性に関心を示しました.結局,女性(136)は離婚を選び,息子の養育権を勝ち取りました.その後,20年以上経ってから,二人の共通の知人は次のように語りました:もし彼女が生まれつき,恨みをいつまでも抱き,仕返しをするという性格でなかったなら,離婚せずにすみ,夫婦と子ども達の人生は非常に異なったものになっていただろう,と.(See Todeschi, pp. 54-56.)




恨みを晴らさずにはおかないという,この女性の性質は,ケイシーリーディングのアドバイスにも関わらず,この人生では矯正されなかったようです。おそらく,夫の浮気は一過性のものだったのでしょう。

こうした性質を持っている人は今の時代も決して少なくないでしょう。それを「矯正すべき性格」であると正しく認識している人も
少ないとは言えないでしょう。配偶者の不貞は許しがたい,非常に残念な出来事には違いないのですが,非は常に相手にばかりあるとは限りません。

本当に嘆くべきは,多くの人々が,人間の在り方を正しく認識しきれていない,ということではないでしょうか。尤も,そのために「人格養成学校」として地上人生の存在意義があるのですが。

3/18/2010

いのちをいたわる

 あるとき,花束として私のところにきてくれたお花たちがありました.とても綺麗で,私は嬉しくなり,「よく来てくださいましたね」と,妖精さんたちを歓迎するようにふれていました.
 そのとき,花のいのちが「痛い!」と訴えてきたのです.私のいのちに,痛みがかすかに響いたのです.「え,どうしたの?」と見てあげますと,花束のデザインの都合で,葉っぱにホチキスの針が直接とめてありました.
 私はこれに,とても複雑な気持ちになりました.花たちはこれをよく痛がります.
 もちろん葉っぱを切っても,お花をつんでも,植物たちは大丈夫なんですって.
 けれども,そこにある花のいのちを物として見ていて,いのちに思いやりも敬意ももたない,そういう私たちの心を,花たちは「痛い」と感じてしまうそうです.誤解がないように申し上げたいのですが,私はけっしてお花屋さんを責めているわけではなく,ダメですと,そのあり方を批判しているのでもないんです.
 ただ,私たちの社会は,大切なものを薄めてしまったんですね.見た目の綺麗さが優先されて,中身であるいのちの光が見えなくなっている.それは私たち一人ひとりの生き方を反映しているのかもしれません.いつのまにか,いのちにさわっていることを忘れ,ほかのいのちへの敬意を忘れてしまっているんですね.
 それを知ってから,私はお花にふれるとき,たとえばハサミを入れるときには,「これから切りますよ」「葉っぱを少しきりますね」というように,心の中で話しかけて,花たちへの思いやりを忘れないようにしています.そうすると,花たちはとっても嬉しくなって,ホッとするんですって.ここに安らぎが出てくるのです.(中略)
 ...ほかのいのちに対して優しい敬意を忘れてしまうことがあるのは,自分のいのちへの敬意も,忘れてしまっているときなのです.光不足になってしまう原因が,ここにもありそうですね.


 人は自分を見るのと同じエネルギーで,ほかを見るものだからです.



 私たちを包む愛のエネルギーの法則は「鏡」そのものです.与えたものを,受け取るのです.つまりほかのいのちへの労り(いたわり)が薄れているときは,自分への労りも薄れているんです.自分の心の痛みにさえ,鈍くなってしまいます.
 あなたが花に注いだ優しい労りが,花のいのちをうるおし,いのちの世界を幸福にします.そしてその幸福なエネルギーは宇宙を巡り,いろんないのちをうるおして,今度は誰かのあたたかい心からあなたの心へと,優しい労りが届いてくるようになっています.


姫乃宮亜美 『愛とやすらぎのスピリチュアルメッセージ 優しい光の招待状』
pp. 121-3.

(*引用文中の太字は著者のものです.)



花は人間を喜ばせるために生きている,と言われます.ですから,感謝の気持ちで花を切って活ける分には殺生にはあたりません.それだけ,花は健気ないのちといえます.そのけなげさや美しさに対する感謝の心を忘れないことが大切,ということでしょう.つい忘れてしまう時は,私たち自身が心に余裕を失くしているときなので,充分に心身の休養をとり,自分を大切にする心を取り戻すことが必要かもしれません.



