雨は恵み。
しかし,晴れの日にも
大気中に水滴があり
生物を潤している。
目に見える恵みばかりでなく,
目には見えない恵みが
常に在るのです。
私たちがありがたがる恵みは,常にわかりやすいものではないでしょうか。物質的な豊かさや,受け入れ易く示される愛情などです。
しかし,柔らかい食べ物ばかり食べていると顎が弱くなるように,目に見える豊かさばかり追い求めていては,人は成長しません。
まずは,「目に見えぬ恵み」が周りに溢れていることを知りましょう。
12/13/2013
12/05/2013
与える人生
自分がこの地上に生まれてきたことの意味など自分のあずかり知らぬことで,だからその意味やら責任などと言われても,いささか困惑してしまうことにもなる.けれどもとにかくここに生きているし,生きているについては,素直にうけとめればずいぶんと愛情を受け,お世話になっている.
だから幼き日は,ひたすらに泣いて乳をほしがり,ものをほしがり,それが与えられて満足していたけれど、もういつまでも,ほしいほしいの日々ばかりでは,それこそ人生の意味がなくなるということにもなる.自分としては自分なりに,他に何かを与えていくということのなかに,生きていくことの喜びを見いだしてもよいであろう.
ほしがる人生から与える人生に.与える何ものもないといえばそれまでだが,こころ素直な人にはほほえみを、打ちひしがれた人にはいたわりを,そして胸ふるわす喜びの人には,素直な感動を.それだけでもいいのである.
雑誌『PHP』の裏表紙に載っていた文章で,かなり以前に見つけたものです.当時,妙に納得し,また感動する内容だったため保存してありました.
この文章に出会ってまもなく,聖書の言葉,"It is more blessed to give than to receive." (受けるよりは与えるほうが幸いである)を知りました.「たしかに世の中には,与えるより欲しがる人のほうが多いかもしれない」などと考えたことが思い出されます.
一見,相手に与えているようにみえて,実は相手から(承認や賞賛といった,広義の「愛」を)求めているということもあります。そういう雰囲気は必ず相手に伝わります。誉めたつもりなのに相手が素直に喜ばなかったとすれば,それは相手のニーズに応えられなかったか,もしくは,自分に何らかの「見返り」を期待する下心があった,ということかもしれません。
たとえ欲しいもの全てを手にできていなくても,自分に与えられている全てに対して感謝することの大切さとも通じるものがあり,非常にスピリチュアルな内容です.
だから幼き日は,ひたすらに泣いて乳をほしがり,ものをほしがり,それが与えられて満足していたけれど、もういつまでも,ほしいほしいの日々ばかりでは,それこそ人生の意味がなくなるということにもなる.自分としては自分なりに,他に何かを与えていくということのなかに,生きていくことの喜びを見いだしてもよいであろう.
ほしがる人生から与える人生に.与える何ものもないといえばそれまでだが,こころ素直な人にはほほえみを、打ちひしがれた人にはいたわりを,そして胸ふるわす喜びの人には,素直な感動を.それだけでもいいのである.
雑誌『PHP』の裏表紙に載っていた文章で,かなり以前に見つけたものです.当時,妙に納得し,また感動する内容だったため保存してありました.
この文章に出会ってまもなく,聖書の言葉,"It is more blessed to give than to receive." (受けるよりは与えるほうが幸いである)を知りました.「たしかに世の中には,与えるより欲しがる人のほうが多いかもしれない」などと考えたことが思い出されます.
一見,相手に与えているようにみえて,実は相手から(承認や賞賛といった,広義の「愛」を)求めているということもあります。そういう雰囲気は必ず相手に伝わります。誉めたつもりなのに相手が素直に喜ばなかったとすれば,それは相手のニーズに応えられなかったか,もしくは,自分に何らかの「見返り」を期待する下心があった,ということかもしれません。
たとえ欲しいもの全てを手にできていなくても,自分に与えられている全てに対して感謝することの大切さとも通じるものがあり,非常にスピリチュアルな内容です.
11/16/2013
均衡
自然界ではすべてが
均衡を保っており,
また,保とうとしている。
日照りが続けば雨が降るように。
バランスが崩れると
正そうとする。
何ごともそのようである。
問題とは,
失われたバランスを
取り戻そうとするプロセスである。
人間は,物事を複雑に考えがちですが,摂理自体はとてもシンプルなもののようです。
均衡を保っており,
また,保とうとしている。
日照りが続けば雨が降るように。
バランスが崩れると
正そうとする。
何ごともそのようである。
問題とは,
失われたバランスを
取り戻そうとするプロセスである。
人間は,物事を複雑に考えがちですが,摂理自体はとてもシンプルなもののようです。
10/18/2013
Variation is the truth. 多様性は真実
Nature has introduced great variety into the landscape, but man has displayed a passion for simplifying it. Thus he undoes the built-in checks and balances by which nature holds the species within bounds.
自然は,景観に多様性を持ち込んできたが,人類はそれを単純化することに情熱を注いできた。こうして,人類は,種を範囲内に保ってきた,自然本来の抑制と均衡の働きを台無しにしているのだ。(translated by Eunice)
自然は,景観に多様性を持ち込んできたが,人類はそれを単純化することに情熱を注いできた。こうして,人類は,種を範囲内に保ってきた,自然本来の抑制と均衡の働きを台無しにしているのだ。(translated by Eunice)
Rachel Carson (1962). Silent Spring. London: Penguin.p. 27.
(レイチェル・カーソン著,青樹簗一訳。 『沈黙の春』 東京:新潮文庫。)
(レイチェル・カーソン著,青樹簗一訳。 『沈黙の春』 東京:新潮文庫。)
今から50年以上前にアメリカで出版され,化学薬品による自然破壊に対して警鐘を鳴らした本です。遺伝生物学者だったレイチェル・カーソン女史は,自らの病と闘いながら本書を完成させ,出版の数年後に帰幽されたそうです。
最初の数ページを読むだけでも,著者の主張が現代のさまざまな環境問題と合致していて,驚くばかりです。半世紀前に書かれた本とは思えないほどです。
引用は,女史が度々指摘する人類の愚かさの一端です。人は,好んで並木道なるものをあちこちに造っては,その美しさに感嘆しますが,並木道のような景観は「人工的な自然美」です。園芸の発達した英国(言い換えれば,早くに自然破壊を経験した国)では,異なる種類の草木を,それらの習性,性質等をよく計算したうえで,配置します。同じ植物だけを一か所に集めて植えれば,その植物を好んで食べる虫も集まるため,異常繁殖しやすくなり,結果として植物を枯らすことにもなりかねないからです。
自然が多様なものなら,人間世界も同じです。違いゆえに惹きつけられる人もいれば,違うがゆえに嫌悪感を抱いてしまう人々もある。理解できない個性の持ち主や,逆に,空気のように溶け込める人など,本当に様々な人間がいますが,それが最も自然な状態であり,だからこそ,いろいろな学びができるのかもしれません。気の合う人とだけ付き合うことができれば,これほど快適なことはありません。が,苦手な人や合わない人と関わるからこそ身につくこともまた,少なくありません。得意なことだけやっていては,成長の機会を逃してしまいます。
神は多様性なり,といったところでしょうか。
10/09/2013
静かな心
つねに刺激と情報を求めていては
静かな心になれない。
静けさの中でなければ
私たちの声を聴くことはできない。
心の声を自分で聴くには
心を静かにしなければならない。
異次元からのインスピレーションは,とても微かなもの。とても微かなので,気のせいだと思ったり,そうだと信じられないことも多々あります。無視することは簡単です。
そのインスピレーションを逃さずキャッチするには,心のおしゃべり(=エゴの声)を静めることです。瞑想したり,自然の中で過ごすことを習慣づけることが役立ちます。一日のうち,ごく短い時間でいいので,すべての雑音(あらゆるマスメディアとインターネット接続)を遮断して過ごしてみるのもよいでしょう。
もし,1秒たりとも刺激のない状態で過ごすことに大きな苦痛を覚えるとすれば,なぜそうなのか,その理由を探ることから始めます。
静かな心になれない。
静けさの中でなければ
私たちの声を聴くことはできない。
心の声を自分で聴くには
心を静かにしなければならない。
異次元からのインスピレーションは,とても微かなもの。とても微かなので,気のせいだと思ったり,そうだと信じられないことも多々あります。無視することは簡単です。
そのインスピレーションを逃さずキャッチするには,心のおしゃべり(=エゴの声)を静めることです。瞑想したり,自然の中で過ごすことを習慣づけることが役立ちます。一日のうち,ごく短い時間でいいので,すべての雑音(あらゆるマスメディアとインターネット接続)を遮断して過ごしてみるのもよいでしょう。
もし,1秒たりとも刺激のない状態で過ごすことに大きな苦痛を覚えるとすれば,なぜそうなのか,その理由を探ることから始めます。
9/19/2013
雲の形
雲にはいろいろな形がある。
科学が説明しない意味が
雲にはある。
意味は見る人によって異なる。
最初の直観を頼りに
自分の答えを見つけなさい。
自然現象はすべて
あなたがたに答えを教えている。
気づけるか気づけないかが
分かれ目。
科学が説明しない意味が
雲にはある。
意味は見る人によって異なる。
最初の直観を頼りに
自分の答えを見つけなさい。
自然現象はすべて
あなたがたに答えを教えている。
気づけるか気づけないかが
分かれ目。
9/15/2013
自然は真理
大海原はひとつながりだが
人々の行き来を妨げる。
海は人々を分断してきた。
それでも,人々の心はつながっている。
表面的には離れているが
水面下ではひとつにつながっている。
この二律背反こそ真理。
自然は常に真理を表している。
人々の行き来を妨げる。
海は人々を分断してきた。
それでも,人々の心はつながっている。
表面的には離れているが
水面下ではひとつにつながっている。
この二律背反こそ真理。
自然は常に真理を表している。
9/08/2013
Sharing your wealth 富を分かち合う
Most in your country fall into the trap of equating more with better. You equate more possessions with advanced status. Always you are yearning to own more, waiting for the day when you can afford that next new thing. You have accepted the conventional attitude that enough is not satisfying. That the meeting of mere necessities in one’s life should be just the foundation, the springboard to greater affluence. This thinking also tends to shut others out, since it separates you from your neighbors. Sharing one’s wealth is not a popular trend. In fact, sharing is almost scorned as naïve, impractical and foolish; yet that scorn indicates the sickness that pervades your world.
あなたがたの国(註:ここでは米国)の多くの人々は,多ければ多いほど良い,という罠に陥っている。より多く持つことを向上した地位と等しくみている。あなた方は常に,もっと持ちたいと切望し,次の新しいモノを得られる日を待ち望んでいる。足りていることは十分ではないという昔からの態度を受け入れているのだ。人生で必要なものだけを得ることは土台に過ぎず,それは更なる豊かさへの足掛かりだと思っている。こうした考えには,他者を締め出す傾向もある。その考え方は,あなた方と隣人とを切り離すからである。富の共有は人気のある傾向ではない。事実,分かち合いは,素朴で,実際的でなく,愚かであるとして嘲笑される。だが,そのあざけりこそ,みなさんの世界に蔓延している病のしるしなのだ。
Judy Laddon (2011). A Further Step beyond the Veil. Kindle edition.
分かち合うべきなのは,何もお金や物に限った話ではありません。喜びや悲しみといった個人的な経験や学んだ知識など,目に見えないものも全く同じです。要は,良いと信じるものを自分だけのものにせず,他の人々にも与える,ということだと思います。
もし,本当に霊的な教えを理解し,納得しているのであれば,それを周囲の人々に何らかの方法で伝えていこうという気持ちになるはず。そうできないのは,まだ理解が浅いか深く納得していない,ということかもしれません。
スピリチュアルな教えも「分かち合い」が基本です。
9/05/2013
Your first impulse to serve others. 私たちの最初の衝動
You challenged yourself to the greatest test to find out if you could discover the secret of life. Though it’s a well-kept secret, we are revealing it here: it is to give to others. You each chose to be born, hoping and praying that you would discover this simple secret before your days were out—that your first impulse should be to serve others. That is the highest, the most exalted spiritual message I can give you. Your challenge is to serve others before yourself.
