競争主義が著しく,能力一辺倒主義であることと,能力の尺度が一律であったということ,そしてそれが数に置き換えられていきました.いわゆる偏差値制です.それで子ども達の能力ばかりでなく,人間自体の可能性や価値までが計られるようになった結果,偏差値では計れない部分が追いやられ,それは邪魔なものとさえ見なされるようになったため,芽が摘み取られるようなことになっていったのです. 価値観の尺度が非常に狭く限られ,偏ったものだったわけです.そうするとその流れに乗るべく,子ども達はそのような特徴を有し始めるようになってきたわけです.そして勝つためにはクラスメイトや他の同年代の子ども達を負かさないといけない.勝つため,生き残るためには他の子ども達が負けることが必要であるという考えや捉え方が一般的になってきました.十五人いるうち十人だけが受かる,ということは五人を落とせ,ということに結果的になるからです.優ろうということと,他が落ちるように,他が失敗するのを喜ぶ.他の不幸をどこかで望んで,そうなった時喜ぶ,という風潮が蔓延してきたのです.潜在的にも.そしてそれが有る程度積もり積もって顕在化してきた時に非常に惨い心無い事件が多発してきているということなのです.
今後の学校教育のあり方としましては,このような一律性を止め,価値観の多様性を認識し,その方向で組み替えていくことです.皆が一番になれると良いのです.相対的な尺度に過ぎない偏差値制などは止め,もっと絶対的な尺度で見ることで,一人一人が皆一番になれるのです. 浅野信 『リーディングが開く21世紀の扉』 pp. 92-3.
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