12/28/2011

伊豆へ出かける

今年の2月初旬,めずらしく経済的にも精神的にもゆとりがあった為,遠出することにした.それも日帰りではなく泊まりで.まず,してみたいと思ったのは,シティホテルの広めの部屋で,周りを気にせず,ひとりでゆっくり寝ることだった.最初は,Pホテルがいい,と思った.都内から1泊で行って帰って来られる最も遠い所で,且つ予算内でおさまる場所を検索したら,下田がヒットした.伊豆半島の下田だ.ペリー来航の地としても有名.ホテルは白浜海岸に面しており,近くに神社もあったので,行き先はここに決まった.しかし,一泊二食付となるとそのホテルでは都合が悪かった.一旦オンラインで予約したものの,すぐに取り消して,別の宿泊施設を予約し直した.それも,今にして思えば,背後(ガイド)の非常に有難い配慮だったと納得する.シーズンオフで,宿泊客は私ひとりしかいなかった上に,奥さんが留守で,若いオーナーの男性と小学生の息子さんだけだったから.さまざまな事情からここ数年間,ひと−特に女性−との接触や交流をできる限り避けてきたという経緯が私にはあった.

出かける前の予定では,下田市内の観光,宿泊先近辺の散策と白濱神社(伊豆最古の神社とされる)の参拝が主な目的だった.しかし,二日目に全く予定外の場所を訪れることになった.

それは,石廊崎(いろうざき).伊豆半島の最南端で,石廊崎灯台でも知られている.

石廊崎も然ることながら,旅行自体が導きだったと感じずにはいられない.

前年の暮れ,私はなかなか答えの出ぬ問題とストレスに半年以上苦しんだ挙句,ミディアムのもとを訪れていた.2週間という短期間に二人のミディアムをはしごしたのは,あとにも先にもこの時だけ.ガイドからは,さすがにそのことをかなり厳しくたしなめられたが,最後には,「あなたは答えを知っているでしょう?」と言われてずいぶん安堵した.そして,その同じミディアムに,旅行に行ったらどうか,と言われていたのだ.その時点で,私には旅行に出かけるつもりも,行かれる余裕も全くなかったので,それはちょっと難しい,と答えたかと思う.すると彼は,神社でもいいし,自然があるところでもいい,と続けた.この全てが見事に実現した旅行だった.

下田へは電車を何本も乗り継いで行った.まず,この道中少し面白いことがあった.伊東から伊豆急行を利用したが,途中どこかの駅で列車(前3両)の切り離しがある.最初に乗ったのは5両目だったが,すぐ後ろに座っておられた老夫婦と車掌さんの会話を耳にして,早めに列車を移動することに.おそらくその駅の3つほど前の駅だっただろうか,彼らの後に続いて車両を移動したが,3両目の手前で通り抜けることが出来なかったため,一旦ホームに降りた.その後,その老夫婦はホームを真っ直ぐに歩いていかれたが,私は次の車両にすぐ乗り込んだ.これは咄嗟にとった直感的な行動だった.が,私が乗ると間もなくドアが閉まり,そのご夫婦はホームに取り残されてしまった.電車は1時間に一本くらいの路線だ.もし,あの時,すぐ列車に乗り込まなければ,旅の予定はかなり狂っていただろう.「まもられている」−そう実感した出来事だった.

そのご夫婦にとっても必然的にそうなったことで,何か意味があったに違いない.

車両を移動する前,本から顔を上げてぼうっと車窓の景色を眺めていると,ふっと「いろうざき」ということばが浮かんだ.この時点で,私は石廊崎が伊豆半島にあることは知らなかった.まさか下田駅前からバスで行かれる距離にあるなどとは知ろうはずもない.そのときは,「あぁ,いろうざきって,“石廊崎” でしょ?灯台が有名だったかな」とだけ思って遣り過ごした.

下田は開国の街.ペリーが黒船で来航したという歴史的にも重要な場所で,有名な観光地らしい.平日に出かけたため,旅行者も非常にまばらで,たまに大学生らしき若いカップルに出会うくらい.下田市街はそれほど広くなく,2, 3時間もあれば徒歩でまわりきれるはずだ.ロープウェーに乗って寝姿山(ねすがたやま)に登ると,山頂から下田港を一望できる.開国当時の歴史に関心のある方には興味深い場所かもしれない.

 

上の写真はペリーロード.このあたりをペリー総督とその一行が行進したとか.開港当時のままの姿で残っている.市街地のマンホールの蓋には黒船がデザインしてある.


一通りざっと見て回ると予定の時間になったので,バスで白浜海岸そばの宿泊先へ.チェックインを済ませてから,海岸へ足を伸ばした.その名の通り,砂浜の砂は白く,遠浅の海はどこまでもエメラルドグリーンで美しい.しかし,2月の浜辺はさすがに風が冷たい.浜辺にじっと座って海を眺めているのも寒いので,歩くことに.すると,思いがけなく白濱神社に着いたので,早速参拝することにした.当初の予定では二日目の朝に行くつもりだった.午後4時過ぎだったが,参拝客も非常に少なく,静かだった.山の上にある本殿辺りの空気は澄んでいて,とても気持ちがよかった.白濱神社参拝も導きだと感じた.なぜなら,最初から白濱神社参拝が目的ではなかったから.すでに述べたとおり,最初の思いつきは,ひとりでのんびり休むことだった.が,下田のPホテルがまさにこの神社の近くにあったことが理由で,その存在を知ったのだ.

さて,その夜,オーナーと話をしていたときのこと.下田港の周遊船「黒船−サスケハナ」が面白そうだと思っていた私は,それについて尋ねてみた.すると,石廊崎港の周遊船の方が面白いですよ,という返事.石廊崎の絶景やそこにある小さなお宮のことも,そのとき初めて彼から聞いた.下田駅からバスで片道40分くらいで行かれるという.部屋に戻って,ネットでいろいろ調べた結果,翌日石廊崎へ行くことに決めた.行きの電車の中で地名が心に浮かんだことも決め手となった.前の晩に降り出した雨は,翌日の朝まで降っていたが,バスが石廊崎港に着く頃には止んでいた.バスから見えた太平洋の景色も清々しいものだった.石廊崎へは,ふもとの港から20分ほど歩く.途中まで急な上り坂があるが,植物園(閉鎖中)の辺りまで来てしまえば,それ以上の上り坂はない.途中,写真撮影を終えたらしい男性や他の観光客とすれ違った.

断崖絶壁で,突端に立つと270度見渡せる絶景ポイント.晴れていれば,そこから伊豆七島が見渡せるとか.当日はとりあえず晴れてはいたが,太平洋の見晴らしはさほど良くなかった. 

 

手前(写真のさらに左下の辺り)に石室神社が,岩山に食い込むように建てられている.そこを参拝してから少し登ると,この写真の場所に出る.大きな船の舳先のような感じにもみえる.これからいよいよ航海に出かける,といった様子か.

朝11時過ぎだったが,とにかく気持ちがよかった.風が少し強かったが,それも心地よかった.言葉では言い尽くせない.ここに来るべくして来た,と感じた.

直感に従うことは,導きを受け入れること
でもある.

帰宅後,気になっていろいろ検索すると,石廊崎は富士山から流れてきた龍脈(強い気の流れ)が太平洋へ落ちる所,という記載を見つけた.かなりパワーの強い場所とのこと.行くだけで,禊ぎ(みそぎ)をしたのと同じ効果がある,と書いてあるのを読んで,思わず納得した.そのくらい気持ちが良かった.それまでの様々な悩みを忘れ,感情面の曇りが洗い流されたような気がした.

また,下田という地にも意味があるはずだと思った.ペリー一行は,最初に浦賀を訪れ,次に下田に来航している.実は,大震災が起こらなければ,3月下旬には浦賀(久里浜)へ日帰りで出かける予定だった.どちらも開国の地.私の人生もこれから少しずつ開けていくのではないか.これまで閉ざしてきたものを,少しずつ開いていかなければならないし,開けるようになるのかもしれない.

12/26/2011

羨ましさをプラスに転じる

 あなたは,自分の夢と同じ夢をすでに叶えた人を見つけて,その人に近づいていますか.もし遠ざかって,妬んだり羨んだりしていたら,とてももったいないことをしています.
 私たちは,理想の人に出会うと,近づいて夢実現のヒントをもらう人とと,逆に遠ざかって,妬んだり羨んだりする人に分かれます.あなたは,どちらのパターンを選んでいるでしょうか.嫉妬したり,人の噂話や中傷をしている人は,後者のパターンを選んでいるために,せっかくの夢実現のヒントをもらい損なっています.
 表面意識は気づいていないのですから,もし今読んでいてドキッとした人は,ぜひこれから理想の人に会ったら,一歩近づいて,思い切ってインタビューしてみましょう.そうやってそんなに素敵になったのか,夢を叶えたのかを聞いていると,必ず自分でもできそうなヒントがいくつか出てきます
 それをできるところから実行すればいいのです.今まで妬みを感じるだけで,それを知らずに終わっていた自分から抜け出して,もっと利口になりましょう.


越智啓子.(2011) 『夢実現プロセス』 pp. 106-107.



自然に近づいて素直に相手を認め,教えてください,と言える場合と,心が拒否してできない場合があるかと思います.

できるところから実行すればよいとありますが,実行できる・できないというのもきっと何かの必然で,タイミングなのだと感じます.

12/24/2011

80 だれにも価値がある

 われわれは大いなる神の計画の中に組み込まれていること,一人ひとりが何らかの存在価値をもち,小さすぎて用の無い者というのは一人もいないこと,忘れ去られたりすることは決してないことを忘れないようにしましょう.そういうことは断じてありません.宇宙の大霊の大事業に誰しも何らかの貢献ができるのです.霊的知識の普及において,苦しみと悲しみの荷を軽くしてあげることにおいて,病を癒してあげることにおいて,同情の手を差しのべることにおいて,寛容心と包容力において,われわれのすべてが何らかの役に立つことができるのです.

『シルバーバーチの霊訓 第7巻』  pp. 34-35.





79 奉仕の道は孤独な旅

治療家にかぎらず,霊能者と言われている人がつねに心の修養を怠ってはならない理由はそこにあります.霊的に向上すればそれだけ仕事の範囲が広がって,より多くの価値ある仕事ができます.そのように法則ができあがっているのです.ですが,そういう献身的な奉仕の道を歩む人は必然的に孤独な旅を強いられます

『シルバーバーチの霊訓 第六巻』  p. 38.



此処で言っている「孤独」は,物理的というより,精神的な意味と理解すべきでしょう.

一口に「霊能者」といっても,いろいろなアプローチの方,能力の人々がいますが,ご苦労されている方が多いことは事実です.お力のある方ほど,ご苦労が多いように思います.それほどの大きな苦労をしても,この道に入らなければいけない定めがある,と言えます.試練も導きです.

逆に言えば,それだけの苦労を引き受けてでも,あなたは霊能者になりたいですか?ということでもあります.