That conclusion can’t come too easily, or it wouldn’t be a true test. So you each receive within your breast a burning self-interest that some call ego. This is the fire to test the steel. You each are drawn to seek comfort and privilege for yourself. You are challenged by longings for pleasure, affluence, adoration of others. Almost all of your society would like to be rich and famous. You are not told that these goals are the trick questions in this classroom of life. Don’t be fooled by the outer layer of your desires.
Look deeply for your innermost yearnings and you will find a desire to serve others, to share joy, comfort and pleasure with others. These drives are your heart’s callings, and they should be heeded.
That conclusion can’t come too easily, or it wouldn’t be a true test. So you each receive within your breast a burning self-interest that some call ego. This is the fire to test the steel. You each are drawn to seek comfort and privilege for yourself. You are challenged by longings for pleasure, affluence, adoration of others. Almost all of your society would like to be rich and famous. You are not told that these goals are the trick questions in this classroom of life. Don’t be fooled by the outer layer of your desires.
Look deeply for your innermost yearnings and you will find a desire to serve others, to share joy, comfort and pleasure with others. These drives are your heart’s callings, and they should be heeded.
あながたは,人生の秘密を見つけ出せるか否かを知る偉大な試験に自ら挑んだのです。その秘密は堅く守られたものですが,私たちはいまここで明かすことにしましょう。それは,他者に与えることなのです。あなたがたは,この単純な秘密を人生が終わる前に発見したいとーつまり,みなさんの最初の衝動は,他者に仕えることであるべきだ―と願い,祈って,生まれることを選びました。これは,私がみなさんに与えうる最高の,そして最も崇高なスピリチュアル・メッセージです。あなたがたの挑戦は,自分よりもまず他者に仕えることなのです。
この結論は,そう容易く到達できるものではありません。すぐに到達できれば,試験にはならないでしょう。そこで,あなたがたは各自が,胸の内にある人々がエゴと呼ぶ,強烈な私利私欲を持っているのです。これは,鋼を試す炎です。みなさんは,快適さや自分だけ特権を得ることに引きつけられます。楽しみ,豊かさ,他の人々の憧れの対象となることへの切望によって試されています。社会のほぼ全員が,お金持ちで有名になりたいと思っているでしょう。みなさんは,これらの目標が,人生という教室における巧みな落とし穴のある問題だとは教えられていません。欲望という上辺の姿に騙されてはいけないのです。
心の最も奥深くにある強烈な望みを探りなさい。そうすれば,他の人々に仕え,喜び・快適さ・楽しみを人々と分かち合いたいという願いに気づくでしょう。こうした動機こそ,あなたがたの心からの呼びかけであり,心に留めるべきものなのです。
この結論は,そう容易く到達できるものではありません。すぐに到達できれば,試験にはならないでしょう。そこで,あなたがたは各自が,胸の内にある人々がエゴと呼ぶ,強烈な私利私欲を持っているのです。これは,鋼を試す炎です。みなさんは,快適さや自分だけ特権を得ることに引きつけられます。楽しみ,豊かさ,他の人々の憧れの対象となることへの切望によって試されています。社会のほぼ全員が,お金持ちで有名になりたいと思っているでしょう。みなさんは,これらの目標が,人生という教室における巧みな落とし穴のある問題だとは教えられていません。欲望という上辺の姿に騙されてはいけないのです。
心の最も奥深くにある強烈な望みを探りなさい。そうすれば,他の人々に仕え,喜び・快適さ・楽しみを人々と分かち合いたいという願いに気づくでしょう。こうした動機こそ,あなたがたの心からの呼びかけであり,心に留めるべきものなのです。
Judy Laddon. (1988/2001) A Further Step beyond the Veil. Kindle edition.
人生の目的は大きく分けて4つあると高橋佳子氏は述べています。(こちらの記事をご覧ください。)引用で述べられているのは,4つ目のテーマ(過去生で獲得した魂の力で周囲の人々や場を照らすこと)と一致しています。
どのような形であれ,そして,どのような規模であれ,誰もが,“自分以外の誰か”の役に立つことになっています。意識せずに導かれる場合,苦難の末にたどり着く場合,その両方である場合があります。
最終的には,人助けが喜びであり,生きがいとなることでしょう。たとえ,誰かに認められなくても,です。そこへ到達するには,遥かな道のりですが。
All trials for a purpose. 試練には目的がある
All trials are for a purpose. As your own philosophers of the past have pointed out, people learn important lessons through suffering.
全ての試練には目的がある。かつての哲学者たちが指摘したように,人々は困難を通じて重要な教訓を学ぶのである。
全ての試練には目的がある。かつての哲学者たちが指摘したように,人々は困難を通じて重要な教訓を学ぶのである。
Judy Laddon. (1988/2001) A Further Step beyond the Veil. Kindle edition.
Cup that overflows 愛溢れる杯
We hope that you can pull yourself out of your egocentric focus on your own prestige, your own relative worth in your society, your own need to receive love and approval. The more one shifts one's energies away from this selfishness and toward the serving of others and the giving of one's energies in love to others, then the more the original hoped-for love flows natually toward you. This is the cup that overflows.
われわれは,あなたがたがあなた方自身の威信,社会での相対的価値,愛と称賛を受けたいという要望に合わせた自己中心的な焦点から抜け出してほしいと思っている。あなたがたのエネルギーを,この自己中心性から他者への献身と愛にシフトさせればさせるほど,ますます本来の望ましい愛が自然にあなたがたへと流れていくのだ。これこそ溢れる杯である。
旧約聖書に,"You prepare a table before me in the presence of my enemies. You anoint my head with oil; my cup overflows." (わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。私の頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。 詩篇 23:5)とありますが,引用中の最後の文はこれを意識していると思われます。
われわれは,あなたがたがあなた方自身の威信,社会での相対的価値,愛と称賛を受けたいという要望に合わせた自己中心的な焦点から抜け出してほしいと思っている。あなたがたのエネルギーを,この自己中心性から他者への献身と愛にシフトさせればさせるほど,ますます本来の望ましい愛が自然にあなたがたへと流れていくのだ。これこそ溢れる杯である。
Judy Laddon. (1988/2001) A Further Step beyond the Veil. Kindle edition.
旧約聖書に,"You prepare a table before me in the presence of my enemies. You anoint my head with oil; my cup overflows." (わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。私の頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。 詩篇 23:5)とありますが,引用中の最後の文はこれを意識していると思われます。
Helpful insights do not come with fanfare 洞察は静けさの中に
Especially since our communication is carried not by crass physical means, such as paper or even sound waves; it is thoughts, feelings, and intuitions that carry our messages. So if all those who are praying would just open themselves to an expectancy, an availability to receive an answer, then many would be surprised at the wisdom, love and insights that would pour forth into your minds and hearts. Many on this side wish to give you helpful insights, and these wise souls pray to us that you each would just open up your minds to receive them.
But in these days of mass media, with loud electronic toys on all sides, there is some difficulty in finding an appropriate moment for allowing these thoughts through. Too, they don't come with great fanfare. They may not sound as authoritative as your politicians, advice-filled professionals, or entertainers. We don't care to compete with Hollywood. But our glitter will not fade. These messages we bring are not fads, not transitory fanshion; our messages are enduring, and we hope you will hear them.
とくに,われわれのコミュニケーションは,紙や音波といったお粗末な物質的手段によって行われるわけではないからだ。われわれのメッセージを伝えるのは,想念,感情,直観なのだ。だから,もし祈りを捧げるあなたがたが,答えを受け取ることができるという期待や可能性に心を開けば,多くの人々が,精神と心に注がれる智恵や愛や洞察に驚かれるだろう。こちら側のわれわれの多くが,みなさんにとって有益な洞察を授けたいと願っており,こうした賢明な魂たちが,みなさんの一人ひとりが心を開いて洞察を受け取るようにと祈っているのだ。
しかし,現代のマスメディアの時代には,四方八方に騒々しい電子メディアが溢れ,思念を送るのに相応しい瞬間を見つけることがやや困難である。また,思念は,仰々しいファンファーレと共に来るわけではない。そちらの世界の政治家や,多くの助言を持つ専門家やエンターテイナーのように,権威的に聞こえるわけでもない。われわれは,ハリウッドと競争したいとは思わない。しかし,われわれの輝きは褪せることはない。こちらから届けるメッセージは,気まぐれでも一時的なものでもない。メッセージは永続的なもので,みなさんが聞き入れることを願っている。
スピリット・ガイドからのメッセージをよりよく受け取るには,意図的に外界からの騒音を遮断することも有効でしょう。
テレビ,ラジオ,パソコンの電源を切って、ひとり静かに過ごす時間を10分でも20分でも持つようにします(30分が理想的)。慣れないうちは苦痛かもしれません。習うより慣れろ,継続は力なり,で少しずつでも続けていけば,必ずできるようになります。
But in these days of mass media, with loud electronic toys on all sides, there is some difficulty in finding an appropriate moment for allowing these thoughts through. Too, they don't come with great fanfare. They may not sound as authoritative as your politicians, advice-filled professionals, or entertainers. We don't care to compete with Hollywood. But our glitter will not fade. These messages we bring are not fads, not transitory fanshion; our messages are enduring, and we hope you will hear them.
とくに,われわれのコミュニケーションは,紙や音波といったお粗末な物質的手段によって行われるわけではないからだ。われわれのメッセージを伝えるのは,想念,感情,直観なのだ。だから,もし祈りを捧げるあなたがたが,答えを受け取ることができるという期待や可能性に心を開けば,多くの人々が,精神と心に注がれる智恵や愛や洞察に驚かれるだろう。こちら側のわれわれの多くが,みなさんにとって有益な洞察を授けたいと願っており,こうした賢明な魂たちが,みなさんの一人ひとりが心を開いて洞察を受け取るようにと祈っているのだ。
しかし,現代のマスメディアの時代には,四方八方に騒々しい電子メディアが溢れ,思念を送るのに相応しい瞬間を見つけることがやや困難である。また,思念は,仰々しいファンファーレと共に来るわけではない。そちらの世界の政治家や,多くの助言を持つ専門家やエンターテイナーのように,権威的に聞こえるわけでもない。われわれは,ハリウッドと競争したいとは思わない。しかし,われわれの輝きは褪せることはない。こちらから届けるメッセージは,気まぐれでも一時的なものでもない。メッセージは永続的なもので,みなさんが聞き入れることを願っている。
Judy Laddon. A Further Step beyond the Veil. Kindle edition.
スピリット・ガイドからのメッセージをよりよく受け取るには,意図的に外界からの騒音を遮断することも有効でしょう。
テレビ,ラジオ,パソコンの電源を切って、ひとり静かに過ごす時間を10分でも20分でも持つようにします(30分が理想的)。慣れないうちは苦痛かもしれません。習うより慣れろ,継続は力なり,で少しずつでも続けていけば,必ずできるようになります。
8/29/2013
Fashioning a New World 新しい世界を造る
The public, for its part, encourages such greedy irresponsibility by continuing to support this corrupt industry [automobile industry], by purchasing new cars when older or used ones would function as well. The public continues to cling to concerns such as prestige and appearance rather than sensibility, function, and environmental responsibility.
And so there has been created a web of poor thinking and wrong action that has reinforced itself over time but that soon may come tumbling down altogether, because it is founded upon base motives. We hope the collapse of such structures will awaken in some of you your roles as individuals in building your society. As you take a more positive role, your friends and neighbors will look to you as an example to be followed. A good role model is a strong symbol to others and very persuasitve. ....
There will no "ready made" solutions to your problems and the challenges to come. You cannot go on an expert or a professional of any kind to save you from inconvenience or hardship. You must meet this challenge yourself. ... To help yourself now, you must be reflective and make up your own mind about the life you desire to live. Do you cling to the old ways despite our urgings, and the urgings of your own soul, to drop the pervasive hunger for physical wealth and return to the source of all--spiritual strength and faith in the Divine? Do you fear the idea of physical deprivation when you have suffered so long in spiritual deprivation? We hope you come to believe that the spirit is stronger than this physical world of yours: that is the truth that cries out to be recognized in your world. The spirit towers over every other thing of your world and mine. Spirit is the creator of worlds and the gratest element of the universe.
