この霊的真理の視点に立つと,血縁にこだわる愛がいかに狭いものか,理解できるのではないでしょうか.
もちろん,「血縁こそ大事」という物質界特有の思い込みがあるからこそ,人間は家族愛を持つ事ができます.しかしその家族愛は霊的真理から言うと,ほとんどは「小我の愛」です.「わが家が幸せならいい」という狭い愛になりがちですし,「親として自慢できる子に育てたい」といった打算の愛にも傾きがちです.
「肉の家族」とは,そうした「小我の愛」の中でまず学び,やがてより広い「大我の愛」に目覚めるよう,学びの通過点として設けられた一つの仕組みなのです.
つまり私たちは,ゆくゆくは必ず血縁への狭いこだわりを超え,すべての人を家族同然に思えるような「大我の愛」に目覚めていくことになるたましいなのです.
それならば,もう今から,血縁を超えた大きな「家族」を意識してもいいのではないでしょうか.物質主義的価値観が蔓延した結果,「肉の家族」のつながりが薄くなり,「小我の愛」を育む場としてさえ機能しにくくなった今,「肉の家族」から「たましいの家族」に目を向け始めてもいいのではないでしょうか.
江原啓之 『子どもが危ない!』 pp. 180-1.
「血は水よりも濃い」と言いますが,血のつながりよりももっと強固なもの,それは「魂のつながり」です. 人は血縁とか続柄にこだわります.血筋,家柄にこだわる人々もいます.それはそれで意味があることだと思いますが,各人の学びにとって,程度でしょう.普遍的な意味というわけでは必ずしもないようです.
「地球はひとつ,人類はみな兄弟」というフレーズがむかしCMでよく流れていました.飛行機でどこへでも移動できるようになり,物も情報も短期間で国家間を行き来するようになったグローバルな時代.「人類はみな兄弟」を意識したいです.
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