3/11/2010

ソウルメイトと生まれ変わり 2

"Soulmates, Reincarnation, and Healing Relationships"の続きです

Leslie Cayce:  輪廻転生の概念を取り去っても,自分が相手に出会っているのは何かを学ぶ必要があるからだ,という視点からその人間関係に迫るのは,わくわくする.そこに輪廻転生をプラスすれば,私が思うに,全てをより深く理解することになるだろう.でも,生まれ変わりを信じなくても人は成長することができる.

Todeschi:  人々は,「私は生まれ変わりを信じているが,過去生を思い出したことなど一度もないと思う」と言う.が,殆ど全ての人々は,過去生をなんらかの方法で思い出しているものだ.たとえば,初めて会った人なのに,その人がとても好きだと感じる.逆に,初めて会ったにも関わらず,その人の何かが気に障って苛立ったり,重苦しく感じたりすることがある.ケイシーによれば,私たちは出会うすべてのたましいについて記憶や関わった経験があるものだ.その人に再会すると,記憶がよみがえり,「あぁなるほど,そういうことがあったなぁ」と思い,それが感情として経験される.過去生で最後に終えたところから人間関係を再開するので,良かろうと悪かろうと,どのような感情的重要性であろうと,何らかの感情を伴う人間関係はすべてソウルメイトの人間関係といえる.

Therapist:  セッションを受ける時に過去生を信じていなくても,やる気をもってすれば効果はあると思う.自分の内から何らかの印象や感情を感じると,次第に強く,リアルに感じられるようになる.生まれ変わりを否定していても,過去生退行の経験をすると,過去生はあるのかもしれない,と思うようになるだろう.

キャプション: 「今日のあなたは,これまで長年に亘って経験したことの結果である.なぜなら,いのちは継続していて,肉体を持とうと持つまいと,全く同じ存在だからである.」 

司会者(Mark Thurston):  輪廻転生の理論で述べられる魂の旅は宇宙規模で起こる.自分はこの地球上に生きている,普通の物質的な存在以上の者である,と考えることができる.古代の宗教や現代の霊的哲学者は私たちに,根本的原理,「生命の永続性」を見るように促している.

ナレーション: 生まれ変わりの過程で,魂はサイクルやグループで転生する傾向がある.それゆえ,過去生で終えたところから他者との関係を始めるのだ,とケイシーは信じていた.ある人に対する無償の愛を学ぶと,今生では,その同じ人と,そこから人間関係を始めるだろう.逆に,ある人と過去に敵対的な関係を経験したとすれば,今生でその人に対する悪感情を扱うことになるだろう.

Therapist:  初めて会った人を前から知っていると感じることが時々ある.ある男性は南西部の出身だった.金山掘りが行われていた時代のことだ.彼は一人で砂金探しをしていたが,ある日,ヘビに噛まれた.ネイティブアメリカンの女性がそれを見ていて,彼の元へ行き,命を救った.それから,二人は一緒に砂金探しに出かけた.鉄砲水が襲ってきたとき,彼は泳げたので助かったが,女性は泳げず,その後,二人が再会することはなかった.この男性は,70年代に転生し,アリゾナにいた.パーティーに出かけて,ある女性を見かけたとき,一目惚れをして,彼はすっかり彼女の虜になってしまった.過去生退行によって,この女性はあのネイティブアメリカンの女性であることがわかった.彼(もしくは彼の魂)は本当に彼女を知っていたのだ.

L Cayce:  何が男女(夫婦・恋人)を引き寄せるか,ということと一緒に輪廻転生について考えてみたいと思うと,エドガー・ケイシーリーディングでは頻繁に次のように出てくる.人々は,いくつもの過去生に亘り,もしくは未来生において,繰り返し引き寄せあう,と.男女に限らず,職場の人や家族といった人々の集団もそうで,そのグループの中で役割を交換し合ってきた,と.

キャプション: 人は,自分が意識している法則を利用するならば,発達はその知識にふさわしい結果をもたらす.これを進化という.