世間の人々は,その堕落した産業(自動車産業)を支え続け,今の車がまだ使えるにも関わらず新車を購入し続けることで,そうした強欲な無責任を助長している。人々は,分別,機能,環境への責任よりも,威信や体面といったことにずっとしがみついているのだ。
そういうわけで,これまで長年に亘って強まってきた,浅はかな考え方や間違った行動が網の目のように行き渡っているが,それは間もなくすっかり崩壊するかもしれない。なぜなら,それは,卑しい動機づけの上に成立したものだからだ。私たちは,そのような構造の崩壊が,みなさんの中に,自分たちの社会を築き上げる役割を持った人々の目覚めを促すだろうと期待している。あなたがたが前向きな役割を果たすにつれ,あなたの友人や隣人たちがあなたをお手本として従うようになるかもしれないからだ。よいお手本は,他の人々への強力な象徴であり,非常に説得力を持つ。(中略)
これから訪れる数々の問題やチャレンジに,「既成の」解決策はないだろう。不便や苦労から助かるために,専門家やプロを訪れるということはできない。自らを助けるためには,みなさんがどういう人生を送りたいかよく考え,決める必要がある。物質的豊かさへの飽くなき渇望を捨てて,あらゆるものの原点―霊的な強さと神への信仰―に戻るようにという,私たちからの―そして,みなさん自身のたましいの―強い促しにも関わらず,これまでのやり方にしがみつくのか。霊的貧困に長らく苦しんできたというのに,物質的困窮を恐れるのか。私たちは,みなさんが,霊は物質界よりも強い,と信じるようになることを願っている。それは,みなさんの世界で認められようと悲鳴をあげている真実である。霊はみなさんと私たちの世界のありとあらゆるものの中に高く聳えている。霊こそが世界の創造者で,宇宙で最も偉大な要素なのだ。
And so there has been created a web of poor thinking and wrong action that has reinforced itself over time but that soon may come tumbling down altogether, because it is founded upon base motives. We hope the collapse of such structures will awaken in some of you your roles as individuals in building your society. As you take a more positive role, your friends and neighbors will look to you as an example to be followed. A good role model is a strong symbol to others and very persuasitve. ....
There will no "ready made" solutions to your problems and the challenges to come. You cannot go on an expert or a professional of any kind to save you from inconvenience or hardship. You must meet this challenge yourself. ... To help yourself now, you must be reflective and make up your own mind about the life you desire to live. Do you cling to the old ways despite our urgings, and the urgings of your own soul, to drop the pervasive hunger for physical wealth and return to the source of all--spiritual strength and faith in the Divine? Do you fear the idea of physical deprivation when you have suffered so long in spiritual deprivation? We hope you come to believe that the spirit is stronger than this physical world of yours: that is the truth that cries out to be recognized in your world. The spirit towers over every other thing of your world and mine. Spirit is the creator of worlds and the gratest element of the universe.
世間の人々は,その堕落した産業(自動車産業)を支え続け,今の車がまだ使えるにも関わらず新車を購入し続けることで,そうした強欲な無責任を助長している。人々は,分別,機能,環境への責任よりも,威信や体面といったことにずっとしがみついているのだ。
そういうわけで,これまで長年に亘って強まってきた,浅はかな考え方や間違った行動が網の目のように行き渡っているが,それは間もなくすっかり崩壊するかもしれない。なぜなら,それは,卑しい動機づけの上に成立したものだからだ。私たちは,そのような構造の崩壊が,みなさんの中に,自分たちの社会を築き上げる役割を持った人々の目覚めを促すだろうと期待している。あなたがたが前向きな役割を果たすにつれ,あなたの友人や隣人たちがあなたをお手本として従うようになるかもしれないからだ。よいお手本は,他の人々への強力な象徴であり,非常に説得力を持つ。(中略)
これから訪れる数々の問題やチャレンジに,「既成の」解決策はないだろう。不便や苦労から助かるために,専門家やプロを訪れるということはできない。自らを助けるためには,みなさんがどういう人生を送りたいかよく考え,決める必要がある。物質的豊かさへの飽くなき渇望を捨てて,あらゆるものの原点―霊的な強さと神への信仰―に戻るようにという,私たちからの―そして,みなさん自身のたましいの―強い促しにも関わらず,これまでのやり方にしがみつくのか。霊的貧困に長らく苦しんできたというのに,物質的困窮を恐れるのか。私たちは,みなさんが,霊は物質界よりも強い,と信じるようになることを願っている。それは,みなさんの世界で認められようと悲鳴をあげている真実である。霊はみなさんと私たちの世界のありとあらゆるものの中に高く聳えている。霊こそが世界の創造者で,宇宙で最も偉大な要素なのだ。
Judy Laddon. Further Step Beyond the Veil. Kindle edition.
いまの先進諸国の物質的繁栄は,今後そう長くは続かないだろう,と示唆されています。当たり前と思ってきたこれまでの便利な生活が脅かされるような事態が,もしかしたら,そう遠くない将来に訪れるかもしれない。そのとき,どうやって生き延びるのか,についてこの引用の前の部分で多くページが割かれています。基本的に,食糧は自給自足となり,隣人たちとの共同体を強固に築き上げ,その中で互いに助け合うこと,家族や友人との絆を強めていくこと,そして,これまでお店で買うことが当たり前だった日用品の多くまでをも,ひとりひとりが自ら作るようになる,そんな2,3世紀前の生活に戻ることになるかもしれない,と述べられてあります。
これは預言なのか,一種の警告なのかはわかりません。しかし,今のような,ある意味“繁栄しすぎた物質文明”が,人間本来の精神やたましいの在り方を脅かしてきたということは,その通りかもしれません。
もうひとつの意味
人間一人ひとりの奥に計り知れない深みを感じている人は,「畏れ」の感情を知っています.外見や立場などの,人の一番外側の輪郭や表面的な言葉や行動では,とても一人の人間のすべてをわかってしまったと言い切ることなどはできないからです.
人生についてもそうです.人生を織りなしている無数の出来事は,私たちに快苦の感情をもたらしたり,具体的な利害を与えたりしています.けれども,大切なのはそうした出来事に,それ以上のものを受け取っているかどうかということです.私たちにとってわかりきったような好悪,利害,善悪,価値以外に,そのときにはすぐにはわからない,そして目に見えるものに執着している人間には見えない「もう一つの意味」を思う態度を持てるかどうかということだと思うのです.
人生についてもそうです.人生を織りなしている無数の出来事は,私たちに快苦の感情をもたらしたり,具体的な利害を与えたりしています.けれども,大切なのはそうした出来事に,それ以上のものを受け取っているかどうかということです.私たちにとってわかりきったような好悪,利害,善悪,価値以外に,そのときにはすぐにはわからない,そして目に見えるものに執着している人間には見えない「もう一つの意味」を思う態度を持てるかどうかということだと思うのです.
高橋佳子 『人間の絆 基盤編』 p. 275.
物事の表面的な部分にしか関心がない,または,目が向かないと,問題が起こったとき必要以上に悩んだり,一喜一憂しやすくなります。順調な時も不遇な時も,できるだけ平常心でいられるのが理想です。
悩むべき適切なポイントで悩んでこそ,気づきと学びが得られるものです。「もう一つの意味」を見いだせるか否かは,モノに囚われやすいマインドからどのくらい自由であるかにかかっています。
8/22/2013
智恵の力
砂は,一陣の風に舞い上がり
吹き飛ばされる。
水が来たら流される。
どこへ辿り着こうとも
文句も言わず,あるがまま。
人は何かをなくせば不満を漏らし
恐れおののく。
自然の姿は神の姿。
いかに受け入れ,適応するかが
智恵の力。
意に沿わない状況を都合よく変えようとするのではなく,状況に合わせて,柔軟に対応することに頭を使うべきだと言っています。
吹き飛ばされる。
水が来たら流される。
どこへ辿り着こうとも
文句も言わず,あるがまま。
人は何かをなくせば不満を漏らし
恐れおののく。
自然の姿は神の姿。
いかに受け入れ,適応するかが
智恵の力。
意に沿わない状況を都合よく変えようとするのではなく,状況に合わせて,柔軟に対応することに頭を使うべきだと言っています。
8/19/2013
Your earth is a gift for your own benefit 地球は贈り物
Your earth is a gift from the gods and goddesses for your own benefit. How can those in your realm presume it is reasonable to threaten the earth with nuclear holocaust, with pollution, with deforestation, with all the other assaults against nature?
あなたがたの地球は,あなた方のための,神々からの贈り物なのだ。一体どうして,あなたがたの領域にいる人々は,その地球を核による大破壊,公害,森林破壊,その他全ての自然への攻撃で脅かすことが妥当だなどと考えられるのだろうか。
Judy Laddon. (1988/2001) A Further Step beyond the Veil.
Kindle edition.
『輪廻を超えて』(片桐すみ子訳,人文書院)の続編からの抜粋です。(邦訳は出版されていません。)
8/04/2013
5 悟りへの近道
悟りの道に近道はありません.代りの手段もありません.安易な道を見つけるための祈りも儀式も聖典もありません.いくら神聖視されているものであっても,そんな出来合いの手段では駄目なのです.師であろうと弟子であろうと新米であろうと,それも関係ありません.悟りは悪戦苦闘の中で得られるものです.それ以外に魂が目覚める手段はないのです.
『シルバーバーチの霊訓』 第1巻.p. 112.
ただひたすら地道に瞑想を続けていったからといって,それだけで自動的に,人格が向上したり,磨かれることなどあり得ません。
霊的真理が,苦しみの中から掴んだものなのか,比較的平坦な道のりを経て辿り着いたのかで,その理解度,そして,慈悲深さの程度に違いが出るように感じられるのは,気のせいでしょうか。もし,血の滲むような苦しみを経ずして知り得た教えにも関わらず,スピリチュアリズムが「わかる」自分は優秀だ,とか,どこぞの国のミディアム達に霊性が高いと言われた,ということで自信を持っているような人がいるとすれば,それはやや笑止千万です
7/30/2013
最善の智恵
どういうわけか,人間は知恵というものを自分のそとに求めようとする傾向がある.困るとすぐ誰かのところを訪ねる.あるいは書物をひもとく.
なるほど,そうすることによって何らかのアドバイスを得ることはできる.ある種の知識を得ることもできる.自分と同じ窮地において他人がどうしたかを知ることができて,参考にはなる.が,知恵は絶対に得られない.得られたと思うのは一種の錯覚である. そもそも知恵とは,よそから借りられる性質のものではない.英知という人間のもつ最高の判断力の結果が知恵であり,その奥において霊的感受性と深くつながっている.つまり,本人にとって一ばん適切な知恵は,その人の霊的感受性によって決まることであり,他人にとって最高の知恵が必ずしも自分にとって最高であるとはかぎらない.むしろ弊害をもたらすことすらある,ということである.
なるほど,そうすることによって何らかのアドバイスを得ることはできる.ある種の知識を得ることもできる.自分と同じ窮地において他人がどうしたかを知ることができて,参考にはなる.が,知恵は絶対に得られない.得られたと思うのは一種の錯覚である. そもそも知恵とは,よそから借りられる性質のものではない.英知という人間のもつ最高の判断力の結果が知恵であり,その奥において霊的感受性と深くつながっている.つまり,本人にとって一ばん適切な知恵は,その人の霊的感受性によって決まることであり,他人にとって最高の知恵が必ずしも自分にとって最高であるとはかぎらない.むしろ弊害をもたらすことすらある,ということである.
M. H. テスター著 『あなたの運勢を開く背後霊の不思議』 p. 178.
人の数だけ問題があり,同じ人の数だけその答えがあります。
自分以外の人に答えを求めているうちは,自分の知恵を深めることはできないかもしれません。
6/20/2013
A good heart 永遠に消えないもの
"Money is not evil. It is simply a thing, just like any other thing. It can be used in wonderful and charitable ways. But we learn through relationships, not things. Upon the death of our bodies, we do not bring our possessions to the other side--that is a place of higher energy and consciousness, rather than another physical state. So we cannot bring our houses, cars, bank accounts, diamonds, titles, awards, status, or any similar marker of success. These are merely temporary. What exists forever, what we do carry with us when we move on, is a good heart. And, once gained, it can never be lost."