78 悟りを得るは容易でない

 が,偉大な仕事ほど困難が伴うものなのです.霊的な悟りを得ることは容易ではありませんとても孤独な道です.それは当然のことでしょう.もしも人類が登るべき高所がいとも簡単にたどりつくことができるとしたら,それは登ってみるほどの価値はないことになります.安易さ,呑気さ,怠惰の中では魂は目を開きません.刻苦と奮闘と難儀の中にあってはじめて目を覚まします.これまで魂の成長が安易に得られるように配慮されたことは一度たりともありません

『シルバーバーチの霊訓』 第6巻 pp. 13-14.



映画『リトル・ブッダ』では,キアヌ・リーヴズ演じるシッダールタが,王宮を離れ,悟りの旅に出かける直前,眠りこけている家臣らを見渡し,"Everone is dreaming." (みな夢を見ている)と一言つぶやく場面があります.

私たちの多くが「しあわせ」や「満足」とみなすものが,「ほんとうの」幸福とは限りません.霊的に目覚めてはじめてわかることがあります.それまでは,まさしく,「夢うつつ」の状態で人生を生きているのと同じかもしれないのです.何が現実で,何が幻か-真実に目覚めるまでは,見分けることは難しいかもしれません.




77 啓示は一歩先んじる

啓示というものは連続的かつ進歩的なものであり,その時代の人間の理解力の程度に応じたものが授けられております.理解力が及ばないほど高級すぎてもいけませんが,理解力の及ぶ範囲が一歩先んじたものでなければなりません.霊界から授けられる叡智はいつも一歩時代を先んじております.そして人間がその段階まで到達すれば,次の段階の叡智を受け入れる準備が出来たことになります.

『シルバーバーチの霊訓』 第3巻 p. 221.



モーゼス経由の情報(真理は人類が理解し得るだけのものしか与えられない云々)より,こちらのほうがより信憑性が高いように感じられます.(『霊訓(上)』からの記事は取り下げました.)

12/14/2011

小をおろそかにすれば

たかが日常の問題というが,日常の何でもない隣人関係にも,青少年犯罪を扱うのとかわらぬ真剣さと知恵が必要なのである.神の真理は極大の世界だけでなく極微の世界にも 行きわたっており,小をおろそかにすることは大をおろそかにすることである.日常生活における善悪の判断は生涯のかかった重大問題の判断にも影響を及ぼす.栓じつめれば,人生百般の問題は道義心の問題一つに帰着するのである.

『背後霊の不思議』 p. 185.

12/12/2011

地上はいつか天国に

Someday

作詞: A. Menken, S. Schwartz
作曲: A. Menken, S. Schwartz
唄:Celtic Woman
 

Someday
When we are wiser
When the world's older
When we have learned
I pray
Someday we may yet live
To live and let live

Someday
Life will be fairer
Need will be rarer
And greed will not pay
Godspeed
This bright millenia
On it's way
Let it come
Someday


Someday
Our fight will be won then
We'll stand in the sun then
That bright afternoon
'Till then
On days when the sun is gone
We'll hang on
If we wish upon the moon


There are some days, dark and bitter
Seems we haven't got a prayer
But a prayer for something better
Is the one thing we all share


Someday, when we are wiser
When the whole world is older
When we have learned
And I pray
Someday we may yet live
To live and one day, someday

Someday, life will be fairer
Need will be rarer
And greed will not pay
Godspeed
This bright millenia
Let it come
If we wish upon the moon


One day, someday soon
Someday soon




この世の平和を祈る祈りの歌のように響きます.

世界のすべての人々が学びを重ねて,もっと賢くなるには時間がかかるかもしれないけれど,人生が公平なものになり,欠乏が解消され,欲張りな人が得をするようなことのない世界,正義が行き渡り,楽しく暮らせる世界が,いつの日か実現しますように,といった意味の歌詞です.

地上に天国が実現される日はいつかきっと来るでしょう.

YouTubeでも聴くことができます.



12/03/2011

試練のはじまり

"One picture tells a thousand words." という表現がある。直訳すると,「一枚の絵は千の言葉を語る」だが,絵は言葉で言い尽くせぬものをも表現する,という意味かと思う。自然言語(人間が使う言葉)には限界がある。ことばは,必ずしもコミュニケーションの万全のツールではない。

この文が示すように,2007年のリーディングで示されたいくつかのヴィジョンは,私のそれまでの試練の意味を端的に物語っていた。中でも,山の峰から垂直に降ろされた縄ばしご,山の岩肌とそのはしごの間に垂らされた金色の紐。そして,ミディアムを唸らせたその険しさ―簡にして要を得た表現とはまさにこのこと。リーディングの最中には漠然としかわからなかった意味が,リーディング後,軽いショック状態から立ち直るとより深く理解されるようになった。それまでの約10年が私にとってどのような意味を持っていたのか,どのような時期だったのか。

険しい山を登るヴィジョンやイメージは,精神世界を歩む人々へのメッセージによく出てくる。また,金色は崇高さや叡智の象徴ともされる。この場合は霊的な教えを指している。谷川岳さながらの垂直に切り立った岩山を,縄ばしごで登るということは普通に考えても並大抵のことではない。が,そこには霊界からの導きがあった。霊界という表現に抵抗があるなら,見えざる存在といってもよい。集合無意識といってもよい。要は,人智では計り知れない意志のはたらきだ。私は,今生でこの世界に入ることが予め決まっていた。そして,計画通り,ロッククライミングに挑む時期が訪れ,真理に目覚めるべく導かれた。

道を究める,ということはどの分野においても,誰にとっても決して容易なことではないと思う。求道,つまり,神の教えを知ることは特にそうではないかと思う。これを書いている現在もまだ,私は苦しみから解放されてはいない。ただ,“本当の”教えを知った分だけ,以前とは物事を見る視点が異なり,自分を不必要に責めたり,周囲の意見に振り回されたり,いわゆる「世間の目」を気にするということが少し減ったのではないかと思う。心の地図,と呼んでもよいし,杖といってもよいが,よすがとすべきものを自分の外にではなく,内側に見出すようになった。


「試練」を英語では,trials and tribulations というが,過去十年の歳月は,少なくとも私にとって,大きな困難・苦しみの毎日だった。が,一旦社会に目を転じると,児童虐待,難病,家庭内暴力に苦しむ人々から,祖国を追われ難民生活を強いられる人々,そして,今日一日生きられるかどうかわからない極貧状態や飢餓にさらされている人々が溢れているし,後を絶たない。日本という平和な社会で暮らせるだけでも有難いわけで,にも関わらず大変だと嘆くのは,そうした極限状況で日々格闘している人々からみれば,許されないことかもしれないが。

振り返ると,これまでの人生で,入院・手術が必要なほどの大病と極貧以外の主な苦労は少しずつ経験してきたようだ.乳児虐待と育児放棄に始まり,実の両親の離婚,自己嫌悪による精神的な悩み,抑うつ状態による精神科通院(非投薬の治療),肉親との絶縁,勤労学生,授業料支払困難による休学ならびに授業料未納による停学・退学,解雇による失職,不倫疑惑,自殺未遂一歩手前の絶望,軽い霊的憑依による体調不良(結核初期症状に類似のものと急性低体温症),不眠症,借金苦,長年に及ぶ非正規雇用,そして,長期に亘る孤独。乳児虐待,育児放棄と実の両親の離婚は思い出せない記憶だが,多くのものは,主にこの十余年に集中して体験したもので,一部は現在もなお継続中である。

人生の転機となったのは,英国留学だった。


英国留学を決意したのは,20世紀も終わり近くなってからである。霊的世界の話がよくわかる母は,同時に非常に保守的な人でもあった。私に暗黙裡に禁止されていたことのひとつに海外留学があった。反対する両親を説得することが必要だったが,当時の私は直接掛け合うやり方ではなく,大学教員だった別の肉親を介して説得を試みた。結論から言えば,留学は実現した。しかし,実は,その時すでに家の経済事情は厳しく,私を留学させられる余裕などなかったようだ。3年間フルタイムで滞在すべきところ,1年という期限付きでどうにか経済支援を受けることができた。1年目の学費と生活費は出すが,2年目以降はすべて自分でなんとかすること―そういう約束だった。行ってしまえばこちらのもの。滞在中に現地で仕事が見つかるかもしれないし,パートナーと出会うかもしれない。可能性は未知数でも行けばなんとかなるだろうと楽観して,とりあえず渡英できることに喜んだ。

指導を受けたい先生は一人しかいなかった。その英国人の先生は,留学を考え出した当初は米国の大学に勤務していたが,申請書類を送る直前に英国の大学に赴任することになったという知らせが届いた.もとより英国好きの私は,渡りに船とばかり行き先をアメリカからイギリスに即変更し,留学を日本脱出の足がかりにしようと思った。日本にはもはや何の未練もなかった。英国移住への夢が大きく膨らんだ。

11/21/2011

食は大切

リーディングをしてスピリット・ガイドの方からメッセージをもらうと,ほぼ毎回出てくるのが食生活の改善を促すメッセージです.メッセージの妥当性は,ほぼ毎回,ご相談なさる方に確認されています.メッセージは,(1)栄養の偏りを正すことと,(2)手を抜かずに自分で作ること,を注意するものの2つに大きく分かれます.

リーディングを始めたばかりの頃は,私のガイドの1名が医師であることと何か関係があるのかと思っていましたが,どうやら,現代人は「食」を軽んじる傾向が強いのではないか,と考えるようになりました.

栄養面の偏りに関するメッセージとしては,ビタミン類とミネラル不足を指摘するものが散見されます.サプリメントで補うのも一案ですが,ガイドは自然の食材から摂ることを薦めてきます.また,主食の割合が多すぎる場合にも注意を促してきます.でんぷん,つまり,糖質の過剰摂取を懸念しているようです.白砂糖や炭酸飲料しかり.また,コーヒーの飲みすぎはカフェインの摂りすぎにもなり,毎回お砂糖を入れる方であれば,同時に糖分の摂りすぎにもなります.こうした傾向が意外にも多いことに少し驚きました.

ちなみに,減量については分かれます.ダイエットが過剰であると言う場合と,減量を勧められるケースとがあります.

また,現代人は忙しく,冷凍食品やレトルト食品など,手軽に調理できるものが店頭には多く並んでいるせいもあってか,一人暮らしでなくても,調理にあまり手間暇かけない方が女性でも多いようです.できるだけ新鮮な食材を用いること,そして,ぱぱっと炒めるといった簡単なものよりは,煮炊きといった,手間のかかる調理法で料理することを薦めてきます.一人暮らしでも,外食より自炊がよいのは,料理には作るひとの想いがこもるからです.自分に自分で愛を注ぐつもりで,毎日暖かい食事を食べるようにします.体を冷やすことは,特に女性の場合にはよくないので,そうした意味でも「暖かい」料理がよいようです.

個人的にも,食物アレルギーが出るようになってから,ようやく料理らしい料理を継続して作るようになったという経緯があります.それまでは,野菜を加えるだけで作れるものや,とにかく手間の掛からないものを主に作っていました.元々料理は特に好きではなく,できるだけ時間をかけないようにしていました.また,同じものばかり集中して摂る-卵や鶏肉,大豆製品ばかりなど-といった傾向も少しありました.食物アレルギーが最もひどかった時期から,無農薬・低農薬野菜を取り寄せはじめ,現在も続けています.ケミカルな製品を外でも中でも減らしていくことは,環境に優しいだけでなく,私たち人間の心・たましいの浄化にも役立つのです. 