ナレーション: 人生は,その都度,魂の成長にとって必要な様々なレッスンを提供する.レッスンは,人生において他者という形で訪れる.個々人は,自由意志によって,今生において魂の次の段階の履修項目を学ぶかどうかを決めることができる.しかし,ケイシーの視点からみると,ひとつのレッスンは,習得するまで繰り返し学ばれることになっている.過去生において自分が何者だったかということはあまり重要ではない.大事なのは,現在,つまり,いま直面している様々な人間関係,挑戦,好機に焦点を合わせることだ.  

L Cayce:  良かれ悪しかれ,私たちが強く反応してしまう人とは理由があって出会っており,その理由とは自分の成長を促すためであることが多い. 

Todeschi:  私たちはたましいの成長と個人的な発展のために経験する必要のある経験を重ねる.それをケイシーはレッスンと呼んでいたが,レッスンは,他者との個人的な関係性という形でもたらされることが多い.たとえば,あるドイツ人が私のところにやって来て,職場の或る女性が好きになれないが,信じられないことに他の同僚たちは彼女がとても好きだ,と言った.内観してみると,彼は,彼女と同じような性格の人物に,前の二箇所の職場で出会っており,その時も今回同様,避けようとしていたことを思い出した.そして,自分は,この状況から何かを学ばなければならないのかもしれない,と思った.


Todeschi:
 ある女性は息子について悩んでいた.彼女は,息子と非常に異なる哲学を持ち,エドガー・ケイシーに興味があり,過去生にも関心があった.自分でも,そして家族についても過去生リーディングを受けていた.一方,息子は保守的な牧師で,母は頭がおかしいと思っていた.女性は,二人の物事に関する考え方が非常に異なっていたので,なぜいつも息子と衝突するか知りたいと思い,エドガー・ケイシーに尋ねた.ケイシーは,二人は古代エジプトで同僚で,当時も非常に異なる哲学を持っていた,と答えた.そこで関係が終わっているので,今生ではそこから関係が始まっている,と.さらに女性は,どうすれば息子に自分の考え方を判らせることができるか尋ねた.ケイシーは,そのことは忘れて,ただ息子を無条件に愛するように,と言った.最終的に,息子が彼女に問いを尋ねる時,彼女はそれに答えることができるだろうが,自分の考えを押し付けてはいけない,ということだった.
 この牧師の息子は,長年アレルギーに悩んでおり,医者にかかっても症状は一向に改善しなかった.ある日,母は,エドガー・ケイシーのフィジカル・リーディングを受けてはどうか,とアドバイスした.息子は,アレルギー症状に非常に苦しんでいたため,リーディングを受けることに同意.リーディングで示された治療法を数ヶ月試したところ,非常に改善したので,彼は思った.「もしかすると,ケイシー氏のいうことは信頼できるものかもしれない」と.その後,この男性は,過去生リーディングを受けた.それから,この親子は考え方の違いについて折り合いをつけることができ,何百年も前の過去生からの対立に癒しが起こったのだ.ケイシーの見方によれば,私たちは,問題のある全ての人間関係を癒す必要がある.


*以上は概要であり,全訳ではありません.



人生は学びの連続であり,その学びとは私たちの「本質的な成長」を促すものである,ということです.そして,成長は人との関わりにおいて達成されます.

命が永遠に続くものであれば,向上しかありませんし,本来どのたましいも向上を強く求めているはずです.

自分が善であると知っていることを実行に移すことによってはじめて,私たちは成長します.

3/02/2010

Dreams 夢

In fact, from Cayce's perspective nothing of significance ever happens without it first being foreshadowed in a dream.  However, one's personal will remains an important factor even in the face of a "foreshadowed" future. (p. 164)

実のところ,ケイシーの視点からすると,重要な事は,起こる前に必ず夢で見せられるものなのです.しかし,私たちの意志は,前もって未来が知らされるとしても,大切な要因でありつづけます.

Kevin Todeschi (1998). 
Edgar Cayce on the Akashic Records: The Book of Life.