お金は悪ではありません。他の物同様,ただのモノにすぎません。素晴らしい方法で人のためになるように使うことができます。私たちは人間関係を通じて学ぶのであり,モノを通じてではありません。死んでから,あちら側に自分の所有物を持っていくことはできません。あの世は,物質世界ではなく,高い波動と意識の世界だからです。家,車,銀行口座,宝石類,肩書き,賞など,この世的な成功の証を持っていくことはできないのです。これらは,一時的なものに過ぎません。永遠に存在するもの,この世を去るとき持って行くものは,善なる心です。そして,それは一旦獲得すると,決して失われることはありません。
素晴らしいキャリアを積み,大成功をおさめていても,不幸せを感じている人々は多いとワイス博士は述べています。そうしたケースでは,より善く,親切な人になるという本質的な価値観にフォーカスを合わせると,人生観が変わり始めるそうです。
お金は悪ではありません。他の物同様,ただのモノにすぎません。素晴らしい方法で人のためになるように使うことができます。私たちは人間関係を通じて学ぶのであり,モノを通じてではありません。死んでから,あちら側に自分の所有物を持っていくことはできません。あの世は,物質世界ではなく,高い波動と意識の世界だからです。家,車,銀行口座,宝石類,肩書き,賞など,この世的な成功の証を持っていくことはできないのです。これらは,一時的なものに過ぎません。永遠に存在するもの,この世を去るとき持って行くものは,善なる心です。そして,それは一旦獲得すると,決して失われることはありません。
Brian Weiss and Amy Weiss (2012).
Miracles Happen: The Transformational Healing Power of Past Life Memories. p. 79.
素晴らしいキャリアを積み,大成功をおさめていても,不幸せを感じている人々は多いとワイス博士は述べています。そうしたケースでは,より善く,親切な人になるという本質的な価値観にフォーカスを合わせると,人生観が変わり始めるそうです。
この世に人間として生まれてくるのは,いわゆる「幸せ」になるためではありません。生まれたときよりも,少しでも成長して,より善い人間,より美しいたましいになるためです。と同時に,周りの人々のお役に立つことです。人の役に立つことが,自他の成長を促します。そのために必要なら,世間的な成功をおさめるかもしれないし,おさめないかもしれません。
例えば,オリンピックでメダリストになることは,ひとつの通過点に過ぎません。その通過点の先に,強く望んで生まれてきた真の目的があります。ノーベル賞を受賞することも,ビジネスで大成功をおさめて億万長者になることもまた同様です。どういうコースを辿るかは,人それぞれ。過去生から連綿と続く個々のたましいの歴史であり,個性です。
5/18/2013
98 あなたがあなたの運命を築く
それに,次のことを忘れてはいけません。他のすべての人と同じように,あなたの人生も,あなたの個性をあなた自身で発達させるための手段だということです。あなたの代わりにそれをやってくれる人はいないということです。魂の成長は個人的な問題です。
いかなる人間にもかならず試練と困難,すなわち人生の悩みが訪れます。いつも日向ばかりを歩いて蔭を知らないという人は一人もいません。その人生の難問がどの程度まであなたに影響を及ぼすかは,あなたの霊的進化の程度に掛かっています。ある人には何でもないことのように思えることが,あなたには大変な問題である場合があります。反対に,ある人には大変な問題に思えることが,あなたには些細なことに思えることもあります。各自が各自なりの運命を築いていくのです。
いかなる人間にもかならず試練と困難,すなわち人生の悩みが訪れます。いつも日向ばかりを歩いて蔭を知らないという人は一人もいません。その人生の難問がどの程度まであなたに影響を及ぼすかは,あなたの霊的進化の程度に掛かっています。ある人には何でもないことのように思えることが,あなたには大変な問題である場合があります。反対に,ある人には大変な問題に思えることが,あなたには些細なことに思えることもあります。各自が各自なりの運命を築いていくのです。
近藤千雄訳.『シルバーバーチの霊訓 第二巻』 潮文社.p. 71.
97 一時の勝敗
地上生活では勝者がいれば敗者がいるわけですが,霊性に目覚めた人間はそのいずれによっても惑わされてはなりません。やがてはその人間的尺度があなたの視野から消える時が来ます。その時は永遠の尺度で判断することができるようになるでしょう。
近藤千雄訳.『シルバーバーチの霊訓 第1巻』 潮文社.p. 82.
95 真理はひとりずつ
真理というものは一人一人が納得することによって広がっていくものです。一度に大勢の者を目覚めさせる方法はありません。またそれは“知的探求”によって成就されるものでもありません。無私の行いと,訓え(おしえ)を語って聞かせることによって人の心を捉える―それしかありません。
選挙運動のように,拡声機で広めることはできないようです。
近藤千雄訳.『シルバーバーチの霊訓 第二巻』 潮文社.p. 70.
選挙運動のように,拡声機で広めることはできないようです。
94 努力は不可欠
牧師 「地上の人間にとって完璧な生活を送ることは可能でしょうか。すべての人間を愛することは可能なのでしょうか」 これが二回目の論争の最初の質問だった。
「それは不可能なことです。が,そう努力することはできます。努力することそのことが性格の形成に役立つのです。怒ることもなく,辛く当たることもなく,腹を立てることもないようでは,もはや人間ではないことになります。人間は霊的に成長することを目的としてこの世に生まれてくるのです。成長また成長と,いつまでたっても成長の連続です。それはこちらへ来てからも同じです。」
近藤千雄訳.『シルバーバーチの霊訓 第五巻』 潮文社.pp. 190-191.
生きている間もこの世を去ってからも,成長の連続とあります。その意味で,誰もが成長を希求して止まない,永遠の旅人です。
58 葛藤は成長のプロセス
自然界の常として,より高いものがより低いものを無くそうとします.それは当然のことで,そうでなかったら進化というものが真実でなくなります.人間は低い段階から高い段階へ向けて成長しようとする進化性を持った存在です.進化するためには光明へ向けての絶え間ない葛藤がなければなりません.その場合の葛藤は成長のための必須の過程の一つであるわけです.
『シルバーバーチの霊訓 第三巻』 p. 182.
シルバーバーチは続けて,霊的無知から生ずる「不必要な」無駄や努力が地上には多すぎると述べています.
必要な葛藤は乗り越えてこそ,成長につながります.ですが,内面の葛藤は苦しいもの.そうした苦しさを避けるために,わが身を振り返らず他者を責めたり,批判したり,といった過ちを人はつい犯しがちです.その際,スピリチュアリズムの知識があると,それを都合よく解釈し,いわば「利用して」,うっかり批判の手段としてしまうことも,残念ながら少なくありません.未熟さゆえ,ですが,知りながら犯す罪は,真理に照らし合わせても,そうでない場合より重いことを思い出す必要があります.
自分の心の弱さに向き合う勇気,即ち,葛藤に耐える勇気が誰にとっても必要です.
93 理想を披瀝するしかない
私たちとしては,あなた方人間に理想を披瀝するしかありません。言葉をいい加減に繕うことは許されません。あなたがもし魂の内部に完全な平静を保つことができれば,外部にも完全な平静が訪れます。物的世界には自分を傷つけるもの,自分に影響を及ぼすものは何一つ存在しないことを魂が悟れば,真実,この世に克服できない困難は何一つありません。かくして,訪れる一日一日が新しい幸せをもたらしてくれることになります。いかに優れた魂にとっても,そこまでは容易に至れるものではないでしょう。
理想がなければ,努力も成長もありません。「人間とは所詮不完全なものさ」と言い切ってしまえばそれまでです。が,少なくとも,それはスピリチュアリズムを理解している者の態度としては,不適切と言うべきでしょう。
志を高く持ちたいものです。
近藤千雄訳. 『シルバーバーチの霊訓 第六巻』 潮文社.p. 144.
理想がなければ,努力も成長もありません。「人間とは所詮不完全なものさ」と言い切ってしまえばそれまでです。が,少なくとも,それはスピリチュアリズムを理解している者の態度としては,不適切と言うべきでしょう。
志を高く持ちたいものです。
5/17/2013
いのちの水
日照りが続けば
地が乾き,命は滅びる。
水はそれほど大切なもの。
ひとのたましいにも
水が欠かせない。
たましいの水,それは
神の愛・神の光。
目には見えなくとも
一人ひとりの中に流れている。
それがあるから生きられる。
それほどまでに大切なもの。
地が乾き,命は滅びる。
水はそれほど大切なもの。
ひとのたましいにも
水が欠かせない。
たましいの水,それは
神の愛・神の光。
目には見えなくとも
一人ひとりの中に流れている。
それがあるから生きられる。
それほどまでに大切なもの。
起こるままに
世の中の事が,君の望みどおりにゆくことを願ってはならぬ.むしろ,起こることは何事も起こるままに起これ,と願うがいい.そうすれば君は幸福になるだろう.
10年以上前にどこかから抜粋しておいた言葉で,出典は不明です.
自助努力はとても大切ですが,自分の考えや努力だけで,自分の思う方向に全てを解決しようとする「自力主義」は,あまり望ましいやり方ではありません.思いどおりの展開や結果が全て自分のためになる,つまり,自分のたましいの成長につながるわけではないからです.
自分にとって何がよくて何がよくないか,ということはなかなか見通せないもの.時にはより偉大な存在にすべてを「委ねて」みることも必要です.
なお,ここで言う「幸福」とは,心やもっと深い部分(たましい)の満足のことだと思います.必ずしも,現世的・物質的な恵みばかりとは限りません.
10年以上前にどこかから抜粋しておいた言葉で,出典は不明です.
自助努力はとても大切ですが,自分の考えや努力だけで,自分の思う方向に全てを解決しようとする「自力主義」は,あまり望ましいやり方ではありません.思いどおりの展開や結果が全て自分のためになる,つまり,自分のたましいの成長につながるわけではないからです.
自分にとって何がよくて何がよくないか,ということはなかなか見通せないもの.時にはより偉大な存在にすべてを「委ねて」みることも必要です.
なお,ここで言う「幸福」とは,心やもっと深い部分(たましい)の満足のことだと思います.必ずしも,現世的・物質的な恵みばかりとは限りません.
5/13/2013
ワンランクアップ
現代に生きる私たちは,ワンランク・アップに奔走してしまう基盤をいだいているといいました.他人より一歩でも先んじることができるかどうかばかりに心を砕いている-. ということは,私たちが味わう感情も,多くはそこにあることになります.他人より一段抜きん出ることが,充実感や喜びにつながり,一歩後れを取ることが,悔しさや苦しさにつながる-. その他人との比較の中で,初めて味わえるような喜びが,人間が知り得る最高の喜びなのでしょうか.
他人との比較の中で流した悔し涙や悲嘆のため息が,人間が知り得る本当の悲しみなのでしょうか.
他人との比較に一喜一憂しているなら,私たちはまだ,真の喜びや真の悲しみの感情をはっきりと知らないのです.
でも,それはまた,まだ知らない生き方が私たちに残されているということでもあります.私たちの内界は開発途上にあり,本当の感情を知った魂がこれからつくってゆく人生と世界に,余地が残されているということにほかなりません.
「ワンランク・アップに奔走してしまう基盤」 - 先進諸国に生きる現代人の多くに思い当たることがあるのではないでしょうか. 「誰かより」いい学校を出る,いい会社に勤める,いい人と結婚する,収入が多い,大きな家に住む,など挙げればきりがありません. でも,それで得られる満足感は底が知れています.
他人との比較の中で流した悔し涙や悲嘆のため息が,人間が知り得る本当の悲しみなのでしょうか.
他人との比較に一喜一憂しているなら,私たちはまだ,真の喜びや真の悲しみの感情をはっきりと知らないのです.
でも,それはまた,まだ知らない生き方が私たちに残されているということでもあります.私たちの内界は開発途上にあり,本当の感情を知った魂がこれからつくってゆく人生と世界に,余地が残されているということにほかなりません.
高橋佳子 『人生の絆 基盤編』 p. 52.
「ワンランク・アップに奔走してしまう基盤」 - 先進諸国に生きる現代人の多くに思い当たることがあるのではないでしょうか. 「誰かより」いい学校を出る,いい会社に勤める,いい人と結婚する,収入が多い,大きな家に住む,など挙げればきりがありません. でも,それで得られる満足感は底が知れています.