11/06/2011

76 霊的進化の真髄

 霊の宝は楽々と手に入るものではありません.もしそうであったら価値はないことになります.何の努力もせずに勝利を得たとしたら,その勝利は本当の勝利と言えるでしょうか.何の苦労もせずに頂上を征服したとしたら,それが征服と言えるでしょうか.霊的進化というものは先へ進めば進むほど孤独で寂しいものとなっていくためです.なぜなら,それは前人未踏の地を行きながら,後の者のために道標を残していくことだからです.そこに霊的進化の真髄があります.

『シルバーバーチの霊訓 第1巻』 p. 32.





10/06/2011

困難への対処法(4-1)-孤独なとき

ひとは,年を取るにつれて,孤独をより強く感じるようになっていきます.大人になるということは,孤独感を味わうことなのかもしれません.

世の中には,様々な人々がいて,様々な人生があります.絶えず人に囲まれているために,たまには一人で過ごしたい,一人で過ごす時間がないと息がつまりそうだ,と思う人にとって,孤独は否定的な意味合いを持たないでしょう.しかし,大勢の人と一緒にいても,孤独感を感じている人々もいます.家族がいても,うつ病から自殺してしまうケースも後が絶ちません.結婚を,恰も持つべき"勲章"か何かであるようにみなす風潮が強い一方で,伴侶がいても孤独感を募らせる人々も少なくありません.

このように,孤独を感じる理由は人により様々に異なるため,万人に効く対処法は一つに絞りきれるものではありませんが,とりあえず,誰にでもできる緊急措置として

夜早く寝て,朝早めに起きる

ことが助けになるかと思います.別の言い方をすれば,太陽と地球の動きに合わせて規則正しい生活をするということです.特に,質の良い睡眠をとるように心がけことがポイントです.聖地とされる場所も,昼と夜ではエネルギーががらりと異なるように,夜は人もネガティブな気持ちになりやすい時間帯です.日没後は,徐々に体と心を休める体勢に入るのが自然なサイクルでもあります.仕事の都合等でなかなか難しいこともありますが,出来る限り夜はゆっくり休むことが肝心です.睡眠はとても大切です.寝ている間,私たちはスピリット・ワールドへ行って霊的なエネルギーを補給するからです.

* * *

私の艱難辛苦の時期は非常に長期に及びました.詳細は割愛しますが,モートン氏によるダイアナ妃の伝記を読んで少なからず共感し,彼女が感じた心の葛藤や痛みが我が事のように感じられたものです.私の場合,特に辛かったのは,苦しみや困難をひとに理解されないことでした.理解されないだけならまだしも,こちらの事情を知りもしない人々から,やっかみや明らかに偏見と思われる目で見られること,誤解されることは非常に悔しいことでした.とりわけ,そういう人々が,"スピリチュアリスト" を自認する人々の中にも少なくなかったことには驚かされました.真理の理解の深さは人により様々で,スピリチュアリズムの知識の多寡とは必ずしも比例しません.

ひとの苦労話を聞く人々の反応は,三つに大別できます.第一グループは,ただ圧倒されて反応できなくなるタイプ.思いがけないことに遭遇すると思考停止に陥るケースです.第二は,自分の方が大変な苦労をした,と苦労自慢大会をはじめるか,逆に相手の同情を得ようとするタイプ.第三グループは,誰にでも苦労のひとつやふたつはあるもの,そういう意味ではみな同じなのにね,と一般論で軽く受け流すタイプです.最後のグループに属する人々はさらに,本当の辛さ・苦しさを経験したことがなく,人の心の痛みがよくわからないタイプと,悲しみや辛さがまだ充分に癒されていないタイプに大別できます.第二グループも第三グループ(の一部)も共に,癒しが必要な人々といえます.それぞれの反応は表面的には異なるものの,いずれも相手の話を理解しようとしていない,心に寄り添おうとしていないという点では同じです.こんな分類がすぐに浮かぶほど,他者の無理解・無関心に苦しみ,さらに孤独感を強める,という悪循環を何度も経験しました.そんな中,唯ひとつだけ例外的なケースがありました.かつて友人だったある女性です.彼女は,私の話を一生懸命聞いてくれた後で,「私には同じ経験がないからわからない」と静かに言いました.この反応は上記のどのグループにも属さないもので,誠意が感じられます.少なくとも相手のしっかりと話を聞き,向き合っています.その上で,自分の正直な気持ちを伝えている点に誠意を感じました.

* * *

ある日曜の夜,私は,そのきっかけさえもわからぬ寂しさを抱えたまま,ある人と話をしました.話し終えてもすっきりせず,仕方なく寂しい気分のまま就寝しました.その晩,夢を見ました.夢の中で私は大勢の人々と一緒でした.国籍も人種も多様な大勢の人々と共に,コンサート会場にいました.普段の生活では絶対に聞かないレゲエを聞いて,その場に居合わせた人々と一緒に,縦ノリで楽しんでいました.そして,その楽しい気分のまま,翌朝目が覚めました.寝ている間にスピリット・ワールドで癒されのだ,と直感して驚き,そしてとても嬉しくなりました.

主護霊やスピリット・ガイドは,地上の誰よりも私たちのことをよく理解している存在です.その姿は目に見えずとも,声は聞こえずとも,常に我々に寄り添い,たましいの旅を無事続けられるようにあらゆる形でサポートしています.見えないものを信じ続けることはとても難しいことですが,非常に大切なことでもあります.

ダイアナ妃が生前"You can't understand unless you are the individual concerned." (当事者でなければ理解できないものよ) と語ったように,所詮ひとには理解されないもの,との割り切りも時には必要でしょう.自分も他の人の苦労を,その人が感じた通りに理解できるとは限らないのですから.  

10/04/2011

74 真理に目覚める

 地上生活のそもそもの目的は,人間的存在の全側面,すなわち物的資質,精神的資質,霊的資質を発現することであり,それがまんべんなく発現されるまでは,自己実現ができているとはいえません.肉体と精神のみで生きているだけで,幻影を追い求め,実在を知らずにいます.それが霊性に目覚め始めると,霊的資質の開発と冒険へのドアを開くことになります.それが地上に誕生した,そもそもの目的です.魂が,真の自我を見出すためです.
 ですから,大切なのは,どういう場で真理に目覚めるかではなくて,真理に目覚めるということ,そのことです.地上生活に苦痛と悩みが耐えないのはそのためです.つまり,もはや物的なものでは解決のつかない窮地に追い詰められ,霊的なものを受け入れる用意が整うのです.


スタン・バラード/ロジャー・グリーン共著 近藤千雄訳.
『シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q & A-崇高な存在との対話』
pp. 159-60.



8/14/2011

捨てることから



「ほんとうの気持ち」を探すのではなく,
「ほんとうの気持ち」にそぐわないもの,
いらないものを捨てるのです.

たとえば,部屋.
いらないものを探してみよう.

いらないものが「ほんとうの気持ち」を隠してる.
いらないものを見つけたら,さっさと片付けよう.

着たい服がわからないなら,着ない服を片付けよう.
着ない服をとっておいたら,着たい服がわからない.

思い出の品は心の中にとっておけばいい.
思い出ばかりとっておいたら,今の自分がわからない.
未来の自分がわからない.

押入れの中に一年以上触っていない荷物があったら,
中身を見ないで捨てよう.
いらないものを入れるより,からっぽのスペースをつくろう.

からっぽのスペースに,今,入れたいものは何?


中野裕弓 『運の流れにのる,たったひとつの方法』 pp. 36-39.



著者の中野氏は,運の流れにのるためには,自分の「本当の気持ち」に目を向けるだけでいい,と述べています.自分の「本音」が分からないとき,それを知る一つの方法として,要らないものを捨てよう,という提言です.

長い間使用していないものは,古いエネルギーを留めていて,それは新しいエネルギーが入ってくるのを妨げることがあります.新しいエネルギーが入ってきやすくなるためにも,古いエネルギーが付着しているものは潔く処分するのが良いと言われます.

私たちは日々少しずつ成長していて,エネルギーも少しずつ変化しています.

18 「スピリチュアリズム」というラベル

しばしば申している通り,あなた方はスピリチュアリズムという言い方をされますが,これは地上のラベルであって,私にとっては自然の法則そのものなのです.スピリチュアリズムという用語を用いると人によっては,とくにその真意を知らない人にとっては,何やら不気味な感じを与えます.それよりも,大自然の法則-宇宙の物理的・精神的・霊的法則,まだまだ未開拓のままである人間の潜在的能力,表面化に存在する活動の世界,すなわち超自然界,人間のもつより繊細な能力-こうした広大な分野は“スピリチュアリズム”とか“霊媒現象”といった,誤解されやすい用語を用いなくても教えることができます.
 詭弁を弄しなさいと言っているのではありません.真理には多くの側面があり,したがって特別なラベルを貼らなくても表現できることを言っているのです.


『シルバーバーチの霊訓』 2: 62-3.



物質世界に生きるわれわれ人間は「ラベル」が好きです. ラベルが素敵だと,中身も素敵だと思いがちですが,それは全くの錯覚です.

7/09/2011

困難への対処法(3)-信じられないとき

東日本大震災が発生し,福島原発の事故発生から100日以上が経ちました.原発事故収束にはまだ至らず,原発周辺に暮らしていた人々,福島の人々,福島から首都圏へ非難されている人々はもとより,日本に暮らす私たちの非常に多くが不安を感じる日々です.「原子力は安全」と言われ続け,そのことばを信じてきた結果がこれです.福島の事故を受けて,ヨーロッパの一部の国では,すでに脱原発の動きが始まっているにも関わらず,日本では夏を目前にして,玄界原発が近々再開されようとしています.東電はいまなお汚染水の処理に手間取り,思い切った打開策を取れない一方で,政府は,首相の辞任問題や新閣僚の辞任・交替で迷走を続けている.一体,私たちはいま,何を,誰を信じたらよいのか.そういう不信感が国全体に満ちているのではないでしょうか.

日々の生活においても,私たちは人を信じられなくなることがあります.友人だと思っていた人,信頼してきた人に裏切られたり,その無理解によって心を傷つけられたり,あるいは,最も身近な家族の何気ないひと言によっても,私たちは容易に不信感を抱き得るものです.

誰かを信じられなくなった時に人が取る行動・態度にはいろいろありますが,そのひとつに「攻撃」があります.攻撃が外に向かうと相手を責めるかもしれません.内に向かえば,自分を傷つけて健康を害したり,うつ状態になったりします.外向すれば,怒りや悲しみなどは解放できるかもしれませんが,内向すると苦しみます.どちらも前向きな対応とはいえず,問題解決にはつながりにくいです.逆に「防御」に走る人もいるでしょう.よくするのが「否定」です.つまり,起こった出来事そのものが最初からなかったことのように思い込んだり,振る舞うというものです.とりあえず何も起こらなかったことにして,自分が傷つかないように,応急的に自己防衛するのです.この場合,表立って人間関係が悪くなり,さらに傷つくという二次災害は食い止められますが,やはり問題は解決されません.傷は抑圧されているだけで,依然としてそこに存在し続け,さまざまな形で助けを求めてきます.