いわゆる予知夢,というのとは少し違うようですが,人生において重要な出来事(結婚,仕事,家族の生死などに関すること)は,現実に起こる前に夢という形で思い出させられることが多いようです.重要性(や危険性)に気づいていない場合などに,夢という形で前もって教えられることの方が多いのではないでしょうか.すべての重要な出来事を「夢」という形で思い出させられるわけではないと思います.

ある女性は,妊娠中の娘のお腹が普通より大きくみえたので,双子が産まれるのではないかと思いました.しかし,娘は,名医として評判の産婦人科医から,胎児は1人と診断を受けていました.エコー検診がない時代のことです.ある晩,女性は夢でマリア様に会いました.マリア様の両腕には赤ちゃんが一人ずつ抱かれています.「あぁ,マリア様だ…」と神々しい姿に感動していると,マリア様は女性の目線まで降りてきて,彼女の娘の姿に変わりました.その後暫くして,娘には双子が生まれました.

これは明らかな予知夢の一例ですが, 多少なりとも似たようなことは誰しも経験があるでしょう. 

2/03/2010

Always progress

Never look back, progress, always progress.

決して振り返ってはならない.前進しなさい,前進あるのみだ.

Doris Stokes.  Voices.


ひとは,疲れたとき,寂しいとき,楽しかったあの頃に戻りたい,とふと思うことがあります. ある時,Dorisさんも,懐かしい思い出を胸に,子どもの頃住んでいた街を訪れます.しかし,住んでいた家やよく遊んだ場所に行ってみると,記憶の中にある風景は見当たりませんでした.引用は,落胆した彼女に聞こえた天国のお父さんからのメッセージです.

一番辛かった時期,私も楽しかった子供時代に戻りたい,と思ったことがありました.そして,ある夢をみました.私は駅のホームで駅員に,故郷のAへ行くにはこの電車でいいかと尋ねます.すると,担当の車掌はもういないのでそこへ行く電車は走っていない,という返事が返ってきて,あぁもう故郷へは帰れないのか,とがっかりしました.霊的真理に出会い,意識が変わりつつある時でした.

前進(たましいが成長する,という意味)する人生もあれば,後退する人生もあるといいます.人生の途上ではどちらなのかわかりませんが,少なくともある時点において,前進しているにも関わらず,知らなかった頃,楽しかった昔に戻りたいと思うことは,喜ぶべき成長に気づいていないか,受け入れていないことと同じかもしれません.

現実面で思うように前進できない時は,現状維持が最善かもしれません.でも,だからといって,それをいたずらに嘆く必要はありません.前進は必ずしも目に見える形で起こるとは限らないからです.思うように物事が進まなくても,意識下では大きな変化が起きている,ということがあります. 

1/06/2010

曖昧と無知

 つまり,「あいまいを良しとする文化」が日本にはあるのです.
 物事がはっきりとして,明確になることを好まない傾向があると言ってもいいでしょう.やわやわとして,とらえどころがないものを「心地よいもの」「良きもの」と感じるのが伝統的な日本の感性なのです.
 それは確かにひとつの美学ではあるでしょう.けれど別の見方をすると,すべてが可もなく不可もない,責任の所在が明確でなくてもそれで良しとしてしまう感性にもつながっているのではないでしょうか.
 また,日本人は人に対して,「NO」とはっきり言うのが苦手です.外交においても,よくその点が指摘されるように,これは人とコミュニケーションをとるときには,マイナスに作用することが多いものです.(中略)
 さて,この「明確さを好まない」という特徴が,「悪意」とどう関わってくるのでしょうか.
 先ほど,悪意の源に「無知」があると書きました.無知を知に変えるために必要なもの,それは明晰な「分析力」であり,自分の心を「内観する力」なのです.
 悪意が生まれ,それが蔓延し,自分や周囲の人が不幸になっているとき,大切なのは,その状況を分析して原因を明確にしたり,自分の心の中を深く内観して,そこにあるものを見つめる,という作業です.
 それをして始めて無知は知に変わり,悪意を乗り越えていくことができます.
 人が人に悪意を向ける場合,必ず「理由」があります.それを隠している限り,悪意は増長します.
 理由を白日のもとにさらして,分析し,内観して,初めてそれと向き合うことができるのです.悪意を「おぼろに」かすませてしまってはいけません.
 たとえば,「なんとなくあの人が嫌い」というところから,いじめが始まる場合があります.けれど「なんとなく」はありません.必ず理由があるのです.後述しますが,それは「あの人」の中にあるのではなく,自分の中にあります
 状況を分析し,自分を内観して,理由をはっきりさせること.それがいじめという悪意に打ち克つ第一歩なのです.