裕福な国
貧困や経済的な苦労は,霊的教訓を学ぶ助けとなる.貧困は謙虚さを育てるための強力な道具なのだ.一方われわれは、みなさんがたの社会において物質的な富みを得ることがすなわち個人的な栄誉である,と考えられていることに失望を禁じえない.
あなたがたのいうところの貧困,そして今わたしがその語を使った文脈が普遍的なものではないことをよく理解するべきである.先進諸国の貧者がより未開の社会に行ったとしたら,裕福と考えられるだろう.われわれが真の貧しさと考えているものは,魂の問題なのだ。真の貧困は裕福な国ほど多く,たとえ空前の物質的豊かさの中にあっても,貧しい人間は多い.
マザー・テレサが来日時,日本は物質的には豊かだが,こころの貧しい人が多い,と仰ったことが思い出されます.
あなたがたのいうところの貧困,そして今わたしがその語を使った文脈が普遍的なものではないことをよく理解するべきである.先進諸国の貧者がより未開の社会に行ったとしたら,裕福と考えられるだろう.われわれが真の貧しさと考えているものは,魂の問題なのだ。真の貧困は裕福な国ほど多く,たとえ空前の物質的豊かさの中にあっても,貧しい人間は多い.
ジュディ・ラドン,片桐すみ子訳. 『輪廻を超えて』 p. 122.
マザー・テレサが来日時,日本は物質的には豊かだが,こころの貧しい人が多い,と仰ったことが思い出されます.
4/27/2013
風向き
自然界に風向きがあるように
人生にも風向きがある。
向かい風のときは
徒らに進もうとするより
その場に踏ん張る。
追い風の時は
足元と周りをよく見て
流れに乗るのがよい。
風向きのひとつひとつに
意味がある。
風向きをうまく活かして
歩みを続けなさい。
人生にも風向きがある。
向かい風のときは
徒らに進もうとするより
その場に踏ん張る。
追い風の時は
足元と周りをよく見て
流れに乗るのがよい。
風向きのひとつひとつに
意味がある。
風向きをうまく活かして
歩みを続けなさい。
3/17/2013
1パーセントの愛
厳しくされ,期待も負わされてきたけれど,愛された思い出もたくさんあるはずなのです.
その思い出がすぐにも忘れてしまいそうなささやかなものばかりで,たとえ1パーセントの愛にしか思えなかったとしても,その1パーセントの大切さに気づかなければいけません.1パーセントの愛情に気づけない人は,100パーセントの愛情にも気づけないのです.
いつも100でないとだめと言っていたら,いつまでたってもゼロのまま.
20ある,30あると,つねに感謝できる人だけが,愛の電池を100パーセント蓄えられる人であり,幸せになれる人なのです.
その思い出がすぐにも忘れてしまいそうなささやかなものばかりで,たとえ1パーセントの愛にしか思えなかったとしても,その1パーセントの大切さに気づかなければいけません.1パーセントの愛情に気づけない人は,100パーセントの愛情にも気づけないのです.
いつも100でないとだめと言っていたら,いつまでたってもゼロのまま.
20ある,30あると,つねに感謝できる人だけが,愛の電池を100パーセント蓄えられる人であり,幸せになれる人なのです.
江原啓之 『スピリチュアル人生相談室』 p. 101.
3/09/2013
「焦らない」の意味
人生では,「自分で状況を変えようと努力する」ということと同じくらいに,「与えられた状況に抵抗せずに,素直に受け入れる」ということも必要のようです。むしろ,その両方の判断やバランスの取り方こそが,人生における学びのテーマのひとつであると言っても良いでしょう。なぜなら,与えられた状況の中に,今回の人生でどうしても経験しておくべき課題が,予定通り順調に含まれているからです。
その意味で,「あせらないで,起きてきたことを受け入れること」も,人生を順調に生きていくうえで,必要なテクニックなのではないでしょうか。「あせらない」というのは,「何も努力しないで放り出しておく」という意味ではなく,「ベストは尽くしながらも,理想的な結果を早急に求めないで,大らかな気持ちで新展開を待つ」という意味なのです。
その意味で,「あせらないで,起きてきたことを受け入れること」も,人生を順調に生きていくうえで,必要なテクニックなのではないでしょうか。「あせらない」というのは,「何も努力しないで放り出しておく」という意味ではなく,「ベストは尽くしながらも,理想的な結果を早急に求めないで,大らかな気持ちで新展開を待つ」という意味なのです。
飯田史彦。『ソウルメイト』 pp. 91-92.
いわゆる「忍耐」や,「委ねる」こととも通じるものがあります。
前向きに努力しているなら,いま自分に起こっていることや置かれている環境は,自分にとって最善であり,必要な全てであると思ってみることで,無益な悩みが減るかもしれません。
3/08/2013
3/03/2013
目には見えなくても
だれも一人ではない。
自然の中には
多種多様な精霊たちが宿っていて
ひとは自然に生かされている。
目に見えないものたちと,
目に見える者とが共存している。
目に見えないからいないと
決めつけないように。
自然の中には
多種多様な精霊たちが宿っていて
ひとは自然に生かされている。
目に見えないものたちと,
目に見える者とが共存している。
目に見えないからいないと
決めつけないように。
3/02/2013
競争心の起源
人はそれぞれ自分が本当に自己実現していく方法を探求する必要がある.真の自己実現とは,報酬は少なくともより創造的な自由や満足を与えてくれる地位につくといったように,心の命ずるところに従うために物質的犠牲を払うことによって達成される事が多い.あるいは自分が心から求めることをなし遂げるために,たいして名声も伴わないような分野の仕事をすることによって達成されることもあるだろう.
サラは,自分の値打ちと自分のしている仕事の価値とを同等に解釈することで,当時の社会のさもしい考えに屈服したのだった.高慢の度がすぎた彼女は,「より低い」地位の人間をとげとげしく批判した.これは彼女の魂にとってじつに不利なことであり,自分にも周囲の人々にも多大な不幸と不快をもたらした.要するに,彼女は霊的に卑小となり,みずからの成長を遅らせることになってしまったのである.これは現世でも,最終的に彼女が戻っていった魂の世界でも,明らかなことだった.
この現象は英国の奉公人の階級だけに限らず,きわめて一般的な病弊のひとつである.あなたがたはそれを競争と呼んでおり,まともな人間に競争心は不可欠だと考えている.このような価値観は個々の人間からひいては学校や会社,国家といった大きな人の集まり全体に蔓延していく.やがてはこれが大きな形をとるようになって,一般に徳と信じられている強烈なナショナリズムな愛国心となり,戦争を生み出すのだ.だがそれは世間に横行する「自分は他人より上だ」という同じ悪しき信念を偽装したものにすぎない.
われわれはこのような態度にまったくうんざりしている.魂の領域に住むわれわれには,地上世界の不変の真理を見通すことができる.そしてあなたがたに,競争をめぐるこの考えがいかにばかげているかを,はっきり理解できるようになってほしいと願っている.どれだけ多くの人間が,この考えのために身をほろぼしたことか!その根底にある論理とは,富や食糧や愛情が全体にいきわたるほど十分ではないので,自分の分を確保して安心するために互いに戦う必要がある,というものだが,これはまったくの間違いだ.ごく基本的には,競争心は宗教的な方向感覚の弱さ,すなわち信仰や高尚な目的の欠如の表れなのだ.人間の精神構造の低さがゆえに競争心が生じるのである.
サラとは20世紀初頭,英国に生きた女性で,ある屋敷で召使として勤め,コックの地位にまで昇りつめた優秀な女性でした.
人より優位に立ちたい,(主に肩書きや仕事の面で)尊敬されたい,といった動機は別の言葉で言えば,野心,つまり「名誉欲」です.名誉欲に駆り立てられてするのでは,どれほど努力しても「本当の意味で」優れた仕事はできません.それはどの分野でも同じです.自分を駆り立てる「真の」動機が何であるか,冷静に客観的に見つめることが必要です.
最後に述べられているのは,霊性が低い(たましいが幼い)人ほど,人と競争したがるものだ,ということでしょう.
サラは,自分の値打ちと自分のしている仕事の価値とを同等に解釈することで,当時の社会のさもしい考えに屈服したのだった.高慢の度がすぎた彼女は,「より低い」地位の人間をとげとげしく批判した.これは彼女の魂にとってじつに不利なことであり,自分にも周囲の人々にも多大な不幸と不快をもたらした.要するに,彼女は霊的に卑小となり,みずからの成長を遅らせることになってしまったのである.これは現世でも,最終的に彼女が戻っていった魂の世界でも,明らかなことだった.
この現象は英国の奉公人の階級だけに限らず,きわめて一般的な病弊のひとつである.あなたがたはそれを競争と呼んでおり,まともな人間に競争心は不可欠だと考えている.このような価値観は個々の人間からひいては学校や会社,国家といった大きな人の集まり全体に蔓延していく.やがてはこれが大きな形をとるようになって,一般に徳と信じられている強烈なナショナリズムな愛国心となり,戦争を生み出すのだ.だがそれは世間に横行する「自分は他人より上だ」という同じ悪しき信念を偽装したものにすぎない.
われわれはこのような態度にまったくうんざりしている.魂の領域に住むわれわれには,地上世界の不変の真理を見通すことができる.そしてあなたがたに,競争をめぐるこの考えがいかにばかげているかを,はっきり理解できるようになってほしいと願っている.どれだけ多くの人間が,この考えのために身をほろぼしたことか!その根底にある論理とは,富や食糧や愛情が全体にいきわたるほど十分ではないので,自分の分を確保して安心するために互いに戦う必要がある,というものだが,これはまったくの間違いだ.ごく基本的には,競争心は宗教的な方向感覚の弱さ,すなわち信仰や高尚な目的の欠如の表れなのだ.人間の精神構造の低さがゆえに競争心が生じるのである.
ラドン『輪廻を超えて』 pp. 151-2.
サラとは20世紀初頭,英国に生きた女性で,ある屋敷で召使として勤め,コックの地位にまで昇りつめた優秀な女性でした.
人より優位に立ちたい,(主に肩書きや仕事の面で)尊敬されたい,といった動機は別の言葉で言えば,野心,つまり「名誉欲」です.名誉欲に駆り立てられてするのでは,どれほど努力しても「本当の意味で」優れた仕事はできません.それはどの分野でも同じです.自分を駆り立てる「真の」動機が何であるか,冷静に客観的に見つめることが必要です.
最後に述べられているのは,霊性が低い(たましいが幼い)人ほど,人と競争したがるものだ,ということでしょう.
2/23/2013
1/31/2013
利己主義の原因
あなたがたの多くは、物を手に入れることや自分の利益しか眼中にない.これは霊的な観点から見れば大きな誤りだ.なぜならそれは利己主義とエゴイズムに根ざすもので,真の共同体の精神,あるいは分かちあいの精神に基づくものではないからだ.この貪欲さを裏で駆り立てているのは,他の人々よりもっと偉くなりたい,少しでも優位に立ちたいという,卑しむべき欲望だ.このような衝動は子供時代に体験した不幸,さらに前世にまでさかのぼる不幸にさえ由来するものだということがわかっている.つまりそのような衝動に駆られる人は、自分の子供時代あるいは前世において愛情が不十分だったと思い込んでいたり、並はずれた業績をあげることや物を手に入れたりすることで人から愛と尊敬を受けられると決め込んでいるものなのである.
こういった考えは,心の真の促しに反するものだ-心の内からは,謙遜であるように,持てる者は人と分かちあうように,周囲の人々に対して偏見を持たず寛大であるようにという声が聞こえてくるはずだ.
どんなことにも必ず原因や理由があります.物質的なことを追い求める人は,どこかで愛情不足を感じてきたはずだ,とここでは言っています.
こういった考えは,心の真の促しに反するものだ-心の内からは,謙遜であるように,持てる者は人と分かちあうように,周囲の人々に対して偏見を持たず寛大であるようにという声が聞こえてくるはずだ.
ジュディ・ラドン 『輪廻を超えて』 pp. 119-120.
どんなことにも必ず原因や理由があります.物質的なことを追い求める人は,どこかで愛情不足を感じてきたはずだ,とここでは言っています.