攻撃や防御では不信感を拭い去ることはできません.ではどうすればよいのでしょうか.人により理由はさまざまに異なりますが,殆どのケースに,ある程度有効,と思われる処方箋として,二種類のアプローチを提案したいと思います.第一のアプローチとして:

事実確認をする

ことです.相手に関する情報を収集するといってもよいでしょう.敵を知る,ということです。とはいえ,なにも探偵やスパイを雇う必要はありません.可能であれば,相手に直接事実を確認してみるのです.こちらの思い違いということもあります.思い違いではなく,それが相手の真の姿であるとわかることもあるでしょう.つまり,自分の人を見る目が甘かった,曇っていた,といったことに気づかされるかもしれません.直接確認できない場合は,周辺をあたるということもできますし,スピリット・ガイド経由で何らかの情報を入手することが許可される場合もあります(占い・リーディングなどを通じて).まずは,冷静に事実を確認し,より正しい情報を得ることが大切です.その過程で気づくことがなにかあるはずです.相手について知る,または,知ろうとすることで,自分についても気づきが得られるかもしれません.時間がかかることではありますが,何をするにも辛抱は必要です.

しかし,これで上手くいかないことも多々あります。少なくとも,情報入手が不可能な場合は有効ではありません.また,どうしても相手が許せない,という思いが残るかもしれません.許せないし,信じられない,と.正義感の強さゆえにそうした事態に陥る場合もあります.そういう人々には寛容さが必要でしょう.人間というものはよく間違いを犯すものだし,自分もこれまで多くの間違いを許されてきたに違いない,と思ってみることです.それでもすっきりしない場合には,第二のアプローチとして:

本当に信じられないのは誰かを考えてみる

ことが助けになるかもしれません.人を信じられない,許せないことの根本的な原因は,自分への信頼の欠如であることが多いからです.自分を否定したり,過少評価しているのです.自分の未来を信じられない,といってもよいでしょう.人が信じられないのは,そうした自分の内面の「投影」である可能性があります.そのことに気づくだけでも大きな意義があるでしょう.
 自分を正しく知るということは非常に難しいことですが,自己の全貌がわからないから,信じられない,ということはありません.全部わからないから信じられないとすれば,どんなことも信じられません.把握しうる範囲内で信じることは充分に可能であるし,そのことは,把握し得ない範囲についても大丈夫だろう,上手くいくだろう,と楽観視することをも含んでいます.ふっと浮かぶ考えや直感に従うことも「自分を信じること」です.
 しかし,その「根拠のない楽観視」は大丈夫なのか,そもそもそれは一体どこから来るのか,と問われれば,それは自分の中心,私たち自身の根源から来るものなので大丈夫です,とお答えします.各自
の守護霊,スピリット・ガイドからのサポートを受け取っていると言っても同じです.肺と肺の間,心臓の少し右側の辺り(ハート・チャクラ)の感覚として感じられることも多いでしょう.そこでほっとする,安心する感じです.私たちの「ガイドとつながっている」という感覚で,ガイドとつながることは,「自分とつながる」ことと同義です.そして,自分とつながることが,すなわち,自分を信頼する,ということなのです.これがわかる頃には,すでに気持ちのフォーカスが相手への怒りや不信,自分の未来への不安から,本当の意味で,「自分を大切にする」ことへとシフトしていることでしょう.


原発についても同じで,原子力発電は危険,という正しい知識を持つことで,政府と電力会社への不信感から離れることができます.取るべき次善策を知り,行動を起こすことができます.正しい情報の存在について,周囲の人々に伝えていくことも大切なことです. 

6/30/2011

73 自然の声は神の声

神は,さまざまな形で人間に語りかけています.教会や礼拝堂の中だけではありません.予言者や霊媒を通してだけではありません.数多くの啓示が盛り込まれている聖典だけではありません.大自然の営みの中にも神の声が秘められているのです.

近藤千雄 訳編.(2008)  『シルバーバーチ 今日のことば』 p. 162.




都会の喧騒や雑踏を離れ,自然の中に出かけることをスピリット・ガイドがよく薦めるのは,人間の根源的なエネルギーに触れることで,内なる声にも耳を澄ませやすくなるからかもしれません.


6/11/2011

Purpose of Life 人生の目的

... the purpose of life is not simply to be born into a family, go to school, get a job, acquire material goods, create a family of one's own, grow older and then eventually die, leaving one's descendants and family members to repeat the very same cycle.  Instead, the purpose of life is to go through a series of experiences that will eventually enable the soul to awaken to its ultimate level of spiritual awareness.  On one occasion, that level of awareness was described as "the awareness within each soul, imprinted in pattern on the mind and waiting to be awakened by the will, of the soul's oneness with God." (5749-14)  Awakening to that level of conscious awareness is the destiny of each and every soul.

K. Todeschi.  Edgar Cayce on Reincarnation and Family Karma. p. 8.

人生の目的は,単にある家へ生まれて,学校へ通い,職を得,物を所有して,自分の家族をつくり,年をとり,最後には死んで,子孫や家族を残し,彼らがその同じサイクルを繰り返すことではない.人生の目的とは,様々な経験を経て,最終的には魂が霊的な気づきを得ることだ.あるとき[ケイシー・リーディングでは],目覚めのレベルは「各人の魂における,魂は神とひとつであるという,気づきであり,心に行動様式として刻まれ,意思によって目覚めさせられるのを待っている」ものとして述べられた.そうした意識覚醒はすべての魂の運命である.



人間の本質は肉体ではなくたましいである,という根本的な気づきが全ての人に求められていて,かつ,その気づきは,本人がその気になりさえすれば,全ての人が手にすることができますが,そこへ至る経路や時機は,人それぞれに異なります.

しかし,おそらくほぼ全ての人に共通していえることは,目覚めに至る経路には必ず何らかの試練がある,ということでしょう.

5/24/2011

困難への対処法(2)-経済的に困窮したとき

人としてこの世に生きる以上,お金の苦労から逃れられる人は,非常に稀ではないでしょうか.お金はあっても,なくても,それぞれ違った意味で問題となりえます.ありすぎて失う恐怖におびえるケース,お金を騙し取られて人間不信に陥るケース,或いは,収入が少ない上に借金苦に悩まされるケース,などなどいろいろありますが,いずれの場合にもかなり有効なはずの処方箋としてお伝えしたいのは,ズバリ

寄付をする

です.特に,お金がないときや,収入に不安がある時こそおススメの,且つ,多くの人によって実証済みの対処法です.「お金がないのに寄付なんかしたら,もっと減るのでは?」と不安になったり,「寄付するお金があったら,借金返済に充てたい」と考えるのは至極もっともなことですが,そういう"常識的な思考パターン"に敢えて逆らって行動することがポイントです.

世の中,上をみればきりがなく,下をみてもきりがありません.先進国で借金問題を抱えていても,発展途上国を見れば今日一日を生きられるかどうか,という人々が,子ども達が大勢います.金額は問題ではありません.気持ちが大切です.借りたお金の中から500円くらいなら出せるでしょう.500円が無理なら100円でもよいと思います.そして,寄付を続けてみることです.そのうち,何かの拍子に,仕事の話が舞い込んだり,仕事の量が増えて増収に繋がるとか,景品で500円の商品券に当たるとか,なにかきっと助かることがあるはずです.(宝くじはあまりおススメできません.)

年収1,000万を稼ぐ人々が,例えば税金対策に寄付をすることは容易なことでしょうが,しないよりは遥かに立派です.お金もエネルギーですから,入ってきたものは溜め込まないで,適度に流していく,社会に還元していく方が,自分にとっても全体にとっても良いことなのです.使う当てもなく貯蓄したり,自分たちだけのために使うというようなことをすると,エネルギーの流れが滞ったり,偏ったりして自然の摂理に反することになるため,ネガティブなカルマとなり再び転生した時にお金で苦労すること必至です.

たとえ,自分がこの世の中で一番不幸,と思えるときでも,自分よりもっと困っている人が,必ずどこかにいます.自分も収入が少なくてとても苦しいけれど,自分よりもっと苦しい人々が地球のどこかにいる.その人々のために,苦しい中から工面できる少ない金額だけでも援助することのほうがはるかに困難であり,より一層純粋な動機が必要であるが故に,ずっと尊いことなのです.

摂理に沿った動機で為されたことには,必ず摂理に沿った結果がついてきます. 


5/09/2011

スピリチュアル関連サイト

数あるサイトの中から一部を掲載しています.

1. 越智啓子の啓子メンタルクリニック  精神科医の越智先生は,現在は沖縄にクリニックがありますが,以前は東京都内で開業されていました.北海道から診察を受けにいかれる患者さんもいらっしゃるほど人気のある先生です.過去生透視,アロマセラピー,クリスタルヒーリング,ボイスヒーリングを中心とした,薬を極力使わない治療(エネルギー療法)を実践されています. 診察以外に,全国で講演活動(セミナー・ワークショップを含む)も展開されていますし,著書も多数あります.過去生の情報を得て癒しを体験したい方は,まず講演会から参加されてみてはいかがでしょうか.講演会でお話を聞くだけでも,随分すっきりします.
 昨年11月に新しい診療所,「
天の舞」がオープンしました.



2.
ブライアン・L・ワイス博士 (英語)
 米国の精神分析医でもあるワイス博士は,Many Masters, Many Lives (『前世療法』PHP出版) でその名を世界に知られるようになりました.越智先生同様,過去生からのアプローチです.博士は2001年に一度来日され,講演されています. 日本国内にも過去生退行によるヒーリングを提供しているセラピストが大勢います.
 


3. ARI 浅野総合研究所
 エドガー・ケイシーのアプローチを受け継いだリーディングのようです. 主催者の著書も多数出版されています.まずは,そちらを読まれるといいかと思います.例えば,『前世』シリーズがあります.



4. スピリチュアリズム・ブックス (スピリチュアリズム普及会,旧「心の道場」)
 入門書も多く紹介されています. 本格的に深い知識を得たい方は,ここで紹介されている文献(霊界通信)を読まれるとよいでしょう.全文掲載されている本も多くあり,無料で閲覧することができます.
 (同サイト運営団体の,一部の霊界通信のみを略排他的・絶対的に正統と見做す方針については,個人的には支持しておりません。)


5/08/2011

Divorce recommended 離婚がすすめられるとき

Most often, the readings did not recommend divorce, as it was seen as simply a postponement of a lesson or a situation that would eventually need to be faced.  However, there were occasions when divorce or separation was recommended.  Individuals were advised to end their relationship if one of the following was occurring in their marriage: (1) if the individual was in physical, mental or spiritual danger by remaining with the other person; (2) when two people had come together and each had overcome what required to be worked out together; and, (3) when one individual had overcome the lesson and the other refused to.  For example, on one occasion a fifty-three-year-old woman was encouraged to follow-through on a divorce and told: "thy usefulness one to another has passed." (3179-1)

多くの場合,リーディングは離婚をすすめなかった.というのも,それによっていずれは直面する必要のある学びや状況をただ延期するだけになると思われたからである.しかし,離婚や別れがすすめられる場合があった.次のどれかが結婚生活で起こっていれば関係性を終わらせるようにアドバイスされた: (1) もしその個人が,その関係に留まることによって,身体的,精神的,もしくは霊的な危険にさらされるとき; (2) 二人が共にいることで,それぞれが解決しなければならないことを乗り越えた場合; (3) 一人が学びを終え,もう一人が学びを拒絶した場合.例えば,ある時,53歳の女性は離婚するようにアドバイスされた: 「相手に対するあなたの有用性はもう終わりました」と.(リーディング番号3179-1)

K. Todeschi (2011). Edgar Cayce on Reincarnation and Family Karma.  p. 29.



意図的に関係性を終わらせる(いわゆる「縁を切る」)-意図せず自然に離れていく場合も多くありますが-ことは何も夫婦に限ったことではなく,配偶者以外の家族や職場の仲間,友人との間にも多く経験されることです.

