8/13/2008

物質的な生き方

…この時代 [19世紀アメリカ] には人間に霊的な側面があるということが忘れ去られ、物質の世界から人生を定義することが一般的になっていることがある.このため誰もが,自分たちを肉体や年齢,職業,財産によって判断するようになってしまった。彼らには,自分たちの魂がこれらの一時的な人生の要素をすべて超越したものだということがわかっていない。物質界との結びつきがあまりにも大きすぎて,人生-魂同士の、あるいは地球そのものに内在する魂たちとの愛情のこもった交流-について正しく評価を下すことが出来ないのだ.人間は人生の意味をじっくり考えもしなければ反省もしない代わりに、ソロバン上で物質的な要素を加算し,人間の値打が合計いくらになるかをはじき出す.一番利口で偉い人間と目されているのは金持ちだ。貧者や教育のないものはおとしめられ,さげすまれる.社会の一員としてもっとも信用のおける,まともな人間とされるのは,その時代の価値観の信奉者なのである。だが、こちら側へやってきてこのように困ったはめに陥るのは、こういった人間だ.彼らはまるで目隠し皮をはめられて田畑を耕作する馬のようなものだ-ただし馬と違って自分の目隠し皮が気に入っており,地平全体を見て彼らは驚くのである.
  もし読者が,自分がどっぷりと信念に浸りきっていることを受け入れられるほどに正直ならば,この物語を通じていくらかでも自分の短所に気付いてくれる人が出てきて欲しいものだ.この世にいるうちにそのような態度を正すことによって,霊的な成長を遂げられるはずだ.地上で正せない場合,こちら側での成長は困難で遅々としたものとなるだろう
 


ラドン 『輪廻を超えて』 p. 148.



戦後から今日に至るまでの日本にも近いものがあります. ですが,日本には,20世紀の終わりごろから,スピリチュアリズムが普及し始めています. いまこそ,「本来あるべき生き方」に思いを馳せる時です.


引用では,地上の物質界に居る間に即物的な生き方を矯正しておくことが,必ず自分のためになる,と言っています


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