1/27/2013
That's the Way It Is 信じるものは愛される
作詞・作曲:Max Martin, Kristian Lundin, Andreas Carlsson唄:Celine Dion
I can read your mind and I know your story
I see what you're going through
It's an uphill climb, and I'm feeling sorry
But I know it will come to you
I see what you're going through
It's an uphill climb, and I'm feeling sorry
But I know it will come to you
私には,あなたのこころが読めるし,あなたの話はわかっている
これからあなたがどういう経験をするかも見える
上り坂で,大変なことだと思う
でもそれは避けられないこと
これからあなたがどういう経験をするかも見える
上り坂で,大変なことだと思う
でもそれは避けられないこと
Don't surrender 'cause you can win
In this thing called love
In this thing called love
あきらめないで
この「愛」と呼ばれるもので,勝利できるから
この「愛」と呼ばれるもので,勝利できるから
*When you want it the most there's no easy way out
When you're ready to go and your heart's left in doubt
Don't give up on your faith
Love comes to those who believe it
And that's the way it is
When you're ready to go and your heart's left in doubt
Don't give up on your faith
Love comes to those who believe it
And that's the way it is
一番ほしいときに,楽な解決がなく
いざ進もうとすると,疑いの気持ちが出てくる
でも信じることを諦めないで
愛は信じる人のところに来るから
そういうものなの
When you question me for a simple answer
I don't know what to say, no
But it's plain to see, if you stick together
You're gonna find a way, yeah
いざ進もうとすると,疑いの気持ちが出てくる
でも信じることを諦めないで
愛は信じる人のところに来るから
そういうものなの
When you question me for a simple answer
I don't know what to say, no
But it's plain to see, if you stick together
You're gonna find a way, yeah
私にはっきりとした答えを求めても
なんと答えてよいかわからない
でも,はっきりわかるのは
あなたがたが力を合わせれば
道を見い出すことができるということ
なんと答えてよいかわからない
でも,はっきりわかるのは
あなたがたが力を合わせれば
道を見い出すことができるということ
So don't surrender 'cause you can win
In this thing called love
In this thing called love
だから負けないで
この「愛」と呼ばれるもので,勝利できるから
この「愛」と呼ばれるもので,勝利できるから
*Repeat
When life is empty with no tomorrow
And loneliness starts to call
Baby, don't worry, forget your sorrow
'Cause love's gonna conquer it all, all
When life is empty with no tomorrow
And loneliness starts to call
Baby, don't worry, forget your sorrow
'Cause love's gonna conquer it all, all
人生が空しく,明日に希望がなく
淋しさを感じはじめるときも
心配しないで,悲しみを忘れて
愛はすべてを征服するから
淋しさを感じはじめるときも
心配しないで,悲しみを忘れて
愛はすべてを征服するから
*Repeat twice
That's the way it is
That's the way it is, babe
Don't give up on your faith
Love comes to those who believe it
And that's the way it is.
That's the way it is
That's the way it is, babe
Don't give up on your faith
Love comes to those who believe it
And that's the way it is.
(和訳はブログ作成者による試訳です)
セリーヌ・ディオンさんの曲ですが,この歌詞にも普遍的でスピリチュアルなメッセージを無理なく読み解くことができます。ポイントは,「あなた」と「私」を誰と読むかです。「あなた」を地上にいる私たち人間,そして,「私」を私たちのスピリット・ガイド,と置き換えるだけで,スピリチュアルなメッセージに早変わりしてしまうのは,一部の曲に限ったことではありません。洋楽やニュー・エイジ系(例えば,Celtic Womanが歌う曲など。"You Raise Me Up"はその典型例)のものには決して少なくありません。
スピリット・ガイドには,私たちの気持ちも考えもすべてわかっています。今回の人生で,どんな計画をたてて再生したかも周知しています。避けては通れない困難を知りながら,そして,辛い思いをする私たちに同情しつつも,イエスかノーか,私たちが知りたい答えに即答できないことも多々あります。
でも,どんなに険しい上り坂でも,必ず登りきって峠を越えることができます。辛くても,悲しくても,悲観しすぎず前進しましょう。いつもガイドからサポートがあること,彼らが全力で愛を以って支えてくれることを信じましょう。信じるほど,サポートに気づきやすくなり,愛を感じやすくなります。「愛は,信じる人のところに来るもの」,とはこういうことです。
彼らの愛を信じること(「神,天を信じる」と言い換えても同じ)が,困難を克服し,自分に打ち克つ鍵のようです。
1/23/2013
To Love You More 私に気づいて
作詞・作曲: David Foster, Junior Miles
唄:Celine Dion
唄:Celine Dion
Take me back into the arms I love
Need me like you did before
Touch me once again
And remember when
There was no one that you wanted more
Don't go you know you will break my heart
She won't love you like I will
I'm the one who'll stay
When she walks away
And you know I'll be standing here still
I'm the one who'll stay
When she walks away
And you know I'll be standing here still
*I'll be waiting for you
Here inside my heart I'm the one who wants to love you more
You will see I can give you
Everything you need Let me be the one to love you more
Here inside my heart I'm the one who wants to love you more
You will see I can give you
Everything you need Let me be the one to love you more
See me as if you never knew
Hold me so you can't let goJust believe in meI will make you see
All the things that your heart needs to know
Hold me so you can't let goJust believe in meI will make you see
All the things that your heart needs to know
*Repeat
And some way all the love that we had can be saved
Whatever it takes we'll find a way
*Repeat
20年近く前にドラマのテーマ曲の為に書き下ろされて大ヒットした曲で,葉加瀬太郎さんがバックでバイオリン演奏されています。
ドラマのテーマは男女の愛(romantic love)で,邦題も『もっとあなたを好きになる』となっているようですが,原詩の "I" (私) と "You" (あなた)をそれぞれ,スピリット・ガイドと,彼らに護られている私(たち)と置き換えるだけで,驚くほど素晴らしいメッセージが読み取れます。
地上にくる前,私たちは本来あるべき場所でガイド(主護霊)と一緒でした。そして,お互いを自分として理解できる,非常に強い絆で結ばれた存在として過ごしていました。しかし,3次元の世界に来ると,そのことを思い出すことができません。彼らの存在,そして,彼らから愛されているということをすっかり忘れてしまうことは,彼らにとっても辛いことなのです("Don't go you know you will break my heart" 行かないで。そうなったら,私の胸は張り裂けてしまう)。
それでも,彼らはつねに私たちのそばにいます。友人や恋人が去っていっても,彼らは私たちを決して見放したりしません ("I'm the one who'll stay. When she walks away And you know I'll be standing here still." あとに残るのは私よ。彼女が去っても,あなたには私がここに居続けることがわかるでしょう)。そして,彼らこそが私たちを一番愛していて,必要な全てを私たちが得られるように取り計らっている,ということに気付くのを待っています ("I'll be waiting for you . . . You will see I can give you Everything you need")。そうすれば,もっと彼らと繋がって,愛を受け取ることができるようになるからです("Let me be the one to love you more" 私をこそ,あなたをもっと愛する存在にして)。
彼らの存在にあらためて気付き,信じ ("Just believe in me"),そして,しっかり受け止めること ("Hold me so you can't let go")。そうすれば,いま以上に彼らの大いなるサポートを受けることができるでしょう(”I will make you see All the things that your heart needs to know" あなたの心が知る必要のある全てのことをみせてあげる)。
たとえ,すぐには気づけなくても,ガイドたちの愛は絶えることはありません("all the love that we had can be saved")。どんなことをしてでも,彼らは私たちに愛を送り続け,サポートし続けるでしょう("Whatever it takes we'll find a way")。
1/09/2013
同じで違うからいい−逆説は創造と成長の源
グラミン銀行を設立し,「貧困のない世界(poverty-free world)」を目指してソーシャル・ビジネス(social business 社会貢献型ビジネス)を展開するムハマド・ユヌス氏(2006年ノーベル平和賞受賞)によれば,人種や性別に関係なく,人間はみな同じ,という。98%は似ていて,違いは残り2%だけなのに,人はその2%を取り沙汰して,問題を必要以上に複雑にしている,と。バングラデシュで始まったグラミン銀行は,世界で最も裕福な国・アメリカはニューヨークに支店を開き,バングラデシュと全く同じシステムで多くの貧しい女性たちに少額無担保融資を行い,彼女らの自立支援に成功している。