理想的なケースは,無事学び終え,「卒業」して,自然に関わらなくなることでしょう.しかし,人生,そう単純にはいきません.残念ながら課題を解決できなかったために,それ以上その関係性を続けていても意味がないか,もしくは,双方にとって,あるいは片方にとって,いろいろな意味で苦痛をもたらすとかストレスでしかない,というケースも多くあります.その場合には,今回は一旦その関わりは終了させて次のステップへ進むように促されますが,未来のいつか転生して必ず同じ課題に取り組むことになります.人にもより,テーマにもよりますが,基本的に,1回の人生で学び終えられることは稀で,いくつかの人生に亘って少しずつ解決して,学び終えるというパタンが多いようです.その意味でも,今回学べなかったから「落第」とか「失敗」というふうに考える必要はないのだと思います.そうした余計な罪悪感は新たなカルマを生じますし,そういう罪悪感を他の人に抱かせることもまた,カルマとなります.

最も辛いのは,白黒はっきりつけられない場合や,別れたいのになかなか別れられない場合ではないでしょうか.それは,まだ学ぶべきこと,解決すべき課題が残っているからかもしれません.学ぶべきレッスンを学び終われば,その関係は解消するでしょう.それとは反対に,学び終えることで,関係性が好転していく例もケイシー・リーディングでは多く報告されています.相手を責めたり,相手の言動を注視し,分析することも無意味ではありませんが,多くの場合,「自分は」どのように対応すべきか,対応するのが最善かを考え,実行することの方が,長い目で見て得策といえます.

最善の対処に迷ったときは,スピリット・ガイドに尋ねてみましょう.不安や怒り,悲しみなどを抱えて,こころが興奮した状態にあると,ガイドからのアドバイスやヒントを受け取ることがとても難しくなってしまいます.ひとは,過去を振り返るとき,怒りや苛立ち,悲しみに翻弄されます.未来のことを考えると尽きることのない不安におそわれます.ですから,そういうときこそ「いま」を生きること,そして何よりリラックスすることがとても大切なのです.自分の好きなことを楽しんだり,自分の心が喜ぶことを探して,積極的にやってみましょう.外出して緑を見たり,小鳥のさえずりに耳を澄ませ,そよぐ風を感じて,自然のエネルギーに触れたり,新鮮な食材を調理した,美味しい食事をゆっくり味わうとか,夜寝る前に少し熱めのお風呂にゆったりとつかるのもとても効果的です.そうして,自分に優しくしていると,ふとした瞬間に "ひらめく" ことがあります.夢で教えて貰えるかもしれません.それこそが,ガイドからの愛溢れる,力強いメッセージです.

4/27/2011

Karma is not a debt カルマは負債ではない

... even individuals who are familiar with the term "karma" are often mistaken as to what it actually means.  Karma is not a debt, it is not a punishment, it is not an inescapable fate, it is not really something that exists "between" people, and ultimately it is not even "good" or "bad" in character.  Karma is simply an interactive, energetic force that is set in motion through our intent, desire, thought, deed, and word, and as a result molds and shapes the resulting consequence of all our actions.  It is a universally applicable and dynamic constant that is interwoven with everything associated with being human.

Kevin Todeschi (2011).  Edgar Cayce on Reincarnation and Family Karma. p. xvi.


「カルマ」ということばに慣れ親しんでいる人々でさえ,その本当の意味について誤解していることが多いのです.カルマは負債ではありません.罰でもありません.逃れられない運命でもないし,人と人の間に存在するものでもなく,最終的には「善い」「悪い」というのでもありません.カルマとは,私たちの意志・欲望・考え・行い・ことばを通じて作動する,相互作用的なエネルギーであって,結果として生じるすべての行動を形づくるものにすぎません.カルマとは,あまねく適用されるダイナミックな定数であり,人間であるということに関わるすべての物事と複雑に絡み合っているものなのです.




善きにつけ悪しきにつけ,カルマが生ずるのは人間関係において,です.従って,カルマを展開し,解消するためにも人と関わることが不可欠です。が,カルマの源は,ある特定の人々との関係性にあるのではなく,自分の中にあります.自分の反応の仕方,行動パタン,感じ方,考え方などのすべてがカルマの在り処であり,新たなカルマを生み出したり,バランスをとっていく源泉となります.

See also "Karma as lessons to be learnt".   以前の記事,「カルマはレッスン」も参照ください.

4/21/2011

生命(いのち)の奇跡 "Song of Life "

生命(いのち)の奇跡 "Song of Life"

 Libera作詞: Robert Prizeman (ロバート・プライズマン)
作曲: Takatsugu Muramatsu (村松崇継)
編曲: Robert Prizeman

There's a whisper in the dark
As a new life comes to be.
Then a song begins to form
As it finds the harmony
With a chorus of sound
Of the world all around.
Now it blends in the tune
Joining the endless of song of life.


*We shall never be alone
 As we link our hearts in one.
 Joining voices from above,
 All in the miracle of life,
 Through the ages we will grow
 Only time will ever know,
 As our voices magnify,
 All in the miracle of life.


 Love plays along in our lives yet to come
 As we join in the song of life.


Now the music starts to build
As the words begin to rhyme.
Then another lends a tune
As their voices now combine
With the chorus of sound
Of the world all around.
Now they blend their tune
Sharing the endless song of life.


*Repeat


暗闇の中で声がささやく
新たな生命が生み出されるその時に
それはやがて歌になる
美しいハーモニーに重なり合って
世界のそこかしこに
聞こえる声が一つになる
妙なる調べに溶けこんで
尽きることのない生命の歌になる


心を一つにつなげていれば
私たちは誰もひとりきりではない
天の声に声を重ねて
全てが生命の奇跡のうちに
私たちは長い歳月をかけて育っていく
時が経てばきっと
答えはわかる
声が大きくなるように
全てが生命の奇跡のうちに


生命の歌に声を合わせれば
これから始まる人生に愛の力が働く


ことばが響き合い
新たな音楽が始まろうとしている
そこにまた音楽が重なり
世界のそこかしこに
聞こえる声が一つになる
妙なる調べに溶けこんで
尽きることのない生命の歌を分かち合う


心を一つにつなげていれば
私たちは誰もひとりきりではない
天の声に声を重ねて
全てが生命の奇跡のうちに
長い歳月をかけて育っていく
時が経てばきっと
答えはわかる声が大きくなるように
全てが生命の奇跡のうちに


生命の歌に声を合わせれば
これから始まる人生に愛の力が働く




NHKドラマ10 『マドンナ・ヴェルデ』(4月19日より放映中)の主題歌としてリリースされました.代理出産の問題は非常に議論が分かれる問題だと思いますが,ともかくも成功して新たないいのちが誕生するということは,代理出産が「応援された」というよりも,むしろ「許された」ということなのかもしれません.もちろん,「動機」が大切なことはこの場合も全く同じです.基本的に,摂理にかなった事であれば霊界は積極的に支援します.それ以外の場合でも,霊界サイドが「許す」ことが,戦争なども含め,地上には多くあるとのことです.

音楽は,ひとつひとつの異なる音が絶妙なコンビネーションで響きあって,紡ぎ出されます.私たちひとりひとりのいのち,光の輝きも,共鳴し合えば大きなハーモニーとなり,それがさらに天からの声と響き合えば,まるで奇跡のように,新たな夢が,希望が,地上に実現するでしょう.

被災地の復興へ向けて,日本全体で力を合わせ,新たな日本を創造していきましょう.

3/29/2011

Let It Shine ~輝く空へ~

いLet It Shine~輝く空へ~

作詞: B&C factory 作曲: 松本俊明 編曲: 中村タイチ 唄 パク・ヨンハ

輝く空の向こうは どこまで広がるのかな
いまは まだここからは 遠くまで見えないけど
踏み出せば動き出すよ 恐がらなくてもいいよ
今だから 出来ること 小さくても 明日は変わってく


時は巡り巡って僕はここまで来た
繰り返す出会いとさよなら
眠れない夜重ね探してきたものは
少しだけの安らぎと温もり


迷ってた 震えてた
流れるときの中で
溢れ出た涙だけ知っていたんだ
"僕はここにいる"


輝きだした空から 少し勇気をもらったよ
今はまだ ひとりでは 寂しいときもあるけど
踏み出す事に怯えた昨日を乗り越えたから
少しだけ 少しだけ 近づけたかな まだ見ぬ明日へ


まだ知らない世界が待っている
悲しみ乗り越えてゆくよ


輝く空の向こうは どこまで広がるのかな
いまは まだここからは 遠くまで見えないけど
踏み出せば動き出すよ 怖がらなくてもいいよ
今だから出来ること 小さくても 明日は変わってく
新しい明日へ
新しい場所へ




昨年末にリリースされた曲です.ファンの方からのリクエストもあり,また,ひとはこの世を去ったあとどこへ向かうのかについて知る上でも意義があるので取り上げてみたいと思います.

既にレコーディング済みだったこの未発表曲が昨年末というタイミングでリリースされたことも偶然ではなく,意味のある事でしょう. 

パク・ヨンハさんが帰幽されて早いもので8ヶ月が経ちました.パクさんを大きな心の支えにされていたファンの方々(ならびにご遺族・ご友人)にとって,これまでの半年余りは試練の時間だったかもしれません.いまなお現実を受け止めきれずに悲しみをひきずっている方もいらっしゃるかもしれません.もっと活躍する姿を見たかった,という思いもあるでしょう.あの世への帰り方がどうしても納得いかない,という方もいらっしゃるかもしれません.しかし,基本的に,そういう思いは,ヨンハさんが地上にいないという事実から生じているもので,あくまでもこちら側の都合によるものといえるでしょう.ヨンハさん(の成長)にとって何がベストか,ということは本人(のたましい)にしかわかりません.人はだれでも,遅かれ早かれ,地上を離れることになっていて,そのタイミングや帰り方も大抵決まっています.(ヨンハさんは,自然死ではありませんでしたが,自ら寿命を縮めたというよりも,寿命だったのではないかと考えられます.)若くしてこの世を去ることは,決して不幸ではないし,天罰でもないことを理解するためには,次の真実を知ることが必要になります.