江原啓之 『悪意/善意』 pp. 50-2.



曖昧がすべて悪いとは思いませんが,問題の先送りや責任回避を生み出し,問題解決を阻む大きな要因であることは否めないでしょう.

分析的な思考をする人ほど精神世界や過去生の存在を信じやすいはず,と書いている人がいましたが,その通りだと思います.物事を突き詰めて考えると,目に見える,または考えが及ぶ範囲の因果関係だけで説明のつかない問題は山ほどあるからです.  


1/01/2010

差別に気づく

 以前,ある政治家が「女は子どもを産む機械」という発言をして批判されたことがありました.確かに,その発言は,とんでもない差別発言です.しかし,実はなんの気なしに「早く子宝に恵まれるといいですね」とか「お子さんはまだなの?」と聞くこと自体も,実は同様の発言ではないでしょうか.産む自由も産まない自由もありますし,ほしくても授からない方もいます.そうしたことに深い理解を示すことが,すべての人に求められるのです.
 究極のことをいえば,子どもを産むばかりが人生ではありません.私はよく「子育てはボランティアである」とか「子どもは親を選んで生まれてくる」という話をするのですが,不妊で悩んでいる方のなかには,これらの言葉を字面だけで受け止め,「私はボランティアさえもできない,子どもに選ばれる資格もないんだ」と落胆する人がいます.しかし,それは違います.スピリチュアルに見れば,子どもを持とうとする気持ちになったときから,すでに立派なボランティアが始まっているのです.結果がどうであれ,子どもがほしいと望み,想いを込めたこと,それだけで尊いのです.そのことを忘れないでいただけたらと思います.子どもをもてなかったらダメなんだという“成果主義”に陥るのではなく,もっと広い視野を持ちましょう


江原啓之『スピリチュアリズムを語る pp. 61-2.



2年ほど前,スピリチュアルな活動に従事している或る年配女性が,若い女性に「子どもはできたの?」と質問している場面を見かけたことを思い出しました.その女性は不妊で悩んでいたようで,年配の女性はそれを知った上で尋ねていたようです.そばで聞いていて,帰宅後に,無神経な発言だと内心強い違和感を覚えました.このように,スピリチュアリズムを高らかに唱える人々の中にも,理解が浅く,その結果,行動がまるで伴っていない人が見受けられるのが現実です.スピリチュアリズムを学んだ後でさえ,レベルやラベルで人間の価値を判断したり,格づけする傾向に気づけない人は決して少なくありません.気づきがないところに向上はありません.

子どもに限らず,結婚,職種,学歴,出自などありとあらゆるところに差別は潜んでいます.差別は偏見(真理と相容れない,人のこころの傾き)から来ています.そして,偏見は無知から出ています.

スピリチュアルな教え,即ち,「真理」を知るほど,自分がどういう偏見,傾きを持っているかわかってきます.わかったら,そこで満足せず,傾きに基づく想いと言動とを減らす努力を日常的に続けることが肝心です.

真理の教えに沿った生き方を日常生活で積み上げていきましょう.心で想わないというのがおそらく最も難しく,言葉に出して言わないのが比較的取り組みやすいのではないでしょうか.自分にできるところから一つずつ始めていって,できないことがあっても,自分を責めず,くさらず,諦めず,ひたすらこつこつ続けていきましょう.継続は力なり,です.  

2025年は大きな転換期

2025年7月5日(土)の早朝(夜明け前),フィリピン沖の海底火山が噴火して,周辺国と日本の太平洋沿岸に巨大津波(120mほど)が押し寄せ,国土の1/3から1/4 が津波に呑まれる,という予知情報があります。最初にこれが注目されたのは,下にも関連動画のリンクを貼っていますが,たつ...