社会的生物である人間は,心理学(マズローなど)で言うところの一次欲求(生理的欲求)と二次欲求(社会的,自我的欲求)の満足を求めるという点では同じだろう。また,人間はみな等しく神の子。その意味でも同じといえる。物理的にせよ霊的にせよ,マクロの視点で見ると同じだが,ミクロの視点で見ると,一人ひとり少しずつ異なる,ユニークな(unique 独自の,という意味)存在だ。世の中には実に様々な人がいる。外見は言うまでもなく,生い立ち,性格や考え方,職業,宗教,食べ物や服装の好み等,どれひとつをとっても相似形の人間などひとりもいない。
「同じか違うか」ということだけで言えば,私たちは,同じであると同時に違っていて,その両方があるからいいのだと思う。
社会的および自我欲求は,細かく下位分類されているが,おそらくあまり細かく区分する必要はないかもしれない。ひとが求める多くのものはほぼ2つに集約できると思うから。即ち,「安全」と「愛」である。
人は,生き延びるために生命の危険から身を守り,餓死しないようにエネルギー摂取しなければならない。そのために,住む家や食べ物が必要になる。家や食糧を手に入れるために,資本主義社会では貨幣が必要になる。貨幣を手に入れるためには働かなければならない。人々はより多くの貨幣を手に入れようとして,競争するようになり,格差が生じてきた。
なるほど,貨幣経済の発達が人間社会を複雑化させた大きな一因には違いないだろう。が,お金が諸悪の根源かといえばそうではなく,それを使う人間の未熟さが本当の原因であることは,いまさら言うまでもない。「馬鹿とはさみは使いよう」と言うが,お金に限らず,どんな文明の利器も,使い方を誤れば問題を起こすのは同じこと。放射能もレントゲンに使われるだけなら何の問題もなかったはずだが,兵器や燃料として使ったために,生命を脅かす脅威となった。インターネットも,情報収集,有益な情報の発信や,遠方の人々との通信手段として利用するなら便利で安全なツールだが,物欲を満たすために使えば,犯罪の温床になるのは自明のこと。しかし,人間は自らの落ち度を棚にあげて,やれお金が悪い,ネットの世界は怖い,とか,核は危ない,などと責任転嫁する。それらを危険な存在にしたのは,他ならぬ人類自身なのに。同じ論理は,子育てにも用いられる。子どもの様子が最近おかしい。どうやら不良グループと付き合っているようだ。親は,「息子が変わったのは,悪いお友達のせいなんです」と,不良グループのせいにする。自分の愛情が足りなかったことは振り返りもしないで。
人間にはまた,身の安全確保とともに,心理的な安全・安定を求める気持ちもある。それを満たすものが愛ということになろうが,愛には,より社会的なレベルで「承認」を求める気持ちも含まれている。人から尊敬されたい,大切に扱われたい,才能や努力を評価してもらいたい,という思いは,突き詰めれば「愛」を求める気持ちと同じだ。(こうした一部の欲求を,「名誉欲」と呼んで区別する人々もいる。)この世に,絶対的な客観評価や尊敬というものは存在しないからだ。そもそも人間は,表と裏しかない一枚の紙切れのような平面ではなく,さまざまな面を持つ多面的な存在である。Aさんは,相手の右側を見て仲良くしていても,Bさんには,同じ人の左側や裏側が目に留まっているかもしれない。その結果,同じ人でも,AさんとBさんとでは評価が分かれてしまう。仕事の評価も同じだと思う。この世の「評価」というものは何であれ,概ね相対的なものだろう。さほど実力のない人が,高い地位に就いているというのはよくある話だ。私たちは,真に厳正かつ公正な審査や査定を求めているわけではないだろう。評価するのも様々な事情や感情を抱えた人間であって,ひとは,自分の価値観に合うもの,自分の信念を否定しないもの,尊厳を脅かさないもの,端的に言えば,自分が「好きなもの」を是とする傾向が強い。冷静かつ客観的・論理的に見ている「つもり」でも,大なり小なり,エゴが混ざってしまう。つまり,承認や評価は,個人的な好悪の感情(好み)に左右され得てしまうものだといえる。そして,人間は,低い評価,正当ではない評価や不承認に対して,強いストレスを感じる。言いかえれば,個人的な生活においても,社会的場面においても,愛の不在や否定が精神的ストレスの主な要因であると考えられる。
こうして,根本的に求めているものは「同じ」でも,好みや価値観,人生観,性格,人格などの個性の「違い」があるから,人と人がぶつかり,悩み,成長していく。共通性と多様性−この二つが共存するからこそ,さまざまな葛藤・衝突が生じ,その緊張感や不調和の問題点を解消・解決すべく,調和と協調を求める動きが展開される。その過程で,新たな発明や知識が見い出され,各自が様々な学びの機会に恵まれる。地上世界とは,一見相反する要素が,互いに矛盾することなくプラスの相乗作用を新たに引き起こす,逆説が見事に行き渡った次元なのだと思う。
社会的生物である人間は,心理学(マズローなど)で言うところの一次欲求(生理的欲求)と二次欲求(社会的,自我的欲求)の満足を求めるという点では同じだろう。また,人間はみな等しく神の子。その意味でも同じといえる。物理的にせよ霊的にせよ,マクロの視点で見ると同じだが,ミクロの視点で見ると,一人ひとり少しずつ異なる,ユニークな(unique 独自の,という意味)存在だ。世の中には実に様々な人がいる。外見は言うまでもなく,生い立ち,性格や考え方,職業,宗教,食べ物や服装の好み等,どれひとつをとっても相似形の人間などひとりもいない。
「同じか違うか」ということだけで言えば,私たちは,同じであると同時に違っていて,その両方があるからいいのだと思う。
* * *
社会的および自我欲求は,細かく下位分類されているが,おそらくあまり細かく区分する必要はないかもしれない。ひとが求める多くのものはほぼ2つに集約できると思うから。即ち,「安全」と「愛」である。
人は,生き延びるために生命の危険から身を守り,餓死しないようにエネルギー摂取しなければならない。そのために,住む家や食べ物が必要になる。家や食糧を手に入れるために,資本主義社会では貨幣が必要になる。貨幣を手に入れるためには働かなければならない。人々はより多くの貨幣を手に入れようとして,競争するようになり,格差が生じてきた。
なるほど,貨幣経済の発達が人間社会を複雑化させた大きな一因には違いないだろう。が,お金が諸悪の根源かといえばそうではなく,それを使う人間の未熟さが本当の原因であることは,いまさら言うまでもない。「馬鹿とはさみは使いよう」と言うが,お金に限らず,どんな文明の利器も,使い方を誤れば問題を起こすのは同じこと。放射能もレントゲンに使われるだけなら何の問題もなかったはずだが,兵器や燃料として使ったために,生命を脅かす脅威となった。インターネットも,情報収集,有益な情報の発信や,遠方の人々との通信手段として利用するなら便利で安全なツールだが,物欲を満たすために使えば,犯罪の温床になるのは自明のこと。しかし,人間は自らの落ち度を棚にあげて,やれお金が悪い,ネットの世界は怖い,とか,核は危ない,などと責任転嫁する。それらを危険な存在にしたのは,他ならぬ人類自身なのに。同じ論理は,子育てにも用いられる。子どもの様子が最近おかしい。どうやら不良グループと付き合っているようだ。親は,「息子が変わったのは,悪いお友達のせいなんです」と,不良グループのせいにする。自分の愛情が足りなかったことは振り返りもしないで。
人間にはまた,身の安全確保とともに,心理的な安全・安定を求める気持ちもある。それを満たすものが愛ということになろうが,愛には,より社会的なレベルで「承認」を求める気持ちも含まれている。人から尊敬されたい,大切に扱われたい,才能や努力を評価してもらいたい,という思いは,突き詰めれば「愛」を求める気持ちと同じだ。(こうした一部の欲求を,「名誉欲」と呼んで区別する人々もいる。)この世に,絶対的な客観評価や尊敬というものは存在しないからだ。そもそも人間は,表と裏しかない一枚の紙切れのような平面ではなく,さまざまな面を持つ多面的な存在である。Aさんは,相手の右側を見て仲良くしていても,Bさんには,同じ人の左側や裏側が目に留まっているかもしれない。その結果,同じ人でも,AさんとBさんとでは評価が分かれてしまう。仕事の評価も同じだと思う。この世の「評価」というものは何であれ,概ね相対的なものだろう。さほど実力のない人が,高い地位に就いているというのはよくある話だ。私たちは,真に厳正かつ公正な審査や査定を求めているわけではないだろう。評価するのも様々な事情や感情を抱えた人間であって,ひとは,自分の価値観に合うもの,自分の信念を否定しないもの,尊厳を脅かさないもの,端的に言えば,自分が「好きなもの」を是とする傾向が強い。冷静かつ客観的・論理的に見ている「つもり」でも,大なり小なり,エゴが混ざってしまう。つまり,承認や評価は,個人的な好悪の感情(好み)に左右され得てしまうものだといえる。そして,人間は,低い評価,正当ではない評価や不承認に対して,強いストレスを感じる。言いかえれば,個人的な生活においても,社会的場面においても,愛の不在や否定が精神的ストレスの主な要因であると考えられる。
* * *
こうして,根本的に求めているものは「同じ」でも,好みや価値観,人生観,性格,人格などの個性の「違い」があるから,人と人がぶつかり,悩み,成長していく。共通性と多様性−この二つが共存するからこそ,さまざまな葛藤・衝突が生じ,その緊張感や不調和の問題点を解消・解決すべく,調和と協調を求める動きが展開される。その過程で,新たな発明や知識が見い出され,各自が様々な学びの機会に恵まれる。地上世界とは,一見相反する要素が,互いに矛盾することなくプラスの相乗作用を新たに引き起こす,逆説が見事に行き渡った次元なのだと思う。
1/06/2013
平穏な人生にも
申し上げておきたいのは,どの人生にもそれぞれ目的があり,あなたがたは互いに批判しあうべきではない,ということだ。平穏な人生に大した意味などない,と決め込まないでいただきたい。なぜなら物質界での静かな生活の中で,多くの人々はきわめて深遠な真理を理解するようになるからだ。彼らにとってこれらの真理は肉体の死を迎えたのちにしか明らかにならないだろうが,彼らの人生の記憶は鮮やかで印象深いものなのだ。
しばしば実に当を得た説明がなされる真理に,つぎのようなものがある。
物質界での人生は,魂にとって驚くべき試練である-うわべの姿があまりにも完璧に覆い隠されているため,その真の目的を見破ることができない。人生はいわば仮装パーティーのようなものなのだが,招かれた客は仮面の下の自分のアイデンティティをすっかり忘れ去っている。暗黙のうちに行われる試験では彼らが要求されるのは,仮装の下の自分たちの真の自己を確認することなのである。(中略)
ベールのあちら側でもこちら側でも,多くの魂が自分の任務や限界を正確に知らずに,物質界へと生まれてくることを選ぶ。すべてを理解していない時でさえもなお学習は行われるのである。
他の人の人生があなたからみて浅薄に見えても,その人を裁かないように気をつけよう。人は誰もが,それぞれちがったテンポの曲に合わせて行進しているのだ。
しばしば実に当を得た説明がなされる真理に,つぎのようなものがある。
物質界での人生は,魂にとって驚くべき試練である-うわべの姿があまりにも完璧に覆い隠されているため,その真の目的を見破ることができない。人生はいわば仮装パーティーのようなものなのだが,招かれた客は仮面の下の自分のアイデンティティをすっかり忘れ去っている。暗黙のうちに行われる試験では彼らが要求されるのは,仮装の下の自分たちの真の自己を確認することなのである。(中略)
ベールのあちら側でもこちら側でも,多くの魂が自分の任務や限界を正確に知らずに,物質界へと生まれてくることを選ぶ。すべてを理解していない時でさえもなお学習は行われるのである。
他の人の人生があなたからみて浅薄に見えても,その人を裁かないように気をつけよう。人は誰もが,それぞれちがったテンポの曲に合わせて行進しているのだ。
ジュディ・ラドン 片桐すみ子訳 『輪廻を超えて』 人文書院. pp. 177-178.
互助は定め
だがどうか現在の艱難辛苦や欠乏状態のすべてがカルマから生じるもの,あるいは魂の発達に必要なものであると断定しないでいただきたい。あらゆる物質界のできごとにはその奥に秘められた心理的な複合概念が存在しており,これまでのカルマのつみ重ねが直接あなたがたの世界に作用することは事実だ。しかし,他人の苦しみに悦に入って「なるほど,あの人たちは前世で悪いことをしてきたに違いない。苦しむのも当然だ」と言ってもいいというわけではない。みなさんはお互いに助け合いながら,食物を与え合い,住む家や着るものや仲間づきあいや愛情を提供しあうよう定められているのだ。現代の医学もまた多くの点ですぐれており,われわれはこちら側から子供のないカップルが問題解決のために医学の助けを受けるのを見て,喜ばしいことだと思っている。
ジュディ・ラドン 『輪廻を超えて』 pp. 130-131.