私たちが,いま地上で,肉体を持ち,人間でいるということ-これは,実は「異例のこと」だ,ということです.即ち,肉体を持たない,光,たましいの状態こそが,私たち本来の姿なのです.地上は学校とか,修行場とも呼ばれます.生きている間に考えたり,感じたりしているのは,「脳」ではありません.それは,脳や他の臓器を働かせているのと同じエネルギー,つまり,たましいです.たましいが肉体とつながっているので,身体が機能するのであって,「心臓が動いているから」生きているのではないのです.私たちの肉体(という1つの物質エネルギー)は非常に重く,とても不自由なものです.もちろん,「受け難き人身を得て」という表現が示すように,地上に人間として降りるということだけで,非常に願ってもない好機なのですが,肉体をまとって"人間をする"ということは,本来の状態とは異なり,重苦しく大変厄介な状況でもあります(こちらの記事をご覧ください).それは次のような喩えで表されます:

「・・・ちょうど海中に潜っているダイバーが海上から送られる空気で生命を維持するように,私たちを支えています.自由で広大な海上からの光が届かぬ海底は薄暗く,水という鈍重な要素のために動きが重々しくなります・・・.」 

(G.V. オーエン著,近藤千雄訳 『霊界通信 ベールの彼方の生活(三) 「天界の政庁」篇 p. 33.)

薄暗い海底で,重たい潜水服を着て,船上からかすかに受信できる情報を頼りに宝探しをするのが,この世で生きる,ということです.とすれば,死とは,その暗い海底から,太陽の光溢れる水面の上で待機する船へ戻ることです.重くて不自由な潜水服を脱ぎ捨て,本来の軽やかな状態になる,というわけです.ですから,ある意味では,潜水時間が長い方が大変で,短い方がラクかもしれません.

心霊研究的には,過ぎた時間等々を考えると,ヨンハさんはいま,いわゆる「幽界」にいるものと推察されます.4次元の世界です.幽界にも幅があり,幽現界に近い低い層から霊界に近い高い層まであります.心境が高くなれば,当然霊界へ近づきます.現世的な気持ちがいつまでも抜けないと,周囲は明るい世界になりません.いま,ヨンハさんはどのあたりにいるでしょうか.幽界最上部のサマーランドにかなり近づいているかもしれません.サマーランドとは非常に明るく,美しい場所で,そこを天国だと勘違いする人も多いとか(詳しくは,例えば,江原氏の『天国への手紙』を参照下さい).サマーランドでしばらく過ごしたのちに,第二の死を経て「霊界」入りとなります.霊界(5次元の世界)へは幽体を脱ぎ捨てて入ることになり,更に一段高い心境になるわけですが,その際,意識が薄れる,というか,いわゆる眠るような状態になるようです.地上から幽(現)界へは肉体だけを脱ぎ捨てて入りますが,幽界から霊界へ移行する場合には,さらに幽体をも脱ぎ捨て,霊体のみになります.いずれにしても,次元をまたぐときは,眠るような感覚に陥るとのことです.

地上を離れたのちに到達すべき目標地点は霊界であって,そこで各自の仲間であるグループ・ソウルと再会・融合するといわれています.そして,地上での学びをみなで分かちあい,今後の進むべき方向性(地上に再生するのかしないのか)など諸々の事柄を協議するようです.通常は,幽界の最上部に到達するだけで相当な時間を要するらしいです.個人差はありますが,十年単位の時間を要するケースも決して稀ではありません.ヨンハさんのたましいは浄化度がかなり高いので,そう遠くない将来にサマーランドに到着されることでしょう.

さて,海底から船上へ戻って,明るい日差しの下で,パク・ヨンハさんはどのように日々を過ごしているのでしょうか.どうやら幽界ではひとりで修行中のようです.「まだひとりでは寂しいこともある」ようですが,周りには光があり,「輝きだした空から少し勇気をもらった」ということです.とはいえ,いまの場所がどこまで広がっているのか,まだ「遠くまで見えない」らしく,「知らない世界」に少し不安なども感じることがあるようですが,その不安も「乗り越え」れば,今後もさらに明るい世界へと向けて修行が順調に進むことでしょう.修行の中で人生を振り返ることもあるようです.地上では多くの人々との出会いと別れがあって(「繰り返す出会いとさよなら」),芸能界で活動するようになってからは,いろいろな苦労があり悲しいことも多く経験して(「迷ってた 震えてた 溢れ出る涙だけ知っていたんだ」),ずっと不眠に悩まされる日々でしたが,そういう中で得たものは,実は,「少しだけの安らぎと温もり」だった,と思っています.それは,ファンの方々の応援や愛が足りなかった,ということでは決してありません.いまの彼の境地が,地上にいた頃とは比べものにならないほど光と安らぎと愛に溢れるものになった,という意味なのです.そう理解したのは,「踏み出すことに怯えた昨日を乗り越えた」からです.

そして,肉体がなくなっても自分の存在,意識はなくならないと悟り,"僕はここにいる" と皆さんに語りかけています.(「ここ」が示す,どこかわからない場所にいる,というよりは,自分の意識,つまり本質は生き続けており,いまなお存在している,という意味ではないかと思います.)

ですから,ファンの皆さんにも,「今だからできること」がどんなに「小さくても」,それをぜひやってもらいたいと思っています.現在が未来をつくります.いまを生きることで「明日は変わって」いきます.確実にいえることは,ヨンハさんはとても前向きなたましいの方で,その性質のまま,いまも前進を続けている,ということです.そして,光の世界で修行の日々を送りながら,皆さんにも「新しい明日へ,新しい場所へ」と進んで貰いたいと願っているのです.

一歩を踏み出すかどうかは皆さん次第です.少なくとも,ヨンハさんは一歩踏み出すことを望んでいると思います. 

3/25/2011

この世に生きること

 古代人は,現代人がほんの最近知りはじめたばかりのこと,つまり人生と人生のあいだにある中間世こそが私たちが本来帰っていく故郷であり,そこから私たちは肉体にやどる困難な旅にあえて出てきたのだ,と知っていた.マンリー・P・ホールは『死から再生へ』のなかで,肉体をまとって生まれてくるときの経験を,潜水夫が重たい潜水服を着て,いま味わっている気持ちのいい光やさわやかな空気をあとに,これから命綱をたよりに海底へと降りていくのにたとえている.

 「重たい潜水服は肉体で,海はいのちの海である.生まれるとき人は潜水服を身につけるが,その霊はつねに命綱で上方の光へとつながっている.人間は隠された叡智という財宝をみつけるために悲しみと滅びの海の深みへと降りていく.なぜならば経験と理解はひじょうに高価な真珠であり,それを手に入れるため,人はすべてのことに耐えねばならないからである.宝が発見されるか仕事を終える時がくれば,彼はふたたび船に引き上げられ,重い装備をはずし,新鮮な空気を吸ってまた自由を満喫する.賢人たちは,我々が“生”と呼ぶこのできごとが海底へのほんの一度の往復にすぎず,われわれがすでに何度も下降したことがあり,また財宝を発見するまでこれから何度も潜らねばならないことを知っている.」

J. L. ホイットン他著 片桐すみ子訳『輪廻転生 驚くべき現代の神話』 pp. 26-7.

★マンリー・P・ホール 神秘哲学の学者・著述家.1943年アメリカのロサンゼルスに哲学探究協会を設立.数万冊の神秘学関係の書物が蒐集されたこの協会の図書館は一般に公開されている.その膨大な文献をもとに書かれた著作は小冊子をいれて二百冊におよび,東西の神秘学の真髄を世に伝えた.(訳注 p. 259)



薄暗い海底での生活が思いのほか快適だと,自分が宝探しのために潜水していることすら忘れてしまいがちになるでしょう.その状態で海の上へ引き揚げられると,混乱が生じたり,事態をなかなか呑み込めないという状況に陥り,光の世界に慣れるのにさらに長い時間を要することになります.

なかなか難しいことではありますが,「いま自分は,実は,海底にいて,宝探しをしている最中なのだ」,と意識して生きることが大切になります.

3/24/2011

出来事の意味

私たちはどうしても,日常生活の中で,「見えがかり」や「いきさつ」といった表面的な事情だけで,ものごとをとらえてしまう習慣がついています.これは仕事上の出会い,これは子どもの受験の相談,これは親戚関係,これは夫婦の不調和・・・といったように,いきさつ上の意味だけが大きくクローズアップして見えてしまうのです.
 
けれども,出来事の本当の意味は,地層のようにいろいろなレベルがいく層にも重なっていますその意味の地層の最も深いところには,私たちに自業(じごう)を呼びかける「もう一つの意図」が必ず隠されています仕事上の取引の問題という見えがかりの奥に,過去生の「志半ば」の成就が呼びかけられているかもしれない.嫁と姑という出会いの中に,絆を再結せよとの呼びかけが届いているのかもしれないのです.もちろん,些事にわたるまで,呼びかけは何かとこだわることではありません.呼びかけは単に分析してもわかるものではなく,魂の感覚が目覚めていけば,直感的に感じられてくるものなのです.また,降りかかった出来事に真摯に応えていくなら,それと気づかなくても,呼びかけを受けとめているのです.
  


高橋佳子 『人間の絆 基盤編』 pp. 218-9.



著者の高橋佳子氏(宗教家)は,優れた人格と卓越した霊能で知られた高橋信次氏の長女であり,GLAの第二代代表です.GLAの教えや,その徹底した内省主義は,スピリチュアリズムとも通じる点が非常に多いといえます.



71 笑顔を忘れないで

笑顔のあるところに大霊の働きがあるのです.悩みの中にあっても笑いを失ってはいけません.それができるようになれば何事も必ず解決します.このことは私が永いあいだ繰り返し申し上げてきたことです.俗世のことに悩まされて笑顔を忘れるようでは,まだまだ真理を悟ったとはいえません.

『シルバーバーチの霊訓』 第12巻 p. 159.



「笑う門には福来る」といったところでしょうか.

苦しいときはなかなか笑えません。しかし,苦しいときには,笑いが救いになります.ひとりで笑えないときは,お笑い番組やコメディー映画などを見ましょう.

笑いは,必要以上の深刻さから抜け出すのを助けてくれ,背後からの援助を受けやすくします.この意味で,芸人さんや俳優さん方は非常に大きな役割を果たしていると言えると思います.

3/22/2011

35 シンプルに暮らす

一般的に言って人間は肉体のことはおろそかにしていません.むしろ甘やかしすぎです.必要以上のものを与えています.あなた方が文明と呼んでいるものが不必要な用事を増やし,それに対応するためにまた新たな慣習的義務を背負い込むという愚を重ねております.肉体にとってなくてはならぬものといえば光と空気と食べものと運動と住居くらいのものです.衣服もそんなにあれこれと必要なものではありません.慣習上,必需品となっているだけです.

『シルバーバーチの霊訓 第六巻』  pp. 203-4.

15 地上世界とは

地上世界はある人にとっては託児所であり,ある人にとっては学校であり,ある人にとってはトレーニングセンターです.いろいろな事態に直面し,それを克服しようと四苦八苦するところに意義があるのです.  



『シルバーバーチの新たなる啓示-スピリチュアルな言葉が教える“生きること”の意味』 p. 69.



霊的な進化の度合いは人によって異なります.あまり進化していない人々にとっては「託児所」であり,かなり進化を遂げた人々にとっては更なる向上を目指して特訓に励む「トレーニングセンター」になるでしょう. 

しかし,「学びの場」であるという点は,万人に共通しています.

7 日向は日陰があればこそ

困難,障害,不利な条件-これらはみな魂の試練なのです.それを一つ克服した時,魂はいっそう充実して向上して,一段と強くそして純粋になってまいります. いったい無限の可能性を秘めた魂の潜在力が困難も苦痛もなく,陰もなく悲しみもなく,苦難も悲劇も体験せずに発揮されると思われますか.もちろん思われないでしょう. 人生のよろこび,楽しい笑いの味は,人生の辛酸をなめつくして始めて分かります.なぜなら,深く沈んだだけ,それだけ高く上がれるからです地上生活の陰を体験するほど,それだけ日向のよろこびを味わうことができます 

『シルバーバーチの霊訓』 第4巻 p. 42.





いま辛い思いをしている人々にとって,このことばは大いなる励ましとなることでしょう.

今後,試練に直面する人々は,このことばを思い出して勇気を得ることでしょう.

そして,すでに困難を克服して一息ついた人々は,このことばによって自信と確信を得ることでしょう.


2 学びは対照の中に

教訓を学ぶ道はいろいろありますが,最高の教訓の中には痛みと苦しみと困難の中でしか得られないものがあります.それが病気という形で現れることもあるわけです.人生は光と陰のくり返しです.片方だけの単調なものではありません.喜びと悲しみ,健康と病気,晴天と嵐,調和と混乱,こうした対照的な体験の中でこそ進歩が得られるのです.

『シルバーバーチの霊訓』  9: 214.



「禍福はあざなえる縄のごとし」という諺があります. 辛い時期と比較的楽しい時期とは,ほぼ交互にやってきます.

苦労続きだと卑屈になるかもしれません.が,順風満帆な日々ばかりでも,驕り高ぶって人格が堕落してしまいます.両方あるのが良いのです.

68 陰の時代は避けられない

人間は地上生活の間に何度か暗い陰の時代を送らねばならないようになっているのです.その陰の中に入ったら,それは人生の一部であって全部ではないことを自分に言い聞かせなさい.陰は太陽の光があるからこそできるのです.あなたの目には見えなくても太陽は輝いているのです.

『シルバーバーチの霊訓』 第12巻 p. 167.

3/21/2011

困難への対処法(1)-先が見えないとき

「困難」とか「苦労」というと,経験したくない,または避けたいといった否定的なイメージがあります.が,「人生山あり谷あり」,「禍福はあざなえる縄のごとし」といった諺もあるように,基本的に人生に困難はつきもの.それどころか,「若いときの苦労は買ってでもしろ」と言われるように,私たちの「ほんとうの成長」につながる,大変ありがたいものなのです.ですから,苦しみや困難を否定的に見ず,むしろ「飛躍のチャンス」と捉えて,できることからひとつずつ取り組んでいくのが真理に沿った対処法だといえます.

一口に,苦労,困難といっても様々で,自然災害から,病いの苦しみ,お金の苦労,精神的な苦労など,その種類はひとの数だけあるでしょう.そして,苦しみの真っ只中では,「五里霧中」という言葉通り,希望が全く持てなくなってしまいやすいです.そういう状況において未来のことを考えはじめると,限りなく不安になります.光の応援を受け続けるためにも,不安の想いは手放すのがよいのです.そうはいっても,不安は止められない,という時の処方箋として今回の提案は: 


今日一日無事に過ごすことだけを考える


です.言い換えれば,「短いスパンで達成できる,小さな目標をたてて実行する」ということです.達成感はモチベーションを高めて,パワーの源になります.「無事に」を「楽しく」に置き換えることができればもっとよいでしょう.「いま」を生きる,ということです.そして,心配は一旦脇へよけておきましょう.

1週間後のこと,1年後の事,果ては10年後のことなど,先のことを考え出すときりがなく,不安が止まらなくなります.今から10分の間にできることをしてできたら,それからさらに10分間にできることを探す.それを繰り返し,達成を積み重ねて今日一日無事に過ごせたら,見事ゴールクリアです.無事に一日を過ごせたことに感謝し,満足して眠りにつきましょう.

目には見えなくても,一人ひとりに必ず守護と導きがあります.ない人は一人もいません.ですから,少しでもラクな心持ちで過ごせるように目標を短いスパンで設定するか,小さな目標をたててひとつづつ達成していきましょう.そうすれば,少しずつパワーが湧いてきて,自然と元気になります.

将来のことは,少し落ち着いて,ラクになってから心配しても決して手遅れにはなりません.

3/19/2011

過去生体験 -自然災害で終わった人生

10年以上の長きに及ぶ苦労の始めの頃,福岡の女性霊媒S氏と出会い,期せずして多くの過去生リーディングを受けることになりました.いくつもの過去生を教えてもらいました(尤も,それら全てが本当に自分のものかどうかは今もって定かではありません)が,過去生で最低2回は,自然災害で命を落としたことがあったらしい,と知りました.一回は津波で,もう一回は地震で崩壊した建物の下敷きになって,どちらも幼くして亡くなったようです.

当時,教えていた英語学校で,私の授業を受講されていた生徒さんに,Aさんという若い女性がいました.教室ではいつも後ろの方に座り,おとなしいけれどとても熱心で,課題にも毎回きちんと取り組まれ,見た目も可愛い方だったので,とても印象に残っていました.記憶は不確かですが,1年ほども受講されていたでしょうか.学期の最後の授業が終わったとき,彼女からピンクのスイートピーと白いかすみ草の可愛い花束をいただきました.「私の都合で先生のクラスには出席できなくなってしまいました.(試験に)合格はしませんでしたが,点数が18点上がりました.ありがとうございました.」という言葉と共に,その花束を差し出されたのでした.その方のことが前から少し気になっていたので,ある時,S氏に相談したついでにどういうご縁の方か伺ってみました.すると,次のようなストーリーがありました.

ある過去生で,(今生とは別のパーソナリティをもつ)Aさんと私は,姉妹,もしくは同じ幼稚園へ通う仲の良い友達(関係性は不明確)でした.花輪を作って遊んでいたら,突如として津波が押し寄せ,私たちと周囲の子ども達は全員津波に呑まれて死んでしまいました.周りの子どもたちは散り散りになって亡くなっているようでしたが,私たち二人の体は,ちょうど私が上になって彼女をかばうような形で重なり合っていました.結局は死んでしまいましたが,おそらく当時の私は咄嗟に彼女を守ろうとしたのでしょう.そのことに対する当時のAさんの感謝の思いが,時空を超えて「花束」の贈呈として表現されたようでした.花で遊んでいる最中に亡くなったので,「花束」だったのかもしれません(おやつの時間だったら,お菓子を戴いたかも?). また,私が彼女に好感を感じたのは,その当時とても近い関係にあったからでしょう.

この同じ学校で教えていたアメリカ人講師B先生との間にも,震災がらみの過去生がありました.B先生は私よりも年上で,英語の質問などすると,とても丁寧に答えてくださる方で,何度かお話しすることがありました.なにかご縁のある人ではないかと少し気になり,S氏に尋ねてみました.すると,あるヨーロッパでの過去生で,私は彼の教え子でしたが,地震のあとで建物の下敷きになり,二人とも命を落としていました.(いまとは異なるパーソナリティを持った当時の)生徒だった私が学院の正面にある噴水のところに腰掛けてよく聖書を読んでいたのを,過去生のB先生は憶えていたようです.「自然の脅威を知りました」と(S氏の口寄せで)当時のB先生は語りました.

さらにまた別の過去生では,雪崩にでも遭ったのか,雪の中で生き埋めになった経験もあるようです。幸いにして,当時の私を愛する人に助けてもらって命拾いしたとか.この命の恩人とは今生でも出会っています.奇しくも,彼は,AさんやB先生と出会った英語学校で講師していました.そして,この英国人男性との出会いなくしては,スピリチュアリズムとの出会いもなかったのです.(記事「女キリシタンの過去生1,2」(新ブログへ移動しました)で,彼はバテレンとして登場しています.)

たましいは地上で,本当にびっくりするほど様々な経験をするものです.

3/08/2011

スピリチュアル・ブックス 4

(14) アラン・カルデック 『天国と地獄』 『霊との対話』 (『天国と地獄』第二編) 幸福の科学出版 
『霊の書』や『霊媒の書』を著した著者が,それらを出版する前,19世紀フランスの交霊会に参加して聞いた,他界後の霊たちからの数々のメッセージが収録されています.第二巻の後半では,『霊の書』等の出版および諸活動にまつわる経緯や,カルデック自身の苦労話も紹介されています. いつの時代も,霊的真理を地上に広めんとするパイオニアには相当な苦労がついてまわるもののようです.  

(15) 『催眠療法ヒプノトラベル』 全5巻 榊めぐみ案 (朝日新聞社) 
いわゆる退行催眠(ヒプノセラピー)によって過去生の記憶にアクセスし、悩み・問題の解決の糸口を見出した人々の実話を漫画化したものです.思い出された記憶が過去の事実かどうかはさておき,さまざまな気づきが得られるという意味で,お薦めです.コミックです。

スピリチュアル・ブックス 5

(16) Margaret Fishback Powers (1993).  Footprints.  (Michigan: Zondervan, 2002)

スピリチュアル・カテゴリーの記事でも紹介した,有名な「あしあと」の詩が生まれた背景などが,著者の半生とともに綴られています.

ある日,カナダに暮らすPowersさん一家は,教会学校の子ども達を率いて氷河に出かける.そこで,娘のPaula が足を滑らせて滝つぼへ落下.夫のPaul は心臓発作を起こして倒れ,著者のMargaret さんも氷河を横切って渡る途中に骨折するなど,家族全員が怪我や病に倒れる.が,要所要所で専門の看護士等が待機するといった不思議な幸運に恵まれ,全員が一命を取り留める.心臓発作で倒れた夫は,病床で看護士から一篇の詩,"Footprints" を読み聞かせられる.作者不明というその詩は,実は彼の妻 Margaret が20年前に書いたものだった….
第2章以下では,夫妻が出会って,結婚して家庭を築き,経済的な苦労に見舞われたり,"Footprints" を含む自作の詩の著作権を侵害される事件に翻弄されるといった,山あり谷ありの人生が描かれています.著作権侵害によって,Margaret さんは悔しさや悲しみに満ちた苦悶の数年間を送りますが,最終的には訴訟を起こさずに
円満解決することとなり,"Footprints" が彼女の詩として公表されるに至りました.夫妻のキリスト教信仰に貫かれ,支えられた愛と感謝の半生は感動的です.
英語も比較的平易で,ページ数も少ない本です.原書で読んで見たい一冊です






スピリチュアル・ブックス 3

(11) Kelvin J. Todeschi. (1999) Edgar Cayce on Soul Mates--Unlocking the Dynamics of Soul Attraction. ARE Press.

(12) Carolyn Godschild Miller (2000). Soulmates: Following Inner Guidace to the Relationship of Your Dreams. H J Kramer Book.

(12)は邦訳はまだ出ていないと思います.(11)については未確認です. 