孤独に耐える力
「友人が欲しい,あるいは親友が欲しいといっても,単に自分のメリットだけを考えている人は,決して,その人が望むような人間関係は得られない。人間関係は,「持ちつ持たれつ」なのだ。
心の苦痛も体の苦痛も,最終的には,自分がその苦痛と戦い,解決していくしかないのだ。
そこで,人間は孤独な存在なのだということがわかると思う。だからといって,苦しんでいる相手を放っておけというのではなく,相手の苦痛を思いやり,その苦痛を少しでも軽減してあげるために努力することはできる。
友情のあり方,あるいは愛情のあり方というのは,そういうものではないだろうか。つまり,相手に対して,どのくらい気遣いができるかということである。
相手に対して,求めるだけでは,友情は成り立たない。自分が相手に対してどのように気遣いができるかも,また試されるものだ。そこで孤独に耐えることができる精神が必要になってくるのではないか。孤独に耐えられないと,相手に依存しがちだ。相手に依存し甘えるだけでは,決して友情は成り立たない。それでは,相手を利用しているだけにすぎない。
ここで孤独と言っているのは,心の在り方のことである。
孤独に耐えることのできる人は,人間は本来孤独であることがわかっているから,逆に付き合う人に対して気遣うことができる。そして,人間関係の距離を上手に保つことができる。
関係の距離をきちんと維持できる人は,人間関係で孤立することはない。
いま,精神的な在り方を述べてきたが,具体的に言うと,一人で時間を過ごすことのできる強さを持つことが,孤独に耐える強さを持つことの第一歩である。一人で時間を過ごすことができることは,一人で決断し,悩みを解決していく強さをもつことにもつながる。
まず,自分の力で立つことができること,つまり孤独に耐える力があってこそ,人に対する気遣いもでき,そこではじめて相互的な人間関係を持つことができるのだ。
孤独でいられることと,人間関係を上手く保って行くことができることは,矛盾することではなく,イコールなのである。」
おそらく,斉藤茂太氏の著書(のどれか)からの引用かと思いますが,かなり前に抜粋したもので,定かではありません。
依存的な人は,人間関係で適正な距離を保つことができない,というのは全くそのとおりです。個人的な付き合いが全くないにも関わらず,いきなり救いを求める意味不明なメールを(はじめの挨拶すらない)送ってくる人が,非常に稀に,いますが,これなどは依存以外の何者でもありません。年齢は重ねていても,精神的に幼い場合,求めるばかりで,相手の心情や事情を気遣ったり,配慮することができません。自分こそこの世で一番不幸だ,とたやすく自己憐憫に陥るのも依存的な人々の特徴です。(ちなみに,この類いのメールには一切返信しませんし,依存が程度を超えていると判断された時点で,一旦距離を置かせていただきます。)
そういう人々は,相手から善意で与えられた,もしくは,ミディアム経由で伝えられるスピリット・ガイドからの愛あるアドバイスにも耳を傾けることができません。そもそも,有益なアドバイスを求めているわけではありません。彼らが求めているのは表面的な優しさや同情など,自分に好都合な言葉と反応だけです。この世知辛い現代社会にあって,一方的に求める“大人”に-しかも個人的な付き合いもない,いや,親しい間柄でも-快く与える人なんて滅多にいません。物乞いにだって,せがまれれば逃げ出したくなるのと同じことです。
誰もが,自分に背負えるだけの重荷を背負っています。
心の苦痛も体の苦痛も,最終的には,自分がその苦痛と戦い,解決していくしかないのだ。
そこで,人間は孤独な存在なのだということがわかると思う。だからといって,苦しんでいる相手を放っておけというのではなく,相手の苦痛を思いやり,その苦痛を少しでも軽減してあげるために努力することはできる。
友情のあり方,あるいは愛情のあり方というのは,そういうものではないだろうか。つまり,相手に対して,どのくらい気遣いができるかということである。
相手に対して,求めるだけでは,友情は成り立たない。自分が相手に対してどのように気遣いができるかも,また試されるものだ。そこで孤独に耐えることができる精神が必要になってくるのではないか。孤独に耐えられないと,相手に依存しがちだ。相手に依存し甘えるだけでは,決して友情は成り立たない。それでは,相手を利用しているだけにすぎない。
ここで孤独と言っているのは,心の在り方のことである。
孤独に耐えることのできる人は,人間は本来孤独であることがわかっているから,逆に付き合う人に対して気遣うことができる。そして,人間関係の距離を上手に保つことができる。
関係の距離をきちんと維持できる人は,人間関係で孤立することはない。
いま,精神的な在り方を述べてきたが,具体的に言うと,一人で時間を過ごすことのできる強さを持つことが,孤独に耐える強さを持つことの第一歩である。一人で時間を過ごすことができることは,一人で決断し,悩みを解決していく強さをもつことにもつながる。
まず,自分の力で立つことができること,つまり孤独に耐える力があってこそ,人に対する気遣いもでき,そこではじめて相互的な人間関係を持つことができるのだ。
孤独でいられることと,人間関係を上手く保って行くことができることは,矛盾することではなく,イコールなのである。」
おそらく,斉藤茂太氏の著書(のどれか)からの引用かと思いますが,かなり前に抜粋したもので,定かではありません。
依存的な人は,人間関係で適正な距離を保つことができない,というのは全くそのとおりです。個人的な付き合いが全くないにも関わらず,いきなり救いを求める意味不明なメールを(はじめの挨拶すらない)送ってくる人が,非常に稀に,いますが,これなどは依存以外の何者でもありません。年齢は重ねていても,精神的に幼い場合,求めるばかりで,相手の心情や事情を気遣ったり,配慮することができません。自分こそこの世で一番不幸だ,とたやすく自己憐憫に陥るのも依存的な人々の特徴です。(ちなみに,この類いのメールには一切返信しませんし,依存が程度を超えていると判断された時点で,一旦距離を置かせていただきます。)
そういう人々は,相手から善意で与えられた,もしくは,ミディアム経由で伝えられるスピリット・ガイドからの愛あるアドバイスにも耳を傾けることができません。そもそも,有益なアドバイスを求めているわけではありません。彼らが求めているのは表面的な優しさや同情など,自分に好都合な言葉と反応だけです。この世知辛い現代社会にあって,一方的に求める“大人”に-しかも個人的な付き合いもない,いや,親しい間柄でも-快く与える人なんて滅多にいません。物乞いにだって,せがまれれば逃げ出したくなるのと同じことです。
誰もが,自分に背負えるだけの重荷を背負っています。
歩みはとまらない
こちらの領域でもみなさんの領域でも,進歩を達成したからといってそれに甘んじて歩みを止めることは決してない。どの段階においても,それを超えればまたつぎの目標があらわれて,前方へと手招きするのである。
ジュディ・ラドン 『輪廻を超えて』 人文書院. p. 36.
カルマは影
釈迦は,たとえ高いところまで到達しても,前世の過ちをのがれることも破棄することもできないことをあきらかにした.法は法であり,カルマの状況の目標である叡智に到達する近道はない.アラン・ワッツは『禅の精神』で,「…人間のカルマは影のように人についてまわる.『自分の影のなかに立ちながら,暗いのはなぜなのだろうと人間は不思議がる』といわれてきたように,たしかにカルマとはみずからの影なのだ」と書いている.カルマに終止符をうつには,昔の負債を完済しなければならず,新しく借りをつくってはならない.多くの生涯にわたる帳簿上の収支を清算しうる方法はただひとつ,愛と無我の戒めを全身全霊で受け入れることだ.もうひとつ,ジョセフ・ウィードのことばを引用してみよう.
*バルドとは,本書では「中間生」と訳されてあり,「仏教用語では中有または中陰という.死の瞬間からつぎの生を受けるまでの間の時期.生きとし生けるもの,すなわち「有情」の4つの存在の仕方―死有・中有・生有・本有のひとつ」(p. 238) と注釈があります.おそらく,霊界に入る手前の幽界の最上層部,もしくは霊界のことを言っているのではないかと推測されます.ちなみに,人間の魂は死後,平均して1年ほどは幽現界にとどまり,その後,幽界に移行し,そこで数十年を過ごすといわれています.幽界は幽現界に近い低い段階のところから,霊界のすぐ手間のサマーランドと呼ばれる波長の高いところまで広く幅があります.霊界に入るのは,従って,かなり先のことになります.もちろん,幽界の上層部や霊界に移行できる時間には個人差があります(が,一足飛びに霊界に帰ることは滅多にありません).魂によっては,霊界に戻らず幽界から直接現界に転生する場合もあります.
エドガー・ケイシーのリーディングに,"meeting self" という表現がよく出てきますが,上の引用にある「カルマとは自分の影なのだ」,と同じ内容を指していると思います.カルマは誰かとの間に生じますが,相手が悪い,とか,相手との組み合わせが良くなかった,ということではなく,あくまでも自分の未熟さが原因なので,カルマは「自分の問題」であると言えます.もちろん,相手にもカルマがありますが,それは自分とは別の問題として捉えるべきです.
カルマを「完済」しなければ次の段階には進めないとありますが,必ずしもそうではないようです.ある段階にまで到達したら,まだ返済すべきものが若干残っていても,地球での転生を終えることが許されるケースも伝えられています.そうした場合には,守護霊の立場になった時,守護する人間に裏切られるなど,何らかの方法でカルマを返済する可能性があるかもしれません.
カルマの概念のもたらす結論としていちばん重要なのは,私たちのおかれた境遇は決して偶然のなせるわざによって決められたのではない,ということだ.この世で私たちはバルド*で選んだことを体現している.私たちが,バルドの肉体をもたない状態にあって決定したことによって今生の境遇が決まり,潜在意識のありかたによって,良運や悪運がめぐってくる.カルマの法則が真実だと確信することはすなわち,たとえ現状がいかに困難でも,この現状にわが身をおいたのは自分自身なのだ,と認めることなのだ.人はそれぞれ,試練や苦難の中にこそ学び成長するための最大の機会がある,と理解したうえでその試練や苦難を探しだしていくのである.
「ほんの少しでも利己心をもって行動したり,見返りをもとめて善行を行うかぎり,その報いを受けるためにこの世へと戻らなくてはならない.原因には結果があり,活動には成果がある.欲望はこれらをつなぐ紐である.紐の一本一本の糸が燃えつきて切れるとき,その関係も終わり,魂は自由になるであろう.」
J.L. ホイットン他著 片桐すみ子訳
『輪廻転生 驚くべき現代の神話』 pp. 114-5.
『輪廻転生 驚くべき現代の神話』 pp. 114-5.
*バルドとは,本書では「中間生」と訳されてあり,「仏教用語では中有または中陰という.死の瞬間からつぎの生を受けるまでの間の時期.生きとし生けるもの,すなわち「有情」の4つの存在の仕方―死有・中有・生有・本有のひとつ」(p. 238) と注釈があります.おそらく,霊界に入る手前の幽界の最上層部,もしくは霊界のことを言っているのではないかと推測されます.ちなみに,人間の魂は死後,平均して1年ほどは幽現界にとどまり,その後,幽界に移行し,そこで数十年を過ごすといわれています.幽界は幽現界に近い低い段階のところから,霊界のすぐ手間のサマーランドと呼ばれる波長の高いところまで広く幅があります.霊界に入るのは,従って,かなり先のことになります.もちろん,幽界の上層部や霊界に移行できる時間には個人差があります(が,一足飛びに霊界に帰ることは滅多にありません).魂によっては,霊界に戻らず幽界から直接現界に転生する場合もあります.
エドガー・ケイシーのリーディングに,"meeting self" という表現がよく出てきますが,上の引用にある「カルマとは自分の影なのだ」,と同じ内容を指していると思います.カルマは誰かとの間に生じますが,相手が悪い,とか,相手との組み合わせが良くなかった,ということではなく,あくまでも自分の未熟さが原因なので,カルマは「自分の問題」であると言えます.もちろん,相手にもカルマがありますが,それは自分とは別の問題として捉えるべきです.
カルマを「完済」しなければ次の段階には進めないとありますが,必ずしもそうではないようです.ある段階にまで到達したら,まだ返済すべきものが若干残っていても,地球での転生を終えることが許されるケースも伝えられています.そうした場合には,守護霊の立場になった時,守護する人間に裏切られるなど,何らかの方法でカルマを返済する可能性があるかもしれません.
自らの選択
…この世の運命をなげき不運をかこつたびごとに,我々が非難することになるのは自分自身の選択であって,ひどい仕打ちをする気まぐれな神または神々の選択ではない.ゆえにカルマを知る者の犯してはならない悪徳は,嫉妬ということになる―それが他人の境遇に対してであろうと,他人のもつ才能や富や友人などに対してであろうと―なぜなら我々が手にしているのは,みずからが選び取ったものであるからだ.
「なぜ,私だけがいつまでも前に進めないのだろう,他の人の人生はもっとスムーズなのに」-こう考えて,苛立ちと悲しみを抑えられなかった時に出会った一節です.その時,私は,ガイドたちを無言のうちに責めていました.数年前に引用しておいたこの文章を目にした瞬間,愚痴を言ったことに対して,彼らから「喝を入れられた」ような,そんな気持ちになって目が覚めた思いでした.
私たちは,今回の転生でどのようなたましいの学びをするのか,そのためにはどういった環境に身を置くのが相応しくて,どのような体験が適切かなど,予め決めています.そして,肉体を持って記憶が薄れたあとで,その道筋からそれないように主護霊を初めとするスピリットたちがつねに見守り,導いてくださっています.私たちは各々が,それぞれのガイド・スピリットたちと,いわば「チームを組んで」生きている,と言えます.私たちの地上での学びの内容や成果は,私たちだけのものではなく,やがてはガイドたちのものにもなるからです.
とはいえ,嫉妬しやすい心理的な状態(寂しさなど愛の欠乏状態)というのは確かにあるので(智恵の多寡は別にして),そうした状況に陥った場合には,心身を充分に休めて,自分を労わってください.
以前の記事,「転生四つのテーマ」も参照ください.
ホイットン他 『輪廻転生』 p. 110.
「なぜ,私だけがいつまでも前に進めないのだろう,他の人の人生はもっとスムーズなのに」-こう考えて,苛立ちと悲しみを抑えられなかった時に出会った一節です.その時,私は,ガイドたちを無言のうちに責めていました.数年前に引用しておいたこの文章を目にした瞬間,愚痴を言ったことに対して,彼らから「喝を入れられた」ような,そんな気持ちになって目が覚めた思いでした.
私たちは,今回の転生でどのようなたましいの学びをするのか,そのためにはどういった環境に身を置くのが相応しくて,どのような体験が適切かなど,予め決めています.そして,肉体を持って記憶が薄れたあとで,その道筋からそれないように主護霊を初めとするスピリットたちがつねに見守り,導いてくださっています.私たちは各々が,それぞれのガイド・スピリットたちと,いわば「チームを組んで」生きている,と言えます.私たちの地上での学びの内容や成果は,私たちだけのものではなく,やがてはガイドたちのものにもなるからです.
とはいえ,嫉妬しやすい心理的な状態(寂しさなど愛の欠乏状態)というのは確かにあるので(智恵の多寡は別にして),そうした状況に陥った場合には,心身を充分に休めて,自分を労わってください.
以前の記事,「転生四つのテーマ」も参照ください.
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