どちらも,恋愛,結婚,partnership の本来の意味について,実例やエドガー・ケイシーのリーディングに基づいて述べられています.若い独身者(特に女性)にとっては,夢も希望も容赦なく打ち砕くような厳しい内容かもしれませんが,さまざまな人生経験を積んで来た人々にとっては,説得力があり,自分の生き方をあらためて振り返るよすがとなる良書かもしれません.



(13) 『サイキック・ドクター越智啓子の不思議クリニック』 1-4巻 原案:越智啓子 朝日ソノラマ (コミック)  
 精神科医・越智啓子氏がクリニックで実際に対応した患者さんの実例が紹介されています.生まれ変わりのメカニズムにあまり馴染みのない読者にも大変わかりやすいでしょう.漫画なので,過去生と今生の人物や出来事の相関が非常にわかりやすく描かれています.


スピリチュアル・ブックス 2

(6) 『子どもが危ない!-スピリチュアル・カウンセラーからの警鐘』 江原啓之 集英社 2009年に文庫本化) 


多数ある中でも,これを挙げたいと思います.戦後の日本人がどう変わってきたか,どうして今子どもたちの周りで事件が多いのか,判り易く説明されています.「物質中心主義的価値観」についても判りやすく解説されています。


(7)
 『前世』 
I ~ VI 浅野信 たま出版) 


 全6巻の内容は,全て著者によるリーディングで得られた情報をまとめたものです.どの巻も前半がリサーチリーディングのまとめで,後半は日本人相談者の,具体的なライフリーディングの紹介に充てられています.


(8)
Gina Cerminara. Many Mansions: The Edgar Cayce Story on Reincarnation.
 (『転生の秘密』 たま出版) 


エドガー・ケイシーのライフリーディングに基づいて,転生について解説した,古典的名著.原書の英語は,リーディングの引用部分が難解ですが,それ以外は特別難しくありません.かつて皇帝ネロとして,キリスト教徒を迫害した過去生を持つ男性のリーディングなども紹介されていて,面白いです.英語の読解練習を兼ねて読むのもひとつの読み方です. 悪いことをすればばちがあたるとか,苦しいのは前世の報いだ,といったことをよく言います.それはあながち間違いとはいえません.カルマ "meeting self"-つまり,自分で撒いた種は自ら刈り取る,ということです.自分で自分に課題を与える,というと近いでしょうか.審判や裁判官のような第三者から一方的に罰せられる,というのとは少し違います.そして,カルマが生じ,それを返済していく仕組みはとても複雑です.どういう行いをするとどんなカルマとなって現れるかは実に千差万別で,ひとくくりにはできないことがわかります. 本書には,カルマの返済に苦しむ人々の実例が沢山盛り込まれています.読み進むうちに,何が善で何が善でないか,少しずつわかってきます.自分の人生を振り返り,必要があれば軌道修正するのに役立つかもしれません.


(9) 
Judith Merville (1997). Cords That Cannot Be Broken.  Regency Press
.  


邦訳はまだ出ていません.ツイン・ソウルの研究成果をまとめたものです.著者は英国人で,ヒプノセラピストでもあります.ソウルメイトで飽き足らず,ツインソウルを追求していたころに出会った一冊.あのトニー・オツセン(『シルバーバーチの霊訓』の原著の編纂者)が編集長を務める雑誌, Two Worlds で高く評価された本です.
 ソウルメイトやコンパニオン・ソウルメイトとの違いについても触れられています.ソウルメイト,ツイン・ソウルについて,深く知りたい読者向けの,かなり専門的な内容です.



(10) 
『エドガー・ケイシー 地球卒業生18人の過去生-転生を超越した人たちのケーススタディー』 バイオレット・シェリー著 林 陽 訳 (中央アート出版)   

 非常に興味深い一冊です.次の転生が必要ない人々のライフリーディングをまとめたものです.最終的にどういう人を目指して生きればよいかが,よくわかります.

スピリチュアル・ブックス 1

(1) 『シルバーバーチの霊訓』 第1~12巻 近藤千雄訳 (潮文社)   

古典であり,必読書であると思います.平易に説かれていますが,愛に満ちた,大変格調高い内容です.この右に出る霊訓は,まだ地上には現れていないのではないかと思わせるほどです.同じ真理を,違う切り口で繰り返し説いています.ですから退屈になって,途中で投げ出したくなるかもしれませんが,そこをこらえて最後まで読破します.まずは,『古代霊は語る』(近藤千雄訳 潮文社刊)を読んでから読むと理解しやすいでしょう。
 


(2) 『輪廻を超えてーもう一つの現代の神話』 ジュディー・ラドン 片桐すみ子訳 (人文書院)  

いわゆる霊界通信だと思います.基本的な主義主張は,他のスピリチュアリズム関連書籍と変わりありません.ダイジェスト版として読むことができます.後半には,人生の具体例もとりあげられています.良書ですが,最近では入手困難です.(英語の原典はすでに絶版のようです.)
 


(3) 『輪廻転生ー驚くべき現代の神話』 J. L.ホイットン他 片桐すみ子訳 (人文書院)   

過去生退行の実例に基づいて行った,生まれ変わりに関する研究成果をまとめた本です.かなり重苦しい内容です.読み進むうちに,この世はそんなに良い場所じゃないのか,と思ってしまいますが,どうやらそれが真実のようです.
 

(4) 『人間の絆』 響動編,自業編,基盤編  高橋佳子 (祥伝社)   

GLA代表である高橋佳子氏の著書です.霊とか,前世といった言葉をあまり用いずに,自らの心を深く見つめる必要性を説いています.語り口が優しく,懲罰的な感じも,押しつけがましさも全くないので,抵抗を感じません.
 


(5) 『輪廻する歴史ー巨大ソウルメイト集団が800年ごとに転生する』 宮崎なぎさ (アウル企画)   

十数年以上前に出版され,最近ではアマゾンでも入手可能になりました.著者は都内でセラピストとして活躍中です.特に,世界史に関心のある方は,一読の価値あり.土地と魂の関係,歴史は繰り返す,ということがよくわかります.

走水神社・小桜神社

日本に近代スピリチュアリズムを紹介した浅野和三郎氏の編纂による,『霊界通信 小桜姫物語』(潮文社)の通信霊,小桜姫が祀られている小桜神社.


小桜姫は,夫人の浅野多慶子氏の守護霊でもあり,多慶子夫人は優れた霊媒でした.(詳しくは本書をお読み下さい.)

小桜神社とは通称で,正確には,浜諸磯神明社(写真手前右側の建物)の若宮神社,と言うようです.神奈川県三浦市諸磯(もろいそ)の,人の往来も大変少ない,ひっそりとした場所にあります.訪れたときは誰もいませんでしたが,帰り際に地元の女性の参拝者おひとりとすれ違いました.

小桜神社の前で手を合わせていたら,他のブログでも紹介されていた有名な(?)猫がどこからともなくあらわれ,足元に座り込んでいました.


猫は姿を見せてから,私が参拝を終えて境内にいる間中,足元にまとわりつきながら,時折小桜神社の方を振り返っていました.動物は敏感です.何かを感じていたのでしょう.

小桜神社を振り返る猫

ときどき後ろを振り返りながら,途中まで見送ってくれました.とても人になれたネコです.

小桜神社の前を離れ,拝殿の前へ来たとき,急に陽が差してきました.ちょうど小桜神社の左斜め上の辺りです.(朝から晴れてはいましたが,うす曇りでした.)そこでシャッターを押して撮れた写真です.


太陽光の周りにピンクの円が5つ見えます.上が欠けているため5つですが,フルに写っていれば,8つあるのかもしれません.写真に詳しい人によれば,これは"ゴースト"と呼ばれる現象で,太陽光がレンズやカメラ内部で乱反射して起こる現象だそうです.ただ,赤い色や,このように形が綺麗に並ぶのは珍しいとのこと.機械に負荷がかかる恐れがあるので,逆光写真はなるべく撮らない方がよいとも.他のブログでは,「太陽曼荼羅」と呼ばれていて,心に準備ができた人(どんな準備か?)に写すことのできる,スピリチュアルなエネルギー写真として紹介されています.似たような写真を載せているサイトは,少し探しただけでもいくつも見つかったので,デジカメを使えば誰にでも写せるものなのかもしれません.今のところ真相は不明です.(確かなことをご存知の方がいらっしゃいましたら,是非ご一報ください.)

祈りと願いが聞き届けられたのかもしれない,とも感じました.

京浜急行の終点である三崎口から,浜諸磯行きのバスに乗って終点で下車(乗車時間約20分).神社はバス停から歩いて1分もかからないところにあります.バスは1時間に1本しか運行していないので,帰りは散歩がてら,神社の前の道を,20分間ひたすら直進して天神町のバス停を利用するのがよいかと思います.(歩道がないため,後ろから走って来る車にはくれぐれもご注意を.)運行本数もずっと多く,三崎口駅まで近いので運賃も少しお安くなります.


『小桜姫物語』を読む限りでは,小桜姫と弟橘媛は同系列(龍神系)のたましいです.弟橘媛命は日本武尊のお妃で,ともに走水神社の主祭神です.あるテレビ番組で紹介されたことで随分有名になり,平日だというのに遠くから参拝者が訪れていました.本記事では逆になっていますが,順番としては,まず走水神社に詣でてから小桜神社に参るというのが正しいかもしれません.

走水と浜諸磯とは非常に趣の異なる場所です.


写真は,本殿から下を見下ろす位置からのものです.

走水神社ではおみくじをひいたり,お守り等を買うことができますが,浜諸磯神明社には社務所がなく,おみくじなども一切ありません.また,走水神社の手水舎には富士山からの湧水がひかれています.ペットボトルなどに汲んで持ち帰ることもできるようです.手水舎の脇には持ち帰り用の砂も置いてあります.

本殿から更に左上へ登っていくと,神明社があります.この鳥居の手前辺りが境内ではパワーが最も強いとか(記憶が正しければ).時節がらかどうか,空気がとてもひんやりしていました


降りてくる途中,眼下に広がる景色.


走水神社(神奈川県横須賀市走水)は,京浜急行の馬堀海岸駅からバスに乗り(10分ほど),走水神社で下車して徒歩で1~2分のところにあります.バスは1時間に3本運行しています.神社からさらに足を伸ばすと観音崎があります.



神社の参拝は,物見遊山やご利益目当て(ただ行けば自動的に良いことが起こることなどない)ではなく,祭神様にご挨拶に行くつもりで詣でるのが望ましいかと思います.

* * *

走水神社は,テレビで紹介されて以来,パワースポットとしても知られるようになりました.パワースポットについてはこちらのサイトが参考になるかもしれません.パワースポットに行くだけで自動的にパワーが得られるとか,幸運がもたらされる,ということはありません.癒されて少しすっきりする,ということはあるかもしれません.神社をはじめとするパワー・スポットは,私利私欲を叶える場所ではないと仰る方も。それまでの蓄積がない状態で出かけても,残念ながら期待されるような効果は得られないようです.

2025年は大きな転換期

2025年7月5日(土)の早朝(夜明け前),フィリピン沖の海底火山が噴火して,周辺国と日本の太平洋沿岸に巨大津波(120mほど)が押し寄せ,国土の1/3から1/4 が津波に呑まれる,という予知情報があります。最初にこれが注目されたのは,下にも関連動画のリンクを貼っていますが,たつ...